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ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調Op.125『合唱』
[指揮]クラウディオ・アバド
[演奏]ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
カリタ・マッティラ(ソプラノ)
ヴィオレタ・ウルマーナ(メゾ・ソプラノ)
トマス・モーザー(テノール)
アイケ・ヴィルム・シュルテ(バス)
スウェーデン放送合唱団、エリック・エリクソン室内合唱団
[合唱指揮]トヌ・カリユステ
[収録]2000年5月1日フィルハーモニー(ベルリン)
https://www.youtube.com/results?search_query=abbado+beethoven
この第九は「ヨーロッパコンサート2000」としてプレトニョフが弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番との組み合わせで以前からDVD化されていた映像であり、アバドのDVD/ブルーレイのベートーヴェンの交響曲全集にも収録されている。またバスをトーマス・クヴァストホフに替えた別日の演奏がDGからCD化されているのでそちらを聞かれた方も多いだろう。私はクラシカジャパンの放送で初めて見た。驚いた。この2000年のアバドの第九はテンポが速かったのだ。
この演奏がべーレンライター版を使用していることは発売当時から知られていたが、それ以上に第三楽章のテンポの取り方が注目だ。99小節以降の8分の12拍子を普通の指揮者(カラヤン、バーンスタイン、ショルティを含む)は3つ振り×4で振るのだが(そうすると当然テンポはここから遅くなる)、アバドはここを4つ振りで振っている(上記youtubeの37分10秒)。
マタイ受難曲の第一曲と同じ問題がここで生じていたのだ。マタイ受難曲をリヒターのように3つ振り×4で遅く振る指揮者はもういなくなったのと同じように、ここは4つ振りで振るのが音楽的には正しい(はずだ)。99小節目にはわざわざLo stesso temp(同じ速さで)という指定もあるので、83小節のアダージョと同じテンポを維持したまま4つで振り続けるのが妥当だと思われる。このバイオリンの細かいパッセージは慣習的な演奏よりもずっと早いテンポで弾くものだったのだ。
(楽譜が手元にない方はIMSLPの下記PDFの84ページ参照)
http://petrucci.mus.auth.gr/imglnks/usimg/7/76/IMSLP328923-PMLP01607-LvBeethoven_Symphony_No.9__Op.125_fe_fs_BPL.pdf
この部分に注目して他の映像を見ると、トスカニーニは4つ振り、クレンペラーとジュリーニもテンポが遅いのでやや微妙だが基本的には4つ振りに見える。アバドはこの楽章を約13分ほどで通過している。私はこの解釈を支持したいと思う。全曲は約62分で終わっている。86年のウィーンフィルとの演奏は第三楽章で約17分、全曲は約73分かかっている。
VPO(1986L) 17:10/14:14/17:01/23:55=72:40
BPO(1996L) 15:23/13:50/13:57/22:47=65:57
BPO(2000L) 14:22/13:03/12:48/22:02=62:15
なお、1996年のザルツブルグでのライブは当時刊行直前だったべーレンライター版を一部先取りしたものだが、楽譜にはない最後のピッコロの音のオクターブ上げの理由についてアバドが会見で答えられなかったことも話題になった。このことはBPO時代のアバドの評判がよろしくない理由の一つになってしまい、正直私も「アバドのベートーヴェンなんて」と思っていたのは確かだ。それでも86年のVPO盤が手元にあるのはプライが第九を歌った唯一の正規録音という理由に過ぎない。ちなみに86年盤と2000年盤ではフィナーレのピッコロ上げは採用していない。
第四楽章フィナーレ直前のマエストーソ(916小節)も86年盤では良くあるような倍伸ばし(8分音符を1つに数えて6つに振る)になっているが、2000年盤では明らかに楽譜通りの3つ振りで振っている(この重要な場面でカメラが棒を捉えてないのは残念)。古楽器系の演奏を除けばここを楽譜通り3つで振る演奏はこのところなかったと思う。私はこれで良いと思う。
アバドは第九の解釈を変更していたのだ。アバドは時々解釈の変更を意図的に行っており、マーラーの5番のアダージェットの高速化などどうなのだろうと思うものもなくはないが、この第九のある種のピリオドアプローチは評価できると思う。この第三楽章は必聴だ。
第四楽章の歓喜の主題(116小節)は第2クラリネットあり、Freudeの前のホルンのちょっと変わったリズムもべーレンライター版通りである。ただ、第三楽章のトランペットのファンファーレ(121小節目)でスタッカートを強調していないのは残念だ。この辺りが現場主義的に取捨選択されていて首尾一貫しないのが晩年のアバドらしいところでもある(笑)。
それから、合唱はアバドお気に入りのスウェーデン放送合唱団だが、合唱とソリストが楽譜を持って歌っているのも残念だ。第九の合唱は日本でも暗譜で歌うのが珍しくないのに。
(追記)
べーレンライター版の違いや、この版を用いたとされるアバドやラトルの演奏に関する面白い文献を見つけたので追記しておく。
http://www.ri.kunitachi.ac.jp/lvb/rep/hujimoto03.pdf
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ずいぶん細かいところまでお聞きになっているのには驚嘆しました。
私は、もっと漫然と音楽を聞いておりまして、最大の理由は、ミニチュア・スコアを開いて聞くという習慣を失ったことにあります。
近視・遠視・斜視の三重苦ですと、視線を素早く動かすことが難しくなってしまいました。
アバドは、ウィーン時代にムソルグスキーをはじめとして、珍しいオペラを結構映像に残してくれたので、オペラ指揮者としては高く評価しておりますが、コンサート指揮者としては、私とはあまり相性がよろしくないみたいです。
LSO時代の若い録音は、まだ熱心に聞いていた方なんですが、BPO時代に入ってからは中庸の美の印象が強くありまして…
2015/1/4(日) 午前 2:35
私も最近はスコアを追っていくというよりは辞書的な読み方になってきてしまって、アバドがここを4つに振っているのを見るまではここが8分の12拍子で書かれていることに気がつきませんでした。そういう指摘をしている文献を目にしたことがないのが不思議ですが新鮮な発見です。映像はありがたいですね。
2015/1/4(日) 午前 9:52 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
私がアバドの第9を聞いたのは88年2月にパリのプレイエルでで、ヴィーン・フィルとの交響曲全曲演奏の1つでした。
すでにマッティラがソロに起用されてましたから、この頃からお気に入りだったんですね。
2楽章はアバドにしては強調感が強く、3楽章も感動はもう一つ、全体としてあまり感心する出来ではありませんでした。まだベーレンライター版を取り入れて解釈を修正する前だし、そうした事情を抜きにしても、ヴィーンのようなベートーヴェン演奏に関しては古い譜面をため込み現場の伝統習慣が強い団体を前に、アバドは態度を決めかねてるような割り切れぬ印象を持ちました。
2000年のベルリンとの3楽章は、感動をたたえつつも軽やかな足取りで進む演奏でたいへん好感が持てますね。
アバドの功績というとまずヴェルディとロッシーニのオペラ、シンフォニー録音ではメンデルスゾーン辺りで、ベートーヴェンが記憶されるか否かには私は疑問を持ってますが、20〜30年後になったらこの2000年演奏は、ピリオド・アプローチと現場習慣を自然に融和させた中庸な演奏として時々聞き返せば捨てがたいといった位置を占めそうな気もします。
2015/1/4(日) 午後 0:27 [ 助六 ]
因みに今年はシュヴァルツコプフ、デルモナコ、リヒテルの生誕100年、シベリウス、ニールセン、デュカス、マニャール、グラズノフの生誕150年、「トリスタン」とマイヤベーア「アフリカ人の女」の初演150周年だそうです。1865年は作曲家生誕の当たり年かつロマン派音楽の節目だったんですね。
2015/1/4(日) 午後 0:28 [ 助六 ]
助六さんこんにちは
今年もよろしくお願い致します!
アバドはVPOの87年3月の来日公演でもベートーヴェンの全曲演奏会を開催しているので、この時期集中的に取り上げていたレパートリーのようですが、その割に影が薄いですよね。ロッシーニやムソルグスキーの特殊なレパートリーを除けばウィーン時代後期のアバドはイマイチのような気がします。
先日クラシカジャパンでキュッヒルのインタビューを放送していたのですが、アバドに関しては「自分が暗譜するためにリハーサルを繰り返していた」という主旨のやや否定的なコメントをしていたのが印象的でした。
>シベリウス、ニールセン、デュカス、マニャール、グラズノフ
それまで音楽の中心地だったドイツ・イタリア以外の周辺地域が大作曲家を輩出するようになった時代の転換点と言うことができそうですね。
2015/1/4(日) 午後 4:51 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]