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ドビュッシー
・映像第1集(1971年ステレオ)
・映像第2集(1971年ステレオ)
・子供の領分(1971年ステレオ)
ショパン:
・マズルカ
第43番ト短調Op.67-2
第34番ハ長調Op.56-2
第45番イ短調Op.67-4
第47番イ短調Op.68-2
第46番ハ長調Op.68-1
第22番嬰ト短調Op.33-1
第20番変ニ長調Op.30-3
第19番ロ短調Op.30-2
第25番ロ短調Op.33-4
第49番ヘ短調Op.68-4
・前奏曲第25番嬰ハ短調 Op.45
・バラード 第1番ト短調Op.23
・スケルツォ第2番変ロ長調Op.31
録音:1971年10月13-18日、ミュンヘン(ステレオ)
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
後期のミケランジェリは艶消しのような渋い微妙な音色変化を好んだ。フォルテでもソフトペダルを踏んでいたという証言もあるようだ。ソフトペダルの踏みすぎでハンマーが平らに(均質に)硬くなったため音色変化が微妙になったという説もあるらしい。
ひょっとしたらこれはある程度事実なのかもしれない。ソフトペダルはハンマーの位置を横にずらして普段は弦に当たっていない場所を当てることで音を柔らかくするものである。普段から頻繁にソフトペダルを踏んでいれば、踏まない状態でハンマーが当たる場所と踏んだ状態で当たる場所の硬さの違いが少なくなる。その結果、音色の変化が微妙になるということは十分考えられる。
ただ、ミケランジェリのように耳の良い人がそのような変化に気付かない訳がない。そもそも、彼らのようなプロはハンマーの摩耗状態が鍵盤ごとにばらつかないように点検して交換しているはずだ。ハンマーの劣化でそういう状態になった訳ではなく、敢えてそういう微妙な音色変化を表現するようなコンディションにピアノを調整したと考えるべきだろう。
1980年の来日ではわざわざ輸入させた自分の2台のピアノのコンディションに満足できず、代替ピアノによる1公演だけで帰ってしまったそうだが、ピアノの調整の仕方自体が70年代後半を境に変わったような気がする。1965年や1973年、74年の公演を聞いた人が1980年の公演を聞いたら恐らくその音色の変化に驚いたのではないだろうか。
この変化がミケランジェリのどういう心境の変化によるものなのか、あるいは右腕の古傷(彼は大戦中に反ファシズムのレジスタンス活動家をしていて右手を負傷したらしい)の悪化と関係があるのか、ないのか、彼は自分について語らなかったので良く分からない。
それでもミケランジェリを一度聞いていおくべきだった。1992年の来日公演を聞き逃したことが悔やまれる。何はともあれ一度生で聞かないと、この謎めいた音楽家が何を求めていたのかは分からないと思う。ディスクから分かることは彼が70年代前半ぐらいまでとは違う音色を好むようになったということだけだ。
そういう点で1971年にDGが録音したこの2枚のアルバムと、先日取り上げた1973年の来日公演時の2種類のアルバムは「艶消し前」のミケランジェリを良好な音質で収めた貴重な音源である。71年の「映像」と「子供の領分」がリマスター時に後年録音した前奏曲集の余白に追いやられてしまったのは大変残念だ。後年の録音とは性格の違う音だからだ。このカプリングでなければだめなのだ。
下記サイトにあるHMVのレビューを見たところ、この「映像」と「子供の領分」を後年の前奏曲集よりも高く評価している人は私以外にもたくさんいるようだ。DGはオリジナルのままでリマスターしてほしいものだ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/139934
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