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Puccini : La Bohéme - complete
Mimi : Mirella Freni
Rodolfo : Peter Dvorsky
Marcello : Lorenzo Saccomani
Musseta : Margherita Guglielmi
Schaunard : Antonio Salvadori
Colline : Paolo Washington
Parpignol : Saverio Porzano
Benoit : Claudio Giombi
Alcindore : Alfredo Giacomotti
Sergente dei Doganieri : Giuseppe Morresi
Un Doganiere : Giuseppe Morresi
Un Venditore : Carlo Meliciani
Chorus Master : Romano Gandolfi
La Scala Milan Orchestra & Chorus
15 September , 1981 ; live in Tokyo
http://www.youtube.com/results?search_query=kleiber+boheme+1981
ゼフィレッリ演出のスカラ座のボエームはカラヤンがフレーニを起用して1963年に初演した後は他の指揮者も振るようになり、1974年にプレートルが指揮した際は急病のミミ(フレーニ?)の代わりにコトルバスが急遽起用されて大成功を収めた。それ以降スカラ座のミミはコトルバスが歌うことが多くなったようでクライバーも1979年3月のスカラ座と11月のコヴェントガーデンではコトルバスをミミに起用した。クライバーはこの時期ミュンヘンの椿姫でもコトルバスを起用していたのでこれは自然なことだ。
しかし1981年にコトルバスは来日しなかった。たまたま他の仕事が入っていただけかもしれないが、クライバーとコトルバスの共演はクライバーが日本から帰国した直後、同年12月のミュンヘンでの椿姫とボエームが最後になったようだ。最近日本語版が出版されたクライバーの伝記にもその理由は書いていないので事情は良くわからない。
逆に、70年代にフレーニが「クライバーのミミ」を歌ったのは78年にミュンヘンの1回だけだったが(共演はパヴァロッティで、クライバーにとって69年のシュトゥッツガルト以来9年ぶりのボエームだった)、来日公演の予行を兼ねた1981年3月のスカラ座公演を境に、83、84年のミュンヘン、85年のウィーン、88年のメット、スカラ座(来日公演)、いずれの公演でもミミを歌ったのはフレーニだ。
http://www.thrsw.com/cklist/la_bohme/
フレーニは70年代半ば以降デズデモナ(オテロ)やエリザベッタ(ドン・カルロ)、アイーダと重たい役を歌うようになり、ミミを歌う機会は減っていたように思う(もちろんカラヤンが指揮した77年のウィーンのボエーム(共演はカレーラス)など重要な公演には出ているが)。しかしスカラ座の81年の公演以降また頻繁に歌うようになる。
81年の来日公演はクライバーのボエーム、オテロ(いずれもゼフィレッリ演出)とアバドのシモン・ボッカネグラ(ストレーレル演出)、セヴィリアの理髪師(ポネル演出)の4演目で、当初フレーニはセヴィリア以外の3演目の出演が予定されていた。セヴィリア以外はいずれもフレーニがオリジナルキャストのプロダクションだが、結局シモンとボエームの2演目に出演し、ドミンゴのオテロには出演しなかった。
有名歌手を各演目に割り振りたい主催者側の意向があったのはもちろんだろうが、(私の勝手な想像だが)オテロをキャンセルしてでも「クライバーのミミ」を歌いたいと希望したのはフレーニ自身だったのではないだろうか? この演奏からは「私は一生ミミ」というフレーニの決意のようなものが感じられる。
ちなみに、この時フレー二がデズデモナを歌わなかったのでフレーニ+ドミンゴの舞台は日本では実現しなかったと思う。フレーニ+パヴァロッティもなかったので1998年のボローニャ歌劇場の来日でフレーニ+カレーラスのフェドーラを見ることができたのは大変に幸運だ。
一方、クライバーの伝記によると、ドヴォルスキーがクライバーと初めて共演したのは1979年3〜4月のスカラ座のボエームの8回目(最後)の公演で、パヴァロッティの代役として上演1時間前に呼ばれたそうだ。代役は当初カレーラスの予定だったそうだが、結局調整がつかずカレーラスとクライバーの共演は実現しなかったようだ。パヴァロッティはドヴォルスキーを自分の後継者として高く評価していたようなのでこの急遽代役はパヴァロッティの推薦だった可能性もある。(上記リンクのサイトにはパヴァロッティが6回歌ったことしか書いてないのだが、伝記でドヴォルスキーが証言しているのだから8回の公演があったのは事実なのだろう。追加公演が2回あったということか?)
ドヴォルスキーは来日公演直後の12月にも、ミュンヘンでクライバーとコトルバスが椿姫を3回の予定で上演していた際に、2回目の公演途中でアラガルが急病になったため3回目の公演のために代役として呼ばれた。しかもこの時は、クライバーが「僕は椿姫が好きだがボエームも素敵だ」と言って公演前日に演目が椿姫からボエームに変更されるという珍事が起きたそうだ。
来日公演のボエームがよっぽど楽しかったのか、フレーニのミミとコトルバスのミミを比べたくなったのか、それとも代役に呼んだドヴォルスキーに気を遣ったのか、理由は分からないがクライバーならではのエピソードだ。それまでミュンヘンでは1978年に1度振っただけだったのに、パルピニョールや児童合唱などをそんなに急に準備できるのだろうか? いずれにしてもドヴォルスキーはその後も1984年のフィレンツェでの椿姫などでクライバーと共演しているので(主役はガスディア)、クライバーの信頼を得たことだけは間違いないだろう。
ドヴォルスキーによるとこの来日公演中クライバーは上機嫌で、ドヴォルスキーの誕生パーティにもプレゼントを持って参加したそうだ。私が見た88年のボエームの再演もドヴォルスキーだが、伝記によると「あなたが本当に欲したのはパバロッティでは?」との問いに対してクライバーは「全然」と答えたそうだ。クライバーにとってドミンゴ、パバロッティに続く第三のテノールはドヴォルスキーだったのではないだろうか。
クライバーがボエームを振ったのは88年の来日公演が最後になった。90年にメットとロンドンで振ったオテロはリッチャレルリがデズデモナを歌ったのでフレーニとクライバーが共演したのも88年の来日公演が最後のようだ。私は本当にギリギリ間に合って幸運だ。(当時はまだチケットを店頭で売っていたので京橋の路上で発売前日から夜通し並んだことを良く覚えている。20人ぐらいはいただろうか。近くの交番の警官が時々に見回りに来てくれた)
81年の来日公演は私はテレビで見ただけだが、これは私の運命を変えた記念碑的な演奏だ。あれがもう30年も前のこととは、何と表現して良いのか。あれは1978年から88年の10年だけ地上に存在した奇跡だったのだ。私はただただ感謝することにしよう。スカラ座来日30周年記念でぜひDVD化を期待したい。
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