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R.シュトラウス
・交響詩「ドンファン」
・交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルのゆかいないたずら」
・楽劇サロメ〜7つのヴェールの踊り
(1958年、ステレオ)

チャイコフスキー:
・幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』 [23:23]
・幻想的序曲『ハムレット』 [19:24]
(1959年、ステレオ)

 ニューヨーク・スタジアム交響楽団(New York Stadium Symphony Orchestra)(実体はNYP)
 レオポルト・ストコフスキー(指揮)

 これまで、ストコフスキーの全盛期である1950年代中ごろの録音には、ロスフィルやヒューストン響などとの米キャピトルの録音、NBC響とのRCA録音、シンフォニー・オブ・ジ・エアになってからの米United Artistsの録音があることを紹介してきたが、実はあともう一つニューヨーク・スタジアム響との米エヴェレストへの一連の録音がある。ニューヨーク・スタジアム響というのはニューヨークフィルのことで、ニューヨークフィルが50年代半ばにCBSの専属となったために他のレーベルへ録音する際に用いられる別称だ(もともとはニューヨークフィルが現在は姿を消した「レヴィソン・スタジアム(Lewisohn Stadium)」における夏の野外コンサートで演奏する時に使用していたの別称)。ストコフスキーはニューヨークフィルの首席指揮者のポストを1シーズンで失った後も録音では共演していたのだ。

 ストコフスキーのエヴェレスト録音は数年前にCDで復刻されたのは知っていたが、聞かないうちに廃盤になってしまっていた。どこかで手に入らないかなと検索していたら、これもアマゾンやiTunesストアでMP3データでダウンロード購入できることを発見した。これは助かる。しかも256Kbps〜300Kbpsという先日のカプリッチョのアルバムを上回る高品質データが1曲150円で手に入るのは良心的だ。世の中変わりつつあるようだ。これからは廃盤になった音源はぜひMP3で販売してほしい。DGやデッカ、EMI、ソニーなどのメジャーレーベルもぜひ見習ってほしいのだが。

 ストコフスキーが米国初演したアルプス交響曲の録音は残念ながらディスコグラフィーを見ても見当たらない。ステレオ時代以降のR.シュトラウスの録音は1958年録音のこの3曲しかないようだ。スタイリッシュかつ勢いのある演奏でNYPも上手くなかなか良い演奏だと思う。ちなみにドン・ファンの46小節のシンバルは鳴らしている。

 翌年のチャイコフスキーは渋い曲目だが、ストコフスキーのチャイコフスキーらしいけれんみがほどほどに出ているのであまり飽きないで聞くことができる。ただアマゾンでダウンロードする時にハムレットとフランチェスカ・ダ・リミニの曲目が逆になっているのでこれは直した方が親切だ。

 どちらの録音も音は鮮明だしノイズも抑えられている。オケも同時期のCBSソニーのニューヨークフィルの録音より本領を発揮していると思う。ただし、やや左右でピンポンしている感じの不自然なステレオ感で、ストコフスキーの60年代の録音から顕著になるマルチマイク録音の弊害がすでに傾向として出始めている。私は今ヘッドホンで聞いているので特に耳につくが、演奏が生き生きとしているのでまあ良しということにしよう。

 何回か続けたストコフスキー特集も取りあえずこのあたりで一度終わりにしよう。あまりポストには恵まれなかったが音楽的には最も充実していた1940年代から50年代の彼の活躍を概観できたと思う。

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・マーラー:交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』 [77:52]

 フランシス・イーンド(ソプラノ)
 ウタ・グラーフ(ソプラノ)
 カミラ・ウイリアムズ(ソプラノ)
 マーサ・リプトン(メゾ・ソプラノ)
 ユージン・コンリー(テノール)
 カーロス・アレグザンダー(バス)
 ジョージ・ロンドン(バス)
 ウェストミンスター合唱団、他
 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
 レオポルド・ストコフスキー(指揮)
 録音時期:1950年4月6日
 録音場所:ニューヨーク、カーネギー・ホール
 録音方式:モノラル(ライヴ)
http://public-domain-archive.com/classic/compositions.php?composer_no=10

 フィラデルフィア管を辞めて、NBC響も3シーズンで首になってしまったストコフスキーがその後メジャーオケのポストを得たのは1回だけだ。1949年〜50年のシーズンにニューヨークフィルの首席指揮者に就いたのだ。ただこの時もミトロプーロスと共同で、次のシーズンには早くも彼に追いやられてしまう。

 つまりNBC響の時と全く同じような展開なのだ。ストコフスキーがオケのマネジメントと折り合いをつけるのがあまり上手でなかったことは間違いないだろう。これに懲りたのか、その後はアメリカ交響楽団のように自分が立ち上げたオケを別とすれば基本的にフリーランスとして活動するようになり、ポストらしいポストを得たのは1955年から1961年までヒューストン交響楽団の音楽監督を務めたぐらいだ。

 たった1シーズンで終わったニューヨークフィル時代だが、マーラーの8番というメジャーオケでなければできない大曲を取り上げているところもまたストコフスキーらしい。恐らくこの演奏はこの曲の戦後蘇演だったのではないだろうか。いくらアメリカでも戦時中にこの曲を演奏している余裕はなかっただろう。第1部のみは1948年にオーマンディがをハリウッドで演奏し録音も残っているそうだが、全曲の録音としては現時点で確認されている最古のマラ8だ。

 1916年3月にストコフスキーは1068人の演奏家を用いてこの曲の米国初演を指揮している。上記の写真はその時のものだ(チェロが舞台中央に配置してあって、この時点ではチェロが右手前のいわゆる「ストコフスキー型」にはまだなっていない点が興味深い)。

 加えてストコフスキーは1910年のマーラー指揮の初演をワルターやクレンペラーと共に聞いている。ワルターやクレンペラーがこの曲の録音を残さなかったし、そもそもクレンペラーは振ったことすらない(ワルターは演奏した記録はあるらしい)。このためストコフスキーのこの1950年の録音は非常に大きな意味を持っている。

 音質は安定はしているが当然限界はあるので断言することは難しいが、聞き取れる範囲ではストコフスキーのアプローチは正攻法だ。楽譜と照らし合わせてはいないが、少なくともシェルヘンのマーラーのような大幅なカットや改変はしていないと思う。自分が作曲者自身の初演を聞いて、米国初演も指揮したこの大作の魅力を伝えたいという使命感は十分に感じられる。爆演家の先入観を持って聞くと逆に肩すかしを食らうだろう。今年で初演から101年を迎えるマラ8の演奏史を知るためにも、この指揮者に対するイメージを改めるためにもぜひ聞いてほしい演奏だ。パブリックドメインクラシックで全曲ダウンロードできる。

 ストコフスキーが米国初演をした作品は他にもマーラーの大地の歌、R.シュトラウスのアルプス交響曲、シベリウスの交響曲第5番〜7番、ストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのグレの歌など大変多岐にわたる。アルプス交響曲の米国初演は1916年4月だが、これはマラ8の米国初演の直後のことであり、しかもアルプス交響曲を作曲者が初演した1915年10月から半年しか経っていない。恐らく作曲者と親交がなければこのように迅速に米国初演することはできないだろう。ストコフスキーは作曲者の初演も聞いていた可能性が高いのではないだろうか。ストコフスキーのアルプス交響曲の演奏が残っていたらぜひ聞いてみたいものだ。

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カラヤン指揮ウィーン国立歌劇場
(1961年11月)

 カラヤンはコンサートで惑星を振ったことは1度もないが、1961年9月にVPO盤を録音した直後の11月にウィーン国立歌劇場でバレエ作品として惑星を3回振っている。カラヤンはオペラを自分で演出することが多かった。この惑星は演出がエーリッヒ・ウォルター、舞台がハインリヒ・ヴェンドルだったそうで、さすがのカラヤンもモダンバレエの演出まではやらなかったようだが、ストラヴィンスキーなどのモダンバレエにほとんど関心を示さなかったカラヤンが戦後バレエの伴奏をしたのはこの時ぐらいだろう。「カラヤンとウィーン国立歌劇場 ひとつの時代の記録」という大型本(アルファベータ刊)の137ページに写真が3点載っている(1点引用させて頂いた)。惑星をバレエで上演するというのは一体誰のアイディアだったのだろう?

 実はこの時期のウィーン国立歌劇場では、カラヤンが総監督になって間もない1957年3月にカルミナ・ブラーナを含むオルフのカンタータ三部作もモダンバレエ形式で上演している(演出はレンネルト、指揮はホルライザー)。この時期のウィーンでは他にも、バルトークの「中国の不思議な役人」(ギーレン指揮)や、アイネムの「メドゥーサ」(ホルライザー指揮)などのモダンバレエも上演されている。その上で1961年に惑星を舞踏作品化していることを考えると、ひょっとしたらこの時期のカラヤンは新しい舞台表現の創出に意欲的だったのかもしれない。バレエ版「惑星」がどうして実現したのか、その後どうなったのかもう少し情報を知りたいところだ。

 1961年9月に録音されたVPO盤の惑星と11月のバレエ上演に関係があるのかないのかも気になる。オペラの場合、カラヤンは本番前に録音を済ませるのが普通だった。時期的に考えても9月の時点で11月のバレエ上演の準備はすでに始まっていたはずだ。録音があればカラヤンがいなくても舞台稽古ができるので、ひょっとしたらVPO盤は本当はバレエ上演のために録音されたのかもしれない。大胆にシンフォニックなBPOの新盤とはテンポ設定がだいぶ違う曲があるのも、バレエで踊ることを意識したと考えれば容易に説明がつく。

カラヤン/VPO(1961) 7:02/8:20/3:57/7:36/8:31/5:44/7:30
カラヤン/BPO(1981) 7:14/8:34/4:11/7:27/9:20/5:59/8:41

 だとすれば惑星のレコードが大ヒットしたにも関わらず、惑星がカルミナ・ブラーナのような舞台作品として結局残らなかったことはカラヤンとしてはさぞや不本意に違いない。ここは誰かが一念発起してカラヤン/VPO盤をバックに惑星を演出してみてはどうだろうか? カラヤンは惑星と同時期にアダンのジゼルやチャイコフスキーの3大バレエ組曲といったクラシックバレエもVPOと録音しているが、これはウィーン国立歌劇場では振っていないようだ。

 なお、カルミナブラーナはストコフスキーもニューヨーク・シティセンターオペラで1959年に舞台作品として上演している。日本でもこの数年、新国立劇場やオルフ祝祭合唱団など舞台上演形式のカルミナ・ブラーナをみかけることが多くなった。このような上演がされるようになったのは最近なのかと思っていたが、50年代の昔から舞台作品として欧米で上演されていたのだ。

 ショットから出ている「カルミナ・ブラーナ」のスコアには「Cantiones Profanae cantoribus et shoris cantandae comitantibus instrumentis atque imaginibus magicis」というラテン語の副題がついている。訳すと「妖術的イメージを伴い、楽器で伴奏される独唱と合唱の為の世俗的歌曲」とでもなるだろうか。カルミナ・ブラーナが1937年の初演当時から舞台上演形式で演奏されていたのかどうか分からないが、作曲者は何かしらの視覚表現を伴う形式で上演することを期待していたと考えられそうだ。

 余談だが、カラヤンがストコフスキーばりに映画に関心を持つのもこの時期だ。1959年にVPOと録音したツァラトゥストラは映画「2001年宇宙の旅」のサウンドトラックに用いられ、1960年のザルツブルグ祝祭大劇場のオープニングを飾った「ばらの騎士」はツインナー監督により映画化された。カラヤンにとって新しい表現を積極的に模索していた時期にあたるのかもしれない。それにカラヤンとストコフスキーは2人とも録音好きだったが、やろうとしていることも意外と近かったのかもしれない。


(追記)
バレエで惑星を踊っている例が他にないかユーチューブを見てみたらいくつかの映像が見つかった。今でも一応バレエのレパートリーになっているようだ。モダンバレエで踊っているものと、クラシックバレエで踊っているものと両方あるのが興味深い。どれも盗み撮りのようで映像は良くないが。消されないうちに見てほしい。
http://www.youtube.com/watch?v=5yFOAsf9ytI
http://www.youtube.com/watch?v=4_DGK9rFu-o
http://www.youtube.com/watch?v=RVjzI9TN7s8
http://www.youtube.com/watch?v=kLX9Po45ZiY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=JjKJ2VtSCzs

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メノッティ作曲:バレエ音楽「セバスティアン」組曲
プロコフィエフ作曲: バレエ音楽「ロメオとジュリエット」〜噴水の前のロメオ/ジュリエット/ロメオとジュリエット/ジュリエットの墓の前のロメオ/ジュリエットの死

レオポルド・ストコフスキー指揮NBC交響楽団のメンバー
(1954年9〜10月、ステレオ)

 ストコフスキーのNBC交響楽団時代は1943年までのたった3シーズンで、長くは続かなかった。共同常任指揮者のトスカニーニとはウマが合わなかったようで結局は追い出された格好だ。先日紹介した惑星以外にも、下記のディスクに復刻されているように、ストコフスキーはホヴァネスやミヨー、コープランドと言った新しい作品をNBC響で盛んに演奏したので、路線を巡る対立が大きかったのではないだろうか。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3624195

 さらに1942年にショスタコービチの交響曲第7番の米国初演を巡っては、ボストン響のクーセビツキーを交えて3つどもえの争奪戦を繰り広げたそうで、これも遺恨試合になったと推測される。この時は最初にトスカニーニがNBC響で放送初演という形で米国初演し、次にクーセビツキーとボストン響が演奏会での初演、最後にストコフスキーがNBC響でレコードに初録音するという順番で決着したそうだが、折しも全米のオケがレコード録音に対する印税の増加を求めて録音ストライキに入ってしまい、ストコフスキーの録音計画は流れてしまったそうだ。

 こうしてNBC響のポストを失ったストコフスキーだが、10年後の1954年4月にトスカニーニが引退するとすぐにNBC響との演奏会を再開し、同年9月〜10月にはベートーベンの田園、チャイコフスキーの白鳥の湖(抜粋)、シベリウスの2番、サンサーンスのサムソンとデリラ(抜粋)などかなりの量の録音を残している。この時点でトスカニーニはまだ在命していたので、ライバルだったストコフスキーが振ることをどう思っていたのか知りたいところだが、トスカニーニはオケ員が失業することを恐れていたそうなので、後任はストコフスキーに振ってほしいと本心では思っていたのではないだろうか?

 それでも結局NBC響は解散させられて1954年10月27日にシンフォニー・オブ・ジ・エアーとして自主的に再出発するのだが、ストコフスキーはその後もこのオーケストラとの演奏会や録音を継続している。1960年の夏にはヨーロッパツアーの指揮まで引き受けている。恐らくストコフスキーは1941年にフィラデルフィア管を失った失意の自分を招へいしてくれたNBC響に感謝の気持ちをずっと持っていたのではないだろうか。この人は好きなことを自由にやっている奔放なイメージが強い一方で、義理がたい人だったのではないかと私は思う。

 さて、メノッティとプロコフィエフのバレエ組曲を収めたこのディスクも1954年9月と10月に録音されたNBC響としての最後の録音の1つだが、この2曲は優秀なステレオ録音バージョンが70年代末に倉庫から発見された。NBC響の録音としては最も良好な音質のディスクであることは間違いない。このオケがいかに優秀だったかを確認することができる貴重な演奏だ。白鳥の湖もステレオバージョンが発見されてLPで出たことがあるそうだが、その後テープが紛失されてしまったようで残念だ。

 翌1955年にシンフォニー・オブ・ジ・エアーは海外有名オケとして初めて来日しているが、残念ながらストコフスキーの指揮ではなかった。ストコフスキーが来日したのは日本フィルと読売日本交響楽団に客演した1965年だけだ。この時の来日は招へい元のマネジメントがひどくて演奏会場が日本武道館だったり、読売日響を1曲しか振れなかったりと、いろいろ問題があったらしい。ストコフスキーが再び日本を訪れることがなかったのがそのためだとしたら大変残念なことだ。

 もしストコフスキーが全盛期の50年代にメジャーなオケと来日していたら、1955年にシンフォニー・オブ・ジ・エアーと来日していたら、もっと言ってしまうとカラヤン/BPOより先に来日していたら、日本におけるストコフスキーの評価は全然違ったものになったのではないだろうか。

1955年のシンフォニー・オブ・ジ・エアーの来日演目は下記HPを参照されたい。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page137.html

ネットでストコフスキーのディスコグラフィーを作っている方のHPを見つけたのでこれも紹介しておこう。
http://homepage3.nifty.com/stokowski/

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