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昨日8月6日は広島の原爆記念日だった。テレビで見たのだが、トルーマンは原爆実験に成功したために太平洋戦争の勝利を確信し、(戦後の共産圏の拡大を恐れて)ソヴィエトには対日参戦を積極的に求めず、実質的にアメリカ単独での日本占領を計画・実行したそうだ。このため結局ソヴィエトが進攻したのは満州国と北方4島にとどまったわけだが、ということはもしも原爆が開発されていなければ日本も韓国同様に南北分断という悲劇に見舞われていたのだろうか? あるいは、もしもソヴィエトが先に原爆を開発していたら日本はソヴィエトに占領されて共産化していたのだろうか? 原爆も困るが南北分断や共産化も困る。平和のありがたさを再確認しなければいけない。
・グスタフ・マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』〜第3楽章、第4楽章、第5楽章
ヘザー・ハーパー(ソプラノ)
ヘレン・ワッツ(アルト)
ゲオルグ・ショルティ指揮フランス国立放送管弦楽団及び同合唱団
[収録]1967年サル・プレイエル(パリ)、(モノクロ、モノラル)
[映像監督]アニー・エジュー
http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CE1028&date=
クラシカジャパンで放送されたこの映像はショルティの1967年のフランス国立放送管弦楽団への客演時のものだ。ショルティの60年代の映像は他に、NHKによる1963年のロンドン交響楽団との来日時のDVDと、以前LDとDVDで出ていた1966年の南ドイツ放送響との「タンホイザー序曲」のリハーサルと本番、最近icaがDVD化した1967年の「ドン・ファン」のリハーサルと本番があるぐらいだろう。1966年タンホイザーと1967年のドンファンはユーチューブで少しだけ見ることができる。
http://www.youtube.com/watch?v=TZFblJ297Wc
http://www.youtube.com/watch?v=0Ce8pIpV3iQ&NR=1
ショルティは1956年にパリ音楽院管弦楽団に客演しチャイコフスキーの2番と5番の演奏会と録音を行っている。しかし50年代のショルティはオケとのコミュニケーションが下手で、以前コメントしたとおり、プロデューサーであるカルショウの回想録によると、嫌気がさしたオケがリハーサル中にソロを交替で代わって(つまり交替で練習をさぼって)反抗したそうだ。ショルティは4セッションの録音中首席奏者が変わらないことをオケに約束させたそうだが、その約束は結局守られなかったそうだ。
また、助六さんの先日のコメントによると、ショルティは回想録で次のように述べているそうだ。「私のパリでの最初の契約は50年代で、パリ音楽院管を振ったがショッキングな経験だった。練習のときコンマスは腕組みをして座り口からはタバコがぶら下がっていた。平楽員たちはめちゃくちゃに議論やおしゃべりを続けて、弾き始めると受動的で無気力になった。例えば弦は5インチ以上は弓を動かそうとせず、私が矯正したりや弾き方を変えてもらうために止める度にまたおしゃべりが始まった。演奏会はひどいもので、私はその後何年も外国オケとの客演以外ではパリで振らなかった。」
そうすると、1967年にフランス国立放送管に客演したこの映像は久しぶり(11年ぶり?)にパリのオーケストラを振った記録なのかもしれない。すでにショルティはこの頃までにはロンドン響との演奏、ロンドンやメットでのオペラ、それに指輪を始めとするデッカへの数々の録音で一流の指揮者と目されるようになっていたはずだ。それでもショルティの棒に対するオケの集中力は今一つで、特に金管は随所で危なっかしいだけでなく音を外している箇所もある。このオケはこの頃シューリヒトやホーレンシュタインの指揮でもマーラーを演奏しているはずだが、集中力は今ひとつでいかにも「弾くので精一杯」という感じだ。マーラーはこの時代のフランスのオケにとってはまだまだ特異なレパートリーだったのだろう。
ショルティ独特の肘で指揮をするようなポキポキしたポーズは後年と変わらないが、マーラーの2番は5番と並んでショルティが最も得意とするレパートリーなだけに、なかなか良い指揮だ。フィナーレは個人的にはもう少し遅いテンポの方が好きで、この演奏はややあっさりしているように感じるが、聴衆からの喝さいは盛大で、ショルティがこの時期からパリで結構人気があったことを伺わせる。ソリストのハーパーとワッツもすでに前年ロンドンでこの曲を録音しているだけに充実した歌を聴かせている。ワッツが暗譜で歌っている(楽譜は手に持っている)「原光」の後で拍手が沸いているが、交響曲の途中で拍手が入るのは珍しいと思う。
合唱は5楽章の前で舞台に登場し起立したまま歌う(2台のティンパニの脇のスペースなどにぎゅうぎゅう詰めになって立っている。多分ティンパニ奏者は指揮者が見づらかっただろう)。この時代のフランスの合唱団はどれもかなり粗い演奏が多いが、その中ではこの演奏は健闘していると思う。大きな違和感は感じない。5楽章冒頭に舞台裏で演奏する金管の別働隊がその後舞台に戻る様子も映っている。
モノクロ・モノラルだが画質・音質は安定している。全曲収録されていないのは残念だが、これは放送時間枠の関係であり、当時放送されたのは第4楽章と第5楽章だけだったそうだ。映像には明らかにステレオマイクが写っているので、もしかしたらラジオではステレオで全曲放送されたのかもしれない。
ショルティは50年代の嫌な思い出にも関わらず、短い間だが70年代にパリ管の音楽監督やパリ・オペラ座の音楽顧問を引き受けている。パリ管とは5シーズンの契約だったそうだが結局振ったのは1972年から1975年の3シーズンで、パリ・オペラ座も1973年から2シーズンだ。なぜこれらの仕事を引き受けたのかショルティは回想録では触れていないそうだが、この60年代の客演時にパリで指揮するのも悪くないかもと思い直したのかもしれない。
ショルティの70年代以降のコンサート映像はユニテルが結構収録しており、ワーグナーやR.シュトラウスのオーケストラ作品、あるいはブルックナーの6番や7番などが残っている。以前紹介したポップさんの素晴らしい「4つの最後の歌」はショルティの4枚組DVDセットなので私は残りの3枚も持っているが、シュトラウスにしてもブルックナーにしても視覚的な違和感が強くてなかなか最後まで見る気になれない。もっとマーラーを収録してほしかったものだ。
他にショルティのマーラーの映像はLD時代に1986年のシカゴ響との来日公演の5番をソニーが出していただけだと思う。一部ユーチューブで見ることができる。DVDで復活したら全曲見てみたいものだ。
http://www.youtube.com/results?search_query=solti+mahler+5+1986&aq=f
ショルティは1966年のロンドン響との録音の後、1980年にはシカゴ響とデッカに再録音しているが、ワッツも1981年にファーバーマンやロットと復活をVOXに再録音している。ワッツも結構長い間活躍したようだ。これは現在廃盤のようだがアマゾンのMP3ダウンロードやナクソス・ミュージック・ライブラリーで聞くことができる。ハーバーはショルティ盤の前年の1965年にミュンヘンでクレンペラー指揮バイエルン放送響とのライブ演奏がありEMIから正規CD化されていたこともある。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B004485GR6/ref=dm_sp_alb?ie=UTF8&qid=1312736872&sr=1-2
http://ml.naxos.jp/album/VOX2-7213
フェリシティ・ロット - Felicity Lott (ソプラノ)
ヘレン・ワッツ - Helen Watts (アルト)
ブライトン祝祭合唱団 - Brighton Festival Chorus
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 - Royal Philharmonic Orchestra
ハロルド・ファーバーマン - Harold Farberman (指揮者)
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