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助六さんがコメントされた通り、この作品についてはモーツァルトが弟子に口述で旋律を残した可能性や、現在は失われた自筆譜があった可能性を否定できない。この作品は複雑な経緯で補作されたため、モーツァルトの自筆譜はバラバラにされてしまった。1曲目のイントロイトゥスと2曲目のキリエはジュスマイヤーの補作部分とひとまとめにされてこの曲の発注者であるヴァルゼック伯に引き渡された。
3曲目以降の自筆譜はアイブラーやジュスマイヤーの元にバラバラに残され、これらの断片は(一部はコンスタンツェやシュタドラーの手を複雑に経由して)後に宮廷図書館にばらばらに寄贈され、ここでようやく一つにまとめられた。しかし戦後になってアーメン・フーガの自筆譜がベルリンで発見されたように、他にも断片がある(あった)可能性は否定できないだろう。
自筆譜が断片しか残っていないラクリモーサ、および(現在は)自筆譜が存在しないサンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイの4曲に関するジュスマイヤー版の評価は、ジュスマイヤーの補作がモーツァルトの指示(あるいは失われた自筆譜)によるものだと信じるか、そうでないかによって大きく変わってくる。これを否定的に捉えれば、ジュスマイヤーに代わって大胆な補筆を行うことも当然考えられる。このためアーメン・フーガを含めて補作したレヴィン版には大いに期待したのだが、結果は微妙だった。
・モーツァルト:レクイエム
マーティン・パールマン指揮ボストン・バロック
ルート・ツィーザク(ソプラノ)、
ナンシー・モールツビー(メゾソプラノ)、
リチャード・クロフト(テノール)、
デイヴィッド・アーノルド(バリトン)
(1994年)
ピアノフォルテの演奏で有名なレヴィンが校訂した版は一部で高い評価を得ているようだ。レヴィン版は1991年にヘルムート・リリング指揮シュトゥットガルト・バッハ・コレギウムにより初演され、同じメンバーによる同年の録音もある。楽譜は1993年にヘンスラーから出版されたが、現行版(改訂版?)はフルスコア、ボーカルスコアともにCarus社から出ている。
私も始め初演者のリリングの演奏を聴いてみようかとも思ったが、ヤマギシケンイチ氏のHPによるとリリング盤はアーメン・フーガの59小節から71小節を演奏していないそうだ。恐らくこの13小節はレヴィンが初演を聴いた後で出版する前に追加したと思われる。
http://classic.music.coocan.jp/sacred/mozart/mozreq/levin.htm
アーメン・フーガはレヴィン版最大の聴きどころなので(笑)、ここは楽譜通り88小節演奏している盤を聴きたい。1993年の出版後の録音には、チャールズ・マッケラス指揮スコティシュ室内管弦楽団による2002年のCDもある。しかし最初に聴くにはモダンオケでなくピリオドオケによる演奏の方が良いのではないかと考えて今回はこのマーティン・パールマン盤を選んでみた。バイヤー版やランドン版と比べてレヴィン版はジュスマイヤー版と大幅に異なるので、ピリオドオケで演奏しても不自然に聞こえないかどうかがその成否を判断する基準になると考えたからだ。ピリオドオケによるレヴィン版はこのパールマン盤が初めてで、かつ現在までのところこれが唯一のようだ。
(なおリリングによるレヴィン版の演奏はナクソス・ミュージック・ライブラリーで聴くことができる)
http://ml.naxos.jp/opus/89429
まず全体の構成を確認すると、ジュスマイヤーが補作しなかったアーメン・フーガを含む全15曲だ。保守的な考えの方がいらしたら、作曲から200年も経ってからアーメン・フーガを追加することに疑問の声を上げるかもしれない。しかし逆に、アーメン・フーガが入っていることをこの曲の完成の条件と捉えれば、200年の時を経てついにこの曲が完成したと考えることもできるだろう。全15曲揃っているのはレヴィン版とドゥルース版しかない。ジュスマイヤーがなぜこの曲を補筆しなかったのか分からないが、残された断片がモーツァルトの直筆であることが間違いなければ、私はアーメン・フーガを補作するという行為は大いに肯定したい。
その上で1曲目から聞いていくと、7曲目のコンフターティスまでは基本的にモーツァルトの自筆とジュスマイヤーの補筆をベースにしている。声楽部はジュスマイヤー版とほとんど変わらず、オーケストレーションが一部で違うだけだ。つまり7曲目まではランドン版と同じアプローチだと言える。具体的にオーケストレーションの違いは、1曲目と2曲目はそれほど違わないようだが、3曲目の「ディエス・イレ」で41小節、45小節、49小節のバスのパートに金管の合いの手を入れているのが耳につく。これは面白いアイディアだと思う。他にヴァイオリンの旋律にも色々手を加えてあるが、これはなくても良いと思った。
続くトゥーバ・ミルムとレックス・トレメンデはそれほど大きく違わないようだが、6曲目のレコルダーレではヴァイオリンの合いの手を随所に追加しているのが耳につく。こういうのを好きな人もいるかもしれないが、私はこれは別になくてもいいと思った。その後のドミネ・イエスについて先に書いてしまうと、ここでも7小節目などでヴァイオリンの旋律が変更されているが、ここはジュスマイヤー版のオーケストレーション通りソプラノとヴァイオリンを揃えた方が良いように思った。ディエス・イレやレコルダーレのヴァイオリンもそうだが、あまり凝ったことをやるとモーツァルトらしさから遠くなるような気が私はする。
レヴィン版の8曲目のラクリモーサと9曲目のアーメン・フーガ、それに12曲目のサンクトゥスから14曲目のアニュス・デイの計5曲はジュスマイヤー版とかなり異なる。私が最初に気がついたのは、レヴィンはモーツァルトの残した未完成の自筆譜に対して補筆しているのではなく、アーメン・フーガ以外はジュスマイヤーの補筆をさらに補筆(あるいは修正?)しているということだ。ジュスマイヤー版を批判する立場から徹底的にラジカルに取り組むのであればジュスマイヤーの補筆を一度ゼロリセットする(つまりサンクトゥスからアニュス・デイは新たに1から作曲する)べきだと私は思うが、ジュスマイヤー版をベースに手を加えたに過ぎないという点ではバイヤー版やランドン版と大差ない。手を加えた度合いが大きいというだけなのだ。
人の成果物に対して大幅に手を加えるというこのような「先生目線」の補筆をした場合、客観的に誰が見ても前より良くなっている必要があるが、残念ながらレヴィン版がジュスマイヤー版より必ずしも優れているとは言えないと私は思う。例えばサンクトゥスの冒頭11小節(ジュスマイヤー版は10小節)にもコード進行やオーケストレーションの変更など大幅に手を加えているが、私はシンプルなジュスマイヤー版の方がモーツァルトっぽいと思う。私にとっては改悪だ。続くホザンナも大幅に拡張されて長くなっているがオリジナルより良いとも悪いとも言えないと思う。同じテーマを使って別の曲を作ってみました、というレベルを超えていないのではないだろうか。
マーティン・パールマンの指揮するボストン・バロックの演奏は決して悪くはないが、コンフターティスやドミネ・イエスのテンポが明らかに速く、これではアンダンテではなくアレグロだろう。テンポを落とす時も少し表現が大げさで、せっかくピリオドオケを使っているにも関わらずモーツァルトらしさから少し遠くなるような気がするのはレヴィンのオーケストレーションだけでなく演奏にも責任があるのではないだろうか。
いずれにしても、レヴィン版は一部で評判が良いようなだけに期待が大きかったこともあるだろうが、本当にアーメン・フーガが最大の聴き所になってしまったのは残念だ。200年前の作品に新たに補筆を加えるという作業の難しさを改めて感じさせる結果だった。
他の補筆版ではドゥルース版とモーンダー版も取り上げたいのだが、前者は楽譜が未入手で後者はCDを未入手なのでそれが揃ってから改めて取り上げることにして、盆も明けたことだし今回のモツレク特集はひとまずここまでにしようと思う。
(追記)
都響が10月6日にレヴィン版のモツレクを演奏する。なんと指揮者はピリオドオケの演奏で名高いヴィンシャーマンだが、聴くべきかパスするべきか悩んでしまう(笑)
http://www.tmso.or.jp/j/concert_ticket/detail/index.php?id=3511
指揮:ヘルムート・ヴィンシャーマン
合唱指揮:ロベルト・ガッビアーニ
合唱:スーパー・コーラス・トーキョー
ソプラノ:澤畑恵美
メゾソプラノ:小山由美
テノール:福井敬
バリトン:牧野正人
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