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今年ももう大みそかだ。近所の神社では大みそかと6月30日に大祓の儀という行事をやっていて、形代(ひとがた)という人の形をした紙に自分の息を吹きかけたり、気になる場所をさすって神社で焚き上げてもらう。形代に自分の身代りになってもらうのだ。私は今の場所に住むようになってからもう何年も続けている。
本居宣長の歌に「世のなかの よきもあしきもことごとに 神のこころのしわざにぞある(世の中の良いことも、悪いことも、全て神さまの心がなさることなのである)」という歌がある。
地震、原発、停電、台風、円高、欧州の金融危機、タイの洪水、といろいろなことがあった今年だが、これも恐らく「人間としての生き方をもう一度見つめ直せ」という神の思し召しに違いない。
・ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調Op.125『合唱』
[指揮]レナード・バーンスタイン
[演奏]ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ギネス・ジョーンズ(ソプラノ)ハンナ・シュヴァルツ(メゾ・ソプラノ)ルネ・コロ(テノール)クルト・モル(バス)ウィーン国立歌劇場合唱団[合唱指揮]ノルベルト・バラッチュ
[収録]1979年9月2日〜4日ウィーン国立歌劇場[映像監督]ハンフリー・バートン
http://www.youtube.com/results?search_query=beethoven+symphony+9+bernstein
[指揮]クリスティアン・ティーレマン
[演奏]ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、アネッテ・ダッシュ(ソプラノ)藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)ピョートル・ベチャーラ(テノール)ゲオルク・ツェッペンフェルト(バス)ウィーン楽友協会合唱団[合唱指揮]ヨハネス・プリンツ
[収録]2010年4月ムジークフェラインザール(ウィーン)[映像監督]アグネス・メス
http://www.youtube.com/results?search_query=beethoven+symphony9+thielemann
さて今日はコンサート会場や家で第九をお聴きになられている方も多いだろう。今日取り上げるウィーンフィルによる2つの第九は21世紀におけるベートーヴェン演奏を考える上で大変興味深い問題を投げかけていると思う。
まずバーンスタインの1979年の有名な演奏だ。ウィーンでも人気者になり「巨匠」として扱われるようになったこの時期のバーンスタインがVPOとライブ収録した全集で、昔からLP、CD、LD、あるいは衛星放送でもおなじみだった演奏だ。VPOがチェロが右のストコフスキー型(アメリカ型)で並んだのはバーンスタインが指揮した時ぐらいだろう。バーンスタインの指揮でも70年代前半はフルトヴェングラー型の配置だったことがマーラーの映像で確認されている。慣れないストコフスキー型への配置変更はバーンスタインへの信頼の証と考えてよいだろう。
私は個人的にはあまり主観の強い演奏は好きではないのだが、それでもこの頃までのバーンスタインは80年代半ば以降のように旋律を粘らせることはなかった。この第九は当時から割と好きだった。
第三楽章のファンファーレ(121小節)を楽譜通りスタッカートにしている点や、第四楽章でチェロの歓喜の主題にかぶるファゴット(116小節)を第一ファゴットのソロではなく第二ファゴットのパートも吹かせているのは当時としては極めて珍しかった。部分的ではあるにせよ原典回帰の先駆けだ。私は楽譜が本当にスタッカートなのか確認したくてスタディスコアを銀座まで買いに行ったものだ。私の楽譜収集趣味はすでにこの頃から始まっていたのだ(笑)。
この演奏の楽譜を誰が校訂したのかは良く分からない。バーンスタインの希望かと思っていたが1989年の演奏では実行していないのでバーンスタイン自身の希望ではなかったようだ。ウィーンフィルの希望か、それとも誰か仕掛け人がいたのか。いずれにしても当時としては最先端の第九だったことは間違いない。ベートーヴェンの楽譜を見直す動きが本格的に高まったのはもう少し後の80年代、スイトナーが5番の録音でギュルケの新校訂譜を使ったあたりからだ。
ベーレンライターやブライトコプフが第九の新版を出したのはさらにずっと後の90年代以降のことで、そういう意味でも私はこのバーンスタイン盤の先見性には一目置いていた。その後ウィーンフィルはラトルとの全集でもベーレンライター新版をいち早く採用しているので、ウィーンフィルは意外に新しいもの好きなのかと思っていた。
ところがである。VPOとティーレマンの2010年の演奏はバーンスタイン盤から31年も経っているにもかかわらず、従来の慣用版を使用しているようなのだ。第四楽章のファゴットはソロだし、新版で特徴的なホルンのちょっと変わったリズムも聴きとることはできない。私は何が何でも新校訂譜が良いと言うつもりはない。例えばブルックナーの原典版では出版年が新しいノヴァーク版よりもハース版の方が優れていると私は思う(ノヴァーク版が西側のオケで一般的になったのは東独がハース版の版権を持って行ってしまったからだ)。
しかし、ウィーンフィルはすでにベーレンライター版のベートーヴェンを持っているのにわざわざ旧版で演奏させるものだろうか? ラトル盤(CD)でのベーレンライター版の採用はラトルが希望しただけだったのだろうか。ヤンソンスやエッシェンバッハの最近の演奏を聞いても新版の採用はもはや常識化しているので、ここはやはり新版を使うべきだったのではないだろうか?
しかもティーレマンの指揮がところどころ妙に粘っこいのも気になる。曲想が変わる都度いちいじテンポを緩めてためを作る場所が随所にあって耳障りだ。このオケにしては木管がところどころ危なっかしいのはそのせいではないだろうか。特に第一楽章フィナーレ直前(513小節)でこんなにテンポを下げておどろおどろしく演奏する必要があるのだろうか? 第四楽章のチェロのテーマの前(92小節)でずいぶん長い全休符を入れているのも気になる。ここは1拍休符を入れている演奏が多いが、楽譜上は休符なしですぐにチェロが入ることになっている。こんなに長い休符を挿入している演奏は珍しい。
オケの並びは第二バイオリンが右でチェロが左の19世紀型両翼配置だ。第九が両翼配置を想定していることは第一楽章の左右のかけあい(85小節や120小節など)や、第二楽章のテーマの受け渡し(9小節)などで明白であり、この点はヤンソンスやエッシェンバッハより評価できる。合唱はウィーン楽友協会合唱団が暗譜で歌っていて、バーンスタイン盤のウィーン国立歌劇場合唱団より上等だが、全体としては前近代的、悪い意味で保守的で21世紀にふさわしくない演奏のように私には聞こえる。31年前のバーンスタインの演奏の方がまだ新鮮なのではないだろうか。ウィーンフィル自身がこういう演奏を期待しているのだとしたら、それは過去の栄光にすがりついた懐古趣味以外の何物でもないと思う。
(旧版の楽譜がIMSLPにアップされている)
http://imslp.org/index.php?title=Category:Beethoven%2C+Ludwig+van&from=S
今年最後で通算362本目の記事はちょっと厳しいコメントになってしまいましたが、今年も皆様と音楽について語り合えたことを大変幸せに思っております。3カ月書けない期間もありましたが、136本の記事を書けたのはまあまあかなと思っています。個人的に今年最も良く聞いたマイ・ディスク・オブザイヤーはヘレヴェッヘの室内楽版「大地の歌」とチェリビダッケの田園です。
どうぞ良い年の瀬をお過ごしください。
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