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・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調 op.18
 アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
 1973年9月、ベルリン、フィルハーモニー
http://www.youtube.com/results?search_query=weissenberg+rachmaninov+concerto+No.2

 ワイセンベルクが今年1月8日にスイスのルガーノで亡くなった。生まれは1929年7月26日(ブルガリアのソフィア)なので享年82歳だ。カラヤンとの共演で知られるほか、親日家でもあり黒柳徹子の徹子の部屋にも出演するなどお茶の間にもおなじみのピアニストだった。しかし長く闘病生活(パーキンソン病と伝えられる)を送っていたそうで90年頃から演奏活動はめっきり少なくなる。1998年には良くない体調を押して来日したものの演奏ツアーはキャンセルされた(オーチャードホールのコンサートは1曲目のシューベルトのピアノソナタ「幻想」の途中で中止されたそうだ)。

 1944年にユダヤ人収容所から奇跡的に脱出した過去を持つワイセンベルクは、カラヤンが戦後共演した数少ないユダヤ系の音楽家でもある。戦後は1945年にイスラエルに亡命した後アメリカに渡り、1946年にジュリアード音楽院に入学、翌年レヴェントリット国際音楽コンクールで優勝した。この時に審査員を務めていたジョージ・セルに認められセル指揮ニューヨーク・フィルとの共演で華々しく楽壇デビューしたものの、1956年以降はフランス国籍を取得してパリで隠遁生活を送っていたようだ。1965年1月にストックホルムで収録したペトルーシュカのテレビ放送が話題になったのがきっかけで1966年11月にパリでリサイタルを開き楽壇に復帰した。

 カラヤンはワイセンベルクのペトルーシュカの演奏を偶然見て気に入り、これがきっかけで1967年にチャイコフスキーの協奏曲で共演、その後十数年に渡る共同作業が始まった。ワイセンベルクは再デビューした当初の60年代にはEMIとRCAに録音していたが、70年代以降はEMI専属になったことも恐らくはカラヤンとEMIのプロデューサーの意向を反映したものだろう。確かに音楽における感覚的な美しさの追求という点でこの2人が多くの共通項を持っていたことは誰しもが認めるだろう。

 このラフマニノフもコテコテにゴージャズで華麗な演奏でロシア的な素朴さや野性味からはほど遠いが、それでもベタな表現には決してなっていないのはカラヤンのオケがあくまでもシンフォニックでスタイリッシュだからだろう。ワイセンベルクの硬質なピアニズムと全盛期のBPOの引き締まったサウンドが素晴らしい相乗効果をあげている。あまりにもシンフォニックでピアノ付き交響曲という感じもしなくもないが、これはこれでこの曲の究極の演奏の一つであり、ワイセンベルク最大の遺産だと思う。目をつむったカラヤンのナルシスティックな映像もベートーベンやブラームスの場合ほどには気にならない。

 この曲はカラヤン唯一のラフマニノフのレパートリーでもあり、カラヤン演奏史によると演奏会で取り上げたのはわずか11回だ。しかもそのうちの5回は戦前で、4回は1953年6月にウィーン響を振ってギーゼキングと共演したものだ。その後1955年1月にトリノでラジオ放送用の演奏会で振って以降、「帝王」になってからはワイセンベルクと1972年に演奏したのが唯一だ。ワイセンベルクと会わなければカラヤンが再度この曲を手がけることはなかっただろう。ラフマニノフはワイセンベルクにとっても主要レパートリーなので当然考えられた組み合わせではあるが、こうやって映像で残されたのは喜ぶべきことだろう。
http://www.geocities.jp/concolor1957/RachmaninovAll.html

 カラヤンとワイセンベルクの最初の共演である1967年のチャイコフスキーの映像は、ワイセンベルクのペトルーシュカの映像と同様にファルク監督による実験的な性格が強いものだ。ペトルーシュカ同様に映像が細かいカット割りで目まぐるしく変化し、おまけにピアノが無人のホールの中を動き回るという驚くべき演出が加えられている。ちょっとやり過ぎの感があり、ファルク監督としてはモノクロのペトルーシュカの方が成功していたと思う。その点、このラフマニノフは別録りされたアップ映像が挿入されてはいるものの演奏会風の映像に一応なっており奇抜な演出はない。映像としての安定感ははるかに上だ。

 カラヤンとワイセンベルクはこの後ベートーヴェンのコンチェルトでも共演し、1977年の来日公演での演奏はテレビやFMでも放送された。
http://www.geocities.jp/concolor1957/Live-in-Japan.html#bpo6

 その後80年代はカラヤンがEMIにあまり録音しなくなったこともあってワイセンベルクとの共演もなくなった。1985年にワイセンベルクがDGに移籍した際、カラヤンとブラームスのピアノ協奏曲第2番を録音すると予告されていたが結局実現しなかった。

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