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カラヤン

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・ブラームス:ドイツ・レクィエム op.45
 グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
 ジョゼ・ヴァン・ダム(バス・バリトン)
 ウィーン楽友協会合唱団(ヘルムート・フロシャウアー合唱指揮)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
 収録:1978年3月22日、ザルツブルク、祝祭大劇場(ライヴ)

 1977年は先日紹介したベーム/VPOの公演に加えてカラヤン/BPOも来日し人気の絶頂を極めた。日本でバーンスタインの人気が出てきたのはもう少し後で1979年に来日した頃で、この頃まではクラシックと言えばカラヤンかベームだった。

 翌1978年はカラヤンやベームは来日しなかったが、この年は我々の世代にとっては忘れられない1年だ。映画では「さらば宇宙戦艦ヤマト−愛の戦士たち−」で戦艦ヤマトブームが頂点に達し、洋画でもスターウォーズがヒットした。テレビでは大河ドラマ「黄金の日日」が忘れられない。通常の戦国時代劇は武士を主人公とした政治劇として描かれるが、「黄金の日日」は経済小説で有名な城山三郎が堺の商人である呂宋助左衛門を主人公として台本を書き、戦国時代を動かしていたのは実は大名の裏にいた商人だったという経済戦争の視点で描かれている。私が1年を通じて大河ドラマを見たのは後にも先にもこの「黄金の日日」だけだ。

 10月からは日本テレビが開局25周年記念番組として夏目雅子の「西遊記」を「黄金の日日」と同じ時間帯にぶつけてきた。家庭用のビデオはまだ普及していなかったので両方見るために「黄金の日日」を再放送の時間帯で見たことを覚えている。この年の4月にはキャンディーズの解散コンサートもあった。日本人が共通の価値観を持っていた時代だ。

 そんな1978年の3月にカラヤンがザルツブルグのイースター音楽祭で演奏したのがこのドイツ・レクイエムだ。カラヤンは1976年にEMIにもこの曲を録音しており、それは当時最高の名盤とされていた。しかし今CDで聞き返すと70年代のEMI特有の派手な音の作りがブラームスにはマッチしない。演奏自体は60年代のDG盤よりも70年代の方が集中力があるが、EMI盤はワーグナーやマーラーならともかくブラームスには大げさな響きだ。2001年の「21世紀の名曲名盤」のランキングでシンプルな響きのDG盤の方が上位にランクされているのもうなづける。ブラームス自身が大編成のオケを希望しなかったように、ブラームスに大げさな響きは似合わない。(カラヤンの70年〜77年のEMIへの録音は本来4チャンネルレコード用に録音されたものなのでSACDマルチチャンネルでリマスターして本来のバランスで聴くことができれば印象が変わるかもしれないのだが....)

 その点、ライブで収録されたこの映像は音楽が自然に流れている。この頃までのカラヤンの指揮は十分キビキビしていて80年代以降のようにたるんでいない。また60年代から70年代のカラヤンの映像は目をつむったナルシスティックなものがほとんどだが、合唱作品を指揮する時はきちんと目を空けて演奏家とコンタクトしているのが好ましい。暗譜で歌っているウィーン楽友協会合唱団は80年代以降高齢化が進んで粗くなってしまったのでこの頃までの演奏がいい。

 カラヤンの映像はこの年の元旦の第九からフィルムでなくビデオで収録されるようになった。画質ではフィルムには及ばないが音楽に後から映像を合わせた不自然さがないのが良い。カラヤンは映像作品を数多く残したが、オペラはともかくコンサート作品は不自然な映像が多くほとんど感心しない。しかしこの作品は数少ない例外だ。カラヤン帝国の「黄金の日日」を記録した1枚となった。

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カラヤン/BPO
(1979年)

倍管はダサいと言っても、18型(バイオリン18台)や20型(同20台)のフルオーケストラがトゥッティで鳴った場合、どうしても木管楽器、特に音量の出ないファゴットなどは埋もれてしまう可能性がある。その場合、第一奏者と第二奏者がトゥッティで同じ旋律を吹いているのであれば管をもう一本だけ追加してその部分だけを補強しても作曲家の意図を大きく損ねたことにはならないだろう。

また金管でも第一奏者に難しいソロがある場合、その前後はアシスタントに代わって吹いてもらいたいという(いわゆる「1アシ」)ニーズがあるのは理解できる。単純に倍管にして(ソロパート以外)全てダブらせるのではなく、管をもう一本だけ追加してフォルテ以上のトゥッティと第一奏者のアシストの部分だけを吹かせるのが合理的だと私は思う。

しかし、実際にホルンのアシスタントを使ったり逆にアシスタントをなされている方のWebも拝見したが、「オーバーバランスがちょこちょこ目立ちまだまだ全体の調和やハーモニー進行等の点でアシスタントをうまく生かし切れなかった」と書いてある。人数を増やせば増やしたで逆にバランスをとるのが難しくなるという側面も出てくるのだ。やはり安易に楽器を増やすのは危険だということが確認できた。
http://www.geocities.jp/yukialpine/horn/essey/assistant.html

それでも倍管、特に金管倍管が似合う交響曲は何だろうか? シューマンの交響曲はもっての外だ。弦楽器と管楽器のユニゾンがあってそれでなくともバランスが難しいので倍管は慎まなければならない。管とバランスがとれなければ逆に弦を減らすことを考えた方が良いだろう。シベリウスの交響曲は晩年のカラヤンやバーンスタインが大幅に金管を増強してスローな演奏を繰り広げたが、シベリウスらしさからはどんどん遠くなる。50年代から60年代までのカラヤンはああではなかったのに。

ブルックナーの交響曲もカラヤンや朝比奈が金管倍管で演奏した作品だが、朝比奈が金管の倍管を要求した際にその必要はないと答えたシカゴ響の方が正しいと私は思う。ワーグナー流に改変されたノヴァーク版でなくシンプルなハース版を使う場合は特にそうだ。それではマーラーはどうか? 半分はイエスだが、悩み多きマーラーの作品が外面的な効果を本質的に求めているとは必ずしも言えないのでまあこれはケースバイケースということにしておこう。

私は倍管された金管による重厚な咆哮が似合うのはチャイコフスキーの交響曲だと思う。(良い意味で)音響的な効果が期待されている音楽とでも言おうか。それゆえにこの交響曲第五番は精神性に欠けるなどと言われて戦前は一部カットされて演奏されたりもしたのだが、この79年のカラヤン全盛期の演奏はライブであるにも関わらず整然かつパワフルに素晴らしい集中力でオーケストラがうなりを上げている。20世紀的なオーケストラ美学の極致と言えるだろう。5000人ぐらい入る普門館で演奏されたというのもある意味で象徴的だ。

カラヤンは再録音好きだったが70年代後半から80年までに再録音した交響曲が60年代の録音を上回ったのはチャイコフスキーとショスタコービッチだけだと思う。ベートーベンもブラームスもシベリウスも60年代の方が良いし、モーツァルトとシューベルトとシューマンは一部を除いてあまり出来は良くない。

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エーべルハルト・ヴェヒター(アムフォルタス)
トゥゴミル・フランク(ティトゥレル)
ハンス・ホッター(グルネマンツ)
フリッツ・ウール(パルシファル)
ワルター・ベリー(クリングゾール)
エリーザべト・ヘンゲン(クンドリー、第1幕、第2幕第1場、第3幕)
クリスタ・ルートヴィヒ(クンドリー、第2幕第2場)
リズロッテ・マイクル(小姓1)
マルガレータ・ショステッド(小姓2)
エリッヒ・マイクート(小姓3)
クルト・エクヴィルツ(小姓4)
エルマノ・ロレンツィ(騎士1)
コスタス・パスカリ(騎士2)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(花の乙女たち)
ヒルデ・ギューデン(花の乙女たち)
アンネリーゼ・ローテンベルガー(花の乙女たち)
ゲルダ・シャイラー(花の乙女たち)
マルガレータ・ショーステッド(花の乙女たち)
ヒルデ・レッセル=マイダン(天上の声)
リヒャルト・ロスマイヤー(合唱指揮)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
(1961年4月1日)

下記サイトに試聴あり
http://www.hmv.co.jp/product/detail/853285

カラヤンがBPOと録音したパルジファルはドレスデンで録音したマイスタージンガーと並んで多分カラヤンのワーグナーの録音の中でもっとも高い評価を得ているディスクだろう。しかしカラヤンは実際はパルジファルをそんなに頻繁に演奏した訳ではなくアーヘンで4回、ウイーンで9回、ザルツブルグで4回と生涯で17回を指揮したに過ぎない。バイロイトでもスカラ座でもメットでも振っていないのだ。

この回数はワルキューレの45回やトリスタンとイゾルデの37回、ラインの黄金の33回に遠く及ばないだけでなく、マイスタージンガーの26回、ローエングリンとタンホイザーの24回と比べてもだいぶ少ない。たった7回しか振らなかったオランダ人ほど少ないわけではないにしても、ジークフリート(19回)や神々のたそがれ(13回)と並んであまり指揮しなかった曲なのだ。カラヤンは「70歳になったらパルジファルを」言って60代にこの曲を敢えて1度も取り上げなかったので機が熟するのを待っていたという側面もあるだろうが、いずれにしてもそんなに頻繁に指揮しなかったのは事実だ。(ちなみにクナッパーツブッシュはバイロイトだけでパルジファルを55回も振っている)
http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/2889/Composers.html#wagner

それにもかかわらずカラヤンのパルジファルの演奏がうまく行っているのはなぜか、アーヘンでの記録が残っていない以上はウィーンでのこの1961年のライブ録音だけがカラヤンのパルジファルの解釈の変遷を知る上で貴重な資料だ。

実はこのCDは当初、前奏曲から1幕冒頭がクナッパーツブッシュの1959年のバイロイトの演奏とすりかえられた物が発売され後で良品と交換されたというトラブルがあったディスクである。前奏曲が12分5秒となっているものが良品だ。以前出ていた海賊盤も同様のすり替えがされていて、下記リンクのトラック2は明らかにホッターではなくグラインドルのグルネマンツだ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/631738/track/1

クナの演奏との取り違えが生じたというのはまったくの偶然だろうが、このカラヤンの演奏の間合いというか息遣いにはクナのパルジファルの影響、60年代のクナの演奏ではなく51年の演奏の影響が感じられるように思う。51年のオケのトレーニングをしたのはカラヤン自身でありカラヤンは当然この年のクナのパルジファルを練習段階から全部目撃したに違いない(クナはこの年だけで6回もパルジファルを振っている)。

クナの即興的な指揮がカラヤンとは相容れないものだったろうことは容易に想像がつくのでカラヤンがクナの指揮を絶賛することはなかったと思うが、カラヤンがこの年のクナのパルジファルに感銘を受けたことは恐らく間違いないだろう。多分にして横に流れる流麗なワーグナーでこのやり方であればBPOの重い音の方が成功するだろう(現にそうなった)が、基本設計の部分はクナのアイディアを借りてきているように思う。

ヴェヒターのアンフォルタスやホッターのグルネマンツはクナのバイロイトの演奏でも定評ある当たり役だし、ベリーのクリングゾルも意外に合っている。さらにショルティ盤のトリスタンを歌っているウールをパルジファルに起用しているのが注目される。歌はまだ若くて緻密さには欠けるがパルジファルという役には合っているように思った。

花の乙女はヤノヴィッツとギューデンとローテンベルガーを起用するというとんでもなく豪華なキャストだ。また、2幕2場のクンドリーのみをルートヴィヒに歌わせるという変わったことをやっている。1961年から1964年までの9回の公演すべてそうだ。常に2人で1役というのはスケジュール調整が大変だったろう。妖女の部分のクンドリーだけを若々しい声で歌わせるというのはアイディアとしては面白いとは思うが、ストーリー的には同じ人物が魔法で豹変するから面白いのであって、このやり方は成功しているとも失敗しているともいえないように思う。個人的にはルートヴィヒで全曲を聴きたかった。

音質は安定していて特に破綻を来たしている箇所はないのでなぜクナの演奏と差し替えられたのか分からないが、ただしレンジはかなり狭く60年代の他の放送用ライブと比べてもそれほど良い音質とは言えない。カラヤンのウィーンでのワーグナーは他に63年のタンホイザーがCD化されている他、57年のワルキューレが海賊盤で出ているようだ。カラヤンのワルキューレはBPO盤がそれほど良い出来とは言えないだけにこれも正規盤で聞いてみたいものだ。

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Freni, Mirella (Soprano),
Raimondi, Gianni (Tenor),
Gueden, Hilde (Soprano),
Panerai, Rolando (Baritone),
Taddei, Giuseppe (Baritone),
Vinco, Ivo (Bass),
Herbert von, Karajan,
Vienna State Opera Orchestra,
Vienna State Opera Chorus
11/09/1963, Vienna, Austria [Live]

下記サイトに試聴あり
http://www.hmv.co.jp/product/detail/668991
http://itunes.apple.com/jp/album/id290209070

 ミレッラ・フレーニ(ミミ)
 ルチアーノ・パヴァロッティ(ロドルフォ)
 ロランド・パネライ(マルチェッロ)
 ニコライ・ギャウロフ(コルリーネ)
 ジャンニ・マッフィオ(ショナール)
 エリザベス・ハーウッド(ムゼッタ)
 ミシェル・セネシャル(ベノア、アルチンドロ)
 ゲールノート・ピエチュ(パルピニョール)
 ハンス・ディートリヒ・ポール(税関の役人)
 ハンス・ディーター・アッペルト(巡査部長)

 シェーネベルク少年合唱団、ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
 録音:1972年10月、ベルリン、ダーレム、イエス・キリスト教会
 プロデューザー:レイ・ミンシャル、ジェイムズ・マリンソン
 エンジニア:ゴードン・パリー、コリン・ムアフット

下記サイトに試聴あり
http://www.hmv.co.jp/product/detail/79967


ゼフィレッリのオペラと言えば何といってもやはりボエームだ。フレーニのミミとともに不滅の舞台と言って良いだろう。まず1963年1月31日にスカラ座で初演され、次のシーズンの同年11月9日にウイーンで初演された名舞台だ。ウイーンの初日の放送録音が残っていて私が聴いているのはRCAがCD化した正規盤だが現在は海賊盤でしか手に入らないようだ。カラヤンはそれから9年後に有名なデッカ盤を録音していて、これは一般的には名盤の誉れ高い演奏だ。しかしウイーンでのライブ演奏とベルリンでのスタジオ録音はかなり性格の異なる演奏だと私は思っている。

フレーニのミミとパネライのマルチェッロは共通するが、ロドルフォはジャンニ・ライモンディからパバロッティに、ムゼッタはギューデンからハーウッドに変わっており、何よりもオケがウイーン国立歌劇場からBPOに変更されている。私はデッカ盤のオケとムゼッタと録音には不満だ。

まずBPOの音が重厚で豪華すぎる。もしこのストーリーを知らないで音だけを聞いたら屋根裏の一室でのつつましい物語だとはとても思わないだろう。どこかの宮殿の王子様とお姫様の壮大なラブデュエットにしか聞こえない。トスカのように、ある意味シンフォニックな迫力を持った曲ならまだしも、ボエームのような曲になぜBPOを起用したのか分からない。BPOは75年のザルツブルグの復活祭音楽祭でも演奏したようだが実演ではどのような聞こえ方をしたのだろうか? BPOがこの曲を演奏したのは後にも先にもこの年の公演とこの録音だけだろう。

ムゼッタのハーウッドも大変疑問だ。こんなに下品で老けた歌ではムゼッタが単なる憎まれ役になってしまう。ムゼッタは確かにちょっと気まぐれでおてんばで移ろ気だけど、愛されるキャラクターでなければいけない。その意味でポップ以上のムゼッタはないだろう。ウイーン盤でのギューデンはポップには及ばないがハーウッドよりは数段ましだ。カラヤンはメリーウイドゥの録音やフィガロの舞台でもハーウッドを起用したがこれがどういう事情だったのか良く分からない。

最後にデッカの人工的な録音にも異議を唱えたい。2幕フィナーレで楽団の音がこんなに早足で遠のくようなことは実際の舞台ではまったく考えられない。まるでストコフスキーの録音のように誇張されたステレオ効果で極めて不自然だ。カラヤン/BPOのデッカ録音はこれが唯一だが、これはデッカの特徴が悪い方にでた録音だと思う。

もちろんロドルフォはパバロッティの方が上だが、63年当時を考えればパバロッティはまだ無名だったのでこれは仕方ないところだ。ライモンディの歌はパバロッティと聴き比べなければ決して悪くはない。ウイーン盤の方がはるかにイタリアオペラらしい演奏だと思う。モノラルだが音質は安定している。

ボエームに限らずオテロもトロヴァトーレもドンカルロもトスカもそうだがカラヤンがBPOと録音したイタリアオペラはどれも音が重すぎてイタリアオペラらしくない。トロヴァトーレではBPOのスタジオ録音を同時期のウイーンのライブ演奏と聞き比べることができるのでその違いは明白だ。

その後アイーダ、ファルスタッフ、トゥーランドットの録音でカラヤンがオケをVPOに戻したのは遅まきながらそのことに気がついたためではないだろうか?

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・リスト:ハンガリー狂詩曲第5番ホ短調 S.359-5
・J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043(初出音源)
 クリスティアン・フェラス(ヴァイオリン)
ミシェル・シュヴァルベ(第2ヴァイオリン)
・ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)


カラヤンは70年代〜80年代にかけて映像も含めて大量の再録音を行った。東京MXが継続的にカラヤン特集をしてくれたので私がまだDVDで見ていなかった80年代の演奏も見ることもできた。それでも交響曲に関する限りほとんどの場合60年代に演奏したもの(多くはベルリンフィルとの最初の録音)を超えるものはほとんどなかったと思う。モーツァルト、ベートーベン、ブラームス、ドヴォルザーク、シューマン、シベリウス、いずれも70年代以降の演奏はあまり関心しない。

70年代のベートーベンや80年代のブラームスの映像を見ながらその理由を考えてみた。全体にオケの自発性が後退しややマンネリっぽく聞こえるのは、つぎはぎ録音やはめ込み映像のせいだけではないだろう。

それを覆い隠すかのように用いられた手法がマルチ・モノ録音による音響の上塗りだ。マルチ・モノ録音は楽器毎に1つのマイクを割り当ててミキサー上でバランスを取る。後から修正しやすいので軽音楽の収録では良く用いられる。音は明瞭だが音場は人工的で不自然だ。

さらに70年代以降のカラヤンの交響曲演奏で特徴的なのはティンパニと金管の強奏だ。映像で見る限りほとんどの曲を倍管編成(2管編成を4管編成で演奏すること)で演奏しているようだ。19世紀とは演奏会場の大きさや弦楽器の数が違うので木管を多少増やすのは納得性があるが、金管は楽器が改良されてかなり大きな音が出るようになっているのに、さらに4本に増やす必要があるものだろうか? 

運命の映像の過度に威圧的で戦闘的なフィナーレを聞きながら私は大いに疑問を感じた。ティンパニと金管の華々しさはほとんどアルプス交響曲並みと言えるだろう。こういう劇的な表現は後期ロマン派の交響詩やあるいはオペラにこそふさわしい。

ブラームスも70年代以降の過度に誇張された厚化粧の演奏よりも60年代の伸びやかでスムーズな演奏の方を私は高く評価する。中でもこの4番は60年代の全集で最も良いできばえのものだ。なかなかリマスターされなかったのでヒスノイズまじりのCDで聞くしかなかったが、カラヤン生誕100年記念でようやくリマスターされた。リストとバッハとブラームスという不思議な選曲のアルバムだが、とにもかくにも復活を喜びたい。

交響曲のジャンルでカラヤンの再録音が60年代以前の録音を上回ったのはチャイコフスキーだけだと私は思うが、それについてはまたの機会に取り上げよう。

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