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ヴァイオリン

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サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ作品28
サン=サーンス:ハバネラ作品83
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン作品20
サラサーテ:カルメン幻想曲作品25
ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン)
ピエロ・ガンバ/ロンドン交響楽団
録音:1959年9月 ロンドン、キングズウェイ・ホール ステレオ

 これも助六さんが速報して下さったようにルッジェーロ・リッチ(RR)が昨年8月6日に亡くなった。昨年紹介した1963年の「クレモナの栄光」と並んでLP時代にリッチの名声を高めたのはこのアルバムではないだろうか。私もLP時代から愛聴してきた。リッチの選曲か、デッカのプロデューサーのアイディアかは分からないが、ヴァイオリンの魅力に溢れたフランスとスペインの名曲を1枚にまとめた選曲は大変すばらしい。

 ほぼ同じ曲目を収録したハイフェッツ盤もあるが、ハイフェッツのLPはモノラル時代に別々に録音されたものを後からまとめたもので、はじめはサンサーンスの2曲とツィゴイネルワイゼンが1枚に収められ、その後さらにカルメン幻想曲(ハイフェッツ盤はサラサーテの曲でなくワックスマンの曲だが)も収められた。その結果このリッチ盤と完全に被った曲目になった。しかしこの4曲を1枚にまとめるというアイディアはリッチ盤がオリジナルなのだ。

 私は両盤ともLP時代から所有していた。どちらを先に買ったかは覚えていないが、リッチの演奏はハイフェッツに劣らず鮮やかだ。クールなハイフェッツと比較して暖色系のリッチの演奏は特にサラサーテの2曲において、よりジプシーっぽい民族性を感じさせるものだと思う。録音は圧倒的にリッチ盤の方が良い。これらの曲の代表的な演奏として今後も聞かれて欲しい演奏だ。

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・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調

 ロジェストヴェンスキー指揮ロンドン響
 (1977)

 ムーティ指揮フィルハーモニア管
 (1982)

 シベリウスのコンチェルトはクレーメルの十八番だ。私も東京で素晴らしい演奏を聴くことができた(バックはヤンソンスだった)。クレーメルの右足のリズムの取り方が野球の左バッターのようなフットワークで面白かったことを思い出した。

 チャイコフスキーコンクールの最終審査ではチャイコフスキーのコンチェルトに加えてもう一曲弾かなければならないが、1970年に優勝した際にクレーメルが選んだのもシベリウスのコンチェルトだった(第二楽章だけがFMで放送されたらしい)。今度はエルガーでなくて良かった(笑)。

 録音も2種類残されている。1976年にカラヤンとブラームスをEMIに録音した翌年にロジェストヴェンスキーと録音した西独のオイロディスク盤と、1982年にムーティと録音したEMI盤だ。いずれもなかなか良い演奏で特にムーティ盤は昨日紹介したシューマン共々私が好きなディスクの1つだ。ただ、バックのオケの性格が全く異なるのでどちらが優れているかの評価は恐らく人により異なると思う。

 ロジェストヴェンスキーはオイストラフやシェリングともこの曲を録音しているだけあって、シベリウスに対して多くの人が持つイメージ通りの安定して聞ける演奏だ。クレーメルのソロもその線に沿った余裕を感じさせるものだ。この盤はカップリングがシュニトケの現代作品なのでシベリウスの方はあまり前衛的にならないように配慮した可能性もあるだろう。

 一方でムーティ盤は、シベリウスにしてはやや力の入った指揮で少々異色と言えるだろう。(アバドもそうだが)そもそもムーティはシベリウスを振らない人なので、なぜこのディスクでムーティと共演したのか事情は私はよく知らない。この時期クレーメルはカラヤン、バーンスタイン、マゼール、アバドといった西側のメジャー指揮者との共演を重ねていたのでムーティとも一度共演してみたかったのだろう。
 
 クレーメルのソロはムーティ盤の方がよりエッジが立ったシャープな感じになって私には好ましい。クレーメルのそのような変化を考慮すれば、ムーティのやや戦闘的なオケも方向性としては合致しているように思う。EMIへのクレーメルの録音は、これ以外にはカラヤンとのブラームスと最近のアルゲリッチとの共演があるくらいなので、この録音は当時EMI専属だったムーティと共演するために制作された推測される(クレーメルとムーティは1995年にパガニーニの4番も録音している)。

 いずれにしても言えることは(昨日紹介したシューマンのコンチェルトもそうだが)、クレーメルがバックのオケによって演奏をかなり変えているということは特筆に値すると思う。彼がいかにデリケートで耳がよい音楽家なのかが分かる。ハイフェッツが誰がオケを振ってもお構いなし、という感じなのとはだいぶ方向性が異なるのだ。このクレーメル盤は最新の「名曲名盤」では1票ずつしか入っていない。ハイフェッツ盤には10人中9票が入れられダントツの首位なのとは大きな開きがあるが、これもぜひ聞いてほしい演奏だ。

 余談だが、アバドはムソルグスキーのスペシャリストとして知られ、ムーティはプロコフィエフやスクリャービンの全集まで作っており、共にロシア物は大好きなのにシベリウスやグリーグ、ニールセンあたりの北欧物には目もくれないのは大変不思議な現象だ。

(追記)
詳細不明ながら1990年頃とされるライブ録音をユーチューブで見つけた。
http://www.youtube.com/watch?v=4BIZLNx5miw&feature=related

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・シューマン:ヴァイオリン協奏曲ニ短調

 ムーティ指揮フィルハーモニア管
 (1982)

 アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管
 (1994ライブ)

 以上 ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)

 クレーメルはシューマンのヴァイオリン協奏曲も得意にしているようで、複数の録音がある。

 この曲は1937年に発見、初演されるまで数奇な運命を経た。シューマンはこの曲を1853年に完成しヨアヒムに楽譜を送って初演を依頼した。しかしヨアヒムは「第三楽章に問題がある」とし、(クララ・シューマンの了解の上で)独自に手を加えて初演の準備をしたが、結局初演することなくシューマンもヨアヒムも亡くなり、楽譜はヨアヒムの遺品としてプロイセン国立図書館に売却された。

 その後1933年になってヨアヒムの甥の娘であるヴァイオリニストのイェリ・ダラーニが除霊術により「私の未出版の作品を見つけて演奏してほしい」というシューマンの声を聞いたことで楽譜の捜索が開始され、1937年に本当に発見されたというのだから驚きだ。

 発見後も「ドイツ人の作品はドイツ人が初演するべき」というナチスの方針で初演者がクーレンカンプに変更されたり、シューマンの遺族が初演に反対したりといった一悶着があった。さらに、クーレンカンプが楽譜にかなり手を加えたため、クーレンカンプに続いて演奏したメニューインが「原典版を使った自分の演奏が実質的な初演である」という声明を発表したり、とこの曲には様々な曰くがついている。

 とにもかくにも、やや渋い曲ではあるがシューマンらしい魅力に溢れたこの曲が無事発見され、耳で聞くことができるのは大変喜ばしいことだ。同時にぜひ自筆譜を確認してみたいところでもある。というのはクレーメルのこの2種の録音は第三楽章のテンポが全然違うのだ。ムーティ盤が9分ぐらいで終わるのに対してアーノンクール盤は12分もかかっている。

 IMSLPには残念ながらピアノ伴奏用の譜面しかアップされていない。1拍=63というメトロノーム指定があるが、これはシューマン自身によるものなのだろうか? あるいはヨアヒムが手を加えた際に書き込んだものなのだろうか?
http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/b/be/IMSLP04355-Violin_Concerto_in_d.pdf

 クレーメルはムーティとの旧盤では速めのテンポでキビキビとリズミカルに進むが、アーノンクールとの新盤ではかなり遅めのテンポでちょっと聞いたら別の曲に聞こえるほどだ。第一、第二楽章もアーノンクール盤の方がコンパクトな室内オケであるにもかかわらず、表情は明らかにこちらの方が重たい。

 クレーメルとアーノンクールはどちらもエキセントリックな演奏家だけに、この両者の相性は合うか合わないか2つに1つしかないが、幸いにして前者だったようでしばしば共演している。このテンポ設定がアーノンクールによるものなのか、クレーメルの解釈が旧盤と変わったのかぜひ知りたいところだ。どちらも良い演奏だと思うが、一般的にはムーティ盤の方がスムーズなテンポかな。

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・シューマン:ヴァイオリンソナタ第一番、第二番
 ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
 マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
 (1985)

 クレーメルのピアノ伴奏者はソヴィエト時代からのオレグ・マイセンベルクがまず挙げられるが、西側に移住してからの最良のパートナーがアルゲリッチであることは間違いないだろう。自伝には主に1980年頃までの半生に触れていてざっと読む限りアルゲリッチのことは書いていない。クールなクレーメルと熱いアルゲリッチの組み合わせは恐らくDGのプロデューサーあたりが考えたのだろう。1984年に録音されたベートーヴェンの1番〜3番が発売された時は少なからず驚いたが、あれがその後20年以上に続く長い共同作業の第一歩だったのだ。

 その後このコンビの録音は1985年のこのシューマン、1987年のベートーヴェンの4、5番と続いた。確か1987年頃日本で演奏したベートーヴェンの5番と9番の演奏がFMで放送された。予想に反して息が合った演奏だったので聞きに行けば良かったと思ったものだ。しかし9番の録音はなかなか出てこなかったし、5番は全集になってから買おうと決めていたので(全集が完結するのが1994年で10年もかかるとは夢にも思わなかった)、代わりに買ったのがこのシューマンだ。

 シューマンの音楽は情熱的だがベートーヴェンのように外側に発散されるのではなく内側にこもっていく点が特徴だ。アルゲリッチにとってシューマンは得意のレパートリーだが、先日紹介したリッチとのフランクほどは熱くなりすぎず、クレーメルといい感じで曲の本質に迫っていると思う。この2人は2番を2006年にライブで再録音している(EMI)ので、2人にとってもお気に入りの作品なのだろう。

 このシューマンのソナタも70年代にはまるで流行らなかった曲で、75年の総目録には1番にブッシュのSP盤と豊田耕児のビクター盤があるだけだ。このクレーメル盤が出た時も他のCDはエラートから出ていたシューマンの室内楽全集(買おうかどうか迷ったが結構高かったので結局買わなかった)があったぐらいだったと記憶している。90年代以降はかなりの数の録音が出るようになったが、この作品の魅力を世の中に知らしめる上でこの演奏が果たした役割は大きかったのではないだろうか。

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・エルガー:ヴァイオリン協奏曲ロ短調 op.61
 ギドン・クレーメル
 ベルギー国立管弦楽団
 ルネ・デュフォッセ(指揮)
16:28/10:04/13:26
 録音時期:1967年5月25日
http://www.youtube.com/watch?v=AB6Koy81_6A&feature=results_video&playnext=1&list=PLED2FB7853EE6123F

 これは珍しい録音が復刻された。クレーメルが自伝「クレーメル青春譜 二つの世界のあいだで」で「3位(ブロンズ賞)しか取れなかった」と触れていたエルガーの協奏曲だ。

 クレーメルは戦後間もない1947年に旧ソヴィエト領のラトヴィア(バルト三国の一つで、ハイフェッツの祖国であるリトアニアの隣国)に生まれ、10代でモスクワに渡りモスクワ音楽院でオイストラフに師事した。そしてメニューインが16歳で録音したこの曲のレコードを17歳の時に聞いて深く感動し、20歳の時に初めて参加した国際コンクール、エリーザベト王妃国際音楽コンクールの最終選考では、オイストラフ、シゲティ、グリュミオーと並んで「尊敬する」メニューインが審査員を努めており「大切な存在となっていた」この曲を「当然のことながら」選んだというのだ(コーガンが1951年の同コンクールで優勝した16年後のことである)。

 ちなみにこの曲は初演者のクライスラーがなぜか録音しなかったため、録音は1960年代ぐらいまでとても少なかった。メジャーレーベルで一般的に入手可能だったのはサモンズの1929年の世界初録音(?)とメニューインの1932年の録音と1949年のハイフェッツ盤(いずれもSP録音)、それに1955年のカンポーリ盤ぐらいだと思われる。若きクレーメルが古いメニューイン盤の復刻を聞いたというのも興味深い。ハイフェッツの米国盤は当時ソヴィエトで手に入らなかったのだろうか? 日本でも1975年時点で国内盤が1点も存在しない。

 クレーメルの自伝にある「エルガーの協奏曲には、私の気持ちを代弁する無垢な音があり、私自身のなかにある何かを共鳴させる音だった」という記述は、ややもすると前衛的で鋭角的な印象を与えやすいクレーメルの印象を改めさせるものだろう。「自分が感動して共感できる音楽を演奏するのは当然の選択だった」とも述べているが、「客観的に見ると、この決定は不幸だった」とある通りクレーメルは3位に終わった。参加者にオケとの練習時間は十分与えられなかったそうだ。

 エルガーのヴァイオリン協奏曲は難しい割に聞き映えがしにくい渋い曲だ。オケとの掛け合いがシンフォニックな曲でもあるので指揮者との意思疎通も重要になる。しかも英語圏以外ではあまり演奏されない曲だそうで、ベルギーのオケと指揮者はこの曲をよく知らなかった可能性も高い。コンクール向きとはとても思えない。そもそもヴァイオリンという楽器はニ調が一番良く響くので(ヴァイオリンは解放弦が二調だから)、ヴァイオリニストのために曲を作るのであればニ長調かニ短調にするのはベートーヴェン以来の作曲の常識だが、この曲はそういう曲ではないのだ。

 私でも知っているそんなことはクレーメルの師であり審査委員でもあるオイストラフも分かっていたはずなので、ここでエルガーを弾きたいというのは(恐らくオイストラフの助言に反した)クレーメルの強い意志だったのだろう。ここでのクレーメルの演奏は技術的には全く危なげない完成されたものであるにも関わらず、伴奏指揮者と何とか呼吸を合わせるのに四苦八苦している感じで大変窮屈に聞こえる。オケと合わさっている部分の緩急がうまくついていないため、第一楽章などは非常にモタモタした感じに聞こえるのだ。クレーメルはハイフェッツ盤のようなキビキビした演奏をイメージしていたものと思われる。

 このため、このエルガーは残念ながら非常に優れた演奏とは言えないが、クレーメルの自伝を読んでこの曲への熱い思いと、若き日の奮闘を耳で確認したい方に限定してお勧めしたい。現在入手可能なクレーメルの最も初期の記録としても貴重だ。録音は年代の割に良好なステレオだ。(追記:音は悪いがユーチューブでも見つけたのでリンクを追記しておいた)

 このCDには1位になったヒルシュホーンのパガニーニ(協奏曲第一番)も収められていて、こちらは第一楽章の後で拍手が出るほどの喝采を浴びている(追記:昔はこの曲を第一楽章だけで演奏する編曲も多かったそうなので曲が終わったと観客が単に勘違いをした可能性もあるが)。こういうオケとソロの役割が初めからはっきりしている作品の方がコンクール向きなのだ。ちなみにパガニーニの1番は原曲は変ホ長調で、現在通常弾かれているニ長調版はヴァイオリンが派手に響くように編曲されたバージョンだそうだ!

 この時「選曲負け」で3位に沈んだクレーメルが1969年のパガニーニ国際コンクールと1970年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝したのは当然だろう。ここで弾いたのはパガニーニとチャイコフスキーとシベリウスの協奏曲なのだから(いずれもニ長調かニ短調だ)。しかしその後もエルガーはクレーメルのレパートリーには入っているようなので、ぜひ息の合う指揮者と万全のオケでこの曲を録音してほしいものだ。自伝には1978年にコンドラシンとロンドンで演奏したことに触れている。クレーメルとコンドラシンの共演の機会は多くはなかったそうだが、クレーメルはコンドラシンを「非常に西側的な特性を共有していた」とほぼ4ページに渡って回顧している。

(追記)
 この演奏におけるクレーメルのテンポは全曲が41分程度というこの曲としては速いものでメニューインとはかなり異なる。メニューインを含めて通常は48分程度かかる演奏が多い。クレーメルのここでの演奏は第三楽章の練習番号79からカットがあり練習番号93に飛んでいるが(こういうクレーメルらしくないカットは課題曲の演奏時間に制限があったためかもしれない。このことがクレーメルを余計に神経質にさせた可能性もあるだろう)、それを考慮してもメニューイン盤よりかなり速く、むしろクレーメルが自伝で言及していないハイフェッツ盤に近い点が興味深い。
(メニューインの1932年の録音、指揮はエルガーの自作自演)
http://ml.naxos.jp/album/8.110902

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