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「初稿・異稿」特集、管弦楽

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 NHKの連続ドラマ「おひさま」を見続けている。個人的にはAKB48よりも井上真央のほうがマイブームだ(笑)。この番組を見て壺井栄の「二十四の瞳」を思い浮かべた方も多いだろう。最近は地震や放射能、節電、温暖化、それに経済の低迷、などといろいろ制約の多い、生きにくい世の中になってしまったが、それでも戦時中の辛さとは比べものにならないだろう。我慢しながら前向きに生きていかなくてはいけない。

 遅咲きの作家だった壺井栄は「桃栗3年、柿8年、ゆずの大馬鹿18年」という言葉が好きだったそうで、故郷である香川の小豆島(しょうどしま)のお墓近くに立てられた文学碑にはこの言葉が刻まれている。また、小豆島には二十四の瞳の舞台となった分教場と、そのそばにある映画化(田中裕子主演の2度目の映画化)された際のセットがそのまま映画村として保存されている。小豆島は高松からフェリーで1時間ほどだ。機会があれば訪問してみてほしい。私も先日見に行くことができた。下記サイトの下の方に写真が掲載されている。
http://akkamui21.blog39.fc2.com/?date=200906

ベルリオーズ:幻想交響曲
ガーディナー指揮オルケストル・レヴォルショネール・エ・ロマンティーク
1991年9月、パリの旧音楽院ホールにおけるライヴ収録

 さて、ベルリオーズは幻想交響曲の第二楽章「舞踏会」にコルネットのパートを後から自筆で書き加えた。wikiによると1830年の初演後14年も経った1844年のことだそうで、1845年の最初の出版譜にはこのパートが入っている。下記リンクのブライトコプフのスコアにも記載されているが、ベルリオーズはその後さらに多少の手を加え1855年に出版された最終稿ではこのパートは採用されなかったそうだ。このためか1960年代から70年代まではこのパートを吹いている演奏はとても少なかった。
(IMSLPのスコア)
http://imslp.org/wiki/Category:Berlioz,_Hector

 倉田わたる氏のHPの2005年02月26日の「廃墟通信」に第二楽章のコルネット入りの演奏が紹介されている。この中で国内盤が70年代までに出ていたのはクレンペラー盤とマルティノン盤、デイビスの1974年盤ぐらいだったと思う(この曲が好きなデイビスにはもっと古い1964年盤もあってそれもコルネット入りだそうだ)。私は「ふーん。違う版があるんだ。」と思ったが当時実際に聞いたことはなかった。

 コルネット入りの演奏を実際に耳にする機会が増えてきたのは80年頃にハイティンクやアバドの演奏が出て以降だったと思う。私がコルネット入りを最初に聞いたのもアバドの演奏だったと記憶している。その後のドホナーニやチョンミュンフンなども含めて一般的には「マジメ派」と思われている指揮者が採用しているケースが多いのが興味深い。合いの手風の華やかなオブリガートの旋律で、かなり目立つので一聴するだけですぐに聞き分けられるだろう。
(倉田わたるのミクロコスモスHP)
http://www.kurata-wataru.com/

Abbado シカゴ交響楽団 1984 DG 410 895-2
Colin Davis アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1974 Ph 32CD156
Colin Davis ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1990 Ph PHCP174
Colin Davis ロンドン交響楽団 2000 LSO Live LSO0046
Dohnanyi クリーヴランド管弦楽団 1989 LONDON POCL1060
Gardiner オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク 1991 Ph PHCP5093
Haitink ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1979 DECCA 433 611-2
Klemperer フィルハーモニア管弦楽団 1963 EMI CDM 7 64143 2
Martinon フランス国立放送管弦楽団 1973 EMI TOCE6131~2
Myung-Whun Chung パリ・バスティーユ管弦楽団 1993 DG 445 878 2
Paavo Jarvi シンシナティ交響楽団 2000 TELARC CD-80578 (UCCT-2030)
Scherchen ロンドン交響楽団 1954 THEOREM TH 121.153

 この曲には当時の最新楽器だったバルブ付きのコルネットが採用されており、追加したパートはコルネットの名手ジャン=バティスト・アルバンに花を持たせるために書かれたとも言われている。現在はコルネットをトランペットで代用してしまうことも多いそうだが、トランペットではコルネットのような軽やかさは表現できない。第二楽章の追加パートを吹いていない演奏が多いのはそのためかもしれない。ただしノリントンの演奏のようにオケ自体にはコルネットがいるのに第二楽章の追加パートを吹いていない演奏も中にはある。これは1855年の出版譜を作曲者の最終的な意図と考えたためだろう。同じピリオド演奏でも考え方が違うのだ。

 このガーディナーの幻想交響曲はピリオド楽器の演奏としてはそのノリントン盤(1988年録音)より後の演奏だが、CDと同時期のこのライブ映像がLDで紹介されたため、当時から有名かつ評判の高かった演奏だ。こちらは第二楽章でコルネットが追加パートを吹いているほか、セルパンという蛇のように曲がった低音管楽器(真ん中の写真、通常はユーフォニアムなどで代用する)や、オフィクレイドというサックスに似たキー(実際はサックスの方が真似をしたらしいが)を持つ金管楽器(下の写真、通常はチューバで代用する)など、珍しい楽器を映像で見ることができる。第五楽章「ワルプルギスの夜の夢」で不気味な旋律を奏でるのは本当はセルパンだったのだ。セルパンがメンデルスゾーンの宗教改革やワーグナーのリエンツィにも使用されているとは知らなかった。

セルパン
http://www.shinyahashimoto.net/tuba/serpent_top.shtml

オフィクレイド
http://www2.mackey.miyazaki.miyazaki.jp/MusicRoom/FrenchTuba/history.html
http://www.shinkyo.com/concerts/i180-2.html

 第三楽章「野の情景」で寂しげな旋律を吹くイングリッシュホルン(コール・アングレ)も「く」の字型に折れ曲がった独特のもので、シベリウスのトゥオネラの白鳥などで使われる現代のイングリッシュ・ホルンとは全く異なる。ベルリオーズの時代はちょうど古い楽器と新しい楽器が交替する時代にあたっため、ホルンもナチュラルホルンとバルブ付きのホルンが併用されている。弦楽器もピン付きのものとピンなしのものを併用している(これはミンコフスキーの録音でピリオドオケとモダンオケを共演させるヒントになったことだろう)。さながら楽器博物館のようで楽しい映像だ。

 楽器だけでなく演奏ももちろんオリジナルに忠実なものだ。第一楽章や第四楽章のリピートを実行しているのは当然であり、テンポもほぼベルリオーズのメトロノーム指定に従っている。オリジナルのテンポで演奏するとたいていの曲は速くなるのだが、この曲の第五楽章は現代の演奏の方がはるかに速い。作曲者はあまりあおるような演奏は想定してなかったようだ。

(追記)
テレビで見たのだが、チョンミュンフンは先日のN響への客演ではコルネット入りバージョンの使用をやめてしまったのでびっくりした。N響にコルネットを吹ける人がいないとは考えられないので指揮者の方針変更だろうか。

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初演稿
 アンネ・シュヴァーネヴィルムス(ソプラノ)
 ペトラ=マリア・シュニッツァー(ソプラノ)
 ペーター・ザイフェルト(テノール)
 ゲヴァントハウス合唱団
 ライプツィヒ歌劇場合唱団
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 リッカルド・シャイー(指揮)
 収録:2005年9月2日 ライプツィヒ、ノイエス・ゲヴァントハウス
(下記サイトに試聴あり)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1453838

改訂稿
ソプラノ:クリスティーナ・ラキ、白井光子 
テノール:ペーター・ザイフェルト
合唱:デュッセルドルフ市楽友協会合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮 
録音:1987年9月、ライブ
(下記サイトに試聴あり)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/309645

メンデルスゾーンは交響曲第二番「賛歌」を1840年6月に初演した後に改訂を加え、現在出版されているのは1840年11月の改訂稿だそうだ。

シャイーはこの曲が好きなようで1979年の初レコーディング(日本での発売は1980年のチャイコフスキーの方が先だったが)でもこの曲を録音している。2005年のこの再録音は初演時の初稿によるもので、メンデルスゾーンゆかりのゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督への就任記念コンサートの模様を収めたものだ。ちょっと前にBSでも放送されたのでごらんになられた方も多いだろう。

初稿は1部(シンフォニア)や2部の8曲目(コラール)と10曲目(終曲)でカットがある、というかこちらが初稿なので改訂稿の方が書き足して拡大してあるというべきか。楽譜が手元にないので具体的に指摘できないし、私はこの曲をまだそれほど聞き込んではいないので上手く書けない。全体としては改訂稿の方がスムーズだと思うが、作曲家のオリジナルの意図を知る上で貴重な演奏だと思う。ただ、せっかくの初稿であればオリジナル楽器の演奏で聴いてみたいという気もするが、オリジナル楽器による「賛歌」というのはまだないようで残念だ。(と思ったらシュベリングの演奏があるそうだ)現行の改訂稿のスコアは手に入ると思うのでまた機会を改めて報告したい。

比較用に挙げたサバリッシュ/BPO盤はサヴァリッシュが1987年に久しぶりにBPOの指揮台に登場した際のライブ録音だ。カラヤンはクライバーやバーンスタインと並んでサヴァリッシュをBPOの指揮台からは周到に遠ざけていたように思う。サヴァリッシュは1953年に30歳の若さでカラヤンが戦前指揮していたアーヘンの音楽監督に就任し、1957年にはバイロイトにも(当時)史上最年少で登場、1960年にはカラヤンの後任としてウイーン交響楽団の主席指揮者に就任するなど飛ぶ鳥を落とす勢いだったのだからそれも当然だろう。

BPOはカラヤンとの関係がこじれ始めた80年代半ばから、クライバーやラトルなど従来招聘していなかった指揮者を呼び始めた。サヴァリッシュはこの賛歌とシューマンのミサクララでBPOの指揮台に復帰した。サヴァリッシュはEMIに録音した72年の魔笛や73年のドレスデンとのシューマンあたりを最後にして80年前後はメジャーレーベルへの録音はなかった。この時期は当時新興レーベルだったオルフェオにアラベラなど数点の録音がある程度だったが、このBPOとのライブ録音を機にEMIに復帰したことも特筆される。この演奏の国内盤はしばらく廃盤のようだが輸入盤は廉価盤でまだ現役だ。

サヴァリッシュはその後も2002年頃まで何度かBPOに登場した。相性は良かったようでBPOはニキシュメダルを送っている。

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私は昨日、もしこの曲の再演がモシェレスによるものなら初稿による再演、メンデルスゾーンによるものなら改訂稿による再演だったのではないかと推測した。改訂中の作品の初稿をわざわざ自分で再演するとは考えにくいからだ。事実は前者だったようだ。

助六さんが調べてくださったMichael CooperのMendelssohn's Italian Symphony (Studies in Musical Genesis and Structure)(2003年出版)は日本で買うとアマゾンでも1万5000円ぐらいかかるようだが、下記アドレスのサンプルを見る限り、私が今日入手したオイレンブルグ版のポケットスコア(EE7003、2005年出版)にBoris von Hakenという人が書いている解説と内容は驚くほど類似している。
(サンプルページ)
http://books.google.fr/books?pg=PA29&lpg=PA40&dq=italian+moscheles&id=SXn1cZkXT44C&as_brr=3&hl=ja#PPP1,M1

音楽之友社のスタディスコア(OGT240、2002年出版)の解説(星野宏美)にもほぼ同じ主旨のことが書いてある。これが最新の研究成果だと考えて間違いなさそうだ。助六さんがまとめて下さったMichael Cooperの論文とEE7003とOGT240の情報を総合的に見てまとめてみました。

(1) 足掛け3年の大旅行中だったメンデルスゾーンは、1830年10月にイタリアに入りローマ滞在中にこの交響曲の着想を得て作曲を進めたことが残された書簡で分かっている。翌年4月までのローマ滞在中にほぼ構想はできあがったようだが結局完成はしなかった。1832年1月の時点ではこの曲の作曲は完全に止まってしまったようだ。

(2) 32年11月にロンドンのフィルハーモニック・ソサイエティから交響曲を委嘱されたのを契機に33年1月から再び作曲を開始した。33年3月13日に一旦完成し4月6日付で補筆した後にロンドンへ向かい5月13日にメンデルスゾーンの指揮で初演した。メンデルスゾーンがこの曲を指揮したのはこの時が最初で最後となった。委嘱の際の契約条件にフィルハーモニック・ソサエティがこの作品をいつでも自由に演奏できる権利があることと、2年間の著作権を持つことが含まれていたため、メンデルスゾーンの自筆スコアはフィルハーモニック・ソサエティに預けられた。

(3) 34年6月2日にロンドンのフィルハーモニック・ソサイエティがモシェレス指揮で初稿を再演した。ドイツにいたメンデルスゾーンは6月1日付のモシェレスの手紙が届いた時に初めて再演の事実を知ったが、(6月から8月まで父親と一緒にイギリスを再訪したという別の情報もあるがいずれにしても)、この再演がきっかけになりこの曲の改訂に着手した。初稿のスコアはロンドンのフィルハーモニック・ソサエティに預けてあったために記憶を頼りに35年2月16日までに2〜4楽章を改訂したが1楽章の改訂は「抜本的な改訂が必要」として難航し完成しなかった。この時の楽譜が1833/34年稿(正確には1834/35年稿と呼ぶべきなのでは?)として残された改訂稿である。

(4) 37年5月15日、フィルハーモニック・ソサイエティがポッター指揮で初稿を再演した。メンデルスゾーンは同年8月〜9月のバーミンガム音楽祭で「聖パウロ」を指揮するためにイギリスを再訪し、この際に「改訂したいので初稿は本当はもう演奏してほしくないと思っている」という主旨のことをフィルハーモニック・ソサエティの関係者に打ち明けた模様。

(5) 改訂の意向を伝え聞いたモシェレスは翌年の再演で改訂稿を使うことを計画し、改訂稿を速やかに提出するよう求める手紙を37年12月23日に出した。しかしメンデルスゾーンは公式に約束したつもりはなかったのでこの手紙には返事しなかった模様。結局フィルハーモニック・ソサエティは38年6月18日も初稿をモシェレス指揮で再演した。メンデルスゾーンの生前にこの曲が演奏されたのはこれが最後となった。

(6)(正確な時期は不明だが40年9月にバーミンガム音楽祭で「賛歌」の英語版を指揮するために訪英した際?)フィルハーモニック・ソサエティは自筆スコアをメンデルスゾーンに返却した。(第一楽章の改訂作業がはかどるようにとの配慮か?)

(7)フィルハーモニック・ソサエティは40年10月になって再び「改訂するので初稿はもう演奏するなと言ったのに未だに改訂稿を送ってこないのは大変遺憾だ」という主旨の手紙を送った。メンデルスゾーンは「約束した覚えはない」との返事を送った。険悪なやりとりはフィルハーモニック・ソサエティ側が41年3月にコミュニケーションの悪さをメンデルスゾーンに謝罪するまで続いた。メンデルスゾーンが第一楽章は改訂が必要との主張を繰り返したためフィルハーモニック・ソサエティは以後再演を企画するのを止めた模様。

(8)メンデルスゾーンは42年5月にも訪英し、フィルハーモニック・ソサエティの6月13日の演奏会で「スコットランド」を指揮した。メンデルスゾーンはその後6月20日と7月9日にヴィクトリア女王に接見し「スコットランド」を献呈した。

(9)残された記録で判断する限り、結局35年2月16日以降にメンデルスゾーンが実際にこの曲の改訂に従事した形跡はない。

(10)メンデルスゾーンが1847年11月に亡くなった後、ロンドンのフィルハーモニック・ソサエティは英ヴィクトリア女王の要請を受け1848年3月13日にこの曲を初稿で再演した。この時点でメンデルスゾーンの自筆スコアはライプツイヒにあり、フィルハーモニック・ソサエティに残っている写筆譜はこの演奏会のためにパート譜から作成したものらしい。自筆スコアと写筆譜は細かい点で異なっている。故国のライプツイヒで初めてこの曲が上演されたのは1949年11月のことである。

結論としては

・基本的に初稿(1833年稿)=初演(1833年5月13日)=出版譜(1951年)。
・第2楽章〜第4楽章のみで未完成の改訂稿(1833/34)は生前演奏されなかった。
・メンデルスゾーンが指揮したのは33年5月13日のロンドン初演のみ。
・生前に3回再演されたがいずれもロンドンで行われたものでメンデルスゾーンは立ち会っていない。(1回目の再演は聞いているかもしれない。この時に改訂を思い立ったのかも?)
・自筆譜が「遺稿から発見」された訳ではない。

ということでwikiの情報も山岸さんの情報も門馬氏の解説も誤りを含んでいるということになりそうだ。

常識とされ疑われていない情報の中にも間違いがこんなに含まれていることが分かり、おかしいなと思ったことは自分で調べてみることの大切さを再確認することができたと私は思う。

助六さんありがとうございました! 大変勉強になりました。日本では唯一OGT240を除いて正確な情報は99%伝えられていないのでOGT240がなかったら助六さんと連名で雑誌に寄稿しようと思っていたところです。

シューマンの2番の初稿を売り払って行方不明にした実績のあるユリウス・リーツも関係者に含まれているようなので、34年以降にメンデルスゾーンが改訂した楽譜がどこかから出てくる可能性がひょっとしたら無くはないかもしれませんが、今日のところは初稿=出版譜ということで一件落着と致しましょう。

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「だいぶ本質に近づいてきたが、まだまだだな」とはチェリビダッケの口癖ですが今日は少しそんな気持ちです(笑)


メンデルスゾーン交響曲全集
グルベローバ(エディタ)
ガザリアン(ソナ)
クレン(ウェルナー)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
ドホナーニ(クリストフ・フォン)


助六さんが調査して下さった「イタリア」の作曲・出版の経緯は以下の通りだ。助六さんありがとうございます!

−スケッチ: 1830年11月1日から31年4月10日に渡ったローマ滞在中に4楽章中3楽章のスケッチを行い、31年4−5月のナポリ滞在中にスケッチ完成。
−注文: 1832年11月5日、ロンドンのフィルハーモニック・ソサイエティから交響曲の注文を受ける。
−作曲: 1833年1−3月「1833年3月13日」が完成月日として記されている。
−初演: 1833年5月13日、ロンドンのフィルハーモニック・ソサイエティで。メンデルスゾーン自身の指揮。
−改訂:1834年6月、自筆譜は友人でピアニスト・作曲家・指揮者のモシェレスに委託していたため、記憶に頼って2−4楽章を改訂。1楽章についてはメンデルスゾーンは根本的改訂が必要と考えていたが、満足の行く結果を得られず途中放棄。メンデルスゾーンは、後世に判断を委ねた形。
−再演: 1834年、37年、38年。モシェレスあるいは、友人の英ピアニスト・作曲家・指揮者チプリアーニ・ポッターの指揮。
−出版: メンデルスゾーンの生前には出版されず、1851年にライプツッヒで死後出版。
−1834年改訂版の出版について: 1994年の米デューク大博士論文で「イタリア」の成立史をテーマにしたJ.M.クーパーが、「イタリア」に関するすべての自筆稿資料をH.G.クラインと共同でファクシミリ版で1997年ヴィースバーデンで出版した。(ガーディナーの録音は恐らくこの楽譜を用いたもの)


「自筆譜を友人に渡していたので記憶に頼って改訂稿を新たに作成した」というのはすごい話だ。天才のやり方は凡人の理解を超えている。しかしこれが事実だとするとこのことは事態を難しくしたかもしれない。仮に改訂稿を途中で放棄して改めて初稿に戻って手を加えたとすると、放棄された改訂稿と初稿のどちらが新しいのか分かりにくくなってしまったからだ。

助六さんの情報によると、この曲のバージョンは1833年の初演稿と、第二〜第四楽章のみの未完の1834年の改訂稿の2つのみで、これ以外のバージョンに言及した資料はなかったそうだ。この点は山岸氏の情報と一致するが、山岸氏の情報は1838年の再演をメンデルスゾーン自身の指揮としている点が大きく異なる。

なぜこの違いが重要かと言うと、もし初演の後にメンデルスゾーンが初稿をモシェレスに渡したというのが事実で、1834、37、38年の再演をモシェレスが振ったというのも事実であれば、再演の際も恐らく初稿で演奏したと考えられる。

しかし、もしメンデルスゾーン自身が再演したのであれば、モシェレスに渡した初稿とは別に、完成された改訂稿(1838年稿?)がこの時点までに存在してその出来栄えを音にして確認するために再演会を企画した可能性が高くなるからだ。

今日私が取り上げたドホナーニのCDの解説(門場直美氏)も「中でも第1楽章の多くの点に不満を持っていた。1834年6月26日の友人のピアニストで作曲家のモシェレスに宛てた手紙では、第1楽章のほかに第2と第3楽章に手を加えていると記している。その改訂は大体1837年末で終わったようで、翌1838年6月18日にはこの新しい形のものをロンドンで演奏した。」と完成した改訂稿の存在を示している。前後の文脈からすると演奏したのはメンデルスゾーン自身だ。

門馬氏はさらに、生前ドイツでこの曲が演奏されたことはなく、自筆譜が遺稿の中から発見されてドイツで初めて演奏されたのは没後の1849年としている。門馬氏の説明が正しければ、現存する自筆譜こそが完成された改訂稿だということになる。これはwikiの記述とは矛盾しないが、助六さんの情報や山岸さんのサイトの情報とは矛盾する。

このため以下の3点が疑問として残った。

(1)没後の1851年に出版された現行譜(=自筆譜)は本当に1833年の初演版そのまま状態なのか? 1838年に再改訂した第三稿なのではないか? 
(2)あるいは、現存する初稿および1834年の未完の改訂稿(第二稿)以降に完成された改訂稿(第三稿)が別に存在し、その後消失したことを示す資料が何か残っていないのか(例えば異稿のパート譜など)? 
(3)1834年、1837年、1838年6月18日の再演はどこで行われ、誰が指揮したのか?

私の現時点での推理を述べる。現存する初稿自筆譜は実は、(助六さんの情報によれば記憶に頼って改訂した)1834年の第二稿を放棄した後で改めて初稿に改訂を加えた第三稿なのではないだろうか? 

モシェレスはチェコ出身でライプツィヒで亡くなった作曲家なので、もしもモシェレスがドイツでこの曲の初稿を再演していれば出版社が出版を急がせただろう。再演はメンデルスゾーンが1838年にロンドンで行ったというのが事実だとすれば、一応は完成した改訂稿が存在したと考えるのが自然だ。

クーパーが出版した資料が残された全てであり、消失した全曲自筆譜が別に存在したわけでもないのであれば、現存する自筆譜こそが最終改訂稿(第三稿)なのではないだろうか? 1833年の初稿自筆譜に1834年の改訂稿よりも後になって手が加えられた形跡があるかどうかを確認する必要がある。

オイレンブルグ版の校訂ノートはいつも丁寧なのでこの辺りのことが書いてあるかもしれないが、残念ながらこの曲の国内版総譜はまだ全音からは出ていないようだ。英語版を読むしかない。分かり次第また続報したい。

さてさて、メンデルスゾーンを極めているとはとても言えない私だが、全集はドホナーニがVPOを振ったこの演奏が柔らかい響きで良いと思っている。この演奏は当然のことながら現行譜によるものだ。これも助六さん情報によるとドホナーニは両翼配置とのことだが、この録音ではビオラが右のフルトヴェングラー型に聞こえる。

両翼のセカンドバイオリンは後ろを向くので響きが渋くなるからこれで両翼なのかな? 難しい。楽譜を見ながらもう少し聞き込んでみよう。幸いIMSLPには2番以外は全てフルスコアが上がっているようだ。3番は誰かの書き込みだらけだが(笑)。
(IMSLP)
http://imslp.org/wiki/Category:Mendelssohn%2C_Felix

ちなみにメンデルスゾーンの場合作曲順と出版順が全く異なっており、作曲順で並べると1番→5番→4番→2番→3番の順になる。つまり作曲者が生前に出版した1〜3番に先に番号が振られたため、没後に出版された4番と5番には後の番号を便宜上付けざるを得なかったという訳だ。

比較的初期の作品である5番を出版する意図がメンデルスゾーンにあったかどうかは分からないが、少なくとも「イタリア」のロンドン初演は大成功だったと伝えられているので、改訂が完了したら出版するつもりだっただろう。現存する全曲自筆譜が初稿だったとしても改訂稿だったとしても、作曲者がまだ「作曲中」と認識していたことに変わりはない。

「イタリア」は実は「未完成」だったのだ。それが分かるとこの明るい作品の聞き方も少し変わってくる。

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来年はメンデルスゾーン生誕200年だ。

メンデルスゾーン:
・交響曲第4番イ長調 op.90『イタリア』(1833/34年改訂稿による第二楽章〜第四楽章付)
・交響曲第5番ニ短調 op.107『宗教改革』
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
 録音:1996年6月、1997年11月 ウィーン[デジタル]
(下記サイトに試聴あり)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA-%E7%AC%AC5%E7%95%AA/dp/B000CBNYU0/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1230130121&sr=1-1

助六さんの情報によるとシューマンの交響曲第二番の1946年の初演と再演(改訂稿)の指揮を指揮をしたのはメンデルスゾーンだったそうだ。シューマンとは年齢は1つしか変わらないが10代から早熟の天才として著名人だったメンデルスゾーンがシューマンの交響曲第二番の改訂に際し何かしらのアドバイスをしていたとしても不思議はないだろう。メンデルスゾーン自身に改訂癖があることは以前ヴァイオリン協奏曲の初稿の記事でも紹介したが、メンデルスゾーンは交響曲第四番も改訂している。

このガーディナーの演奏には通常版による全曲演奏に加えて1833/34年版による第二楽章〜第四楽章が収められている。wikiによると、通常演奏されているのは1838年の第二版で、ここでガーディナーが演奏した1833/34年版は「初稿」であり、これとは別に未完に終わった第三版の改訂稿が存在するとことだが、時々引用させてもらっている山岸健一さんのサイトによると、通常演奏されているのは1833年の初稿で、ここでガーディナーが演奏している1833/34年版こそが未完に終わった改訂稿だという。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn4.htm

wikiの情報と山岸さんの情報は180度異なるので結局この1833/34年版が初稿なのか改訂稿なのか良く分からないが、このバージョンの第一楽章が未完で存在しないのであれば山岸さんがおっしゃる通りこちらが改訂稿だと考えるのが自然だろう。ブライトコプフの1877年の現行版フルスコアには山岸さんの言うとおり確かに1833年版という表記がある
http://imslp.org/wiki/Symphony_No.4%2C_Op.90_%28Mendelssohn%2C_Felix%29

(結局フランスの助六さんの力もお借りして色々調べた結果、通常版は初稿で、ガーディナーがここで演奏している1833/34年版とされる版が改訂稿だということが分かった。別記事を参照されたい)

この改訂はヴァイオリン協奏曲のようには成功しなかったようだ。このCDの解説には版についての説明がほとんどないためあくまでも聞いた感じだが、第二〜第四楽章のいずれも通常版よりも長くなっているようだ。旋律もかなり変わっている。しかし全体としてやや冗長だ。改訂版が結局完成しなかったのはメンデルスゾーンもそのことを分かっていたからではないだろうか。アマゾンの試聴ではちょうど同じような場所しか聞けないので違いは良く分からないと思う。

通常版(=初稿版)
10:13/5:38/6:20/5:29
1833/34年版(=改訂版)
 --/6:29/7:44/6:31

さて肝心の演奏だが、悪くないのだがガーディナーならもう一歩を期待したかったところだ。良い演奏には違いないが、手兵のORR(オーケストラル・レヴォリューショナル・ロマンティーク)との演奏と比べると弾けっぷりがちょっとよそ行きで突っ込みが浅い印象がある。ORRで全集を録音し直してはどうだろうか。

ガーディナー以外にはアルブレヒトがこのバージョン(校訂者は別)の演奏をCD化している(カプリッチョレーベルでコロンビアから国内盤も出ていた)。また群馬交響楽団の白水裕憲さんのブログによると、群響は今年の5月にこの版で演奏したそうだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/gso_shirouzu/54717678.html

メンデルスゾーンと言う作曲家は交響曲やヴァイオリン協奏曲以外にもバッハを再発見したり、オラトリオ「エリア」を作曲したりと注目すべき点が多いのだが、私にとっては今ひとつ不思議な作曲家でもある。たいていの作曲家は個人的な葛藤であれ宗教的な思想であれ民族独立の思いであれ、音楽にして表現せざるを得なかった「動機」が見えてくるものだ。一見平明で分かりやすいモーツァルトの音楽ですら貴族社会への反発をオペラに見て取ることは簡単だし、ショパンの美しい音楽にも望郷の思いがあふれている。

しかしメンデルスゾーンの音楽は恵まれた環境に生まれた天才の音楽という以上の「動機」がなかなか見えてこないように思う。あるいはそういう物を音楽に求めてしまう私がいけないのだろうか? 生誕200年を機に記念ボックスを聴いて勉強しようと思う。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/2872242

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