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R.シュトラウス

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カラヤン/BPO
1984年10月18日、ザ・シンフォニー・ホール、大阪(ライヴ)

今回も楽譜の話だ。カラヤンのドン・ファンで46小節目(練習番号Cの4小節前)にシンバルが入っている演奏と入っていない演奏があるそうだ。聞き返してみたら1983年のDG盤と1984年の大阪でのライブ映像は確かにシンバルが入っている。
(カラヤンBBS)
http://karajanbbs2.progoo.com/bbs/?pid=karajanbbs2&mode=p&no=106&mode2=r

意外にも私はこの曲の楽譜が手元に持っていなかったが、こういう時に頼りになるがISMLPだ。doverのリプリント(元はAibl Verlagが1890年に出版したR.2640)がアップされていた。ISMLPが復活したのは本当に喜ばしいことだ。著作権の切れた楽譜をネットで共有するとは大変素晴らしいことではないか。

どういう条件で出版社側の了解をとりつけたのか細かい英文は読んでいないが、見たところ、著作権の有効期間が国別に違うことに対応して特定のページには特定の国からはダウンロードできないような仕掛けを取り入れたようだ。著作権が切れていないものをネットで共有するのは楽譜の出版というビジネスを脅かすのでこれは適切な処置だろう。

例えばラベル編曲のムソルグスキー「展覧会の絵」の総譜は日本からはダウンロードできないようだ。ラベルの著作権は日本でも切れており、Boosey & Hawkes社の総譜の初版は終戦後の1953年の出版だから戦時加算ということはないはずだが、IMSLPにアップされているのは旧ソ連のムジカ社が1965年に出版したものだそうでまだ著作権が切れていないようだ。

ドン・ファンの楽譜はダウンロードできた。1949年没のR.シュトラウスの著作権は1999年に切れておりこの楽譜は1890年の出版なので問題はないだろう。さっそく46小節目(ページ左下の番号で12ページ目の4小節目)を確認してみると、ここにはシンバルは書いていない。
(ISMLP)
http://imslp.org/wiki/Don_Juan%2C_Op.20_%28Strauss%2C_Richard%29

それではなぜこのシンバルが入っているのかもう少し調べてみる。stbhさんのブログによると音楽学者ノーマン・デル・マーの監修によるオイレンブルク版では「オリジナルのパート譜に書いてあるので、既存のスコアには無いが入れた」と注釈がついているそうだ。さすがオイレンブルクだ。
(音楽よしなしごと)
http://classicalandsoon.blog.so-net.ne.jp/2008-11-29

オイレンブルクがラベル編曲の展覧会の絵のクリティカル版を本家のBoosey & Hawkesに先駆けて1994年に出版したことは先日述べた。オイレンブルクはフォーレ(1924年没)のレクィエムのクリティカル版も著作権が切れて間もない1978年に本家のアメルに先駆けて出版しており、出版が可能になり次第クリティカル版を出すというのがオイレンブルクの方針のようだ。これは大変素晴らしいことだと思う。

著作権が切れた楽譜はどんどんパブリックドメインになっていくが、古い楽譜には誤りも少なからず含まれている。出版社がきちんと校訂した楽譜を新版として出すことで新しい需要がそこに生まれる。初版の総譜を出版していた本家の出版社側に対しても刺激になりBoosey & Hawkesやアメルもその後それぞれ新版を出している。クリティカル版を作成するには自筆譜に当たらなくてはならないので日本ではなかなか難しいかもしれないが、現代なら画像データで取り寄せることがひょっとしたらできるかもしれない。

1979年出版のホルスト(1934年没)の惑星のクリティカル版は本家のCurwenとのダブルクレジットになっており、著作権がまだ有効な作品は初版の版下を持っている本家と共同でクリティカル版を作成するという手法も取り入れているようだ。詳細な校訂注を英文で読むのは大変だが、近年は全音が国内版を出してくれるようになったことも大変喜ばしい。

さてドン・ファンの話に戻るが、なぜカラヤン/BPOの昔の演奏にシンバルはなく80年代の演奏から入ったのだろうか? もしもVPOやBPOのパート譜に初めからこの音があれば、録音に際してわざわざ止めさせたとは考えにくい。ベームがBPOを指揮したDG盤でもシンバルは入っていないので70年代までのBPOがシンバルなしのパート譜を使っていたことは間違いないだろう。

恐らくBPOは80年代からシンバル入りの新しいパート譜を使うようになったのだろう。R.シュトラウスの著作権は1999年まで有効だったので80年代はレンタル譜が中心だったと予想されるが、この時期に出版社がレンタル譜を改訂したか、それともBPOがこの時期にレンタル譜から出版譜(買い取り)に切り替えたか、といった原因で70年代とは違うパート譜を使うようになったとしか考えられない。 

これがVPOの場合はさらに複雑で、1958年のクリュイタンス盤(EMI)と1970年のベームの映像、1989年のドホナーニ盤(デッカ)および1990年のプレヴィン盤(テラーク)ではシンバルが入っているが、1960年のカラヤン盤(デッカ)と1977年のベームの来日公演ではシンバルは入っていない。これだけ交互に入れ替わるとどういう理由でシンバルが入るのか入らないのか全く見当がつかない。指揮者がいちいじ指示するとも思えないのだが、たまたまレンタルで借りてくるパート譜が実はシンバル入りとシンバルなしの2種類あったとでも言うのだろうか?

BPOとVPOのドンファンの演奏の変移をここでまとめておこう。BPOが70年代までシンバルなし、80年代からシンバルありで一貫しているのに対して、VPOは50年代からシンバルありとなしの演奏が混在しているのが特徴だ。


カラヤン/BPO(1957ライブ映像)シンバルなし
ベーム/BPO(1963DG)シンバルなし
カラヤン/BPO(1973DG)シンバルなし
カラヤン/BPO(1983DG)シンバルあり
カラヤン/BPO(1984ライブ映像)シンバルあり


クラウス/VPO(1950デッカ)シンバルあり
クリュイタンス/VPO(1955ライブ録音)シンバルなし
クリュイタンス/VPO(1958EMI)シンバルあり
カラヤン/VPO(1960デッカ)シンバルなし
ベーム/VPO(1970ライブ映像)シンバルあり
ベーム/VPO(1977ライブ録音)シンバルなし
ドホナーニ/VPO(1989デッカ)シンバルあり
プレヴィン/VPO(1990テラーク)シンバルあり


1984年のドンファンについても書いておこう。大阪公演(Aプロ)を収めたこのDVDはなぜか曲順が変更されているが、演奏会ではドンファンが1曲目だった。カラヤンがドンファンを翌日のDプロの「海」(あるいは「ダフニスとクロエ」?)と間違えてゆっくり振り出したため、一度止めて振り直したことでも話題になった演奏だ(その様子は当然のことながら編集されているが)。そのため、前年の1983年に起きたザビーネ・マイヤー入団事件をきっかけとするオケとのあつれきを抜きにしても、このドンファンはカラヤンにしてはやや散漫なノリの悪い演奏かもしれない(後半のローマの松は少し良くなるが)。

この映像のカラヤンは私がテレビで見た1981年の来日公演よりもかなり老けて見えるが、それは恐らくこの年カラヤンは大阪から来日しその後東京に移動したのでまだ時差ボケが抜けなかったのだろう。この年に私が聞いた東京の最終公演(10/24のDプロ)はこの映像よりも元気に見えたし、シュヴァルベとブランディスの2大コンマスが揃っていたせいもあってか、はるかに集中力の高い名演だった。

それでも、1982年に日本初のクラシック専門ホールとしてオープンしたザ・シンフォニーホールでのカラヤンの演奏が映像で残された意義は大きいだろう。カラヤンはこのホールを気に入ったようた。下記のインタビューでカラヤンはこのホールの音響をほめ、それを生かすためにソロから大編成まで幅広い曲目を選んだと述べている。88年の最後の来日の際も再び訪れてオルガン付きの展覧会の絵を振ったことは以前紹介した。
http://www.youtube.com/watch?v=VXFQYSgBRdU

カラヤンは60年代以降、日本の放送局に対してテレビ放送後に録画したテープをカラヤン側に返還することを求めていたそうで、カラヤンが日本で演奏したカラー映像は今のところこれしかない。実際は1966年、1973年、1977年、1981年の来日公演はテレビ中継が行われたので大変残念だ。他に73年のリハーサル映像をNHKがDVD化しているほか、81年の小澤征爾との対談を下記のユーチューブで見ることができる。指揮を乗馬のジャンプに例えて「指揮をするな。オーケストラを自由にして全てを任せろ」と言っているのが当時大変印象的だった。
http://www.youtube.com/watch?v=2zRxi-6bkzw&NR=1

なお、このDVDの映像はテレビ朝日が収録した映像をテレモンディアル側で編集しており、当時放送された(1989年にカラヤン追悼番組としてドンファンとローマの松だけが再放送された)映像とは細部が異なるようだ。このバージョンは日本では2002年にクラシカジャパンが初めて放送したが、DVD化されたのは2007年になってからだ。

この年の来日直前の1984年7月に来日記念盤として1983年録音のドンファンが発売されたが、初版のCDで最後のピッチカートが編集で欠けてしまって店頭から回収するという事故も起きた。また、カラヤンは生涯で97回もドンファンを演奏したが、この映像の大阪公演の後の10月21日の東京の演奏が生涯最後のドンファンとなった。つまりこのDVDのドンファンはカラヤンの最後から2番目の演奏である。

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ハンス・ホップ(T皇帝)
レオニー・リザネク(S皇后)
パウル・シェフラー(Bsバラク)
その妻(Sクリステル・ゴルツ)
クルト・ベーメ(Bs霊界の使者)
エリーザベト・ヘンゲン(Ms乳母),他
カール・ベーム指揮VPO
録音:1955年11月〜12月
(下記サイトで全曲ダウンロードできる)
http://www31.atwiki.jp/oper/pub/schatten11.html

名プロデューサーだったヴィクター・オロフは、クレメンス・クラウス、エーリッヒ・クライバー、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・シューリヒト、カール・ベーム、ウイルヘルム・バックハウス、ウイルヘルム・ケンプ、ピエール・フルニエなどの録音を数多くプロデュースした。その中でも1955年のモーツァルト4大オペラの録音と並ぶ大きな業績にR.シュトラウスの主要な交響詩とオペラを録音したことが挙げられる。

1950年〜1953年の間に主要な交響詩を全てクレメンス・クラウスと録音したが、ツァラトストラにしてもティル・オイレンシュピーゲルにしても40年代に放送用に(?)録音された自作自演のライブを除けば、商用の録音はこれが初めてだったであろう(と思ったらツァラは30年代にクーセヴィツキが、ティルは20年代にクナッパーツブッシュが録音していた)。作曲者は惜しくも1949年に亡くなっているが、カプリッチョの台本と初演をまかせるほど信頼していたクラウスが指揮したこれらの録音を聞いたらさぞや喜んだだろう。

続いて1年に1作の予定で取り上げたのがR.シュトラウスのオペラだが、クラウスは1953年にサロメを録音した後1954年5月に急死してしまう。このため1954年6月のばらの騎士の録音はエーリッヒ・クライバーに代わるがこれも大成功する(もしこの録音がステレオ録音だったら、今でもカラヤンのEMI盤以上の評価を得ていただろう)。

シリーズ第三弾として企画されたのがこの「影のない女」だ。1955年11月は大戦で破壊されたウイーン国立歌劇場がついに再建され、前年に芸術監督に就任したベームが『フィデリオ』、『影のない女』、『ヴォツェック』、『ドン・ジョヴァンニ』(ドイツ語)を、クナッパーツブッシュが『バラの騎士』、クーベリックが『アイーダ』(ドイツ語)を、ライナーが『マイスタージンガー』を指揮した。オロフがプレミエの直後に録音したこのディスクもバラクがウエーバーからシェフラーに代わったのを除いて舞台と同じメンバーだ。(この録音は「影のない女」全曲の世界初録音でもあった)

ベームは翌1956年にウィーン国立歌劇場の芸術監督を辞職してしまうが、この演奏は精緻にして自信にあふれた堂々たる演奏だ。盤歴の初期のころからこのような名盤に恵まれたことはこの作品にとってとても幸運なことだった。しかもクライバーのフィガロの結婚と同様に1955年とは信じられないような良質のステレオ録音で残されていることに驚く。

ステレオのレコードが一般に普及し始めたのは50年代末のことであり、カルショーの手記によると1955年頃からモノラル録音と平行してステレオの収録を行っていることは1957年まで演奏者には秘密だったらしい。そもそもヴィクター・オロフは助手のピーター・アンドリーと共に1956年にEMIに移籍してしまったので、これらの録音のステレオ盤のレコードを当時聴いていたはずがない。それにもかかわらず、今日聞いてもそれほど違和感のないプレゼンスで収録されていることに音楽と音場に対するプロデューサーの理解の深さを感じる。

ヴィクター・オロフのオーケストラ録音で特徴的なのは弦を少し近めに録る点だ。ステージの奥に向かって広がるような音場は指揮台での聞こえ方に恐らく近いだろう。明晰さと質感の両立を狙ったようなサウンドはその後のデッカの基本路線でもある。60年代のDGが「コンサート・プレゼンス」と称して残響が多めの録音を好んだのとはだいぶ異なる。

実は70年代以降もオロフの録音に近い音場を好んだ指揮者が一人いる。カルロス・クライバーだ。彼の録音も弦がやや近めでオケが後ろに向かって広がる録り方になっているケースが多い。私はこれはオロフの影響と見ている。

エーリッヒ・クライバーは戦後はデッカの専属アーティストであり、そのほとんどの録音をオロフが担当している。恐らくカルロスはそれらの録音に立ち会っているだろう。機械への好奇心が強い彼のことだから、マイクセッティングやステレオ録音についてもオロフやアンドリーから教えてもらっていたのではないだろうか?カルロスが父親のことを過剰に意識していたことは有名だが、こんなところにも父親の影響が見られる。

エーリッヒは1956年1月27日(モーツァルト生誕200周年のまさにその日)に世を去る。ウィーン国立歌劇場の再建公演を指揮していないのはひょっとしたらすでに病床にあったのかもしれない。1956年のVPOの海外ツアーも本来はエーリッヒを指揮者に予定していたそうだ。

クラウスもエーリッヒも亡き後、デッカのシュトラウスのオペラシリーズを振るのはベームかクナッパーツブッシュしかいなかったはずだが、1957年に録音されたシリーズ第四弾のアラベラはショルティの手に渡った。デッカの経営陣との戦いに疲れたオロフは1956年にEMIに移籍してしまったのだ。

それでもベームとの録音契約はすでにされていたようなのでベームが振ることは可能だったはずだが、カルショーの手記によるとベーム側から契約を解除してきたとのことだ。ベームは1956年にウイーン国立歌劇場の芸術監督を辞任させられているのでこれが関係しているのかもしれない。しかし1957年のザルツブルグ音楽祭ではフィガロの結婚を振っているので録音セッションでVPOと共演することには特に問題はなかったはずだ。

カルショーはベームを評価していなかったことが手記にも書いてあるのでベームとの間に何かあったのかもしれない。ベームはその後DGとの録音が多くなり、60年代のデッカへの録音は協奏曲の伴奏が数曲あるだけだ。ケンプやフルニエもDGに移籍した。カルショーの趣味に合わなかったのだろう。圧倒的に増えたのはショルティの録音だが、オロフは逆にショルティのことを評価していなかったこともカルショーの手記に書いてある。

EMIに移籍したオロフはミケランジェリのラフマニノフや、クレツキのマーラーなど注目すべき録音はあるが、デッカ時代のような活躍は見られなかったように思う。無理もないEMIのクラシック部門はレッグがいたのだから。ザルツブルグ音楽祭のキャストを変えさせるほどの怪物が牛耳っていたのだ。しかし同時に連れて行った助手のピーター・アンドリーはレッグ以降のEMIを背負って立つプロデューサーになった。

この『影のない女』からは翌年デッカにこのような大きな嵐が吹き荒れるとは微塵も感じられない。このような歴史的な録音がこともあろうに国内外ともに廃盤中だというのだから驚きだ。ウイーン国立歌劇場再建時のライブ録音(モノラル)の方がorfeoからCD化されているというのに、正規のスタジオ録音、しかも良質なステレオ録音の方がお蔵入りするとは一体どうなっているのだろうか?

(追記)
Wikiによると、クラウスはウイーン国立歌劇場の芸術監督の座を大変熱望し、有力なライバルだったエーリッヒ・クライバーに対する妨害工作まで行ったらしい。結局ベームに決まったことにクラウスは大変失望し、そのことが彼の死を早めたとも書いてある。もしこの時、クラウスかクライバーが就任していれば1957年にカラヤンが就任することも恐らくなかったはずで、カラヤンがBPOとも終身契約を結べたかどうかすら分からなくなる。歴史は変わっていただろう。wikiの記述がどこまで正しいかは検証する必要があるが、いずれにしてもベームが芸術監督に決まった時点ではクラウスもエーリッヒ・クライバーもまだ生きていたというのは事実だ。50年代のベームの実力はもっともっと評価されるべきだろう。

(さらに追記)
この音源も発表から50年が経ち隣接著作権が消滅したようだ。オペラ対訳プロジェクトで公開されているのでぜひ聞いてほしい。
http://www31.atwiki.jp/oper/pub/schatten11.html



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ペーター・ザイフェルト(皇帝)
ルアナ・デヴォール(皇后)
マリアーナ・リポヴシェク(うば)
アラン・タイタス(バラク)
ジャニス・マーティン(バラクの妻)
ヤン=ヘンドリック・ロータリング(伝令)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮
バイエルン国立歌劇場管弦楽団・合唱団
演出:市川猿之助
装置:朝倉摂
衣裳:森英恵
収録時間:183分
収録:1992年、愛知芸術劇場

このDVDはTDKが海外で出しているもの。元々NHKがハイビジョン収録した映像だがテレビ放送時は3時間の枠に収めるため間奏がカットされていた。LDでも発売されなかったのでこのDVDで初めて完全な形で見ることができるようになった。リージョン0なので再生には問題ないが日本語字幕は付かない。レコード会社は日本だけをローカルな市場で孤立させるのではなくインターナショナル版に日本語対訳も入れるべきだろう。

1990年収録のサヴァリッシュの指輪もそうだが、この頃のNHKのハイビジョン収録は顔をあまりアップにせず人物全体あるいは舞台全体を写す撮り方をしている。これは横長・高画質なハイビジョンの映像としては非常に適切な処理だったが、アナログ放送で当時の小さいテレビで見ても細かい部分が良く分からなかった。

DVDや大型テレビが普及し、やっとこの映像をきちんと鑑賞できる環境が整ったのだからぜひ国内盤も出してほしいものだ。同年のショルティの映像も海外でしか出ていない(こちらもハイビジョン収録。国内盤LDも出ていた)。この曲の国内DVDがない状態はいつになったら終わるのだろうか。

さて市川猿之助演出のこのプロダクションは1992年の愛知県芸術劇場の開館を記念して新制作されたもの。海外の名門歌劇場の新演出が日本でプレミエを迎えるというのは大変珍しいと思う。サバリッシュはバイエルン(ミュンヘン)国立歌劇場の音楽監督としての最後の仕事となったこの年の来日公演にこの演目を持ってきた。私はNHKホールでの公演を聴くことができた。

バイエルン国立歌劇場の1988年のアラベラ以降も私のR.シュトラウス熱は止まなかった。特に影のない女は1987年のサヴァリッシュ盤(完全全曲盤)のCDや1955年のベームのCDを愛聴していた。1992年の来日公演はそれらの演奏と比較すると歌手が小粒なのは否めない。例えば皇帝と皇后はCDのコロとスチューダーの方が上だろう。歌舞伎風の衣装を着て歌うのは歌いにくかったということもあるのかもしれない。この映像はユーチューブにもいくつか掲載されている。

http://www.youtube.com/results?search_query=sawallisch+schatten

久しぶりにサヴァリッシュの演奏を聴くとやはりしっくりくる。ミュンヘンで20年近くこの作品を振ってきた伝統と愛着を感じさせる熱演だ。NHKホールはオケピットも広いが、それでも打楽器が収まり切らずピットの外にあふれていたことを覚えている。

ショルティ盤はもっと鋭いアプローチだ。ショルティの振るシュトラウスはいつも出だしが特に速い。ユーチューブにはこちらの映像も掲載されていた。
http://www.youtube.com/results?search_query=solti+schatten&search=Search

また、サヴァリッシュのシュトラウスはエジプトのヘレナの映像もあるようだ。画質は極めて悪いがユーチューブに掲載されていた。
http://www.youtube.com/watch?v=t57bVSBEYAc

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