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・ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調 Op.15
ロンドン交響楽団
ジョージ・セル(指揮)
録音:1962年6月(ステレオ)
(これもユーチューブで全曲聴ける)
http://www.youtube.com/watch?v=vd7t-HVjPdc
カーゾン卿が1982年9月1日に没して30年になる。デル・モナコやルービンシュタイン、グールド、コーガン、フェラス、オルフと同じ年に亡くなった。NHKはデル・モナコの追悼番組としてNHKイタリアオペラの映像を再放送した。グールドはバッハのゴールドベルク変奏曲のデジタル再録音が追悼アルバムとして発売された。いずれも大きな評判を呼んだ。ルービンシュタインは確か1976年の最後のリサイタルが追悼アルバムだったと記憶している。コーガンの演奏旅行中の急死も報道されたが、東西冷戦のまっただ中だったせいか追悼アルバムの発売などは特になかったと思う。
カーゾンは終生デッカのアーティストだったが、一方で録音嫌いでも知られ、1972年に録音したシューベルトを最後に新譜の発売は途絶えていたと思う。このためBBCやAuditeがカーゾンの70年代以降のライブをCD化してくれているのは大変ありがたい。その多くはナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)でも聞くことができる。
(NMLで聞けるカーゾンの演奏)
http://ml.naxos.jp/artist/7004
デッカも1984年1月にライブ収録でハイティンクとモーツァルトを録音する計画だったそうだ。これが実現しなかったため1970年にブリテンと録音したままカーゾンがなかなかOKを出さなかったモーツァルトの20番と27番が追悼アルバムとして発売された。私がこのピアニストを知ったのはこの時だ。珠を転がすようないぶし銀の音色にすぐに魅了されてファンになったが、続いて聞いたこのブラームスの1番には完全にノックアウトされた。セルはクナッパーツブッシュ、クーベリックと並んでカーゾンが好んで共演した指揮者だ。
セル共々質実剛健、大人の熱いブラームスで、第一楽章中盤で主題がピアノに戻ってくる直前(上記ユーチューブの13分あたり)は背中がゾクゾクするようなスリリングな演奏だ。私が大好きな第二楽章は旧盤より2分も遅い16分をかけて丁寧に歌われ、下記IMSLPの71小節〜79小節あたり、通奏低音の上でバッハ風の旋律を弾く部分(上記ユーチューブの30分あたり)は目頭が熱くなって手を合わせて祈りたくなる。録音嫌いのカーゾンが生涯に3度も正規録音を残したのはこの曲とモーツァルトのピアノ協奏曲第23番だけだということからもカーゾンの思い入れが伺える。
この曲はもともと交響曲として構想されただけに、オケとピアノの方向性が合っていないとそれぞれ良くても説得力は乏しい。カーゾンはセルの引き締まったオケをバックに余計なロマンティシズムや思い入れを廃した古典的なアプローチをしながら、結果的にブラームスのこの曲の先進性・前衛性を明らかにしている。先日紹介したワイセンベルクとジュリーニはクリスタルで硬質な透明感を持った演奏だった。カーゾン盤は同じロンドン響だが、北ドイツと地中海くらい離れた性格の音楽だ。
作品15というブラームスの若書(セレナード1番作品11に続く2番目の大規模オーケストラ曲)であるこの曲は、実は至る所で不協和音が使われている当時としてはかなり前衛的な作品だ。実際作曲当時この曲はなかなか理解されず、ハノーヴァーでの初演やライプツィヒでの2回目の演奏は不評で、ハンブルクで3回目に演奏した際にやっと成功したそうだ。そのためか1970年頃までのほとんどの演奏はこの曲をロマンティックに解釈して不協和音を目立たせず調性感が全面に出るように弾いている。しかしカーゾンは「ありまま」という感じで、その無骨さが実にドイツ的だ。
ブラームスはピアノの名手だったのでこの曲は技巧的にも大変難しい曲の一つだ。オクターブトリルがちょっとした「飾り」で出てくるのではなく、第一楽章のピアノの主旋律そのものに用いられ頻出するのも特徴だ(IMSLPのフルスコアの9ページ下段、110小節〜)。このオクターブトリルはその難しさから「ブラームスのトリル」とも呼ばれており、カーゾンの叩きつけるような不協和音オクターブトリルは激しく胸を打つ(これを「カーゾントリル」と勝手に呼ばせてもらおう)。
(IMSLP)
http://imslp.org/wiki/Category:Brahms,_Johannes
http://petrucci.mus.auth.gr/imglnks/usimg/0/05/IMSLP03190-Brahms-Op015fs.pdf
この不協和音は大変目立つので、ワイセンベルクやポリーニ、ツィメルマンのきれいなオクターブトリル(これはこれで見事で素晴らしいことはもちろんだが)しか聞いていない人はギョっとするだろう。私は「カッコイイ!」と思ったが、ネットには「トリルが汚い」というコメントもある。これはこの曲をロマンティックなきれいな音楽として聞いているか、古典的な枠組みを守っているように見えて実は前衛的な音楽として聞いているかの違いだと思う。私はカーゾン同様に後者なのだ。この激しいトリルを聞いてしまうと他の演奏はどれも軽い音に聞こえてしまう。
名プロデューサーとして知られるカルショウによる録音は、これが50年前のものとは信じられないくらい素晴らしく、例によってやや近めの生々しい音場もこの演奏の性格にマッチしていて大変効果的だ。カルショウはカラヤンやショルティのように音響効果の出る派手な演奏家を重用したため、前任のオロフがチーフプロデューサーだった50年代に活躍したベームやシューリヒト、クーベリック、ケンプ、フルニエ、フェラスといった多くのアーティストが60年代にはデッカを離れDGやEMIに移籍したが、カルショウはなぜかカーゾンとバックハウス、クナッパーツブッシュは(それにセルのヨーロッパでの録音も)手放さなかった。
私はもう25年ぐらい聞いているが今なおこれだけの感動を与えてくれる素晴らしい演奏だ。不滅の名盤という言葉がふさわしい。新編名曲名盤でも未だに5位と健闘しており、評論家にも決して忘れ去られてはいないようだ。没後30年を気に再びカーゾンの芸術に注目が集まることを期待したい。
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