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ヴァルナイとメードル

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 ヘルマン・ウーデ(Bs:オランダ人)
 ルートヴィヒ・ヴェーバー(Bs:ダーラント)
 アストリッド・ヴァルナイ(S:ゼンタ)
 ルドルフ・ルスティヒ(T:エリック)
 エリーザベト・シェルテル(Ms:マリー)
 ヨーゼフ・トラクセル(T:舵取り)
 バイロイト祝祭合唱団
 合唱指揮:ヴィルヘルム・ピッツ
 バイロイト祝祭管弦楽団
 ヨーゼフ・カイルベルト(指揮)
 録音:1955年7月、8月 バイロイト祝祭劇場[ステレオ]

ヴォルフガング・ワーグナーが亡くなった。バイロイト音楽祭の総監督はすでに退いていたが、インタビューなどでは元気な様子だったのでちょっとびっくりだ。1951年に戦後のバイロイト音楽祭が再開されてからもうすぐ60年になろうとしている。

実は先日、カラヤンの演奏史で興味深いコンサートを見つけたので紹介しようと思っていたところだ。カラヤンは1950年5月28日に当時の手兵のウィーン響を率いてバイロイトでローエングリンの前奏曲とグラール語り、それにブルックナーの8番のコンサートを開いているが、このコンサートはバイロイト音楽祭を再開することを目的とした基金の資金集めが目的だったそうだ。

ワーグナー兄弟に貸しを作っておいてバイロイトの指揮者に加わろうというカラヤンの意図は見え見えで実際そうなった。カラヤンはこの時期ウィーンフィルの指揮台やザルツブルグ音楽祭から締め出されていたので何としてもバイロイトの指揮台に立ちたかったのだろう。

しかしバイロイト音楽祭も結局は2年出ただけで終わったので1953年〜1954年にかけてのカラヤンの主な活動の場はロンドンのフィルハーモニア管とスカラ座、それにウィーン響だった。コンサートは精力的に行っているもののオペラはスカラ座とローマで何度か振っているだけだ。その中で歴史的な公演と言えるのはカラスとのルチアぐらいだろうか。だが1953年の1月〜2月にかけて自身15年ぶりのローエングリンをスカラ座で上演し、シュバルツコプフのエルザ、メードルのオルトルート、ヴィントガッセンのローエングリン、エーデルマンのハインリヒというキャスティングを組んでいるのは注目される。ひょっとしたらカラヤンは1953年夏のバイロイトでローエングリンを振る予定だったのかもしれない。

この間にレコードではヘンゼルとグレーテルやナクソス島のアリアドネ、コジ・ファン・トゥッテなどカラヤンとしては珍しいレパートリーを録音しているのも面白い(しかしカラヤンはこれらの曲目を結局レパートリーにはしなかったので、カラヤンからすればEMIのレコードカタログのすき間を埋める仕事を請け負ったに過ぎないのかもしれない)。1954年にはN響を振りに日本に来て14回も演奏したカラヤンが、わずか数年後にベルリンとウィーンを手中に収めるとは自身も予想していなかった起死回生の一打だったのではないだろうか?

話がヴォルフガングから逸れてしまったが、このCDはカラヤンが帝王に収まる前の1955年にヴォルフガングが演出した戦後バイロイト初のオランダ人の上演だ。1953年のローエングリンに続いてヴォルフガングの2作目の演出になる。もともとカイルベルト1人で6回指揮する予定だったが、クナッパーツブッシュが特に希望して3回ずつカイルベルトと分けることになったと伝えられる。クナがバイロイトでオランダ人を振ったのはこの時だけだ。

ヴィーラントがオランダ人やタンホイザーに独自に編集・構成した楽譜を用いて音楽に介入する姿勢を見せたのに対して、ヴォルフガングのオランダ人は慣用版(救済のモチーフあり、バラードはト短調、1幕構成)を採用し音楽には介入しないという姿勢を示しているのが興味深い。

最近の細身のゼンタしか聞いていない方はヴァルナイの肉太なゼンタにちょっと驚くかもしれないが大変立派なゼンタだと思う。クナと聞き比べてはいないがカイルベルトの指揮は指輪同様にややサクサクしたものだが悪くはないと思う。クナの遅い演奏も面白いらしいが音がよくないそうで私はまだ聞いていない。カイルベルトの指輪同様にデッカが収録したこの演奏はLP時代にステレオで出ていたのでなぜCDがモノラルなのか不思議に思っていたが、テスタメントがようやくステレオ盤を出してくれた。

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・第一幕のイゾルデとブランゲーネのデュエット
・第二幕のイゾルデとトリスタンのデュエット
・第三幕の愛の死

メードル(イゾルデ)
ヴィントガッセン(トリスタン)
ブラッター(ブランゲーネ)
ローター指揮ベルリン国立歌劇場
(1952、1954)

ヴァルナイ(イゾルデ)
ヴィントガッセン(トリスタン)
テッパー(ブランゲーネ)
ワイケルト指揮バイエルン放送響
ライトナー指揮バンベルク響
(1954、1959)

ヴァルナイとメードルのイゾルデは放送用ライブ録音の記録しかないことはすでに書いたが、ハイライトであれば正規のスタジオ録音がある。この2枚はスタジオ全曲録音を残さなかった2人の素晴らしいイゾルデが50年代にドイツで録音したものだという以外にもいくつかの共通点がある。

まずこれらのハイライト盤が当初から1枚のディスクとして企画されたものではなく、別々の機会に録音された音源を集めてあるという点が似ている。ヴァルナイ盤では1幕デュエットはワイケルトが指揮、2幕デュエットと愛の死はライトナーが指揮している。メードル盤は指揮者は3曲とも共通だが、愛の死は1952年に、1幕デュエットと2幕デュエットは1954年に収録されている。おそらくこれらの録音は30センチLPのための収録ではなく25センチEPのための収録だったのではないだろうか? 愛の死はおそらくトリスタンの前奏曲とのカップリングだったのではないかと推測される。

それにもかかわらず両盤の収録曲がほとんど同じなのも興味深い。1幕デュエットはメードル盤の方が5分ほど長く収録しており、2幕デュエットはヴァルナイ盤の方が5分ほど長く収録しているが、全体としてはほとんど同じ部分を取り上げている。イゾルデ中心にハイライトを組めばだいたいこのあたりになるということかもしれない。

最後に、(これが一番重要なポイントだが)、トリスタンがヴィントガッセンである点も共通している。ヴィントガッセンがバイロイトでトリスタンを始めて歌ったのは1957年でニルソンとの共演だった。ヴィントガッセンは1952年に戦後バイロイト初のトリスタンを要請されていたが、当時はまだトリスタンを舞台で歌ったことがなく、時期尚早ということで断ったそうだ。それにも関わらず50年代の2大イゾルデであるヴァルナイやメードルの相手に選ばれているあたり、50年代のヴィントガッセンがいかに注目されていたが伺える。

しかしヴィントガッセンは50年代当初はヘンデンテノールとしてはリリックな声だと言われていたそうだ。ワーグナーにふさわしいスタイルを自力で獲得したという点で後年のコロに共通するものがありそうだ。ヴィントガッセンの録音はショルティ指揮やベーム指揮でのニルソンとの共演で正規録音、ライブ録音ともに非常にたくさんある。このためヴィントガッセンの歌のありがたさを感じにくくなってしまうが、ヴィントガッセンからトーマス、そしてコロに続く戦後の新しいジークフリート像を作った先駆けだ。

この2枚のハイライトはどちらも音質が良く(ヴァルナイ盤の2幕デュエットと愛の死はステレオ)楽しめるが、ヴィントガッセンとの共演で全曲を聴いてみたかったものだ。ヴィントガッセンはバイロイトの1962年の第二チクルスでメードルと、1963年にはヴァルナイと1度ずつ共演しているので録音は残っていないものだろうか?

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 ラモン・ヴィナイ(トリスタン)
 アストリッド・ヴァルナイ(イゾルデ)
 イーラ・マラニウク(ブランゲーネ)
 グスタフ・ナイトリンガー(クルヴェナール)
 ルートヴィヒ・ヴェーバー(マルケ王)、他
 バイロイト祝祭管弦楽&合唱団
 オイゲン・ヨッフム(指揮)
 録音時期:1953年
 録音場所:バイロイト祝祭劇場
 録音方式:モノラル(ライヴ)

アストリッド・ヴァルナイ(イゾルデ)
セット・スヴァンホルム(トリスタン)
ジェローム・ハインズ(マルケ王)
ヨゼフ・メッテルニヒ(クルヴェナール)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
ルドルフ・ケンペ(指揮)
録音:1955年3月19日 メトロポリタン歌劇場

FMやテレビで放送された音源を著作権者の許可を得ずに商品化した、いわゆる「海賊盤」はLP時代から存在していて、メジャーレーベルの名曲名演を表の名盤とすれば裏名盤とも呼べるほど愛好された演奏も少なくない。例えばザルツブルグ音楽祭の音源では54年のベームのアリアドネや57年のミトロプーロスのエレクトラ、59年のセルの魔笛、62年のカラヤンのトロバトーレなどが、バイロイト音楽祭の音源では50年代のクナッパーツブッシュやカイルベルトの指輪、52年のカラヤンのトリスタン、あるいは55年のクナッパーツブッシュのオランダ人などがその類のものだった。その多くはその後オルフェオやテスタメント、時にはDGやソニーのようなメジャーレーベルによって正規に復刻されて表の名盤として楽しめるようになった。おかげでヴァルナイやメードルのブリュンヒルデやメードルのイゾルデをまずまずの音質で聴くことができるようになった。

しかしヴァルナイがイゾルデを歌った1953年のバイロイトのトリスタンだけは、どういう事情からか各社の復刻リストから漏れており、いまだに裏名盤街道をばく進中だ(笑)。私の記憶ではこの演奏は80年代にすでにCD化されていたので20年以上も現役を続けている海賊盤だ。前年トリスタンを振ったカラヤンがバイロイトと決別したためヨッフムに指揮が回ってきたものだが、ヴァルナイのイゾルデともども前年の演奏に勝るとも劣らない演奏だと思う。私にはニルソンのイゾルデはどうも単調に聞こえてしまって、ヴァルナイとメードルが理想のイゾルデだ。

ヨッフムもところどころ思い切ったテンポの動かし方をしていて勢いを感じさせる演奏だ。ヨッフムは翌54年にはローエングリンも振っている(これも裏名盤歴の長い演奏)ほか、70年代にはブーレーズの後にパルジファルも指揮した実力者である。その割に、ワーグナー全曲の正規録音は1952年にDGに録音したローエングリンと1976年に同じくDGに録音したマイスタージンガーぐらいしか残っていないようだ。今回のアンドロメダ盤のCDは3枚に詰め込んだこともあって値段がかなり安くなったが(2000円前後)、1幕のフィナーレ直前で唐突に切れて2枚目に移るのでちょっとびっくりする。音質はこの手のものとしては上等なもので鑑賞に不自由はしない。特に声はよく入っている。ワーグナー好きなら聞いておいて損はないと思う。2枚の写真はこの53年のイゾルデだそうだ。

ヴァルナイのイゾルデには1955年のメットでのライブ音源もある。これは比較的最近の2005年になってこのワルハラ盤で初めてCD化されたようだ。1953年のバイロイト盤と比べて音のレンジが狭くAM放送を聞いているような感じだがそれなりに安定はしている。これもヴァルナイのイゾルデはなかなか圧倒的だ。こちらはスヴァンホルムがトリスタンを歌っている。バイロイト盤のヴィナイのバリトンのような声のトリスタンに違和感を感じる向きにはこちらの方がいいかもしれない。

ただし、2幕と3幕の演奏に一部カットがあったようで(あるいは録音が一部欠落していたのかも?)、2幕も3幕もたったの55分で終わってしまう。HMVのサイトがこの件にまったく触れていないのはちょっと不親切。ヴァルナイのイゾルデとしては一般的にはバイロイト盤の方が良いと思うがバイロイト盤を聞いて面白いと思った方はぜひこちらも聴いてみて欲しい。

余談だが、オテロ歌いとして名高くトスカニーニとの録音もあるヴィナイは60年代にはバリトンとしてイアーゴを歌っておりデル・モナコとダラスで共演したライブ録音があるようだ。ヴァルナイやリザネクのようにソプラノが後年メゾに転向する例は多いが、テノールがバリトンに転向する例はそれほど多くないと思う。最近ドミンゴがバリトンとしてシモン・ボッカネグラを歌ったそうなのでどんな演奏だったのか聞いてみたい。

 ヴァルナイのバイロイトの出演記録は下記アドレスを参照。
http://www.bayreuther-festspiele.de/fsdb_en/personen/381/index.htm

ヴァルナイのプロフィールも引用しておこう(HMVサイトより)

【プロフィール】
アストリッド・ヴァルナイは、1918年4月25日、ドイツ系フランス系ハンガリー人のコロラトゥーラ・ソプラノ歌手、マリア・ヤヴォール・ヴァルナイを母に、ハンガリー系オーストリア人テノール歌手で後にストックホルムとオスロの歌劇場で舞台監督を務めたアレクサンダー・ヴァルナイを父にスウェーデンのストックホルムに生まれますが、1920年、ヴァルナイが2歳の時に一家は、ノルウェーのオスロに移り、その後、アルゼンチンを経てアメリカに移住。彼女は最初ピアノを学びますが、ほどなく母親から声楽を学ぶようになり、やがてメトロポリタン・オペラの指揮者で声楽コーチでもあったヘルマン・ヴァイゲルト[1890-1955]に師事することになります(同氏とは1944年に結婚)。
 プロとしてのデビューは伝説的なものでした。1941年12月6日のメトロポリタン歌劇場、ラインスドルフ指揮する『ワルキューレ』のジークリンデ役に出演が予定されていたロッテ・レーマン[1888-1976]の急病による代役出演というもので、準備万端だった彼女は素晴らしい熱唱で応え、ラジオでの中継も加わって一夜にしてその名を知られることとなります。幸い、デビュー公演は中継録音が残されており、古い音の中からも彼女の抜群の表現力を聴きとることが可能です。なお、前年のレーマンのジークリンデはこちらで聴けます。
 さらにプロとしての2度目の公演もセンセーショナルなものでした。今度は同じ『ワルキューレ』のブリュンヒルデ役に出演のはずだったヘレン・トラウベル[1899-1972]の急病による代役出演でこれも成功を収めています。
 以後のヴァルナイはワーグナーを中心にメトで数多くの公演に参加、1955年に最愛の夫を亡くし、ルドルフ・ビングと決裂するまでのあいだ、200回に及ぶステージを務めます。そのエネルギーは海外にも向けられ、1948年にはヨーロッパを訪れ、コヴェントガーデンとフィレンツェ五月祭にデビュー、1951年にはバイロイト音楽祭に初登場。特にバイロイトの公演は大成功を収め、以後、1968年までの間に240回に及ぶ公演でその実力を証明し続けることとなるのは有名な話。以後の彼女はウィーン国立歌劇場やミラノ・スカラ座など世界各地の劇場に出演して高い評価を獲得してゆきます。
 バイロイトでのヴァルナイは、ニルソンと並んでまさにワーグナー・ソプラノの最高峰でした。ヴァルナイの歌には、深く底光りするような独特の美しさを放つ声質に加え、あたりをはらう威厳から繊細なしなやかさ、濃厚な情念にいたるまで圧倒的な表現力が備わっており、オペラの進行とともにドラマを生き抜く実在感のすごさはニルソン以上と考えられます。
 そんなヴァルナイは、夫のヴァイゲルトが亡くなった1955年以降、50年以上に渡ってミュンヘンに居住していたこともあって、オペラ・ファンにはアメリカの歌手というよりはドイツの歌手といったイメージのほうが強いものと思われます。なお、メトに里帰りしたのは1974年の『イェヌーファ』で、最後の出演は、1979年のクルト・ワイル『マハゴニーの興亡』というものでした。
 1960年代に入るとヴァルナイは声の変化からドラマティック・アルトに転向、性格的な役柄に挑戦してその道でも成功を収めていますが、その様子がよくわかるのが何といってもカール・ベーム指揮する『エレクトラ』のDVDでしょう。ここでのクリテムネストラ役はまさに「怪演」であり、ドラマティック・ソプラノのヒロイン役からの鮮やかな変身ぶりにその劇場的才能の豊かさを実感させてくれます。ちなみに、最後のステージは、1995年、77歳の時だったということです。2006年9月4日、ミュンヘンの病院で永眠。

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 マルタ・メードル(S)・・・・・ブリュンヒルデ
 ハンス・ホッター(Br)・・・・グンター
 ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)・・・ジークフリート
 ヨーゼフ・グラインドル(Bs)・・・・ハーゲン
 グスタフ・ナイトリンガー(Bs)・・・・・アルベリヒ、他
 バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団
 ヨーゼフ・カイルベルト(指揮)
 録音時期:1955年8月14日(ステレオ)
 録音場所:バイロイト祝祭劇場(ライヴ)
 (第二チクルス)

待望のメードルの神々の黄昏だ。メードルの黄昏はフルトヴェングラーが1953年にイタリアで演奏した放送用ライブがEMIから70年代にLP化されていた。しかしその演奏は当時すでにオリジナルのラッカー盤は失われていて記録用にコピーして保存してあったテープからLPを起こしたと解説書に書いてあったと記憶している。当然音は悪かった。

このテスタメント盤の登場で50年代のライブ録音としては優秀な音で全盛期のメードルを聞けるのは大変喜ばしい。ヴァルナイのブリュンヒルデも含めてなぜこのような演奏が半世紀以上もの間埋もれていたのだろうか? ブリュンヒルデと言えばニルソン一辺倒になってしまったのはいつ頃からなのだろう?

私はその鍵を握っていたのは実はカラヤンだったのではないかと思っている。バイロイトと決別したカラヤンがウイーンやスカラでワーグナーを熱心に演奏したのは当然だが、ウイーンの音楽監督に就任した56/57シーズンに戦後のウイーン初のワルキューレを自らの演出で上演し(57年4月)大成功を収めたと伝えられる。

そこでブリュンヒルデを歌ったのはニルソンだ。(53年の第九を除けば)ニルソンのバイロイトデビューはそのあとの57年夏のイゾルデとジークリンデであり、バイロイトのブリュンヒルデは1960年になってからのことだ(ヴァルナイとのダブル)。カラヤンはバイロイトでヴァルナイやメードルと共演しておりウイーンでも使う気になれば使えたはずだ。ブリュンヒルデにヴァルナイとメードルを擁するバイロイトにカラヤンが対抗するための秘密兵器がニルソンのブリュンヒルデだったのではないだろうか?

カラヤンとニルソンは50年代〜60年代にかけてウイーン、スカラ、メットで頻繁に共演している。カラヤンは特に60年〜63年にかけてウイーンで5回も指輪チクルスを上演しバイロイトへの対抗意識をむき出しにしているが、ブリュンヒルデはいずれもニルソンだ。ウイーンとスカラのイゾルデもニルソンだ。夏のザルツブルグ音楽祭は基本的にワーグナーを演奏しないこともあって60年以降はウイーンとバイロイトが取り合うようにニルソンを起用した。この時期カラヤンはウイーンではデッカに録音していたが、デッカはワーグナーをショルティと録音すると決めていたためショルティまでもがそれに便乗する形になった。

結局カラヤンもベームもショルティもブリュンヒルデにニルソンを起用したため、ニルソンこそ今世紀最高のブリュンヒルデという偶像化がここで行われてしまったのではないだろうか? 1960年の映画「ばらの騎士」にデラ・カーザに代わってシュヴァルツコプフが出演した(悪く言えば乗っ取った)ことで「シュヴァルツコプフこそ最高のマルシャリン」という評価が定着したのと似て(これほど露骨ではないにしても)、これはある種の歴史の書き換えだったのではないだろうか?

私はニルソンもヴァルナイもメードルも生で聞いていないので(ソプラノ時代のヴァルナイやメードルを聞いている日本人はほとんどいないだろう)正確な評価はできないが、少なくとも録音で聴く限りヴァルナイとメードルのブリュンヒルデはニルソンと同じくらい素晴らしいと思う。もしカラヤンがウイーンでヴァルナイかメードルをブリュンヒルデに起用していたら歴史は変わっていただろう。

その後ニルソンはショルティと指輪を録音してしまいカラヤン自身もウイーンを追われたため、カラヤンはバイロイトとかち合わない復活祭の時期にワーグナーのための音楽祭をザルツブルグで立ち上げ新しいブリュンヒルデを探すことになった。ニルソンとカラヤンの正式録音は一つもない。

日本書紀のような正史が時の権力者に都合が良いように書き換えられているのと似て、現時点で一般に流布されている情報、認識されている評価が必ずしも実態を反映しているとは限らない。この録音は権力者によって封印されていた古文書を読み解くようなスリルを与えてくれる。

解説には亡くなる前のメードルにこの録音を聞きながらインタビューした内容の一部が載っている。このCDがメードルの生前に発売されなかったのは大変残念だ。第二チクルスのジークフリートもぜひCD化してほしい。

なお写真はこの演奏と同じ1955年のスカラ座でのブリュンヒルデとのこと。槍を持っているので多分ワルキューレだろう。カラヤンがスカラでワルキューレを振るのは58年のこと(ブリュンヒルデはニルソン)なので55年は誰の指揮だろうか?

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・ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』全曲
(第二チクルス)
 マルタ・メードル(S)・・・・・ブリュンヒルデ
 アストリッド・ヴァルナイ(S)・・・・・ジークリンデ
 ハンス・ホッター(Br)・・・・ヴォータン
 ラモン・ヴィナイ(T)・・・ジークムント
 ヨーゼフ・グラインドル(Bs)・・・・フンディング
 ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィチ(A)・・・・フリッカ、他

(第一チクルス)
 ジークムント:ラモン・ヴィナイ
 ジークリンデ:グレ・ブロウェンスティーン
 ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ
 フンディング:ヨーゼフ・グラインドル
 ヴォータン:ハンス・ホッター
 フリッカ:ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィッツ他

 バイロイト祝祭管弦楽団
 ヨゼフ・カイルベルト(指揮)
 録音:1955年8月 バイロイト祝祭劇場[ステレオ]

しばらく前から評判のカイルベルトが指揮した世界初のステレオ録音による指輪だが、私が本当に楽しみにしていたのはメードルがブリュンヒルデを歌ってヴァルナイがジークリンデを歌ったこの第二チクルスの方だ。1950年代のバイロイトは毎年指輪を2チクルスしか上演しなかった。1951年と1952年は2回ともヴァルナイが歌ったが1953年から1958年までの間、第1チクルスのブリュンヒルデはヴァルナイ、第2チクルスはメードルが歌った。

ヴァルナイもメードルはこの時期ジークリンデも歌っていた。特にヴァルナイにとってジークリンデはオペラデビューとなった役である。このため1954年の公演では第一チクルスでメードルがジークリンデを、第二チクルスでヴァルナイがジークリンデを歌いブリュンヒルデと入れ替わりにするキャスティングも実現した。しかし1953年はレズニック、1956年はブロウェンスティーン、1957年はニルソン、1958年はリザネクと、ジークリンデは別の歌手に2回とも歌わせていた年が多い。

この録音が行われた1955年も第一チクルスではブロウェンスティーンがジークリンデを歌っているのだが、どういう事情からか第二チクルスでは前年同様にヴァルナイがジークリンデに回るというキャスティングが実現し、メードル、ヴァルナイ、ホッターの3人が揃いぶみが録音されることになった。私が持っている「新バイロイト(冨山房)」という本ではブロウヴェスティンが2回とも歌ったことになっているので何らかの事情でヴァルナイに替わったのではないだろうか? 稀代のワーグナー歌手3人が揃ったこの第二チクルスの録音が商品化されたことはワーグナーファンにとって大変喜ばしいことだろう。

音が良いと宣伝されたこのシリーズだが、決して最新録音のようにはいかない。第一チクルスのワルキューレ第三幕のように音揺れが全くないという訳ではないし、ステレオの音場感もやや広がりを欠く。この録音は名プロデューサーだったヴィクター・オロフの助手だったピーター・アンドリーが行ったものだが、この録音のすぐ後の1955年11月にオロフとアンドリーがウイーンで行った「影のない女」の世界初録音ほどの水準には達していない。もしオロフが録音していればさらにすばらしい録音になったはずだがオロフはアンドリーやカルショーほどにはワーグナーに関心を示さず、もっぱらR.シュトラウスとモーツァルトの録音に功績を残した。

それでも音そのもの、特に舞台上の声は思いのほか良く録れている。テープの保存状態も良かったようだ。発売が見送られたためマスターテープが繰り返し再生されることなく倉庫に眠っていたことも経年劣化が少ない理由として挙げられそうだ。第一チクルスも第二チクルスもそれぞれ1発ライブだったにも関わらず演奏、録音ともにこれだけの品質を保てたことは称賛に値するだろう。同時期のEMIの録音や放送局の録音の品質を大きく引き離している。

とりわけヴァルナイとメードルのソプラノ時代の記録としてはこれまで発売されたどのCDよりも音の状態が良い。メードルはフルトヴェングラーに認められフィデリオやワルキューレでは正規録音があるにはあってカラヤンとのトリスタンとイゾルデなどの放送録音も一部商品化されている。フルトヴェングラーのイタリアでの指輪(放送用ライブ)にも参加していたが、いずれもモノラルで音は決して良いとは言えない。音が悪いとメードルの声は高い音がちょっと吠えているように聞こえてしまう傾向が少しあるので第二チクルスの指輪の発売は本当に楽しみにしていた。

なお余談だが、1幕幕切れでジークムントとジークリンデが倒れこむズドンという音はここでも聞こえるようだ。でもベーム盤のキングとリザネックほど大きな音では入っていないので注意して聞かないと分からない。

第二チクルスの神々の黄昏も発売されたがジークフリートは発売されないそうで大変残念だ。録音か演奏
に何か問題でもあったのだろうか? 第一チクルスの録音を使って修正してでも発売してほしいものだ。実際第一チクルスの神々の黄昏は一部で第二チクルスの録音を使って修正されているそうで、本当はウーデがグンターを歌っているところをホッターが歌っている箇所があるそうだ。

ホッターは有名なショルティ盤にも参加しているが、60年代にはだいぶ声が衰えてしまっていたので全盛期の50年代の録音がこのように良い音で聴けるのはたいへんうれしいことだ。ホッターの声はもともと老け声だったようで(失礼!)、晩年のショルティ盤やモノラルのクナッパーツブッシュ盤では正直どこが良いのか良くわからなかった。今回のカイルベルト盤を聞いて初めて「なるほど」と私は思った。

実はこのカイルベルトの指輪は私がHMVのコメントなどに発売希望を一所懸命書き込んでいたものだ(笑)。テスタメントはいい仕事をしてくれた。ただメードルは2001年に、ヴァルナイも2006年に、この録音を聞かずに亡くなってしまっている。もう少し早ければ....

ドイツ語だがメードルとベーレンスが対談している2001年の映像をユーチューブで見つけた。亡くなる直前の映像ということになりそうだ。
http://www.youtube.com/watch?v=4WGPXbEERWY&feature=related

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