こだわりクラシック Since 2007

12月までに移行します。コメントも手作業でコピーする予定です。

ショパン

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

ショパン:
・ワルツ集[第1番−第14番](*)/前奏曲集Op.28より[第1番−第15番](#)
 録音:1962年10月、ジュネーヴ(*)/1960年、ジュネーヴ(#)

・前奏曲嬰ハ短調Op.45、24の前奏曲Op.28
 1972年7月6日ステレオ、ロンドン
http://ml.naxos.jp/album/BBCL4138-2

ヴラド・ペルルミュテール(P)

 コルトーとロンが率いる戦前のパリ音楽院のピアノ科はペルルミュテール、フランソワ、ハイドシェックといった数多くの名ピアニストを輩出した。パリ音楽院には入学していないようだが、他にリパッティやミケランジェリ、1974年に交通事故で夭逝したイタリアのチアーニらもコルトーに師事している。しかし彼らの音楽性はそれぞれ相当に異なる。ミケランジェリの精妙な音楽はコルトー自身の音楽とはかなり方向性が違うし、コルトーは確かにロマンティックでファンタスティックな演奏家ではあったが、かといってフランソワやハイドシェックほど自由奔放という訳ではない。

 共通するのは鍵盤を叩くノイズ(上部雑音と言うそうだ)を出さない絶妙な鍵盤コントロールぐらいだろうか。現代の音楽教育と違ってコルトーはそれぞれの個性を大事にしたのだ。私は全員好きなので多様な個性を育ててくれたコルトーに感謝したい。コルトー自身の、良い意味で19世紀的で、しかし控えめに節度を持ったロマンティシズムに一番近い音楽性を持っているのはペルルミュテールなのではないかと私は思っている。「コルトーは好きだがフランソワやハイドシェックは癖が強くて」、と思っている方も実は少なくないのではないかと思うが、そういう方もペルルミュテールの演奏には感動するのではないだろうか。

 ペルルミュテールがコンサートホールレーベルに1962年に録音したショパンのワルツは、いつどこで入手したか記憶にないぐらいずっと前から私の手元にある。確か学生の頃に駅売りか何かで偶然見かけて入手したのだと思う。私がペルルミュテールのディスクを聴くのは初めてだったが、当時評判の高かったルービンシュタインのステレオ再録音よりもこっちの方がずっと良いと思った。ワルツを一枚だけどれかと言われれば私はこの演奏か、以前紹介したブライロフスキーのステレオ新盤を選ぶだろう。伸びやかで健康的に生き生きしたルービンシュタインのモノラル旧盤や、粋なフランソワのモノラル旧盤も素晴らしいが。

 この演奏は、ひょっとしてコルトー同様にプレイエルを弾いているのではないかと思うくらい素朴なシンプルな音楽だ。そこから出てくる薫り高い音色は私を惹きつけて放さない。イワン・ジョーンズの復刻によるスカンジナビアン盤はまだ入手可能なようなのでぜひ多くの人に聞いて欲しい。リパッティ盤に似て14曲を独自の配列に並び替えて演奏している(順番は5、7、8、1、9、4、3、14、10、11、13、12、6、2でリパッティとは異なる)。コルトーが練習曲集の順番を変更して演奏したのはちょっとやり過ぎだと思うが、ワルツに関しては演奏家の解釈で並べ直すのは良いことだと思う。ショパンのワルツ集は前奏曲集や練習曲集のようにまとめて作曲された作品ではないので、通常の演奏のように出版順に演奏すると一番の大曲が冒頭にきて遺作はおまけのようになってしまうからだ。他にピリシュがリパッティの順番で演奏していた例がある。

 ワルツの余白に24の前奏曲から15曲だけが収録されていて、私はこれが全曲CD化されるのを首を長くして待っているのだが、スカンジナビアン盤も15番までしか入っていないのでびっくりした。16番〜24番の録音はどこへ行ってしまったのだろう? まさか原盤紛失などの事故ではないか心配だ。

 90年代まで演奏活動を行ったペルルミュテールは、24の前奏曲を81年にニンバスに再録音しているのだが、残念ながらタッチが弱くなってしまっていて良い演奏とは言えない。ニンバスには同時期に計6枚のショパンを録音しており、ピアノソナタなども聴いてみたが感動できなかった。ペルルミュテールは70年代前半までの演奏が良いと思う。そこへ幸いなことにBBCが72年の前奏曲集をCD化してくれた。ニンバス盤とBBC盤はナクソス・ミュージック・ライブラリーでも聞くことができる。
http://ml.naxos.jp/artist/43934

 それでも1960年盤の前奏曲集を全曲CD化してほしいものだ。ペルルミュテールの60年代のショパンはワルツと前奏曲と、もう一枚ショパン作品集(幻想曲、タランテラ、スケルツォ第2番、舟歌、子守歌、「革命」練習曲、バラード第2番)があって、これはフランスではACCディスク大賞を受賞した名盤なのだが、これもどういう訳かCD化されていない。何とか聞いてみたいものだ。

 ペルルミュテールが2002年に亡くなった際や、2004年の生誕100年の際は特に話題になった記憶がない。没後10年の今年、その演奏にもう一度注目してほしい。

イメージ 1

イメージ 2

この映像は先日のDGのCDからさかのぼること9年の1962年にRAIのために収録したものだ。ショパンはだいぶ以前に輸入ビデオで出た頃から持っていた映像だ。モノクロの画質はDVD化に際してリマスタリングしたようでそこそこ鮮明になった。音質はそれなりだが安定はしている。ドビュッシーの映像1集と2集、子供の領分は完全にCDとかぶっており、ショパンもかぶっている曲が多い。これがこの時期のミケランジェリの主要なプログラムだったことがうかがえる(だからDGは勝手にカプリングを変更してはいけないのだ)。

演奏スタイルもCDと大きくは違わないが、アンダンテスピアナートと華麗なポロネーズやバラードでは意外に遅目のテンポを採りより瞑想的な雰囲気が色濃いのが興味深かった。一方で、フォルテはより力強く、後年のストイックな演奏よりは全体にややドラマティックな印象を受ける。それから後年のミケランジェリはショパンのワルツはたまにしか弾かなかったが、ここでは3曲をまとめて弾いているのが珍しい。これも意外にテンポや音色が変化するロマンティックな表現になっているのが興味深い。

注目されるソフトペダルだが、足が映っている映像ばかりではなく、映っていても踏んでいるかどうかは微妙なので判別は容易ではない。しかし2番のソナタやバラードのフォルテなどで左足を明らかにペダルから外しているところも写っているので少なくとも踏みっぱなしでないことは間違いない。音色からみても「艶消し前」のミケランジェリと言って間違いないだろう。

カメラワークはシンプルで(HMVサイトの解説によると本人の希望だったそうだ)顔だけのアップなどは出てこない。切り替えも少なく落ち着いて見られる。好事家向けのアイテムかもしれないが、この時期のベストフォームのミケランジェリの映像がこうして残されたことは喜ばしいことだ。

録音嫌いだったミケランジェリだが、なぜかいくつかの映像を残している。この辺りは盟友のチェリビダッケとも似ている。どういう理由だったのか知りたいところだ。ジュリーニとのベートーベンのテレビ放送などまだDVD化されていない映像もまだまだあるはずだ。

イメージ 1

イメージ 2

ドビュッシー
・映像第1集(1971年ステレオ)
・映像第2集(1971年ステレオ)
・子供の領分(1971年ステレオ)


ショパン:
・マズルカ
 第43番ト短調Op.67-2
 第34番ハ長調Op.56-2
 第45番イ短調Op.67-4
 第47番イ短調Op.68-2
 第46番ハ長調Op.68-1
 第22番嬰ト短調Op.33-1
 第20番変ニ長調Op.30-3
 第19番ロ短調Op.30-2
 第25番ロ短調Op.33-4
 第49番ヘ短調Op.68-4
・前奏曲第25番嬰ハ短調 Op.45
・バラード 第1番ト短調Op.23
・スケルツォ第2番変ロ長調Op.31
 録音:1971年10月13-18日、ミュンヘン(ステレオ)

 アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)

後期のミケランジェリは艶消しのような渋い微妙な音色変化を好んだ。フォルテでもソフトペダルを踏んでいたという証言もあるようだ。ソフトペダルの踏みすぎでハンマーが平らに(均質に)硬くなったため音色変化が微妙になったという説もあるらしい。

ひょっとしたらこれはある程度事実なのかもしれない。ソフトペダルはハンマーの位置を横にずらして普段は弦に当たっていない場所を当てることで音を柔らかくするものである。普段から頻繁にソフトペダルを踏んでいれば、踏まない状態でハンマーが当たる場所と踏んだ状態で当たる場所の硬さの違いが少なくなる。その結果、音色の変化が微妙になるということは十分考えられる。

ただ、ミケランジェリのように耳の良い人がそのような変化に気付かない訳がない。そもそも、彼らのようなプロはハンマーの摩耗状態が鍵盤ごとにばらつかないように点検して交換しているはずだ。ハンマーの劣化でそういう状態になった訳ではなく、敢えてそういう微妙な音色変化を表現するようなコンディションにピアノを調整したと考えるべきだろう。

1980年の来日ではわざわざ輸入させた自分の2台のピアノのコンディションに満足できず、代替ピアノによる1公演だけで帰ってしまったそうだが、ピアノの調整の仕方自体が70年代後半を境に変わったような気がする。1965年や1973年、74年の公演を聞いた人が1980年の公演を聞いたら恐らくその音色の変化に驚いたのではないだろうか。

この変化がミケランジェリのどういう心境の変化によるものなのか、あるいは右腕の古傷(彼は大戦中に反ファシズムのレジスタンス活動家をしていて右手を負傷したらしい)の悪化と関係があるのか、ないのか、彼は自分について語らなかったので良く分からない。

それでもミケランジェリを一度聞いていおくべきだった。1992年の来日公演を聞き逃したことが悔やまれる。何はともあれ一度生で聞かないと、この謎めいた音楽家が何を求めていたのかは分からないと思う。ディスクから分かることは彼が70年代前半ぐらいまでとは違う音色を好むようになったということだけだ。

そういう点で1971年にDGが録音したこの2枚のアルバムと、先日取り上げた1973年の来日公演時の2種類のアルバムは「艶消し前」のミケランジェリを良好な音質で収めた貴重な音源である。71年の「映像」と「子供の領分」がリマスター時に後年録音した前奏曲集の余白に追いやられてしまったのは大変残念だ。後年の録音とは性格の違う音だからだ。このカプリングでなければだめなのだ。

下記サイトにあるHMVのレビューを見たところ、この「映像」と「子供の領分」を後年の前奏曲集よりも高く評価している人は私以外にもたくさんいるようだ。DGはオリジナルのままでリマスターしてほしいものだ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/139934

イメージ 1

曲目の詳細は下記サイトを参照
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3944147

このセットはポーランド国立ショパン協会が制作を進めているプレイエルやエラールといった19世紀のピリオド楽器を用いたショパンの演奏を集めたものだ。ピリオド楽器によるショパンは最近ちょっとしたブームになっていて、日本でも仲道郁代さんなどが演奏しているのをお聞きになられた方も少なくないだろう。

バロック時代の作品でもそうだが、別に何が何でもピリオド楽器による演奏が素晴らしいというつもりはない。だが、当時の楽器でどのような響きがするのかを知ることは作曲家がどのような表現を意図していたかを知る上で必要なことだと思う。

例えば、ツィメルマンというピアニスト(私は決して嫌いではない)が、ベートーベンの悲愴ソナタの最初の和音を通常の倍ぐらい(私の記憶では7〜8秒ぐらい)保った超スローテンポで演奏してびっくりしたことがある。ベートーベンの時代のフォルテピアノはすぐに音が減衰してしまうのでこんなに長い時間音を保つことは不可能だ。ここはバックハウスのように3秒程度でサクッと先に進むのが作曲者の意図だったことは間違いないだろう。

ショパンの場合も、例えば自筆譜では3小節に渡ってペダルを踏み続ける指定になっている場所も少なくないそうだ。こういう箇所は後年にパデレフスキなどが校訂した際に「響きが濁る」などの理由でペダルを踏み替える指定に直してしまった。

確かに、現代の楽器は当時と比べてはるかに響きが長いため、3小節も踏み続けると確かに音が濁りやすくはなるのは事実だろう。だがそこは演奏者が作曲家の意図を考慮した上でペダリングの深さをうまく調節して演奏すべきであり、校訂者が勝手にペダリングを書き換えるべきではない。校訂者が参考として書き添えるのであればあくまで参考と分かるように表記するべきだ。

つまりピリオド楽器の演奏は楽譜自体の校訂とも深く結びついている訳だが、このショパンのセットの演奏の多くはエキエル校訂による最新の校訂版「ナショナル・エディション」に基づいているようだ。私は不勉強にしてナショナル・エディションを持っていないので正確に確認できないのだが、24の前奏曲の9番のリズム処理などが従来と異なる。(追記:2番のソナタの提示部のリピートは残念ながら従来通り5小節目からになっているのでこの曲はナショナルエディションではない)

ただここで誤解して頂きたくないのはピリオド楽器の演奏は楽譜通りに正確に演奏されるべきだと私が言っている訳ではないということだ。バロック時代の楽器はシンプルな音しか出ないが、当時は装飾音やアドリブを演奏家が自由につけていたので演奏は保守的で地味なものというよりはむしろ前衛的なものだったはずだ。

ショパンの作品も当時の演奏の制約や作曲家のオリジナルの意図を理解した上で演奏家が自分のイマジネーションを広げていくことが必要だ。コルトーは自由な演奏をする演奏家として知られているが、先日紹介した映像でプレイエルを弾くコルトーは音質が貧しいことを差し引いても予想をはるかに上回ってしっくりくる。

画一的な演奏が多くなってしまった現在、ピリオド楽器による演奏は演奏家が改めて原点に立ち返ってイマジネーションを広げる格好の機会になるに違いない。

イメージ 1

ショパン:
・4つのバラード
・24の前奏曲 op.28
・前奏曲第25番ハ短調 op.45
 エリック・ハイドシェック(ピアノ)
 ステレオ録音:1972年、1976年(バラード)

ハイドシェックのショパンは以前取り上げた1999年のアルバムしかないのかと思っていたが、70年代にフランスのカシオペというマイナーレーベルに前奏曲集とバラードの2枚のLPを録音していて近年になって1枚のCDにまとめられた(DDD表記は誤り)。

昨日50年代のルービンシュタインの端正で、ある意味孤独なショパンを聞いた耳には余りにも自由でロマンティックな演奏で、思わず私も「おっとっと」と思ってしまう。これはほろ酔い気分なのか、あるいは船酔いなのか微妙ととらえる向きもきっとあるだろう(笑)。口の悪い人は能天気と言うかもしれない。ペダリングがやや過剰なのも表現をややオーバーにしているかもしれない。

それでも私はこの演奏が好きだ。楽譜からこれだけのインスピレーションを得てイマジネーションを発散できるのは素晴らしいことではないだろうか。動物が「過去」や「未来」という概念を持っているのかどうか良く知らないが(動物は「現在」という概念しか持たないという学者もいるそうだ)、人間は夢を見るからこそ未来に向かって立ち向かっていけるのではないだろうか。

などと40になっても夢見がちな私は青臭いことを言ってしまうのだが(笑)、でも未来に夢や希望が持ちにくくなった21世紀は新しい文化や芸術が育ちにくくなるのは間違いないと断言できる。音大の講師にこういう演奏を聞かせたらきっとしかめっ面をするのだろう。だがしかし日本の音楽教育は技術的には大変優れているにも関わらずショパンコンクールの上位入賞者を長いこと出していない。音楽には技術も必要だが結局はハートなのだ。

ハイドシェックはなぜか日本ではモーツァルトやベートーベン弾きとして認識されているが、私はショパンやドビュッシーの方が合っていると思う。カシオペにはドビュッシーも何枚か録音しているのでこれからゆっくり聞いてみよう。音質は十分良好だ。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
検索 検索
たか改め「みんなのまーちゃん」
たか改め「みんなのまーちゃん」
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

友だち(5)
  • 恵
  • noriko
  • ミキ
  • maskball2002
  • サヴァリッシュ
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事