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この曲は第四楽章のアダージェットが1971年のヴィスコンティ監督の映画「ヴェニスに死す」に使われて一躍有名になった。カラヤンが1973年に初めてマーラーを録音した際はこの楽章を12分かけて演奏している。これはアダージェット(やや遅く)としては遅めでむしろアダージョというべきテンポだが、70年代から80年代にかけてはバーンスタインやテンシュテットなども11分以上かけておりこのぐらいのテンポが普通だった。
・マーラー作曲交響曲第五番
ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団
1963年11月
11:32/12:59/17:23/8:30/14:05
実は「アダージェット」という書き込みはマーラーの自筆譜にはなく、アルマが清書した写筆譜になって初めて書き加えられたものだそうだ。Sehr langsam(非常に遅く)というテンポ指示は自筆譜の段階からあるので、こちらを重要視し「アダージェット」はテンポ指示ではなく「小さなアダージョ」という意味だと解釈すればこのような遅めのテンポもあながち間違いとは言えない。
しかし1992年にマーラーの自筆譜とアルマの写筆譜のファクシミリをキャプラン財団が出版した前後にこのアダージェットのテンポをめぐる論争が起きる。初演時に使用されたと思われるスコアには7分30秒という書き込みがあり、メンゲルベルクやワルターの録音でもこの楽章を7〜8分で演奏していることを理由にキャプランは「アダージェットはもっと速いテンポのはず」と主張した。このファクシミリにはキャプラン自身が8分で演奏したこの楽章のCDが添付されているそうだ。
アバドのようにキャプランの主張に素直に(?)従ってアダージェットのテンポを上げた指揮者もいる。アバドは1981年のシカゴ響との録音では12分かけていたが1993年のBPOとの再録では9分に速めている。ここで私が問題だと思うのはこの楽章のテンポだけを上げることが果たして適切なのかどうかという点だ。ワルターの1947年の演奏は全曲で61分という、現在の感覚からすればかなりなハイテンポだ。もしアダージェットのテンポを上げるならば他の楽章のテンポも上げなければ全曲に占めるアダージェットの比率が相対的に軽くなってしまう。
しかしアバドの再録音は他の楽章のテンポはそれほど変わっていない(全曲で約70分)。こういう部分採用的なアプローチはどうしてもその場の思いつき、あるいはその時のブームに流されているような感じがして好きではない。アバドの80年頃までのマーラーはとても良い印象を持っていただけになおさら、「あれっ? アバドはどうしちゃったのだろう?」と思ったものだ。
しかしマーラー研究家として知られるキャプランの影響は強かったようで90年代以降はアダージェットのみテンポを上げて、遅くても10分以内で演奏するのが普通になっている。例えばラトル/BPOの演奏も第一楽章は13分という従来型のテンポ設定にも関わらずアダージェットは9分半で全曲は69分となっている。
さて、ラインスドルフはマーラーの演奏に積極的で6番のステレオ初録音はラインスドルフ/ボストン響の1965年のものだ。この5番も1963年1月のバーンスタインの旧盤に次いで最も初期のステレオ録音だ。やや速めテンポで(しかしワルターほど極端ではなく)引き締まった演奏だ。冒頭のトランペットのビブラートがわずかに古風なのを除けば大変現代的な表現で録音も良く、この曲の良い演奏の一つだと思う。全曲で65分、アダージェットが8分半というのは大変バランスが良い。
私が思うに、最適なテンポはオケの規模や会場の響きでいくらでも変わるので、「この楽章は何分で演奏しなければいけない」という考え方は間違っているのではないだろうか。大雑把に言って戦前よりもオケの編成は大きくなり、ホールの残響は長くなる傾向にあるので昔よりテンポが全体的に遅くなるのは当然のことだ。
もしマーラーやブラームスやブルックナーが「必ずこのテンポで演奏してほしい」という発想を持っていたら楽譜にメトロノームの指定を残したはずだ。「指揮者はメトロノームにあらず」とは誰の言葉か知らないが、「ミスターメトロノーム」と言われたラインスドルフがこの曲が有名になるはるか前、アダージェット論争の起きる30年も前に最適解の一つを示していたのは注目に値する事実だと思う。ラインスドルフを再評価すべき時期が来たのかもしれない。
この曲を聴くときはぜひ全体のテンポ設定とアダージェットの演奏時間に注目してみてほしい。この演奏は現在は廃盤のようで残念だ。
(追記)
fulopによるマーラーのディスコグラフィーには楽章ごとの演奏時間が載っている。シェルヘンの52年の演奏ではアダージェットを9分で、ミトロプーロスの60年の演奏では11分で演奏しているようだ。70年代になって急にテンポが遅くなったという訳ではなさそうだ。
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