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12月までに移行します。コメントも手作業でコピーする予定です。

ベートーヴェン

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 ご無沙汰してしまって済みません。早いもので今年ももう一月半が経ってしまいました。東京はこの数年暖冬傾向が続いていたので今年の寒さは堪えます。頭までフリーズしてなかなか再起動できません(笑)。私は冬に長袖の下着を着る習慣はなかったのですが今年は流行の吸湿発熱素材のものを買いました。それでも足元から冷えるので靴の中にホッカイロまで入れています。日本海側や欧州は記録的な寒波だと伝えられているので、このくらいで根を上げていてはいけないのですが....


心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる
(マハトマ・ガンジー)


 ぜひこうありたい。でも習慣を変えるのはなかなか難しい。私も今年は英語に取り組むと正月に宣言したものの、7日坊主で中断したままだ。ジョギングも寒くて結局週末にしか走っていないので、去年とあまり変わっていない。何よりもこのブログの更新が滞っているということ自体、自分がいっぱいいっぱいで心の余裕がないことの証拠なのだ。これではいけないということで、今日は無理に詰め込もうと思っていた予定を2つキャンセルしてブログを書くことにした。


・交響曲第9番ニ短調作品125『合唱』(使用楽譜:ベーレンライター原典版)
 クリスティアーネ・エルツェ(ソプラノ)
 アネリー・ペーボ(メゾ・ソプラノ)
 サイモン・オニール(テノール)
 ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)
 
 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン
 ドイツ・カンマーコーア
 パーヴォ・ヤルヴィ(指揮)
 収録時期:2009年9月9日〜12日
 収録場所:ボン、ベート−ヴェンハレ(ライヴ)
http://www.youtube.com/watch?v=xbZjAxqHYSg


 助六さんが興味深い情報を寄せて下さった。本来ベルリン国立図書館が所蔵していた第九の自筆譜は第2次大戦中に3つに分けられて、ポーランドのポメラニアとクラクフ(krakow)、南独のシュヴァーベンにバラバラに疎開したそうだ。ポメラニア疎開分は戦後間もない1946年にベルリン(旧東ドイツ)に返還されたが、主要部分であるクラコフ疎開分がポーランド政府から旧東ドイツに返還されたのは1977年になってからだ。

 西ドイツになったシュヴァーベンに疎開していた分は1967年に西ベルリンに戻ったが、東西ベルリンで第九の自筆譜を分割して所蔵する状態が長く続いた。ベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一を経て92年に東西ベルリンの図書館が統合され、第九の自筆譜が再び1冊に戻ったのは終戦から50年以上も経った97年のことだそうだ。

 90年代後半になってようやくベーレンライターやブライトコプフから第九のクリティカルエディションが出版された背景には、そもそも自筆譜が1か所になかったという事情があったのだ。スウィトナーがギュルケ新校訂による5番を1981年に録音したので、ベートーヴェンの自筆譜のかなりは東ドイツ側にあるのだろうと漠然と思っていたが、第九の自筆譜が3分割の憂き目にあっていたとは知らなかった。かろうじて散逸を免れたのは本当に不幸中の幸いだ。

 クラクフには今でもモーツァルトのフィガロの3〜4幕など重要な自筆譜が疎開したままだという(ポーランドはなぜ返還しないのだろう? まさか戦利品?)。散逸したり破損してしまう前にデジタルアーカイブにして残しておいてほしいものだ。第九の自筆譜はベルリン図書館がネットで公開している。
http://beethoven.staatsbibliothek-berlin.de/digitale-abbildungen/1-satz/
 
 作曲家の自筆譜に関する情報をまとめたページを見つけたのでこれも紹介しておこう。
http://classicrec.samplitude.info/autograph.html

 ベーレンライター版の第九については時々参照させて頂いているヤマギシケンイチ氏のHPとジュラシックページに詳しいのでそちらもご覧頂きたい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/edition/index.htm
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/beeth.htm

 さて、この映像はブレーメンのドイツ・カンマーフィルハーモニーがベートーヴェンの生地であるボンで演奏したものだ。CDの全曲録音や日本などでの全曲演奏会の後の演奏だけに完成度の高いライブだ。以前紹介した5番同様、ピリオド・アプローチのモダン楽器による演奏(映像を見るとトランペットなどはバルブなしの古楽器を使っているようだ)として納得がいくスリリングで気持ち良い演奏だ。もちろん楽譜は新校訂版で、第三楽章のファンファーレはスタッカート、第四楽章のファゴットは第二ファゴットも吹いている。

 フルトヴェングラーは第四楽章のvor Gottの後で長い全休符を挿入しているが、クレンペラーがこれに反論して休符なしで即座にマーチに入っていることは以前も書いた。ヤルヴィもクレンペラー同様に間髪入れずマーチに入っている。ここは指揮者としては酔える瞬間であり、それに浸りたい聞き手も多分いるだろうが、クレンペラーやヤルヴィの演奏が楽譜通りだ。私はこれでいいと思う。

 フィナーレ直前のマエストーソは残念ながら3つ振りではなく倍伸ばし(8分音符を1つに振る)の6つ振りのようだ。声楽陣(特にテノール)にも若干の不満がある。かといって今誰が歌ったとしてクメントやコロのように歌える訳でもないだろう。ほぼ現時点で私がモダンオケの第九に期待する通りの演奏だと言ってよいだろう(未聴だがCDはテノールがフォークトでバリトンがゲルネなので声楽陣はDVDよりもCDの方が良いかもしれない)。

 何よりも私がヤルヴィを評価しているのは無駄な動きがないことだ。アバドあたりの世代以降の多くの指揮者に見られる特徴に肩の左右の動きや首の相づち(?)が無駄に多いことが挙げられるのではないかと私は思っている。昔の指揮者はこのような動きはほとんどしなかった。上半身が左右や上下に無意味にフラフラする指揮は私には落ち着きがないように見えてしまう。

 相づちもたまになら問題ないが、絶えず相づちを打って奏者との間合いを計りながら指揮するような振り方だと、まるで協奏曲の伴奏指揮者がソリストに合わせるかのような気のつかい方(悪く言えば遠慮した指揮)に見えてしまう。ズバっと切り込むのではなく相手の出方を手さぐりで探るような感じで、私は「この指揮者はオケを自分の棒について来させる自信がないのだろうか」などと思ってしまう。

 クライバーの指揮を見て分かるように、本当に俊敏かつ即興的で、時に激しい演奏をするにはオケを棒に強く集中させる必要がある。そのためには無駄な動きはない方がいいのは当然だ。指揮者は仁王立ちになってオケと対峙してほしいものだ。ヤルヴィは期待できるかもしれない。彼はこのところ毎年来日していて今年の6月にはフランクフルトのオケと来るようだ。

 この映像は以前クラシカジャパンが全集を全曲放送したので撮っておけば良かった。みすみす逃してしまったのが残念だ。限定盤で4枚組DVDが5000円ぐらいで売られていたこともあったようだがそれも後から知った。映像によるベートーヴェンの交響曲全集は70年代のカラヤン、バーンスタインから、朝比奈、ギーレン、アバド、ティーレマン、先日亡くなったボッセ、テレビで放送されたヘレヴェッヘまで各種存在するが、演奏と画質・音質を両方考慮すればこれが最良のセットではないだろうか。

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 元旦が日曜だったので今年は短い正月でした。

 BS民放でジャーナリストの池上彰氏が大学で行った現代史の講演を放送していた。長い番組で少々疲れたが、それでも結構面白かったので3日間ほとんど全部聞いてしまった。これから世界に通用する人材を育てるにはこういう現代史、特に戦後の世界史を学ぶことはとても重要だと思う。
http://www.bs-j.co.jp/gendaishi/

 日本の学校教育では現代史をあまり扱わない。恐らく共産政権をどう評価するかなど、政治や外交あるいは思想がからむ問題が多いからだろう。おまけに私の高校では日本史と世界史はどちらか選択だったので私は世界史を習っていない。正確に言うと両方取ることは可能だったが、授業数が増えて負担になるので受験に関係ない科目は削らざるを得なかったのだ。
 グローバル化の時代だ。日本史と世界史という分け方はもはや時代遅れなのではないだろうか。世界の中での日本について考えることが必要だ。ぜひ教育改革に取り組んでほしい。


・ベートーヴェン作曲交響曲第5番「運命」
・シューベルト作曲交響曲第8(7)番「未完成」
ストコフスキー指揮ロンドンフィル
(1969)
http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CE1043&date=20120103
http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CE1034&date=20120108

一部をユーチューブで見ることができる。
http://www.youtube.com/watch?v=LkqpaTUXHgU
http://www.youtube.com/watch?v=ZcOLvj2z09Q
http://www.youtube.com/watch?v=S3EMy2ZGZn0

 今年はストコフスキー(1882年〜1977年)の生誕130年にあたる。これは生まれ故郷のイギリスに戻った晩年のストコフスキーがロンドンフィルを指揮した演奏会の映像だ。同時期にデッカがスタジオ録音している。例によって運命の第四楽章で若干のアレンジが加えられているが、全体としてはストコフスキーとしては大人しい感じで、演奏自体は特にコメントすることは何もない。前にも書いたようにストコフスキーの演奏は50年代が良いと思う。

 だがこの演奏のオケの並びは大変珍しいので注目だ。左から第一バイオリン、第二バイオリン、右にビオラ、とここまでは普通だが、ビオラは指揮者寄りに詰めて座り、木管とティンパニが舞台右端に詰めて並ぶのだ。金管は舞台中央奥に並び、チェロはその後ろに一列に、舞台の一番奥にコントラバスが一列に並ぶ。コントラバスを舞台奥に配置するのは19世紀によくあったが、木管を右奥に寄せる配置と、チェロを金管とコントラバスの間に並ばせる配置は大変珍しいと思う。ぜひユーチューブで確認して頂きたい。少なくとも私は始めてみた。この映像の音声はモノラルなので右に寄った木管を音で確認することはできないが、デッカのCDは(デッカが録音時に配置を直していなければ)木管が右端から聞こえるはずだ。

 フィラデルフィア管でストコフスキー型(アメリカ型)の配置を発明したストコフスキーが80歳を超えてなお新しい配置を模索しているのだ。その気持ちの若さには敬服しなければいけないと思う。マーラーのような作曲家兼指揮者ではない自分達専業指揮者はどのような演奏をすべきかという命題に対する試行錯誤はこの時点でも続いていたのだ。

 クレンペラーが引退した1970年代以降はクーベリックやムラヴィンスキー、それにイギリスの巨匠ボールトのように両翼配置を守った指揮者を除けばほとんどの指揮者がフルトヴェングラー型かストコフスキー型を採用していた。人まねでない配置を試みる創造的な勇気を持った指揮者は少なかったと思う。

 オケの合奏能力が上がった現在では、やっぱり作曲当時の配置がいいよね、ということで両翼配置が主流に戻りつつある。ストコフスキーもこの配置はすぐにやめてしまったようで、1972年のロンドン響との演奏会(マイスタージンガーの前奏曲、これもデッカが録音している)では従来のストコフスキー型に戻してしまったが、1969年のこの映像はストコフスキー自身、ストコフスキー型が絶対とは考えていなかったということを伺わせる貴重な記録である。

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 明けましておめでとうございます。

 東京は元旦早々地震がありました。
 日本の先行きはまだまだ予断を許さない状況ですが、
 音楽の力を信じて明るい1年にしていきましょう!
 2007年10月から始めたこのブログも5年目に入りました。


 私は地方に田舎などがないので正月と言っても帰省する訳ではない。おせちもスーパーで買ってくるだけなので、年越しそばを食べて赤飯を炊いて餅を焼くぐらいで、特に変わったことをする訳ではない。でも元旦に2つのことを習慣にしている。

 一つは履歴書を書くことだ。この1年間で新しく何を書けるようになったかを確認するのだ。以前は手書きしていたが今はパソコンで文字を修正するだけなので大した作業ではない。その上で1〜2年後にはこう書けるようになりたいなという近い将来の目標を手書きで書きこんでおく。今年は英語にもう一度真剣に取り組もうと思っている。

 5年前に書いたものには7つ目標が書きこんであった。そのうち4つは2〜3年後ぐらいまでに実現できた。これは難易度が高い項目だったので結構良くやったと思う。残りの3つのうち2つは10万円ぐらい投資すれば3日間ぐらいで実現できると思うので今年実行しようと思う。

 もう一つは元旦の午前中にジョギングすることだ。元旦に川沿いでマラソン大会を実施している団体があるのでしばらく彼らと一緒に走るのだ。マラソンを走る人は速度が変わらない。自分が完走できるペースを知っているのだ。素晴らしいことだと思う。私もいずれは挑戦してみたいと思う。


・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集
 ルドルフ・ゼルキン(p)
 バイエルン放送交響楽団&合唱団
 ラファエル・クーベリック(指揮)
 録音:1977年10月、11月
 ミュンヘン、ヘルクレスザール[ステレオ]


 新年1つめの記事に選んだのはこのディスクだ。LP時代にベートーヴェン弾きというと、バックハウス、ケンプに続いてゼルキンの名前が挙げられていた。ただゼルキンは録音に慎重で、結局ベートーベンのソナタ全集を完成しなかったので最近はピーター・ゼルキンの父というぐらいにしか取り上げられなくなってきているような気がする。

 特に全盛期と思われる70年代半ばの録音がとても少ないので、現在手に入るのは主に60年代〜70年頃のCBSソニーの録音か、80年代のテラークやDGの録音になってしまう。実は昨年は1991年に亡くなったゼルキンの没後20周年だったのだが、何を取り上げようか悩んでいるうちに終わってしまった。罪滅ぼしに数年前になって初めてCD化され、一部で高い評価を得ているこのベートーヴェンの協奏曲全集を聞いてみることにした。

 ゼルキンは60年代にバーンスタインと、80年代に小澤征爾とこれらの曲を録音しているが、バーンスタイン盤は音質に限界があり、小澤盤は指回りに衰えが感じられるので70年代の録音がCD化されたことは大変喜ばしいことだ。聴衆ノイズや拍手などは一切ないのでライブではなく、放送用のスタジオ録音のようだ。音質はおしなべて安定しているが、曲によって若干のばらつきがあるようで、皇帝は少し音が遠いように思う。

 なるほど、確かになかなか良い演奏だ。私はバーンスタイン盤と小澤盤の中間あたりの演奏を期待していたのだが、中間よりはわずかに小澤盤に近い表現だ。クーベリックの伴奏ともども大変落ち着いた表現だ。些細なミスタッチが全くなくはないし、皇帝などは落ち着き過ぎていてもう少し勢いがあった方が良いと思う方もいらっしゃるだろうが、数年後の小澤盤よりは数段良い。

 4番などはなかなか優れた演奏だし、全集全体としても私が愛聴しているアラウ/デイビス盤には及ばないにしても、ギレリス/セル盤と並んで2番目に良い演奏と言っていいと思う。ゼルキンはベートーヴェンのソナタをソニーに17曲録音した。5CDのBOXで以前出ていたので没後20年で復活するのではないかと思っていたが、廃盤になったままのようで残念だ。

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 今年ももう大みそかだ。近所の神社では大みそかと6月30日に大祓の儀という行事をやっていて、形代(ひとがた)という人の形をした紙に自分の息を吹きかけたり、気になる場所をさすって神社で焚き上げてもらう。形代に自分の身代りになってもらうのだ。私は今の場所に住むようになってからもう何年も続けている。

 本居宣長の歌に「世のなかの よきもあしきもことごとに 神のこころのしわざにぞある(世の中の良いことも、悪いことも、全て神さまの心がなさることなのである)」という歌がある。

 地震、原発、停電、台風、円高、欧州の金融危機、タイの洪水、といろいろなことがあった今年だが、これも恐らく「人間としての生き方をもう一度見つめ直せ」という神の思し召しに違いない。


・ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調Op.125『合唱』

[指揮]レナード・バーンスタイン
[演奏]ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ギネス・ジョーンズ(ソプラノ)ハンナ・シュヴァルツ(メゾ・ソプラノ)ルネ・コロ(テノール)クルト・モル(バス)ウィーン国立歌劇場合唱団[合唱指揮]ノルベルト・バラッチュ
[収録]1979年9月2日〜4日ウィーン国立歌劇場[映像監督]ハンフリー・バートン
http://www.youtube.com/results?search_query=beethoven+symphony+9+bernstein

[指揮]クリスティアン・ティーレマン
[演奏]ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、アネッテ・ダッシュ(ソプラノ)藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)ピョートル・ベチャーラ(テノール)ゲオルク・ツェッペンフェルト(バス)ウィーン楽友協会合唱団[合唱指揮]ヨハネス・プリンツ
[収録]2010年4月ムジークフェラインザール(ウィーン)[映像監督]アグネス・メス
http://www.youtube.com/results?search_query=beethoven+symphony9+thielemann

 さて今日はコンサート会場や家で第九をお聴きになられている方も多いだろう。今日取り上げるウィーンフィルによる2つの第九は21世紀におけるベートーヴェン演奏を考える上で大変興味深い問題を投げかけていると思う。

 まずバーンスタインの1979年の有名な演奏だ。ウィーンでも人気者になり「巨匠」として扱われるようになったこの時期のバーンスタインがVPOとライブ収録した全集で、昔からLP、CD、LD、あるいは衛星放送でもおなじみだった演奏だ。VPOがチェロが右のストコフスキー型(アメリカ型)で並んだのはバーンスタインが指揮した時ぐらいだろう。バーンスタインの指揮でも70年代前半はフルトヴェングラー型の配置だったことがマーラーの映像で確認されている。慣れないストコフスキー型への配置変更はバーンスタインへの信頼の証と考えてよいだろう。

 私は個人的にはあまり主観の強い演奏は好きではないのだが、それでもこの頃までのバーンスタインは80年代半ば以降のように旋律を粘らせることはなかった。この第九は当時から割と好きだった。

 第三楽章のファンファーレ(121小節)を楽譜通りスタッカートにしている点や、第四楽章でチェロの歓喜の主題にかぶるファゴット(116小節)を第一ファゴットのソロではなく第二ファゴットのパートも吹かせているのは当時としては極めて珍しかった。部分的ではあるにせよ原典回帰の先駆けだ。私は楽譜が本当にスタッカートなのか確認したくてスタディスコアを銀座まで買いに行ったものだ。私の楽譜収集趣味はすでにこの頃から始まっていたのだ(笑)。

 この演奏の楽譜を誰が校訂したのかは良く分からない。バーンスタインの希望かと思っていたが1989年の演奏では実行していないのでバーンスタイン自身の希望ではなかったようだ。ウィーンフィルの希望か、それとも誰か仕掛け人がいたのか。いずれにしても当時としては最先端の第九だったことは間違いない。ベートーヴェンの楽譜を見直す動きが本格的に高まったのはもう少し後の80年代、スイトナーが5番の録音でギュルケの新校訂譜を使ったあたりからだ。

 ベーレンライターやブライトコプフが第九の新版を出したのはさらにずっと後の90年代以降のことで、そういう意味でも私はこのバーンスタイン盤の先見性には一目置いていた。その後ウィーンフィルはラトルとの全集でもベーレンライター新版をいち早く採用しているので、ウィーンフィルは意外に新しいもの好きなのかと思っていた。

 ところがである。VPOとティーレマンの2010年の演奏はバーンスタイン盤から31年も経っているにもかかわらず、従来の慣用版を使用しているようなのだ。第四楽章のファゴットはソロだし、新版で特徴的なホルンのちょっと変わったリズムも聴きとることはできない。私は何が何でも新校訂譜が良いと言うつもりはない。例えばブルックナーの原典版では出版年が新しいノヴァーク版よりもハース版の方が優れていると私は思う(ノヴァーク版が西側のオケで一般的になったのは東独がハース版の版権を持って行ってしまったからだ)。

 しかし、ウィーンフィルはすでにベーレンライター版のベートーヴェンを持っているのにわざわざ旧版で演奏させるものだろうか? ラトル盤(CD)でのベーレンライター版の採用はラトルが希望しただけだったのだろうか。ヤンソンスやエッシェンバッハの最近の演奏を聞いても新版の採用はもはや常識化しているので、ここはやはり新版を使うべきだったのではないだろうか? 

 しかもティーレマンの指揮がところどころ妙に粘っこいのも気になる。曲想が変わる都度いちいじテンポを緩めてためを作る場所が随所にあって耳障りだ。このオケにしては木管がところどころ危なっかしいのはそのせいではないだろうか。特に第一楽章フィナーレ直前(513小節)でこんなにテンポを下げておどろおどろしく演奏する必要があるのだろうか? 第四楽章のチェロのテーマの前(92小節)でずいぶん長い全休符を入れているのも気になる。ここは1拍休符を入れている演奏が多いが、楽譜上は休符なしですぐにチェロが入ることになっている。こんなに長い休符を挿入している演奏は珍しい。

 オケの並びは第二バイオリンが右でチェロが左の19世紀型両翼配置だ。第九が両翼配置を想定していることは第一楽章の左右のかけあい(85小節や120小節など)や、第二楽章のテーマの受け渡し(9小節)などで明白であり、この点はヤンソンスやエッシェンバッハより評価できる。合唱はウィーン楽友協会合唱団が暗譜で歌っていて、バーンスタイン盤のウィーン国立歌劇場合唱団より上等だが、全体としては前近代的、悪い意味で保守的で21世紀にふさわしくない演奏のように私には聞こえる。31年前のバーンスタインの演奏の方がまだ新鮮なのではないだろうか。ウィーンフィル自身がこういう演奏を期待しているのだとしたら、それは過去の栄光にすがりついた懐古趣味以外の何物でもないと思う。

(旧版の楽譜がIMSLPにアップされている)
http://imslp.org/index.php?title=Category:Beethoven%2C+Ludwig+van&from=S


 今年最後で通算362本目の記事はちょっと厳しいコメントになってしまいましたが、今年も皆様と音楽について語り合えたことを大変幸せに思っております。3カ月書けない期間もありましたが、136本の記事を書けたのはまあまあかなと思っています。個人的に今年最も良く聞いたマイ・ディスク・オブザイヤーはヘレヴェッヘの室内楽版「大地の歌」とチェリビダッケの田園です。

 どうぞ良い年の瀬をお過ごしください。

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 東京では以前ならちょっと高いところでは至る場所で富士山が見えた。東京に富士見町や富士見坂という地名が多いのはそのためだ。しかし高層ビルが多くなった現在は、実際に富士山が見える「富士見坂」は1か所だけになってしまったそうだ。

 それでも川沿いなどの広い場所に出たり、ちょっと高いビルに登ったりすれば今でも多くの場所から富士山を眺めることができる。その国の首都から最高峰の山を望める国は世界的に珍しいのだそうだ。ありがたいことだ。

 富士山の美しさは日本の最高峰でありながら独立峰である点にあると思う。山脈になっている連峰ではないので、どの方角から見てもはっきり識別できる。確固たるアイデンティティと孤高の美しさが人を厳かな気持ちにさせるのだろう。残念なことに東京は元旦は曇るそうなので今日と明日のうちに見ておこう。あいにくデジカメを持っていなかったので北斎の赤富士を引用させてもらおう。

・ベートーヴェン交響曲第5番
パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィル
http://www.youtube.com/watch?v=RBlQSyHV92Y
http://www.youtube.com/results?search_query=Beethoven+Symphony+Jarvi

 みなさんご存じの通り、私が取り上げるディスクは圧倒的に90年代以前の演奏が多いのだが(笑)、最近の演奏でこんなに感激したのは久しぶりだ。ネーメ・ヤルヴィの2人の子供が指揮者になったことは知っていたが、こんなに良い指揮者に成長していたとは気付かなかった。モダンオケによるピリオド・アプローチの演奏としては最も成功したものだと思う。

 ピリオド・アプローチとはモダン楽器のオケが重厚で艶やかな落ち着いた響きの代償として失ってしまった俊敏な即興性と躍動感を回復するため、ピリオドオケの編成や演奏法をモダンオケに取り入れるものだ。ただし、具体的にそれをどのように実現するか、そのやり方は指揮者によってまちまちだ。配置は第二バイオリンが右でチェロが左の古典的両翼配置が採用されることが多いが、編成の規模や演奏法は様々だ。

 その中には最近のノリントンのノンビブラート奏法(「ピュアトーン」というらしい。まるで商標登録のようだ。笑)のようにちょっと微妙なものもある。ヘレヴェッヘは私も生で聞いた。悪くなかったが、ヘレヴェッヘはピリオド・オケで聞きたかったという気がする。

 その中では、このヤルヴィのベートーヴェンは最も成功した例に挙げて良いのではないだろうか。こんなに生き生きとしてワクワクするベートーヴェンはクライバーや、ピリオドオケ(ロンドンクラシカルプレイヤーズ)時代のノリントン以来だろう。しかもヤルヴィとドイツカンマーフィルは2008年に日本でも演奏したというのだから驚きだ。全くノーチェックだった(笑)。

 このような演奏を聞くと20世紀のベートーヴェンの演奏は重厚だがリズムが欠けていたと改めて思う。フルトヴェングラーは言うまでもなく他のほとんどの指揮者も、19世紀のワーグナー風に解釈されたベートーヴェン演奏の伝統から逃れることができなかったのだ。この問題に正面から取り組んだ指揮者はクライバーだけだった。そういう意味でクライバーこそは21世紀にふさわしい指揮者だったはずだ。

 そう言えばクライバーも2世指揮者だった。2世政治家はいろいろ問題があるようだが、2世指揮者というのは結構良いのかもしれない。今度はパリ管という名門を手に入れたパーヴォに注目してみることにしよう。

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