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・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調、作品125『合唱』
CD:
オーセ・ノルドモ=レーヴベリ(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
ヴァルデマール・クメント(テノール)
ハンス・ホッター(バリトン)
フィルハーモニア合唱団、フィルハーモニア管弦楽団
オットー・クレンペラー(指揮)
録音時期:1957年10月30、31日、11月21,23日
録音場所:ロンドン、キングズウェイ・ホール
DVD:
アグネス・ギーベル(S)
マルガ・ヘフゲン(Ms)
エルンスト・ヘフリガー(T)
グスタフ・ナイトリンガー(Bs)
ニュー・フィルハーモニア合唱団
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
オットー・クレンペラー(指揮)
1964年11月8日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール
クレンペラーもヴァイオリン両翼配置で左チェロの古典的配置の巨匠だが、1960年以降は録音時に限りチェロとビオラを入れ替えた変則型(ハイブリッド型?)両翼配置(左から第一バイオリン、ビオラ、チェロ、第二バイオリン、コントラバス)になってしまった。先日書いたようにこの変則型両翼配置はエーリッヒ・クライバーも採用していたのでこれが20世紀前半において極めて特殊な配列だったということではなさそうだ。
だが、ベートーベンが古典的な19世紀型の両翼配置を想定していたことは、第九の第二楽章でティンパニの序奏に続く9小節目からの主題が第二バイオリン→ビオラ→チェロ→第一バイオリンと受け継がれることからも明白だ。右から左に反時計回りに弦が広がっていくのだ。ベートーベンが5番の第一楽章で「タタタター・タタタター・タタタター」を第二バイオリン→ビオラ→第一バイオリンの順で右から左に演奏させているのと同じだ。ベートーベンはこういうオーケストレーションが好きだったのだ。
このため第九は古典的な19世紀型の両翼配置で演奏されることが望ましい。これは楽譜を見ればすぐに気がつきそうなことで、別に大発見でも何でもないのだが、実際に左にチェロを配置している第九の演奏は珍しく、私が知る限りはクーベリックとクレンペラーとノリントンしかいない。第四楽章の歓喜の主題は本来は左側のチェロから聞こえてくるはずなのだ。最近N響がこの配置を採用していて4月10日のメータ指揮の第九もそうだったようなので24日の放送を注目してみよう。
さて、EMIの名プロデューサーだったレッグは、このクレンペラーの第九を1957年に録音する時点でカラヤンのVPO盤(1948)に加えて、1954年に急逝したフルトヴェングラーの没後に発売したバイロイト盤(1951)とカラヤンのフィルハーモニア盤(1955)を続けて世に出していた。カラヤンはすでに全集を完成していたし、フルトヴェングラーも2番と8番以外の録音は揃っていた。
それにもかかわらずレッグがクレンペラーによる第九の録音に取り組んだのは、1955年に録音した3番、5番、7番が好評だったということがもちろんあろうが、クレンペラーの第九がフルトヴェングラーやカラヤンにはない美質を持っていることにレッグが気が付いていたからだろう。レッグはステレオ録音にはまるで関心がなかったが、ステレオ・バージョンが残されたことは大変な幸いだ。同時期に開催された演奏会のライブ録音もテスタメントが商品化していてEMI盤よりさらに音質が良いという評判もあるのでこちらも聞いてみたい。ところで、HMVのサイトに下記のようなことが書いてある。
「50年代のクレンペラーというと、VOX時代のあまりにも速くドライ過ぎるセッション録音のイメージが強いようです。しかしクレンペラーは、モントリオール空港でタラップから転落して大怪我をしてからは、椅子に座って指揮をするようになり、結果として、1954年以降はかつてのような快速アプローチは影を潜め、その芸風は冷静なコントロールの効いたバランスの良いスタイルに変化しています。そのため、力強さや緊張感のいっそうの向上が認められ、造形的な打ち出しの強さも比類が無いという、まさに精神面・体力面でベストと思われる状態に達するのですが、これも長くは続かず、1958年秋には、例の「寝タバコ全身大やけど重体事件」を起こしてしまい、しばらくは指揮棒も持てなくなるなどという困難な状況に追い込まれてしまいます。つまり、1954年から1958年までの5年間は、クレンペラーにとって、たいへんバランスの取れた演奏をすることが可能だった時期にあたる...」
タラップでの転落事故や火傷の程度は私にはわからないが、クレンペラーの全盛期がEMIに録音を始めた1954年からステレオ初期の1958年頃までだという点では私の認識と同じだ。この2種の第九も1957年の演奏は1964年の映像より全然優れている。しかしDVDではクレンペラーの古典的両翼配置を実際に目で確かめられる。よくある演奏のようにチェロが奏でる歓喜の主題をベタッとレガートにつなげてしまうのではなく、4小節ごとに弓を一度離すように演奏させているのも分かる。これはピリオド楽器の演奏では当然だが、モダン楽器の第九でこれをきちんとやっているのはクーベリックとクレンペラーぐらいだろう。
第四楽章330小節の「Gott(神)」のフェルマータをそれほど伸ばさず、休符も入れずにさくっとマーチに入るのも大変古典的で気持ちいい。フルトヴェングラーのように、このフェルマータを目いっぱい伸ばして非常に長い休符を挿入している演奏もある。指揮台にいればきっと自分が神になったかのように酔える瞬間だろうが、クレンペラーはきっとそれを知っていて「そんな休符がどこに書いてあるんだ?」と言いたいかのようだ。
このDVDのジャケット写真では指揮棒を持っているが、映像では棒を持たないで振っているのも印象的だ。フィナーレ直前のマエストーソ(916小節)は多分3つ振りだと思うが映像に写っていなくて残念だ。またこの映像は、確かレッグのオーケストラではない自主運営楽団「ニューフィルハーモニア管弦楽団」としての初めての演奏会だったと記憶している。
楽器の配置といい(テンポは遅めだが)サクサクした進行といい、まるで最近のピリオド楽器による演奏を先取りしたかのような斬新な演奏だ。時代遅れと思われていた演奏が50年経って周回遅れで先頭に立ったかのようだ。モダンオケの第九は大げさな演奏が多いが、襟元を正して正座して聴きたくなる厳粛な演奏はクレンペラーの57年盤とクーベリックの82年盤ぐらいだろう。クレンペラーの第九はロンドンでは他に1961年や1970年にも繰り返し演奏された名物の出し物だった。日本の評論家には全く理解されていない点ではクーベリック盤と同様で大変残念だが、もっともっと聴かれるべき演奏だ。
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