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マーラー6番-10番ほか

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マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」
Gwyneth Jones - soprano 1: Magna Peccatrix
Arleen Auger - soprano 2: Una Poenitentium
Barbara Bonney - soprano 3: Mater Gloriosa
Jard van Nes - contralto 1: Mulier Samaritana
Carolyn Watkinson - contralto 2: Maria Aegyptiaca
Werner Hollweg - tenor: Doctor Marianus
Thomas Hampson - baritone: Pater Ecstaticus
Robert Holl - bass: Pater Profundus
(1988年4月11日)
http://www.youtube.com/watch?v=psyAnLWLXe4

マーラー:交響曲第9番
(1987年)
http://www.youtube.com/watch?v=9nCtM6rTBJs

ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ

 マゼールの記事で書いたようにハイティンクはバーンスタインと並んで70年代の日本におけるマーラー演奏の普及に大きく貢献した。フィリップスへの録音でもコンセルトヘボウとの交響曲全集を1971年に完成しているハイティンクが、60歳近くになり円熟味を増した1987年(カラヤン存命中)に開始したベルリンフィルとのチクルスは大きく注目されていたと思う。1992年までに1番から7番と10番のアダージョが録音され、1,2,3,4,7番は映像も収録された。しかし90年代半ばの世界的なレコード不況のあおりを受け、8番と9番だけを残してこのシリーズは中断されてしまった。8番の演奏会は予定通り開催されたそうなので、せめてライブで音だけでも残して欲しかった。

 今回紹介する映像はベルリンフィルとのチクルスと同時期のコンセルトヘボウとの演奏で、ベルリンでは収録されなかった8番と9番の穴を埋めるものとして注目される。いずれも堂々とした正攻法のアプローチが好ましい。地味に受け取られることも多いハイティンクだが、映像で見るとどうしてなかなかカッコイイと私は思うのだがどうだろうか? 8番のソリストがオールスターキャストなのも注目で、特に女声は全盛期のジョーンズや、今年没後20年のオジェー(1993年6月10日没)が見られるのが嬉しい。合唱は見たところ数百人はいそうだ。8番も9番もDVD化を期待したい映像だ。

 なおオケの並びは意外なことにチェロが右のアメリカ型だった。ヨッフムの1986年の来日公演がビオラが右のベルリンフィル/ウィーンフィル型になっているのとは異なる。クライバーの有名なベト4/ベト7の映像(1983年)もアメリカ型だったのでコンセルトヘボウの標準配置はアメリカ型のようだ。フランスのオケはアメリカ型が主流なのでオランダがドイツ文化圏とフランス文化圏の狭間にあることを改めて感じさせる。

 また声楽ソリストが左から右へバス、テノール、アルト、ソプラノの順に並んでいるのも興味深い。先日紹介したヘレヴェッヘのモツレクもそうだったが、オランダやベルギーあたりではこの並びが一般的なのだろうか? 日本やドイツでは逆が普通だと思うのだが。バーンスタインの有名なマラ8の映像も指揮者の左側に女声ソロ、右側に男声ソロが並んでいる。同じコンセルトヘボウでも2006年のヤンソンスの第九ではソプラノが左に並んでいる。

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わが友グスタフ・マーラー〜ナターリエの日記

[出演]ぺトラ・モルゼ(ナターリエ・バウアー=レヒナー)アディナ・フェッター(若き日のナターリエ)ロバート・リッター(グスタフ・マーラー)ステファン・レオンハルツベルガー(若き日のグスタフ)ニコラス・フッツァー(ジークフリート・リピナー)ペーター・ホッフペフラー(エンゲルベルト・ペルネルストルファー)ハンネス・A・ペンドル(ヴィクトル・アドラー)トビアス・フォクト(フーゴー・ヴォルフ)アルマ・ハスン(アルマ・シントラー)ブロンウィン・メルツ=ペンツィンガー(ナターレエの声)ミヒャエル・スムリク(マーラーの声)ヨハンナ・ゴドウィン=ジードル(アルマの声)デニス・コジェルフ(ナレーター) 他
[監督&脚本]ベアテ・タルバーグ[制作]2010年オーストリア/ドイツ/スイス

 これはマーラーの友人だったヴァイオリン・ヴィオラ奏者、ナターリエ・バウアー=レヒナー(1858-1921)の残した日記を基に構成した2010年制作のドキュメンタリーだ。アルマ・マーラーの回想録には都合のよい誇張や歪曲があるとされるが、淡々と書かれたナターリエの日記はより事実に近いマーラーを記録したものとして注目される。

 ナターリエの父はウィーンで出版業を営んでいた。ナターリエは裕福だが自由のない生活を送り、17歳の時に22歳も年上の父の友人と結婚させられた(後に離婚する)。2人が出会ったのはマーラーがウィーン楽友協会音楽院の学生だった頃だった。当時から「理想が高く偏屈」と言われていたマーラーの作品は教授に全く評価されなかったが、ナターリエはその才能を評価した最初の人間であり、マーラーがアルマと結婚するまで心の支えになった。

 学生時代のマーラーは学費や生活費にも困る状態で2週間おきに引っ越すような生活をしていた。「ニーチェクラブ」という秘密結社(注:と書くと何やら怪しげだが恐らく会員制のサロン・クラブのようなものだろう)に参加して、作曲家のヴォルフや医者のアドラーなどと議論を交わしていた。ヴォルフとマーラーはお互いの音楽を認めようとしなかった。またマーラーはワーグナーにならって菜食主義者で、人間は蘇ると信じていた。

 ナターリエは別の人生を歩みたいという動機でマーラーと親しくなった。ナターリエは「嘆きの歌」を賞賛したが、この作品もベートーヴェン賞のコンクールに落選した。マーラーは作曲では食べてゆけないと判断、指揮者としてのキャリアを積むがライバッハやプラハ、ライプツィヒ、どの劇場でも長続きしなかった。ライプツィヒでは既婚の夫人と恋仲になったことがばれて問題になったこともあった。

 マーラーは28歳でプタペスト王立歌劇場で音楽監督の職を得て、赤字を大幅黒字に転換し興行的には成功する。しかし要求が厳しすぎる、報酬が高額などと非難され、反抗した2人の楽団員から決闘を申し込まれるトラブルもあった。

 この頃ナターリエはすでに離婚し、実家を離れて演奏家として生計を立てていたが、プロの女性演奏家は当時は珍しく、聴衆から嘲笑されるなど苦労が多かった。ナターリエは「いつまでも共に歩みたい」というマーラーの手紙に応じて1890年にブタペストを訪問しマーラーと再会、ここからハンブルク時代までが2人の蜜月だった。

 マーラーはハンブルクからのオファーが監督ではなく主席指揮者であるため迷っていたが、ナターリエが「目の前の名誉よりも10年後20年後の将来を考えて」とアドバイスし、マーラーはハンブルグに移ることにする。2人はバカンスシーズンはアッター湖畔の邸宅に住み、マーラーはそこで再び作曲を始め第三交響曲を書き始めた。ナターリエはこの作品が世の中を変えると信じ、マーラーもこれで富と名声を手に入れられると思った。しかしマーラーの作品は依然として聴衆には難しすぎて、1896年にベルリンで交響曲1番を演奏した際の売り上げはわずか48マルクで数千マルクの赤字を出した。

 この頃のマーラーは慢性狭心症で年に数回倒れ、慢性胃痛、コレラなどを煩い、医師から処方されたアヘンを必要以上に摂取し気を失った。痔で出血もした。ハンブルクでは1シーズンに148回も指揮した。歌手には大げさな演技を禁止し、照明にこだわりバイロイトのような回り舞台を望んだ。ハンブルグで成功したマーラーはウィーンで職を得ることを望んだ。この頃のマーラーはハンブルクの劇場に入ってきたミルデンブルクという23歳の若いソプラノと恋仲に落ちた。

 すでにウィーンでは反ユダヤ主義の動きがありなかなか叶わなかったが、ウィーン宮廷劇場の指揮者に空きがでた際、ナターリアが友人のローザ・バピーアという歌手にマーラーを採用するよう総監督に頼んで欲しいと依頼した。楽壇の大御所だったコジマ・ワーグナーはモットルを推薦したが、マーラーはカトリックに改宗した日付を偽って何とか職を得た。

 こうして2人はウィーンに戻ってきたが、そこでマーラーとアルマと婚約した。ナターリエはそのことを新聞記事で突然知る。ナターリエは静かにマーラーの前から姿を消す。マーラーの死後、ナターリエは1918年に反戦書を書いたことで重い刑に処され、それが原因で病気になり1921年に亡くなった。

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 中国の新幹線で大惨事が起きた。確かフランスの新幹線も数年前に大事故を起こしていたと記憶している。日本の新幹線が1964年の開業以来大きな事故を1つも起こしていないというのは素晴らしいことだと思う。特に東日本大震災が日中に発生したにも関わらず、全ての車両が安全に緊急停車し1両も脱線しなかったというのは奇跡的なことではないだろうか。日本は技術力にもっともっと自信を持っていいと思う。特に意識した訳ではないが、今日はその1964年に録音されたクレンペラーの大地の歌をとり上げた。

・マーラー:『大地の歌』

 メゾ・ソプラノ : エルザ・カヴァルティ
 テノール : アントン・デルモータ
 ウィーン交響楽団
 指揮 : オットー・クレンペラー
 録音:1951
(下記サイトよりダウンロード可能)
http://public-domain-archive.com/classic/compositions.php?composer_no=10

 クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
 フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール)
 フィルハーモニア管弦楽団/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)
 録音:1964年2月19日〜22日、ロンドン、キングスウェイ・ホール(ルートヴィヒ)
    1964年11月7日〜8日、ロンドン、キングスウェイ・ホール(ヴンダーリッヒ)、
    1966年7月6日〜9日、ロンドン、アビーロード・スタジオ(ルートヴィヒ)
(下記サイトに試聴あり)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1274096

 前にクレンペラーの第九の記事で書いたとおり、クレンペラーの全盛期は1954年から1958年までの5年間だと私は思っている。だがこの時期のマーラーの正規録音はなぜか1つもない。ライブ録音を含めても4番が3種類(54年2月のケルン放送響、56年2月のベルリン放送響、56年10月のバイエルン放送響)あるだけのようだ。1951年から71年まで実に7種もの録音が確認されている2番でさえ、54年から58年の間の演奏は海賊盤の1つすら出ていない。

 大地の歌には51年に米VOXが録音したモノラル盤(同時期の2番と共にLP初録音だった)と、64年と66年にまたがって録音されたEMI盤、それにテープでのみ発売された1948年のブタペスト響とのライブがあるそうだが(これは音楽之友社が去年だしたディスコグラフィーにも載っていない代物だ)、54年から58年の録音はない。マーラーの弟子だったクレンペラーが全盛期にマーラーを録音していないというのは大変残念なことだが、それを嘆いていても仕方ないのでVOX盤(上記リンクでダウンロードできる)とEMI盤を聴き直してみることにした。

 EMI盤は元々はプロデューサーのレッグが録音を始めたものだが、レッグはルートヴィヒの楽章が完成する前にフィルハーモニア管を解散してEMIを辞めてしまった。しかし後任のピーター・アンドリーは未完でお蔵入りさせるには惜しい演奏だと思ったのだろう。2年も経った1966年7月になってからニュー・フィルハーモニア管で残りを録音して完成させた。こういうケースは大変珍しいと思う。ルートヴィヒのどの楽章が64年の録音でどの楽章が66年の録音なのかは明らかにされていない。
 
 VOX盤とEMI盤ではテンポがかなり異なる。私が相当前に聞いた時はVOX盤は速すぎでEMI盤は逆に遅いと思った。VOX盤の52分20秒はこの曲の録音史上最速だ。特に終曲が22分47秒というのは余りに速いのでカットでもしていないのか楽譜で確認したくなる。EMI盤は数字だけみると普通のテンポに見えるが、以前バーンスタイン/VPO盤の記事でも書いたとおり、クレンペラーは楽譜にある最低限のテンポ変化しかつけていないのでバーンスタイン盤で刷りこまれた耳には緩急の変化に乏しく、結果的に遅く聞こえたのだ。

ウィーン交響楽団(VOX)6:55/9:00/3:13/6:26/3:59/22:47=52:20
フィルハーモニア(EMI)8:07/9:59/3:38/7:36/4:34/29:13=63:07

 今改めて聞き返すと、この2つの演奏が時間上のテンポは大きな違いがあるにも関わらず、クレンペラーの解釈はそんなに変わっていないことに気がついた。いずれも基本的にオケはサクサクした運びであまり大きな表情をつけず歌の邪魔をしないというコンセプト、つまり連作歌曲集としての扱いだと私は思う。もっとオケを派手に鳴らしたり緩急を大きくつけることはどちらのテンポにおいても可能であり、交響曲として聞いた場合はその方がカッコいい。クレンペラーもそれを分かっていたはずだが、敢えてそれをやらなかったのだ。

 例えばVOX盤の第四楽章は6分26秒とバーンスタインよりかなり速いように見えるが、バーンスタイン盤が52秒で駆け抜けている練習番号10〜15のアレグロだけに限ると実測で59秒かかっており、逆にテンポの遅い部分でバーンスタインよりも速く振っている。要するに緩急の差が小さいのだ。

 もちろん、もし1954年から1958年の間の大地の歌があれば、この2つの演奏の中間のちょうどいいテンポになっただろうという思いはぬぐいきれない。どこかにライブ録音でも残っていたらぜひCD化してほしい。しかしこの2つの演奏も、大地の歌を歌曲として捉えればなかなか良い演奏だと思う。特にEMI盤はソリストが充実している。ヴンダーリヒは66年9月に事故のため急逝してしまった。ヴンダーリヒは60年のカラヤンとの演奏や、64年のカイルベルトやクリップスとの演奏など、60年代にこの曲を頻繁に演奏しただけにこの録音が完成されたことは本当に幸運なことだ。

 マーラーの第一人者であるルートヴィヒは正規録音だけでこのクレンペラー盤とバーンスタイン盤(1972年)、カラヤン盤(1973年)の3種類、ライブ録音や海賊盤を含めるとさらに4種類の計7種類もの録音がある。この録音はそれらの中で最初のものだが、私はこの録音が最も良いと思う。70年代以降のルートヴィッヒはちょっと表情が濃くなり過ぎているように私は思う。晩年のシュヴァルツコプフの歌もそうだったが、歌う側があまり表情を付けすぎると聴き手側のイマジネーションを逆に狭めてしまわないだろうか。

 60年代までのルートヴィヒは深い声の中にもちょっとソプラノっぽい(実際60年代まではフィデリオなどソプラノの役も歌っていた)明るさというか、色っぽさがあるように思う。ルートヴィヒのメジャーレーベルへの初録音は先日紹介した1955年のベームのコジ・ファン・トゥッテ(デッカ)で、その次の録音は翌年の有名なカラヤンのばらの騎士(EMI)だと思うが、これらの録音でのルートヴィッヒは後年よりもはるかにウィーンっぽい歌い方だ。

 ルートヴィヒは1928年のベルリン生まれなので1970年当時でもそれほどの歳ではない。大地の歌のカラヤン盤やバーンスタイン盤で見られるような、ヴィブラートが強くなった表情の濃い歌い方は加齢というよりは故意のもの(シュヴァルツコプフの影響か?)だと思うが、こういういかにもドイツっぽい歌い方は個人的にはちょっと苦手だ。

 EMI盤は以前聞いた時はオケのノリがイマイチかなと思ったが、歌曲として落ち着いて歌を聴くためのテンポだと考えれば納得がいく。この録音が未完成に終わらなくて本当に良かったと今は思う。ピーター・アンドリーの英断を讃えたい。このディスクは昨年SACDで発売されたこともあるようだ。

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・マーラー:交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』 [77:52]

 フランシス・イーンド(ソプラノ)
 ウタ・グラーフ(ソプラノ)
 カミラ・ウイリアムズ(ソプラノ)
 マーサ・リプトン(メゾ・ソプラノ)
 ユージン・コンリー(テノール)
 カーロス・アレグザンダー(バス)
 ジョージ・ロンドン(バス)
 ウェストミンスター合唱団、他
 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
 レオポルド・ストコフスキー(指揮)
 録音時期:1950年4月6日
 録音場所:ニューヨーク、カーネギー・ホール
 録音方式:モノラル(ライヴ)
http://public-domain-archive.com/classic/compositions.php?composer_no=10

 フィラデルフィア管を辞めて、NBC響も3シーズンで首になってしまったストコフスキーがその後メジャーオケのポストを得たのは1回だけだ。1949年〜50年のシーズンにニューヨークフィルの首席指揮者に就いたのだ。ただこの時もミトロプーロスと共同で、次のシーズンには早くも彼に追いやられてしまう。

 つまりNBC響の時と全く同じような展開なのだ。ストコフスキーがオケのマネジメントと折り合いをつけるのがあまり上手でなかったことは間違いないだろう。これに懲りたのか、その後はアメリカ交響楽団のように自分が立ち上げたオケを別とすれば基本的にフリーランスとして活動するようになり、ポストらしいポストを得たのは1955年から1961年までヒューストン交響楽団の音楽監督を務めたぐらいだ。

 たった1シーズンで終わったニューヨークフィル時代だが、マーラーの8番というメジャーオケでなければできない大曲を取り上げているところもまたストコフスキーらしい。恐らくこの演奏はこの曲の戦後蘇演だったのではないだろうか。いくらアメリカでも戦時中にこの曲を演奏している余裕はなかっただろう。第1部のみは1948年にオーマンディがをハリウッドで演奏し録音も残っているそうだが、全曲の録音としては現時点で確認されている最古のマラ8だ。

 1916年3月にストコフスキーは1068人の演奏家を用いてこの曲の米国初演を指揮している。上記の写真はその時のものだ(チェロが舞台中央に配置してあって、この時点ではチェロが右手前のいわゆる「ストコフスキー型」にはまだなっていない点が興味深い)。

 加えてストコフスキーは1910年のマーラー指揮の初演をワルターやクレンペラーと共に聞いている。ワルターやクレンペラーがこの曲の録音を残さなかったし、そもそもクレンペラーは振ったことすらない(ワルターは演奏した記録はあるらしい)。このためストコフスキーのこの1950年の録音は非常に大きな意味を持っている。

 音質は安定はしているが当然限界はあるので断言することは難しいが、聞き取れる範囲ではストコフスキーのアプローチは正攻法だ。楽譜と照らし合わせてはいないが、少なくともシェルヘンのマーラーのような大幅なカットや改変はしていないと思う。自分が作曲者自身の初演を聞いて、米国初演も指揮したこの大作の魅力を伝えたいという使命感は十分に感じられる。爆演家の先入観を持って聞くと逆に肩すかしを食らうだろう。今年で初演から101年を迎えるマラ8の演奏史を知るためにも、この指揮者に対するイメージを改めるためにもぜひ聞いてほしい演奏だ。パブリックドメインクラシックで全曲ダウンロードできる。

 ストコフスキーが米国初演をした作品は他にもマーラーの大地の歌、R.シュトラウスのアルプス交響曲、シベリウスの交響曲第5番〜7番、ストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのグレの歌など大変多岐にわたる。アルプス交響曲の米国初演は1916年4月だが、これはマラ8の米国初演の直後のことであり、しかもアルプス交響曲を作曲者が初演した1915年10月から半年しか経っていない。恐らく作曲者と親交がなければこのように迅速に米国初演することはできないだろう。ストコフスキーは作曲者の初演も聞いていた可能性が高いのではないだろうか。ストコフスキーのアルプス交響曲の演奏が残っていたらぜひ聞いてみたいものだ。

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マーラー:大地の歌
レイノルズ(アルト)
トーマス(テノール)
クリップス指揮ウィーン交響楽団
1972年(ライブ・ステレオ)

 最近の世代でマーラーの交響曲を振らない指揮者は稀だが、昔はマーラーは振らなかった、あるいは歌曲ぐらいしか振らなかった指揮者も多かった。フルトヴェングラーがフィッシャー=ディースカウとのさすらう若者の歌しか振らなかったのは有名な話だが、同様にクナッパーツブッシュやベームも(多分フリッチャイも)亡き子をしのぶ歌などの伴奏が少しあるぐらいだ。

 もう少し若い世代のサヴァリッシュも、ピアノ版大地の歌を1989年に日本で世界初演するという偉業を成し遂げているにも関わらず、他にはF=Dのピアノ伴奏で歌曲を少し弾いているだけで指揮者としてはほとんど振っていない(助六さんの情報によると1967年に4番を振ったことがあるそうだ)。同様にシュタインもほとんど振っていないと思う。ワーグナーやブルックナー、あるいはR.シュトラウスの演奏では有名なこれらのドイツの名指揮者が意外にもマーラーの交響曲を振っていないのだ。

 ドイツ系だけでなくミュンシュやモントゥー、あるいはクリュイタンスといったフランス系でもマーラーは歌曲しか振らなかった指揮者は多いし、ヨッフムやカルロス・クライバーのように、交響曲は(私の知る限り)振らなかったが大地の歌だけは振ったという指揮者も少なくない。実はカラヤンも(恐らくDGの要請で)1973年に初めて5番を録音する前は大地の歌しか振らない指揮者だった。最近の指揮者ではバレンボイムも2005年に7番を録音するまでは歌曲と大地の歌の録音しかなかった(実演では1番と5番をパリで振っているそうで、2007年には9番もベルリン・シュターツカペレで振っているが)。

 さてクリップスとウィーン交響楽団の大地の歌はこの1972年のオルフェオ盤以外に1964年6月14日のヴンダーリヒ/F=Dとのライブ(モノラル)が最近DGから発売された。クリップスも大地の歌しか振らなかった人かと思っていたが、助六さんが伝記を調べて下さったところ、1964年の大地の歌の直前の5月24日にはヴィーン響で8番を演奏しており、他にも6番と7番以外は全部振ったことがあるそうだ。それは大変意外だ。でも大地の歌に対するクリップスのアプローチは交響曲としてではなく連作歌曲集としてのアプローチだと私は思う。

 そもそも、このディスクを聴いてみたのはトーマスの大地の歌が聞きたかったというのがきっかけだったのだが、クリップスの指揮はトーマスの歌を邪魔しないように配慮していると私は思う。最近は雄弁なオケと軟弱なテノールによる演奏も多くなったので、そういう演奏に慣れた耳は70年代を代表するワーグナーテノールだったトーマスの雄弁な歌にびっくりしてしまうかもしれない。こういう大地の歌はなかなかもう聴くことはできないのではないだろうか。

 かといってクリップスのオケが軟弱だという訳ではない。それどころかかなりいいのだ。クリップスは70年から亡くなる前年の73年までこのオケの芸術顧問を務めたが、このオケとの相性の良さを感じさせる名演だ。前任の首席指揮者だったサヴァリッシュはウィーンのオケとの相性はイマイチだったようだが、この演奏でのウィーン交響楽団は、知らなければウィーンフィルかと思うほど見事な復調ぶりだ。クリップスが高齢でなければもう少し長い間黄金時代が続いたことだろう。

 アルトのアンナ・レイノルズはジュリーニや小澤の第九で名前は知っていたが、第九のアルトはソロらしいソロがないのであまり印象に残らなかった。バーンスタインのマーラーの8番(旧録)やリヒターのメサイアとバッハのカンタータなどの録音もあるようだが私は聞いていない。このため、まともに聞くのはこのディスクが初めてだが、ベイカーばりのしっかりした歌でこれもびっくりした。オペラのキャリアが長いクリップスだけあって、歌手を選ぶ目はさすがにしっかりしている。

 このディスクはかなり地味な存在だとは思うが隠れた名盤と言っていいと思う。音質も優れている。

(追記)
 ウィーン交響楽団の大地の歌はこの72年のオルフェオ盤と64年のDG盤以外にも、67年にクライバー指揮(ソロはクメントとルートビッヒ)の演奏がある。下記のユーチューブで聞くことができる。
http://www.youtube.com/watch?v=m_Qg7g3ehY8&feature=related

 さらにハントが編纂したカイルベルトのディスコグラフィーによると、64年6月にカイルベルトとウィーン交響楽団との大地の歌が放送されたという記録がある(ソロは同月のクリップス盤と同じヴンダーリヒとF=Dとなっている)。しかし同年同月に同じオケとソリストが別の指揮者で演奏するとは考えにくいので、これはDG盤と同じクリップス指揮の誤りか、maskballさんがお持ちのカイルベルトの同年4月のバンベルクでの演奏の誤りかどちらかだろう。その64年4月のカイルベルトとバンベルクとされる海賊盤の演奏もDG盤のクリップスのウィーン交響楽団の演奏と同じでないかどうか確認する必要がありそうだ。

 ヴンダーリヒのディスコグラフィーを書いた下記HPにも64年6月14日のウィーン交響楽団の演奏をカイルベルト指揮としている情報は誤りと書いてある。
http://www.andreas-praefcke.de/wunderlich/discography/lvde_kri.htm

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