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マーラー6番-10番ほか

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マーラー作曲交響曲第六番
ラトル指揮ベルリンフィル
(1987年)

 マーラーの6番は打楽器(?)のハンマーが出てくる珍しい曲だ。ハンマーが見たくて衛星で放送されたバーンスタインの映像を録画した記憶がある。1979年のBPOの来日公演の際にカラヤンが日本で唯一振ったマーラーもこの6番だった。

 マーラーが最終稿で削除した第四楽章の3回目のハンマーを叩くかどうかが昔から議論され、3回目を復活させている演奏も多い。また、この作品でマーラーとしては珍しく第一楽章の主題をリピートしている。ほとんどの演奏がリピートを実行しているのでこの点はあまり議論の対象にならないが、ブラームスの1番や2番、あるいはドヴォルザークの新世界の場合、カラヤンを始めリピートを省略する演奏がほとんどで楽譜通りリピートする演奏は少なくなったので、なぜこの曲の場合はリピートの指定を守る演奏が多いのかは本当は論点になるテーマだと思う。

 さらに、もうひとつの論点が第二楽章と第三楽章の順番である。60年代〜80年代に第二楽章アンダンテ、第三楽章スケルツォという順番で演奏したのはバルビローリと東独のレーグナーの演奏ぐらいしかなかった。他はいずれも1963年に出版されたラッツ校訂版の通り第二楽章スケルツオ、第三楽章アンダンテで演奏していた。

 しかし1963年にラッツ校訂版が出る前は、この曲の初録音とされる1952年のアドラー/VSO盤や1955年のミトロプーロス/NYPのライブ演奏などが第二楽章アンダンテ、第三楽章スケルツォの順番で演奏しており(ただしミトロプーロスは1959年のケルン放送響とのライブではスケルツォ→アンダンテで演奏している)、2003年には国際マーラー協会が「第二楽章アンダンテ、第三楽章スケルツォが正しい」と発表するに至った。このため最近はこの順番で演奏するケースが増えているようだ。

 この件に関するキャプランの寄稿が下記サイトに引用されており、ミトロプーロスによる1947年の米国初演がアンダンテ→スケルツォだったことをこの順番が正しいとする根拠にしているようだが、ミトロプーロスが1959年のケルンではスケルツォ→アンダンテで演奏していることをキャプランは知らないのだろうか? 
(神崎正英氏の「音楽雑記帖」HP)
http://www.kanzaki.com/music/cahier/mahler6satz-order

 1959年のケルンでの演奏はEMIがCZS-5754712という番号で正規音源からCD化したことがあるのでスケルツォ→アンダンテの順番で演奏されたことは間違いない。1963年にラッツ校訂版が出る以前から両方の順番が存在していたのだ。そもそもミトロプーロスはワルターやクレンペラーのようにマーラーの弟子ではない。彼は1896年生まれなのでストコフスキーのようにマーラーの演奏を生で聞いたことも恐らくないだろう。ミトロプーロスの演奏を根拠にアンダンテ→スケルツォが正しいと判断するのは無理があると思う。

 ヤマギシケンイチ氏の下記HPにあるようにマーラーがエッセンで初演した際は第二楽章アンダンテ、第三楽章スケルツォだったようだが、マーラー自身が常にこの順番に迷っていたということも間違いない。順番は指揮者が判断すれば良いのではないだろうか。例えば「次の演奏会ではこの順番で演奏してほしい」と言った手紙の1通でも新たに発見されれば状況はいくらでも変わってしまうので、歴史考証は専門家に任せておけば良いと思う。私は音楽的にみてどちらの順番が説得力が強いかを考えてみたい。
(ヤマギシケンイチ氏のHP)
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler6.htm

 ベートーヴェンの8番までの交響曲はいずれも4楽章構成の第二楽章にアンダンテやアダージョのような緩徐楽章を、第三楽章にスケルツォ(あるいはメヌエット)を置いている。しかし第九では第二楽章をスケルツォ、第三楽章を緩徐楽章とした。これは第九の第一楽章と第四楽章のパワーバランスが8番までと異なるためだと私は考えている。

 8番までのほとんどの交響曲は、楽譜通りリピートを実行した場合第一楽章が最大の規模になるように書かれている。巨大な第一楽章の興奮や緊張を和らげるのが第二楽章に置かれた緩徐楽章であり、続く第三楽章のスケルツォ(あるいはメヌエット)で雰囲気を変えて第四楽章になだれ込む。多くの場合第三楽章と第四楽章を足せば(リピートを実施した)第一楽章を超える規模になるので、緩徐楽章が折り返し地点ということになる。ブラームスやチャイコフスキーのいずれの交響曲もほぼこのルールに従って書かれている。

 ベートーベンの5番は第一楽章よりも第二楽章や第四楽章の方が長いが、この曲の第一楽章は短くてもテーマが強烈なので例外だろう。それでも第四楽章が時にくどく感じられるのは本来的なバランスで言えばこの曲の第四楽章は第一楽章より短くあるべきだからではないだろうか。

 ところが第九の場合は第四楽章が第一楽章よりもはるかに長大なため、一息つくためのアダージョを第三楽章に置き、スケルツォは第一楽章の緊張の延長線上として第二楽章に置かれることになった。ただし、第一楽章と第二楽章を足せば第四楽章を超える規模になるので緩徐楽章が折り返し地点になるという点は変わらない。

 これはブルックナーの場合も同様で、7番のように第一楽章が第四楽章よりも巨大な場合は第二楽章が緩徐楽章、第三楽章がスケルツォとなり、8番のように第四楽章の方が第一楽章よりも巨大な場合は逆の順番になる(第一楽章と第二楽章を足せば第四楽章をやや超える規模になる)。

 ただしベートーベンやブラームスと比べてブルックナーが特徴的なのは緩徐楽章が非常に巨大なことで、8番などは緩徐楽章自体が全曲の最大楽章になっている。単に前の楽章を受け止めるだけでなく精神的なクライマックスを緩徐楽章に持ってきたところにブルックナーの独自性があるのだ。未完に終わった9番も8番と同様スケルツォが第二楽章に、アダージョが第三楽章に置かれていることから、第四楽章は少なくとも第一楽章以上、恐らくは第一楽章と第二楽章を足したに近い規模を想定していたと考えられる。完成していれば100分近い大作になっただろう。

 話題がマーラーから反れたが、この6番の場合はどうだろうか? リピートを実施しても第一楽章よりも第四楽章の方が規模が大きい。スケルツォを第二楽章に置けば第一楽章と第二楽章を足して第四楽章を上回るのでアンダンテを第三楽章に置けばちょうど折り返し地点ということになる。交響曲の伝統的なルールに従えば間違いなくスケルツォ→アンダンテだ。

 ただしここで考慮に入れなければいけないのは、そもそもマーラーの他の交響曲でこの伝統的なルールに従っているのは1番(最終稿の4楽章版)と9番ぐらいしかないことだ。1番は第四楽章が第一楽章より大きいのでスケルツォ→緩徐楽章、9番は第一楽章が第四楽章より大きいので緩徐楽章(レントラー)→ロンド・ブルレスケになる。しかし、2番3番5番7番は5楽章編成、8番は2部編成という変則である。4楽章構成の4番は第二楽章がスケルツォ、第三楽章が緩徐楽章だが、第四楽章は当初3番用に書かれた声楽付きの短い曲であり第一楽章よりもはるかに小さい。

 このためこの6番に伝統的なルールが当てはまるのか、当てはまらないのかは判断が難しいところだが、少なくとも聞き手にとって自然に感じられるのはスケルツォ→アンダンテの順番だということは間違いないだろう。アンダンテを前に持ってきてしまうと後半のスケルツォ+第四楽章が長大すぎてバランスが悪いと私は思うがみなさんはいかが感じられるだろうか。

 この曲の第四楽章は非常に長大なのでスケルツォ→アンダンテでも、第一楽章を速めのテンポで演奏した場合、リピートを省略してしまうとスケルツォと足しても第四楽章の規模に及ばない可能性がある。ほとんどの演奏がリピートを省略せずに実行しているのは第一楽章+スケルツォと第四楽章のバランスを取るためだと考えられないだろうか? 要するに緩徐楽章が真ん中にないと収まりが悪いのである。これを「緩徐楽章折り返し理論」とでも名付けておこう(笑)。

 さてこの演奏は2006年に初めてCD化されたもので、ラトルが1987年11月にベルリンフィルにデビューした際のライブ録音だ(すでに廃盤で入手は難しいようだが)。ラトルの2年後のバーミンガムでのスタジオ録音より熱のこもった良い演奏だと思うが、80年代当時としては珍しいアンダンテ→スケルツォの演奏だ。最近はアバドもこの順番で演奏している。アバドもラトルも5番のテンポをアダージェットだけさくっと上げてしまう身軽な方なので(笑)、アンダンテ→スケルツォをファッションでやっているのか、ポリシーでやっているのか微妙なところだが、今後どちらが主流になるのか注目してみたい。

ラトル/ベルリンフィル(1987L)23:17/15:09/12:24/28:37
ラトル/バーミンガム市立響(1989)25:35/16:53/13:21/30:34

(追記)
HMVによると、ラトルがこの1987年のBPOデビュー以降この曲を振ったのは2005年のVPOとBPOの合同コンサートの時だけで、今年の6月3日にBPOで振ったのがそれ以来ということだ。1989年のバーミンガム市立響は録音のみのセッションだったようだ。1989年盤が今一つノリが悪い感じがするのはそのせいかもしれない。

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 マーラーは1911年5月18日に亡くなったので明日が100回目の命日だ。

 これは著作権の切れた50年以上前の録音ばかりで構成した交響曲全集だ。いわゆる「板起し」だと思われ、1958年のライナーの4番以外は全てモノラルだが、思いの外ノイズは少なく音質は安定している。いずれもマーラーの演奏の変遷を知る上で大変参考になる録音ばかりだ。

 フェリアーの伝説的なマーラーはこのセットにも入っている1952年のワルターとの大地の歌と1951年のクレンペラーとのライブの復活が昔から有名だが、1947年のボールトとの3番の録音が残っているとは知らなかった。テスタメントからもCD化されているBBCの放送録音だそうだ。現存する最古の3番の録音だ。ボールトのマーラーは他にエヴェレストに巨人の録音があるぐらいで珍しいのではないだろうか?

 千人の交響曲のミュンヘン初演を聴き、1917年にアメリカ初演を指揮したストコフスキーの演奏も一度聴いてみたいと思っていたものだ。この1950年の録音は現存する最古の千人の録音だ。

 昨日話題にしたワルターの47年の5番も入っている。これも現存する最古の5番の録音だ。昨日の記事と逆説的に聞こえるかもしれないが、アダージェットを本当に7分半で演奏するとどう聞こえるのかを知っておくことはこの曲を理解する上で重要なことだと思う。1955年のミトロプーロスの6番は第二楽章アンダンテ→第三楽章スケルツォの順番で演奏しているのも聴きものだ。第一楽章のリピートを省略しているので、すぐにアンダンテが来てしまう(笑)。(ただしミトロプーロスは別の1959年のケルンでの演奏では、レコード会社が勝手に編集していなければスケルツォ→アンダンテで演奏しており、50年代はどちらの順番もあり得たようだ。)

 1954年のクーベリックの巨人は1967年のDG盤と比べて第一楽章が少し速く、第四楽章が少し遅くなっており、むしろ先日紹介した1980年の演奏に近いのも興味深い。逆に言えばDG盤が少し大人しくあっさりして聞こえるのは第一楽章が少し遅く、第四楽章が少し速いためだろう。私はDG盤より良い演奏だと思う。このセットに登場する8人の指揮者ではクーベリックが最も若いということもあるだろうが、古めかしい感じはしない演奏だ。名プロデューサーだったヴィクター・オロフによる録音も鮮明だ。マーラーはハプスブルグ帝国時代の作曲家なのでチェコの人はドイツやオーストリアと同様にマーラーを自国の作曲家だと思っているという話を聞いたことがある。クーベリックの50年代からのマーラー愛が確認できたのはうれしいことだ。クーベリックがチェコフィルを指揮してマーラーを演奏したらどんな演奏になっただろうか?

 わずか千数百円でこれだけ楽しめるのだからお買い得だ。なお2番、5番、8番は同じ演奏をパプリックドメインクラシックからダウンロードすることもできる。
http://public-domain-archive.com/classic/compositions.php?composer_no=10


CD1:
・交響曲第1番ニ長調『巨人』
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ラファエル・クーベリック(指揮)
 録音:1954年(モノラル/DECCA)

・交響曲第10番嬰へ短調〜第1楽章アダージョ
 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 ヘルマン・シェルヘン(指揮)
 録音:1952年(モノラル/WESTMINSTER)

CD2:
・交響曲第2番ハ短調『復活』
 ジョー・ヴィンセント(S)
 キャスリーン・フェリアー(A)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)
 録音:1951年(モノラル/ライヴ)

CD3:
・交響曲第3番ニ短調 第1楽章〜第5楽章
 キャスリーン・フェリアー(A)
 BBC交響楽団、合唱団
 エードリアン・ボールト(指揮) 
 録音:1947年(モノラル/ライヴ)

CD4:
・交響曲第3番ニ短調 第6楽章
 キャスリーン・フェリアー(A)
 BBC交響楽団、合唱団
 エードリアン・ボールト(指揮) 
 録音:1947年(モノラル/ライヴ)

・交響曲第4番ト長調
 リーザ・デラ・カーザ(S)
 シカゴ交響楽団
 フリッツ・ライナー(指揮)
 録音:1958年(ステレオ/RCA)

CD5:
・交響曲第5番嬰ハ短調
 ニューヨーク・フィルハーモニック
 ブルーノ・ワルター(指揮)
 録音:1947年(モノラル/SONY)

CD6:
・交響曲第6番イ短調『悲劇的』
 ニューヨーク・フィルハーモニック
 ディミトリ・ミトロプーロス(指揮)
 録音:1955年(モノラル/ライヴ)

CD7:
・交響曲第7番ホ短調『夜の歌』
 南西ドイツ放送交響楽団
 ハンス・ロスバウト(指揮)
 録音:1957年(モノラル/ライヴ)

CD8:
・交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』
 フランシス・イーンド(S)
 ウタ・グラーフ(S)
 カミラ・ウィリアムズ(S)
 マーサ・リプトン(A)
 ルイーゼ・ベルンハルト(A)
 ユージン・コンリー(T)
 カーロス・アレグザンダー(Br)
 ジョージ・ロンドン(B)
 ウェストミンスター合唱団
 パブリック・スクール少年合唱団
 ニューヨーク・スコラ・カントールム
 ニューヨーク・フィルハーモニック
 レオポルド・ストコフスキー(指揮)
 録音時期:1950年4月6日
 録音場所:ニューヨーク、カーネギー・ホール
 録音方式:モノラル(ライヴ)

CD9:
 交響曲第9番ニ長調
 南西ドイツ放送交響楽団
 ハンス・ロスバウト(指揮)
 録音:1954年(モノラル/ライヴ)

CD10:
 大地の歌
 キャスリーン・フェリアー(A)
 ユリウス・パツァーク(T)
 ウィーン・フィルハーモニック
 ブルーノ・ワルター(指揮)
 録音:1952年(モノラル/DECCA)

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今日は絵画展だ。1つ目がパウル・クレーの「グラス・ファザード」、2つ目はその裏側に書かれていた少女と天使像、3つ目がオスカー・ココシュカの「風の花嫁」、4つ目がココシュカの「アルマ・マーラーの肖像」またの名を「ココシュカのモナリザ」だ。

パウル・クレーが亡くなる1940年の前年に描いた「グラス・ファサード」という作品の裏側に、逆さになった(昇天したことを意味している)少女の絵と「クレーの天使」と言われる独特の天使像が描かれていることが、半世紀も経った1990年になって発見された先日のテレビ番組で知った。この絵は後世になって発見されるようにクレーが仕込んでおいたものらしい。

そこまでは「ふ〜ん。味なことやるねえ」と思って見ていたが、私が驚いたのはこの少女が建築家グロピウスの亡くなった娘だということだ。クレーはカンディンスキーなどと共に建築家ワルター・グロピウスが設立した芸術学校「バウハウス」で講師を務めていたが、ワルター・グロピウスはアルマ・マーラーの再婚相手だ。ということは左側に描かれている逆さになった少女はアルマ・マーラー=グロピウスの3女、マノン・グロピウスだということだ。

マノン・グロピウスは美少女で、アルバン・ベルクはマノンを自分の子供のようにかわいがったそうだ。ベルクが1935年に19歳の若さで亡くなったマノンを追悼してヴァイオリン協奏曲「ある天使の想い出に」を作曲したのは有名な話だ。番組ではアルマ・マーラーのことには全く触れていなかったが、パウル・クレーとアルマ・マーラーはマノン・グロピウス経由でつながりがあったのだ。

アルマ・マーラーは恋多き女性として知られる。マーラー未亡人となった後に建築家のグロピウスと再婚・離婚し、その後小説家のフランツ・ヴェルフェルと再々婚する。10代の頃は画家のクリムトとも恋愛関係にあったらしいが、クリムトもプレイボーイで当時複数の女性を同時に身ごもらせていたらしい。さすがにこの時は周囲がアルマを引き離したそうだが、その後作曲を師事したツェムリンスキーとも恋愛関係にあったという説がある(少なくともツェムリンスキーは恋心を持っていたらしい)。

グスタフ・マーラーが亡くなった後、アルマはグロピウスと再婚する前に画家のオスカー・ココシュカとも交際していた。ココシュカはクリムトに才能を認められウィーン工芸美術学校で学んだが、この当時(26歳)はまだ駆け出しの画家だった。33歳だった喪中だったアルマの肖像を書いた際に初対面で求婚したという。アルマは「あなたが傑作をものにしたら、その時結婚しましょう」と答えたらしい。

ココシュカの代表作「風の花嫁」(1914年)は2人を描いた自画像だ。ちょっと不思議なタイトルだ。スイスのバーゼル美術館にある実物は縦181センチ、横220センチの大作らしい。ほぼ等身大ということになるだろうか?

「風の花嫁」は傑作となったが、アルマはココシュカとは結婚しなかった。アルマとの破局後、半狂乱のココシュカはアルマと等身大の人形を作らせて外出時も昼夜を共にしたらしい。ココシュカとアルマはなぜ結ばれなかったのか? ココシュカを捨ててアルマが再婚したグロピウスともなぜ離婚したのか? 調べているといろいろ分かってきたが、ちょっと生々しいのでこの辺にしておこう。

ココシュカとアルマを結びつけた1912年の肖像画「ココシュカのモナリザ」が何と東京・竹橋の東京国立近代美術館で常設展示されているというのだからこれもまた驚いた。昭和62年度購入とあるので絵画バブルで価格が急騰する直前ぐらいだろうか。この絵の歴史的な意義は背景説明がないと分からないと思うのだが、どのような解説がされているのだろうか? 

1886年生まれのココシュカは1980年まで長生きしたが、晩年のアルマ・マーラーに「愛しいアルマ、僕たちは風の花嫁のなかで永遠に結ばれているのです」という電報を送ったそうだ。アルマの70歳の誕生日だったそうなので1949年のことか? だとすればフランツ・ヴェルフェルは1945年に亡くなっているのでアルマは未亡人だったはずだ。芸術家はロマンチストだ。

アルマも後年「マーラーの音楽は好きになれず、グロピウスの建築は理解できず、ウェルフェルの小説には興味もなかったけれど、ココシュカ…。ああ、彼の絵にはいつも感動させられたわ」と語ったらしい。

結局結婚しなかったのに何を言っているのだか。いや違う。結婚しなかったからこそ「風の花嫁」は「夢の花嫁」であり続けるのだ。永遠に。


クレー解説
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/060520.htm
http://klee.b2-art.com/angel/

「風の花嫁」解説
http://www.diegoro.net/contents/05.html
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/040612.htm
http://feelingfate.blog77.fc2.com/blog-entry-750.html

バウハウスの写真
http://tanakatatsuaki.seesaa.net/article/36585849.html

ワルター・グロピウスのバイオグラフィー(英文)
http://www.germanheritage.com/biographies/atol/gropius.html

マーラー夫妻の墓
http://www.nakash.jp/opera/2004buda/7wien3/wien35mahler.htm

アルマ・マーラー解説
http://www.geocities.jp/takahashi_mormann/Articles/almamahler

東京国立近代美術館
http://www.momat.go.jp/index.html

先日の番組案内も引用しておこう

<迷宮伝説> パウル・クレー 〜時を越えてよみがえった少女の謎〜
 1940年、その独特の画風で20世紀美術史に大きな功績を残したパウル・クレーが亡くなった。死の年に彼が描いた作品「グラス・ファサード」。きわめて厳格に構成された幾何学的画面と美しい色彩の絵画。そこに記された謎の言葉・・・「一人の少女は死に、再び現われる」。
 クレーの死後50年経った1990年、突然、その言葉の謎が明らかになった。スイス・ベルンの美術館で、ある学芸員が「グラス・ファサード」の異変に気づいたのだ。作品の裏に塗られていた石膏がはがれ、そこから少女の絵が現れたのである!
 どうやらクレーは、時が経つと変化が起こる作品をあえて残したらしいのだ。クレーが晩年に好んで描いた天使に似たその少女はいったい誰なのか!? そしてクレーはどうしてこんな仕掛けをほどこしたのか!?
 さまざまな手法で絵画の限界を超えようとしたパウル・クレー。
 「グラス・ファサード」から現れた少女の謎を、発見者や研究者の証言をもとに追いながら、クレーの作品を【時間】という目線から解き明かしていく。

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