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「初稿・異稿」特集、器楽・オペラ

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 下の写真は八重洲ブックセンター前の二宮尊徳(二宮金次郎)像だ。1枚100円で金箔を購入し好きなところに貼り付ける。美しい生き方をしていれば周囲がこのように箔をつけてくれるものだ。周囲のために自分が何ができるかを考えて行動することはもちろん重要だが、周囲がどのように受け止めたのかはそれ以上に重要なのだ。

 それはこのブログでも同じことで、私が更新していない日にも毎日100人近いアクセスがあるサイトに成長しているのは、今まさにこのページを読んで下さっている皆様一人一人のおかげです。重ねて御礼申し上げます。


・ディーリアス:ピアノ協奏曲
 サー・クリフォード・カーゾン(p)
 BBC交響楽団 ジョン・プリッチャード(指揮)
 録音:1981年9月3日 ロイヤル・アルバート・ホール
http://ml.naxos.jp/album/BBCL4181-2
(追記:何とユーチューブに全曲アップされているのを見つけてしまった)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Wk4XNUPfQMk

 今年は1862年生まれのイギリスの作曲家ディーリアスが生誕150年だ。ディーリアスは私にとっては謎めいた作曲家で、のんびりした田園牧歌風の旋律が延々と続く彼の作風は、晴れるのか曇るのかはっきりしないイギリスの天気のようで(?)正直なところあまり得意ではない。ピアノ協奏曲があることもナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)のディーリアス特集で初めて知った。私の記憶にある限りこの曲が国内盤で紹介されたことはないと思う。
(NMLのディーリアス特集)
http://ml.naxos.jp/playlist/naxos/209335

 wikiで調べても「協奏作品はチェロ協奏曲以外ほとんど演奏されない」とそっけない。そのチェロ協奏曲でさえ有名なデュプレのエルガーの裏面に入っていることだけははっきり覚えているが、どんな曲だったかはあまり印象にない。このため、どちらかというと今年没後30年を迎える英国の名ピアニスト、サー・クリストファー・カーゾン卿が亡くなる前年1981年に演奏したライブだということの方にそそられて聞いてみたところ、これがとんでもない名曲・名演でびっくりだ。

 (両親はドイツ人であるにも関わらず)晩年を長いことフランスで過ごしたディーリアスだが、若い頃はグリーグと親交があり尊敬していたそうだ。確かにこの曲にはグリーグの影響が感じられる。曲はディーリアスらしからぬ(?)短調で決然と始まる。ディーリアスがこんなにガツンとした音楽を書いていたとは意外だ。第三楽章の哀愁を帯びた懐かしい感じの旋律はグリーグ風だ。カーゾンは全体としてたっぷりとしたテンポで歌うロマンティックで壮大な演奏で、(私の知る限り)これまでに商品化されたカーゾンの最後の演奏にふさわしい。

 このような素晴らしい曲がなぜあまり知られていないのか不思議だが、それはこの曲の成立過程にも理由がありそうだ。ディーリアスはこの曲の初稿を1897年に完成したが、1904年と1907年の2回に渡って大改訂を施して最終稿を完成した。初稿による演奏もNMLで聞くことができるが、最終稿で第三楽章に出てくるグリーグ風の旋律が初稿では第一楽章後半に置かれており、初稿の第三楽章には全く別の旋律が用いられているなど違いは非常に大きい。

 最終稿の第一楽章後半はより壮大に展開した後に静かになりそのまま第二楽章に接続された。第二楽章の主題は一緒だが細かい改訂が数多く加えられ、第二楽章と第三楽章も接続されたので最終稿は全曲切れ目なし単一楽章として演奏される(下記のIMSLPの楽譜にも楽章の切れ目は示されていない)。初稿の原形をとどめているのは第一楽章の前半だけだ(初稿との違いについては改めて別記事にする予定)。

 さらに、ディーリアスを熱心に演奏したビーチャムが最終稿に独自に手を加えたビーチャム版や、この曲を献呈されたテオドル・サーントーが、最終稿のピアノ・パートに手を加えてさらにヴィルトゥオーゾ風にしたサーントー版など多くのバージョンが存在するらしい。HMVの紹介によるとここでカーゾンが演奏しているのはそのサーントー版だそうだ。IMSLPでディーリアスの最終稿を2台のピアノ用に編曲した楽譜(オケのパートを1台のピアノが担当する)が手に入るのでそれを見ながら聞いたが、基本的にはディーリアスの最終稿と大きくは変わらないようだ。
(IMSLP)
http://imslp.org/wiki/Category:Delius,_Frederick
http://petrucci.mus.auth.gr/imglnks/usimg/7/7c/IMSLP02076-Delius_-_piano_concerto_-_1907.pdf

 ビーチャムの演奏もNMLで聞けるので聞き比べたところ、特に第一楽章はカーゾンの演奏よりもかなり速いテンポだった。同じ旋律でも2つ振りか4つ振りかぐらいテンポ感が大きく異なる。これだけ速いと前衛的で現代作品っぽく響き、ロマンティックな感じは大幅に薄まる。ディーリアス自身はどういうテンポを想定していたのか楽譜を確認してみたところ、(IMSLPにアップされている楽譜が正しければ)第一楽章はモデラートで、メトロノーム指定は1拍が96から112とのことだ。
(ビーチャム盤)
http://ml.naxos.jp/work/115224

 そもそもメトロノーム指定はテンポを厳密に指定するためのものなので、範囲を持ったメトロノーム指定というのは珍しい(笑)。ベートーヴェン以降ドヴォルザークもチャイコフスキー、グリーグもこういう書き方はしないので、このあたりの優柔さにもこの作曲家の個性が出ているのかもしれない。いずれにしても1拍96から112という指定からするとカーゾンのテンポは少し遅いかもしれないが、私はカーゾンの解釈を支持したい。この演奏でこの曲は新しい生命を得たのだと思う。聴衆のすさまじい熱狂もこの演奏の素晴らしさを証明している。

 最終稿の第一楽章クライマックスでカーゾン独特のオクターブトリルが聞けるのも嬉しい(IMSLPの楽譜の17ページ3段目から、上記ユーチューブの9分25秒から)。カーゾンのオクターブトリルは普通の演奏と違って不協和音がキラキラ響くのだ。普通のオクターブトリルの弾き方だと指を大きく広げて、この場合はラと1オクターブ上のラを同時に叩き、ソ(と1オクターブ上のソ)をトリルするのだが、どうやらカーゾンはラソを同時に叩いてトリルを重音で弾いている(?)ようなのだ(だが私の技量では正確には分からないが)。

 カーゾンはオクターブトリルをいつもこういう弾き方をする。奇をてらった演奏をするピアニストではないので、ヴィルトオーゾ時代の19世紀にどこかの流派にはそういう伝統があったのではないかと私は想像しているのだが、そういう説明に出合った試しがない。このキラキラするような不協和音トリルをユーチューブでぜひ多くの人に聞いて欲しい。またどうやったらこういう音になるのか、どなたかご存じだったら教えて頂きたい。

 今日では失われてしまったこの独特のオクターブトリル奏法について誰も解説してくれないので、カーゾン没後30年を記念して「カーゾントリル」と勝手に命名させてもらおう。ブラームスのピアノ協奏曲第一番はこのカーゾントリルがさらに炸裂する絶品なのでこれも紹介したいと思っている。

 ディーリアス生誕150年を記念してぜひ最近のピアニストにも録音して欲しい名曲だ。カップリングはもちろんグリーグのコンチェルトだ。私がレコードプロデューサーなら絶対にそうする。この曲とグリーグのカップリングというアルバムは残念ながらまだないようだ。

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パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 作品6(ウィルヘルミ編曲版)
シューマン:ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲 ハ長調 作品131(クライスラー編曲版)
タプコヴィッ:ヴァイオリンと管弦楽のためのスーヴニール

ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
ハインツ・ワルベルク指揮ウィーン交響楽団
録音:1978年6月 ウィーン
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2638416

 パガニーニという作曲家の扱いはヴァイオリニストによってだいぶ違うように思う。リッチやアッカルドといったイタリア系のヴァイオリニストにとっては聖典のような意味を持っているようで、24の奇想曲は恐らくバッハの無伴奏と同じくらい重要なレパートリーと捉えられているだろう。しかしそうでないヴァイオリニストも多い。

 ハイフェッツがパガニーニをあまり弾かなかったのは有名な話だし、他にもパガニーニはコンチェルトを少し弾くだけというヴァイオリニストは多い。スペシャリストとあまり弾かない人が両極端に分かれるという点では、リストのピアノ作品に通じるものがあると言えるかもしれない。実は本当に正直な話をしてしまうと私もパガニーニやリストは非常に得意とは言い難い(^^; 技巧的には本当に凄いと思うのだが、心に残るものが...などと言っては怒られるだろうか。

 クレーメルもパガニーニは合ってそうだがあまり弾かない。1969年のパガニーニ国際コンクールで優勝しているにも関わらずだ。録音はこの1番以外にはムーティと1995年に録音した4番があったぐらいだろうか。この1番では通常の慣用版でなくウィルヘルミの編曲版で演奏しているあたり、うがった趣向でクレーメルらしい(笑)。カプリングのシューマンの幻想曲もクライスラー編曲版だ。このディスクは以前紹介した1977年のシベリウスの協奏曲に続いて翌1978年にクレーメルが西独のオイロディスクに録音したものだ。コーガンも1970年代にオイロディスクに何枚かの録音をしており、オイロディスクは旧ソヴィエトと何かしらのパイプを持っていたのかもしれない。

 私はパガニーニを熱心に聞いていなかったので全然知らなかったのだが、この曲は以前は各種の編曲版が出ていてよく演奏されていたそうだ。ジャケット解説によるとこの曲が出版されたのはパガニーニの没後11年経ってからで、作曲された年代は不明だそうだ(1817年頃と推定されている)。各種編曲がなされたのはヴァイオリンソロが難しすぎる、オーケストラが平凡である、といった理由からで、優れた編曲として、このウィルヘルミ版、クライスラーによる編曲、アメリカの作曲家ロイターによる編曲、アメリカのヴァイオリニスト、ハルトマンによる編曲があるという。

 ウィルヘルミは19世紀の名ヴァイオリニストで1875年の第一回バイロイト音楽祭ではコンサートマスターを務めた。ウィルヘルミの編曲版はクライスラー版と同様、第二楽章と第三楽章を丸々カットして第一楽章だけで終わりにするもので、このクレーメル盤以外にも数種の録音があるらしい。この曲が第一楽章だけで演奏されていたとは知らなかった(クレーメルが3位に終わった1967年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで優勝したヒルシュホーンの演奏は第一楽章の後で拍手がわいていると前に書いたが、これは聴衆が熱狂したのではなく単にこれで曲が終わったと勘違いしたのかもしれない)。

 ただしジャケット解説によるとウィルヘルミ編曲版とクライスラー編曲版ではだいぶ趣向が違っていて、クライスラーが楽曲を解体して再編しているのに対して、ウィルヘルミの編曲はオケの前奏、間奏、コーダを冗長だと判断してそれぞれ短縮(というよりも改変か? 前奏などは原曲と全然違うようだ)、オケの編成をホルン4本の2管編成に改めてオーケストレーションを厚くするといった点が中心で、ヴァイオリン・ソロのパートにはそれほど手を加えていないそうだ。コーダ直前のカデンツァはフランスのヴァイオリニストであるソーレの長大なカデンツァにクレーメルが独自に手を加えている。

 この編曲版が演奏される機会は今はそれほど多くないと思うが、そもそもこの曲の原曲は変ホ長調だそうなので現行の慣用版(ニ長調)自体が編曲版のはずだ。オリジナルの原曲のままで聞いてみたいものだ。そう言えばピリオド楽器のパガニーニというのも聞かないような気がするが(ピリオド楽器でパガニーニの演奏は難しいのかも?)、昨今は原典回帰のトレンドにあるのでいずれ聞くことができるだろう。

(追記)
 ピアノ伴奏譜だがウィルヘルミ編曲版の楽譜をIMSLPで見つけた。ヴァイオリンのパート以外にどういう手が加えられているのか原曲と比較してみたい。
http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/8/8a/IMSLP64120-PMLP30286-Paganini_Wilhelmj_Concerto_No1_op6_Piano.pdf

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今年はハイフェッツ(1899年〜1987年)が亡くなって25年になる。

・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 Op.35(アウアー&ハイフェッツによる編曲版)

 ヴァルター・ジュスキント(指揮)フィルハーモニア管弦楽団
 1950年7月19-20日 ロンドン、EMIアビー・ロード第1スタジオ
http://ml.naxos.jp/album/8.111359

 フリッツ・ライナー(指揮)シカゴ交響楽団
 1957年4月19日、シカゴ・オーケストラ・ホール

 以上 ヤッシャ・ハイフェッツ(vn)

 奇しくもコーガンと同じ1950年にハイフェッツもこの曲を録音しており、これもコーガン盤と同様の(ただしそれに輪をかけた)アレンジを採用している。この版の華麗なアレンジは第一楽章の主題がオケに戻ってくる直前の4小節(123小節〜127小節、練習番号Eの5小節目〜)などにかなりはっきり出ているので聞き分けは容易だ。さらにハイフェッツはアウアー版に独自の装飾や、単音を重音にするなどの変更を随所に加えており、カデンツァのすさまじいことといったらまるで手品を見るようだ。

 おまけに第一楽章のオケの主題の後でヴァイオリンが戻ってくるまでの141小節から156小節のオケを端折るなどやりたい放題だ(ここはリッチの1950年の最初の録音でもカットされているのでこの時期の演奏では珍しくなかったようだが)。「チャイコフスキーの音楽はどこへ行った?」とか「せせこましくて騒々しい」という批判はあるだろう。私も前はそう思ったが、この演奏はハイフェッツの神技を聞くためのものでチャイコフスキーを聴く演奏ではないだろう。

 1950年と言えば、コーガンが翌年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで西側にデビューする前だ。バルト三国の一つであるリトアニア出身のハイフェッツは共産革命後のソヴィエトには戻らなかったはずなので、同門とはいえハイフェッツとコーガンの間に直接の親交があったとは考えにくい。このアレンジがアウアー門下に代々伝わる秘伝のアウアー版であることは間違いない

 元々チャイコフスキーはこの曲の初演をアウアーに依頼したが拒否されたというのは有名な話だ。その後アウアーはこの作品に独自に手を加えて演奏した。現在でも多くの演奏で採用されている第三楽章の慣習的なカット(同じ音型が繰り返される69小節〜80小節、259小節〜270小節、476小節〜487小節をカットする)もアウアーが始めたものだそうだ。このカットはRahter社から出版されているピアノ伴奏用の「アウアー編曲版」でも確認できるので追記した下記のURLを参照されたい(作曲者公認カットと注釈されている)

 1957年盤は初回の「名曲名盤」(83年)以来、破竹の6連覇を続ける名盤だ(アウアーとハイフェッツによる編曲版を使っていることはディスクに明記するべきだと思うが)。だがあまりに超絶な1950年盤と比べるとずっと大人しくなった感じの演奏だ。現在出ているステレオリビングシリーズのリマスターの効果は絶大で、音のこもった昔のCDとは別の演奏に聞こえる。それでも残響が少し長くてヴァイオリンの音が遠いため、ハイフェッツがさらに手をかけた凝ったアレンジの違いが聞き取りにくい。ハイフェッツとしても何となく乗り気薄に聞こえる。

 ハイフェッツがライナーやミュンシュと録音したのは同じ時期のベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンだけだと思う。ハイフェッツはライナーやミュンシュのような大物指揮者よりも自分のペースで演奏させてくれる伴奏指揮者の方が乗り気がしたのではないだろうか。

 ハイフェッツのチャイコフスキーを聴くなら断然1950年盤だ。この曲の演奏としては全くお勧めしないが、ヴァイオリン芸術の一つの頂点を築く、強烈で記念碑的な演奏だ。ヴァイオリンファン限定でお勧めしたい。ハイフェッツ大全集でまとめて手に入れる以外にもNAXOSの復刻版なら単品でも入手可能だ。

(追記)
 IMSLPのこの曲の「Arrangements and Transcriptions」にライプツィヒのRahter社が1899年にピアノ伴奏用に出版したアウアー編曲版の譜面がアップされているのを見つけた。しかしハイフェッツ盤や、コーガンの1950年盤の演奏はこのRahter社のバージョンではないのだ。第一楽章の123小節目(練習番号Eの5小節目)の旋律が原曲と大きく変えられているのを聞けばそれはすぐに分かる。

 Rahter社によるアウアー編曲版は原曲の旋律にはあまり大きな手を加えずに、ダブルストップを単音に削るなど原曲より簡単する方向で編曲しているようだ。ハイフェッツやコーガンが弾いている門下生用のバージョンが原曲より難しくする方向に編曲し、旋律にも大幅に手を加えているのとは対照的だ。つまりこの曲の「アウアー版」には自分やハイフェッツなどのアウアー門下生が演奏するために原曲より難しく編曲したバージョン(恐らく未出版)と、一般向けに原曲より簡単に編曲したRahter社の出版譜の2種類があるようなのだ。
http://imslp.org/wiki/Category:Tchaikovsky,_Pyotr
(原典版)
http://erato.uvt.nl/files/imglnks/usimg/5/52/IMSLP18701-Tchaik_Violin_Concerto.pdf
(アウアー版)
http://erato.uvt.nl/files/imglnks/usimg/f/fe/IMSLP84757-PMLP03312-Tchaikovsky_Auer_Violin_Concerto_op35_Piano.pdf

 ハイフェッツの1957年のステレオ再録音ではオケのカットは減っているようだが(指揮はライナー)、ヴァイオリンのパートは1950年盤と同じ版を演奏しているようだ。興味深いことに、同じアウアー一門でもコーガンは1956年の再録音では旋律に大きな手を加えていないRahter社のアウアー版を用いているようだ。ハイフェッツが難易度の高いアウアーの門下生用(?)バージョン版に最後までこだわり続けたのとは対照的で興味深い。

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・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 Op.35(アウアーによる門下生用の編曲版)
 ワシリー・ネボルシン指揮モスクワ放送交響楽団
 1950年10月1日

・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 Op.35(Rahter社出版のアウアー編曲版)
 アンドレ・ヴァンデルノート指揮パリ音楽院管弦楽団
 1956年6月録音。
 コンスタンティン・シルヴェストリ指揮パリ音楽院管弦楽団
 1959年11月

 以上 ヴァイオリン:レオニード・コーガン

 ソヴィエトの演奏家が西側で演奏する際は何かしらの報告の提出を求められていただろうことは想像に難くない。繊細で神経質なコーガン(厚生年金ホールで演奏した際、隣接する結婚式場の音が漏れてくることを嫌って演奏を中断したことがあるらしい)にとってそれは苦痛なことだったろう。このことが70年代以降コーガンが西側であまり演奏しなくなってしまうことと関係しているのかもしれない。

 コーガンは50年代にギレリス、ロストロポービッチとトリオを組んでいたが、ソヴィエト当局は反体制運動家だったロストロポービッチの動きについてコーガンにレポートするよう命令していたようだ。このことが原因でロストロポービッチはコーガンと一方的に決別したらしい。70年代以降よりも50年代〜60年代の録音の方が、また西側を訪問した際の録音よりもソヴィエト国内の演奏の方が伸び伸びと弾いているような気がするのは東西冷戦の影響なのではないだろうか?

 コーガンのチャイコフスキーのコンチェルトは1950年のソヴィエトでの演奏(ブリリアントのコーガン・エディションに入っている)、1956年のEMIへのモノラル録音、1959年のEMIへのステレオ再録音の3種類が残っている。1956年の録音はテスタメントが復刻しているが、1959年盤は以前東芝EMIがCD化していた他フランスEMIが出していたことがあるそうだ(この録音はマスターテープに事故があったのか第一楽章の一部がモノラルになっている)。

 最初の1950年の演奏(スタジオ録音のようでヴァイオリンの音は生々しいくらいしっかり入っている)は、勢いがあるだけでなく第一楽章の123小節などで旋律に手を加えた華やかなアレンジが加えてある点に特徴がある。ハイフェッツも同じ版(さらに輪をかけてアレンジした版)で演奏していることから、これがアウアー門下に伝わるアウアー版であることは間違いないだろう。

 コーガンはEMIへの1956年と1959年の録音ではモスクワでの1950年盤とは別のバージョンを演奏している。EMIの2種の録音もこの時期のコーガンの冴えた音色とテクニックが楽しめるし、1950年盤より落ち着いて聞ける演奏ではあるが、聞いていて痛快なのは1950年の演奏だとも思う。


(追記:)
 コーガンが1950年盤で演奏しているアウアー版は1899年にRahter社が「アウアー編曲版」としてピアノ伴奏用に出版した譜面とは別バージョンであることが分かった(次のハイフェッツの記事に楽譜を引用しておいたのでそちらも参照されたい。

 このバージョンはハイフェッツ盤やコーガンの1950年盤のように原曲の旋律に手を加えることまではしていない。原曲のダブルストップを短音に変更するなどむしろ簡単にする方向で編曲されている。この曲の「アウアー版」には門下生用に原曲より難しく編曲したバージョン(恐らく未出版)と、一般向けに原曲より簡単に編曲した出版譜の2種類があるのだ。

 さらに興味深いことに、コーガンがEMIへの1956年と1959年の録音で使っているのは、どうやら1899年にRahter社が「アウアー編曲版」として出版したバージョンのようなのだ。違和感は少ないが地味な感じになってしまう(これなら原曲のままの方が良いのではないかと個人的には思う)。

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「ザルツブルグ・リサイタル1978」
・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調 Op.12−1
・ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調 Op.108
・フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
・ラヴェル:ツィガーヌ
 ニーナ・コーガン(p)
 録音:1978年8月8日 ザルツブルク祝祭大劇場[ステレオ]

・フランク:ヴァイオリン・ソナタ(ヴァイオリン&オーケストラ版)
 パーヴェル・コーガン(指揮)ソ連国立交響楽団
 1980年1月9日

 以上 レオニード・コーガン(vn)

 ウクライナ出身のコーガンは6歳からアウアー門下のPhilp Yampolskyに師事、10歳の時にはモスクワに家族で移り住んでモスクワ音楽院でAbram Yampolsky(この人もアウアー門下だそうだがPhilp Yampolskyとは関係ないらしい)に師事したが、1936年に日本への演奏旅行から帰国する途中でモスクワを訪問したティボーもコーガン少年の才能を高く評価したそうだ。Wikiにはティボーがコーガンを自宅に住まわせてヴァイオリンを習わせたとあるが、ティボーがコーガン少年をパリに呼び寄せたのだろうか? これが事実ならコーガンはアウアー派でありながらフランコ・ベルギー派の直系でもあるということになる。

 コーガンが西側で有名になった戦後初(1951年)のエリーザベト王妃国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で審査委員長を務めたのもティボーだったそうだ。この時ティボーと並んで審査員を努めたオイストラフは「ソ連が優勝したいならコーガンを送り込む必要がある」とスターリンに進言したらしい。ティボーは多くの弟子を育てたことでも知られるが、コーガンもムローヴァや日本の佐藤陽子、藤川真弓など多くの弟子を育てた。これは自分も育ててもらったという気持ちが強かったからはないだろうか。

 なのでフランクやラヴェルといったフランスものも十八番だったのだろう。1966年、1973年に続くザルツブルグ音楽祭への3度目(そして最後)の登場となった1978年のリサイタルが数年前になって初めてCD化されたが、ここでもフランスものを取り上げている。

 コーガンの70年代以降の西側での演奏や録音は多くはない。(正規録音は1972年と1974年に独オイロディスクに録音したバッハのソナタとメンデルスゾーン/ブルッフのコンチェルトぐらいか?)このため、このディスクは期待して聞いたのだが、まあまあというところか。50年代から60年代の演奏と比較すると穏やかになった分、切れ味が後退してやや単調になったような気がする。左手の音程もわずかに甘くなったような気がする。期待が大きすぎたか?

 ピアノと違ってヴァイオリンは自分で音程をとらなければならないので年齢が演奏に出やすい面がある。70年代後半からコーガンがあまり西側に出なくなってしまったのは、もしかしたらそのせいなのかもしれない。しかしソヴィエト国内では活発な演奏活動を続けていたようで、ブリリアントから出ていた10枚組の「コーガン・エディション」には亡くなる前年の1981年までの演奏が多数収録されている。

 ここで珍しいのは1980年のオケ伴奏に編曲したフランクのソナタだ。おおげさで思わず笑ってしまう部分もあるが、フランスのエスプリよりもロシア的な雄大さを感じさせるロマンティックな演奏ではある。こういう版をわざわざ作成してオケを動員して演奏するということ自体、この曲に対するコーガンの愛着を示しているのではないだろうか? 好事家向けのアイテムには違いないだろうが私は楽しんだ。

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