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マゼール

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モーリス・ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調

[指揮]ロリン・マゼール
[演奏]ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、
アリス=紗良・オット(ピアノ)
[収録]2012年9月ガスタイク・フィルハーモニー(ミュンヘン)
[映像監督]ステファン・オーヴ
https://www.youtube.com/results?q=alice+ott+ravel

 マゼールはカラヤンやバーンスタイン、あるいはアバド、メータ、小澤と比べても協奏曲の録音が少ないことは以前クレーメルとのチャイコフスキーの記事で指摘した。しかし実演では、少なくとも晩年のマゼールは若手との共演を楽しんでいたようだ。アリス=紗良・オットは特にお気に入りだったようで日本でも共演していたし、キャンセルされた今年5月のボストン交響楽団の公演ではヴァイオリンのジャンニーヌ・ヤンセンとの共演が予定されていた。

 この映像はマゼールが音楽監督を務めていたミュンヘンフィルの公演でアリス=紗良・オットと共演したものだ。私がヤルヴィの公演でリストの協奏曲を聴いてから数ヶ月後の公演だが、アップ映像で見るとぐっと色っぽいことにまず驚かされる(足は例によって素足だ)。曲もリストよりはラヴェルの方が合っているように私には思える。

 軽妙で快活なピアノとグラマラスなオケの組み合わせは、フランスっぽいかどうかは別として意外に合っている。それにオットのアイコンタクトがおやじ殺しで罪作りだなあ(笑)。しかめ面のマゼールもいつものように口をへの字にしつつも、第二楽章のピアノソロの部分では「うん。そうそう。いいんじゃない」とでも言いたげな表情で聞き入っている。晩年のマゼールが好々爺だったことを示す格好の映像なのではないか。

 なお上記ユーチューブの映像には日本では放送されなかったオットとマゼールの短いインタビューが挿入されている。ドイツ語は全然分からないのが残念だ。オットがルービックキューブ(懐かしい!)が上手だということは良く分かった(笑)。後半プロのストラヴィンスキーのペトルーシェカの後にアンコールで演奏されたラヴェルのラヴァルスもマゼールらしいデフォルメ全開で必聴だ。

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・交響曲第6番イ短調『悲劇的』

 ロイヤルコンセルトへボウ管弦楽団
 ロリン・マゼール(指揮)
 収録時期:2010年10月20日(ライヴ)
 収録場所:アムステルダム、コンセルトヘボウ
https://www.youtube.com/results?search_query=maazel+mahler+6

 これはマーラー生誕150年を記念してロイヤルコンセルトヘボウが9人の指揮者を起用して演奏した交響曲全曲演奏会の1つだ。すでに11枚組のBDやDVDでも発売されているものだ(本来はBD5枚ぐらいに収まるはずだが)。私はクラシカジャパンの放送で見た。

 マゼールがロイヤルコンセルトヘボウを指揮した演奏は少なくとも録音では珍しいと思う。何と意外なことに暗譜ではなく譜面を見ながらの指揮だ。マゼールは確か若い頃は暗譜が早いことで知られただけに、「あれっ?」っと少し心配してしまったが、心配は不要でここぞというところでグっとテンポを落として粘るマゼール節は全開だ。オケの並びはアメリカ型(ストコフスキー型)で流行の両翼(対向)配置などは採用していないところもマゼールらしい。

 6番で問題になる中間2楽章の順番は従来通りのスケルツォ→アンダンテだ。安易にアンダンテ→スケルツォに変更しないあたりが「オレはこういう音楽をやってきたんだ。文句あるか」とでも言いたげでかえって気持ちがいい。

 マーラーの交響曲第6番の第2楽章と第3楽章について、2003年10月に「楽章順はアンダンテ→スケルツォとする」と国際マーラー協会が宣言して以降の主なマーラー指揮者による中間楽章の順番を簡単に調べてみた。情報ソースはCDの演奏とyoutubeだ。ギーレンの2つの演奏については助六さんとM.F.さんに情報を頂いた。

 1930年代以前に生まれた巨匠世代ではマゼール、ハイティンク、インバルが変更なし、アバドと最近のギーレンが変更ありだ。それ以降の指揮者ではゲルギエフとシャイーが変更あり。この他の指揮者ではラトルが1987年以来アンダンテ→スケルツォを採用していることを以前の記事で紹介した。今回調べた範囲では若い世代の指揮者ほど変更する傾向があるようだ。敢えて変更なしのマゼール、ハイティンク、インバルは国際マーラー協会の発表を知らないはずがないので確信犯だ。
http://blogs.yahoo.co.jp/takatakao123/38389209.html

アバド/ベルリンフィル(2004)アンダンテ→スケルツォに変更
ヤンソンス/ロンドン響(2005)アンダンテ→スケルツォに変更
ヤンソンス/ロイヤルコンセルトヘボウ(2005) アンダンテ→スケルツォに変更
ギーレン/北ドイツ放送響(2005)スケルツォ→アンダンテのまま
ゲルギエフ/ロンドン響(2007)アンダンテ→スケルツォに変更
ハイティンク/シカゴ響(2008)スケルツォ→アンダンテのまま
マゼール/フィルハーモニア(2011)スケルツォ→アンダンテのまま
ヤンソンス/バイエルン放送響(2011)スケルツォ→アンダンテに戻す
シャイー/ライプツィヒゲヴアントハウス(2012) アンダンテ→スケルツォに変更
インバル/東京都響(2013) スケルツォ→アンダンテのまま
ギーレン/南西ドイツ放送響(2013)アンダンテ→スケルツォに変更

 面白いのはヤンソンスで、2005年のロンドン響とロイヤルコンセルトヘボウで順番を変更しておきながら、2011年のバイエルン放送響ではスケルツォ→アンダンテに戻してしまった。古くはミトロプーロスが1955年のニューヨークフィルでアンダンテ→スケルツォとしながら、1959年のケルン放送響ではスケルツォ→アンダンテに戻していることを以前ラトルの記事で指摘した。ヤンソンスもミトロプーロスと同じ結果になったようだ。

 私は個人的にはスケルツォ→アンダンテの方が音楽的だと思っている。この曲は第一楽章より第四楽章が長いので、第三楽章に緩徐楽章であるアンダンテを置けばここが全曲の折返しになる。こうすれば4楽章の交響曲の古典的なルールに従うことになって収まりが良い。逆に第一楽章の方が第四楽章より大きければ第二楽章が緩徐楽章になる。運命など一部の特殊な交響曲を除けば古典派からロマン派の4楽章で書かれた交響曲のほとんどがこのルールに従っている(私はこれを「緩徐楽章折返し理論」と勝手に名付けている)。このこともラトルの記事で何年も前に指摘した。

 国際マーラー協会がアンダンテが第二楽章と発表した根拠も今ひとつはっきりしないようなので、結局はスケルツォ→アンダンテに戻す指揮者が増えてくるのではないかというのが私の予測なのだが、どうなるだろうか。

 マーラーの場合、マーラー協会新全集版が必ずしも正しいと言えるのかどうか? 新全集版では巨人の第三楽章冒頭がコントラバスのソロでなく、全員ユニゾンするトゥッティに変更されたが、ここをトゥッティで演奏している例を私はいまだに聴いたことがないのだが。

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シベリウス
1. 交響曲第3番 ハ長調 Op.52
2. トゥオネラの白鳥 Op.22-2
3. 「カレリア」組曲 Op.11
4. 悲しきワルツ Op.44-1
5. フィンランディア Op.26

 ピッツバーグ交響楽団
 ロリン・マゼール(指揮)
 録音時期:1990-92年

 各種媒体で既報の通りアメリカの名指揮者ロリン・マゼールが7月13日に亡くなった。1930年生まれで享年84歳になる。1月に亡くなったアバドが長く闘病生活をしており活動の場をルツェルン祝祭管などに限定していたのに対して、マゼールは日本を含めて昨年も100回以上の公演をこなしていただけに突然だ。5月のボストン響との来日をキャンセル(代役はデュトワ)していたので体調を崩したのかなとは思っていたのだが。

 マゼールとアバドは3歳違いだ。前後の世代の指揮者をざっと調べると以下のようになる。6月11日に亡くなったフリューベック・デ・ブルゴスはアバドと同年齢だ。

1925年
ブーレーズ

1926年
テンシュテット

1927年
ベルティーニ、ブロムシュテット、マズア、ギーレン、デイヴィス

1928
スヴェトラーノフ、プレートル シュタイン

1929
ケルテス ハイティンク ドホナーニ

1930年
マゼール、クライバー、シッパーズ

1931
サンティ

1932
パターネ フェドセーエフ

1933年
アバド、フリューベック・デ・ブルゴス

1935年
小澤征爾

1936年
インバル、メータ、デュトワ

 さて、今回取り上げるのはマゼールのシベリウス「トゥオネラの白鳥」だ。マゼールはシベリウスの交響曲全集を2回も録音しているが、これは北欧系や英国系の指揮者以外では大変珍しいことだ。少なくとも私が知る限り他にはいない。アバドやムーティあるいはバレンボイムのように、どういう理由からかシベリウスを振らない指揮者も少なくない中で、マゼールにとってシベリウスが特別な存在であったことは間違いない。その理由がぜひ知りたいところだ。

 このトゥオネラの白鳥では特に思い入れたっぷりのマゼール節が聞ける。この曲は通常7分〜8分、遅めでも9分程度で演奏されるが、この演奏は何と12分もかけている。トゥオネラというのは日本で言うところの三途の川を意味しているそうだが、マゼールにとってのトゥオネラは蕩々と淀みなく流れる川ではなく、様々な苦楽を飲み込みながらじわりじわりと流れる川のようだ。

 楽譜はメトロノーム指定はないとはいえアンダンテ・モルト・ソステヌートとあるので、ほとんどアダージョに近いマゼールのこのテンポはシベリウスとしてはちょっと想定外かもしれない。だがこの入魂の演奏を敢えてマゼールの名演の1つに数えたい。カップリングのフィンランディアも闘争を経て勝利に沸くというよりは、戦いで得た勝利の苦さを感じさせる独特の表現だ。派手に盛り上がることのない沈み込んだ独特のシベリウスの世界だ。

 この演奏はしばらく前からいずれ紹介しようと思っていたもので、まさか追悼記事で書くことになるとは想像しなかった。巨匠のご冥福をお祈りしたい。

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ワーグナー:ニーベルングの指環(マゼールによる管弦楽編)
・『ラインの黄金』より
  「かくてラインの「緑色のたそがれ」が始まる」
  「ヴァルハラ城への神々の入城」
  「地下の国ニーベルハイムのこびとたち」
  「雷神ドンナーが岩山を登り、力強く槌を打つ」
・『ワルキューレ』より
  「われらは彼の愛の目印を見る」
  「戦い」
  「ヴォータンの怒り」
  「ワルキューレの騎行」
  「ヴォータンと愛する娘ブリュンヒルデとの別れ」
・『ジークフリート』より
  「ミーメの恐れ」
  「魔法の剣を鍛えるジークフリート」
  「森をさまようジークフリート」
  「大蛇退治」
  「大蛇の悲嘆」
・『神々の黄昏』より
  「ジークフリートとブリュンヒルデを包む愛の光」
  「ジークフリートのラインへの旅」
  「ハーゲンの呼びかけ」
  「ジークフリートとラインの娘たち」
  「ジークフリートの死と葬送行進曲」
  「ブリュンヒルデの自己犠牲」

 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ロリン・マゼール(指揮)
 収録時期:2000年10月17、18日
 収録場所:ベルリン、フィルハーモニー(ライヴ)
https://www.youtube.com/results?search_query=ring+maazel
http://www.youtube.com/watch?v=ij2UfkIgoFQ

 マゼールは1960年に30歳の史上最年少で「ローエングリン」でバイロイト音楽祭にデビューしたり、1963年のベルリンドイツオペラによる「トリスタンとイゾルデ」日本初演を指揮したりとワーグナーの作品をキャリア初期から積極的に取り上げてきた。しかし不思議なことにワーグナーのCDはほとんどなく、私が知る限りバイロイトデビュー時のローエングリンの海賊盤と、新潮オペラCDブックで出ていた1968年のバイロイトの指輪全曲(これも海賊盤)があったぐらいだ。

 そのマゼールがCDや演奏会で積極的に取り上げているのが自身の編曲による指輪ハイライトだ。ベルリンフィルを起用して1987年12月にテラークに録音し2000年には演奏会でも披露している。1987年と言えばポスト・カラヤンに向けてマゼールが最も意欲を燃やしていた時期だ。そういう重要な時に敢えてこういう自前の特殊な作品を演奏させるところがマゼールという指揮者の面白いところだ。この過剰な自意識がマゼールのマゼール臭いところであり、それが人を惹きつける、あるいは人によっては嫌われる理由になっているのだろう。

 だが自意識が過剰なのはカラヤンもバーンスタインも一緒だ。カラヤン臭い、あるいはバーンスタイン臭いという表現があるのと同様にマゼール臭いという表現があることは、ある意味この指揮者の偉大な個性を表している。しかしベルリンフィルは結局カラヤンの後継にアバドを選び、アバドの後継には1999年6月にラトルを指名した。オーケストラはカラヤンやバーンスタインのように強烈な個性でリードするスーパースターではなく、メンバーを尊重して和気あいあいと統率する協調型リーダーを求めるように変化していたのだ。

 それにも関わらずベルリンフィルが2000年になって再びマゼールの編曲を敢えて演奏会で取り上げたのは「たまにはこういう癖の強いタイプもいいかも」という意味だろうか。実際マゼールは一部の団員には強く支持されているらしい。マゼールの編曲はなかなか良くできており一つのオーケストラピースとしてまとまっていると思う。マゼールはこの作品に愛着を持っているようで2009年1月のウィーンフィル、2012年10月にはN響のコンサートでも取り上げている。

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マーラー:交響曲第5番

ロリン・マゼール指揮ウィーンフィル
1983年4月21日:NHKホール
http://www.youtube.com/watch?v=-fUikUaG_Wo
http://www.youtube.com/watch?v=-lekLzI78KA
http://www.youtube.com/watch?v=ufhKwi-QuPo
http://www.youtube.com/watch?v=bnfmFGn4YeQ
http://www.youtube.com/watch?v=1PTBvHfsyHw

ロリン・マゼール指揮ミュンヘンフィル
2002年
http://www.youtube.com/watch?v=E9D1svZ9Y0s

 以前紹介したアバドの巨人と同じ1983年の懐かしい来日公演の映像だ。これも約20年後の2002年の演奏と比較できる。アバドの巨人は1983年の方が腰が据わっているのに対してマゼールの5番は逆に2002年の方が良いと思う。83年の演奏は手練手管を尽くして必死にウィーンフィルをドライブしている感じだが、2002年の指揮ぶりにはもっと懐の深い落ち着きと、より濃厚なマゼール節が聞き取れる。

 83年の演奏もマゼールらしさでは2002年に及ばないものの決して悪くない。意外にもウィーンフィルが日本でマーラーを演奏したのはこの1983年が初めてだ。ウィーンフィルはフル編成で初めての来日となった1959年にカラヤン指揮でブルックナーの8番を、その次の1969年の来日(ショルティ指揮)でも7番を取り上げているのと比較してマーラーはだいぶ遅い。ブルックナーは戦前からウィーンフィルの日常的なレパートリーに組み入れられていたが、ウィーンフィルでマーラーを定期的に取り上げる指揮者はワルターやクレンペラー亡き後バーンスタインぐらいしかいなかったのだ。

 ウィーンフィル以外のメジャーオーケストラの来日記録を見ても、マーラーを60〜70年代に繰り返し取り上げているのはニューヨークフィル(バーンスタイン指揮で1970年に9番、1974年に5番、1979年に1番)と、コンセルトヘボウ(ハイティンク指揮で1968年に1番、1974年に10番〜アダージョ、1977年に4番)ぐらいだ。バーンスタインやハイティンクと並んでマーラー指揮者という印象が強かったショルティですら1977年にシカゴ響で5番を演奏しただけ、クーベリックもバイエルン放送響で1975年に9番を演奏しただけだ。

 マーラーは70年代はまだまだ一部の物好きな聞き手向けのコンテンツで、一般の聞き手向けに「売れる」コンテンツになったのはウィーンフィルやベルリンフィルが来日公演で演奏するようになってからなのだ。その意味でウィーンフィルのこの1983年の公演と、カラヤン・ベルリンフィルの1979年の6番は日本におけるマーラー受容のターニングポイントだったと言えると思う。

(追記)
1983年のウィーンフィルのマラ5の後、アンコールでシュトラウスの美しく青きドナウが演奏され、マゼールは指揮棒をコンサートマスターのキュッヒルに渡し、ヴァイオリンの弾き振りをしたそうだ。意外と茶目っ気のあるマゼールらしいエピソードだ。

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