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国際風来坊おじさん

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NYC着

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ついに、NYCに到着した。
それにしても、あの、二つあった、名物の建物、巨大ビルが消えていた。友人とグランド・ゼロ前で合流した。

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ロッキーで野宿。寒かった。夜中には、鹿が「俺達の住みかを出て行け」とばかり、近くに来て奇声をだした。まさか、狼や熊はでないだろうなう。

砂漠での野宿は、よる寝ている時、毒蛇よけに、2M位の木の枝に、白いプラスチック袋を長くちぎって,結び、30-40分おきに振り回した。

食事は、「ダラー・ショップ」(百円ショップ)で一食100-200円だ。 LAからNYまで、自転車のパンク9回。故障はほぼ毎日だった。

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60歳直前で息子の使わなくなったさびのマウンテンバイクでアメリカを野宿で横断した。
目的は、2001年9月11日のアメリカ本土のテロリストの攻撃で、その報復として、アメリカ軍がアフガニスタンを空爆して、一般の人も多数死んだ。 残された子ども達数人を、ニューヨークのテロで崩壊した高層ビルの現場、グランド・ゼロにて、アメリカのテロで親族が犠牲になったこどもたちと和解・友好の交流を行う、資金集めだった。

2003年4月23日LAを出発、6月17日NY着。5,700KM,56日、体重は11KGS減量になった。
アメリカは広いなあ。


しかし、ぜんぜん資金集めはだめだった。 アフガンのこどもたちは、日本から本国に直接帰国した。
この企画は、将来の夢だ。

カリフォニア&アリゾナの砂漠は暑く皮膚が水ぶくれ。ロッキー山脈は登りと雪で寒かった、カンサスなどの中西部は風と雨で、「まさに、人生そのもの」だった。

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何処に行くのか?

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ヒマラヤで休憩だ。エベレスト山の近くで標高約6,000M. 酸素が少なく、すぐ疲れた。
夏の間だけ、YAK(毛長牛?)の放牧を地元民が行ったいる。
この数日後には猛吹雪に天候が急変した。

アルジェリアからモロッコに抜ける幹線道路だったが、ひつじの群れだけが通りすぎた。 ヒッチハイクする車の通過は、1日に数台のみ。 きびしいなあ。 最高待ったのは、モーニタニアのサハラ砂漠で
10日間だ。砂漠は主要ルートでも、車はこない。

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アフリカも広いよ

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ジンバエのビクトリアの滝の前にて。 頭髪,ひげは伸び放題。アフリカのサルのようだった。

チエジニアの田舎でロバ荷車に拾われた。アメリカ人の友人と、一路アルジェリアを目指し、アトラス山脈沿いに西方に旅を続けた。

サハラの列車の屋根にて。黒装束はフランス人の友人。中は暑くていられなく、屋根も列車が止まればフライパンの焼けた熱だった。 それにして、砂嵐もひどかったよ、この砂漠は。 おかげで、おれの頭髪も抜けてしまった。

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