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2007年オフ。 楽天のクローザーである福盛はアメリカはテキサスへと旅立った。 誰もが通用しないと思った事であろう。 監督である野村克也氏の反対を押し切り、その上での決断だった。 福盛はアメリカでもみくちゃにされた。 デビュー戦となった2008年3月31日、対マリナーズ戦。 0回1/3を被安打2、2四球、失点3。散々な結果でマウンドを去った。 4月の13日に成績不振で登録抹消。その後再びメジャーに昇格するも、1試合投げて登録抹消に。更に後半戦には椎間板のヘルニアの手術を受ける。 結局、2008年度成績は4試合で0勝0敗、自責点9の防御率20.25と散々なものだった。 翌年の2009年は故障者リストのマイナー契約でキャンプイン。 同年6月。福盛は日本でのプレーを希望し、レンジャーズ球団もそれを承諾。福盛和男の解雇を正式に発表。 福盛は古巣・仙台の地へ。テストを経て楽天復帰を目指す。しかし、野村監督は獲得に前向きでなく、福盛の楽天復帰は難しいものだった。 だがその後、福盛本人が野村監督の宿泊するホテルで直談判をし、涙を流しながら復帰を懇願した。 野村監督は「俺の駄目なところは情に脆いところ」。と言い、福盛の楽天復帰を了承した。 その後、新外国人トッド・リンデン外野手と共に正式に入団発表。 2年ぶりの日本球界復帰となった。 福盛は当然ながら酷使の日が続いた。 だが、男はそれに耐え抜き、見事に7勝1敗10セーブと、イーグルスのストッパーとして定着した。 そして記憶に新しい2009年10月21日のクライマックスシリーズ第一戦の対北海道日本ハムファイターズ戦。鉄平のダメ押し2ランショットの後の9回裏。4点リードでマウンドに上がった。 1点を失い、一死満塁。打者はファイターズ5番のターメル・スレッジ。 カウント1−0からの2球目は真ん中に力のない直球であった。 打った瞬間ファイターズファンはわっと口を開いた。ライトスタンドに陣取った、テレビを観ていたイーグルスファンは唖然としてその打球を見送った。 打球を見送る必要も無かった。一直線にレフトスタンドへと向かっていった。 スコアボードに記された『5x』。 このゲームこそが今年の楽天の本当のラストゲームだったのだろう。 福盛はこれが2009年の最後のマウンドとなった。 だが、楽天ファンの誰も福盛を非難する事はないだろう。 確かに楽天を裏切り、アメリカで揉まれて日本に帰って来て、最後に一番やってはいけない事をやってしまった。 だが、今年の楽天に福盛の力というものは多大なものだった。 福盛がいなかったら、3位どころか、クライマックスも出場出来ていなかったかもしれない。 福盛の良い所も悪い所もはっいきりと見れたシーズンとなった。 そんな福盛には、来季は完全とした楽天のクローザーとなって欲しい。 後ろがしっかりしているチームは強い。 強いチームは後ろがしっかりしている。 楽天の抑えと言えば福盛、福盛といえば楽天の完全なるクローザーと呼ばれるようになって欲しい。 福盛にとって、来季は更なる飛躍が待たれるシーズンとなる。 09年成績 登板35 7勝1敗10S 防御率2.18 |
狗鷲戦士2009〜
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