時事問題のメモ

時事問題などについて考えたこと。目的は手段を正当化しないし、その逆も真なり。

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北海道の滝川市で、昨年の9月、小6の女児が遺書を残して教室で自殺しました。

それに対して滝川市の教育委員会は、「いじめの事実を把握できない」とし、「遺書」ではなく「手紙」と言い張り、「自殺」を「事故」と言い張りましたが、批判を浴びると一転して事実を認めました。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/20061005wm02.htm
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20061005&j=0022&k=200610056792
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20061006&j=0022&k=200610066893
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/20061009wm00.htm

私はテレビで「千葉潤指導課長」なる人物のインタビューを見ましたが、「事実を確認できないから手紙ですし、事故です。」といった調子。普通、少しでもやましければ、動揺したりするものですが、表情を一切変えず、遠い宇宙のどこかで起こったことを語っていて、当事者意識ゼロでした。

それが一転して、「すみません」などと謝っているのを見ると、「白々しい」以外の言葉が見つからないです。

「慎重に考えすぎた」などと言っているようですが、今回のような案件は、対応が遅れれば事態が悪化してしまうのであり、可能性の段階で迅速な対応が必要です。先生や教育機関がこんな調子では、いじめにあった子供達は救いがないじゃないですか。

一つの事象で全体を語るのは危険ですが、先ほどの国旗国歌の問題と言い、教育現場はどうかしている感を強めます。

ちなみに、教育委員会についてはいろいろな議論がありますが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

少なくとも現状はあまりにも内向きで、責任感が欠けている組織で、それはやはり誰に対して責任を持っているのか、誰が責任を持っているのかが曖昧だというガバナンスの問題ではないかと感じます。
社会保険庁にも似たものを感じますね。

入学式や卒業式で教職員に国旗・国歌の起立・斉唱を求めた東京都教育委員会の通達が、東京地裁で違憲とされました。

国旗・国歌で起立・斉唱強制、都教委通達は違憲…地裁
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060921it09.htm

強制するかどうかは別として、教職員が国旗・国歌で起立・斉唱しないのは理解できない話です。

反対している教職員は、国旗・国歌に反対しているのでしょうか、それとも、日の丸・君が代に反対しているのでしょうか。

国旗・国歌で起立・斉唱するのは日本という社会の一員である以上、当然のことだと思います。
国旗・国歌というものを通して日本という社会への帰属を表現しているものだと理解しています。

そして、国旗・国歌として日の丸・君が代が定められているので、日の丸に対して起立し、君が代を斉唱しているだけのことです。

国旗・国歌として日の丸・君が代が適切かという議論がありますが、実務的な問題として、国民全員が賛成する国旗・国歌というものは存在しないわけで、いや、私は三色の旗が良い、行進できる明るい歌が良い、といってもすべての人を満足させることは出来ません。また、現在では日の丸・君が代は民主的なプロセスによって国旗・国歌と定められており、国際スポーツの場でも明らかなように国民に定着していて、それを超える支持を得られるような代替案は存在していないわけです。

そもそも、国旗・国歌で起立・斉唱すべき、ということと、国旗・国歌に日の丸・君が代が適切か、ということでは、前者が優先されるべきことだと思います。

日の丸・君が代は、「皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられ、」ということを理由に挙げるのもよくわからないところです。仮にそうだったとして、何が問題なのでしょうか。それは「事実」であって、日本という国はそのような歴史的事実を踏まえて存在し、反省すべきところは反省して、これからを考えていかなければならない、ということです。日の丸・君が代をなくせば、「皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられ、」という事実がどこかに消えるのでしょうか。忘れたいので見えないようにしたい、ということでしょうか。そうであれば、歴史の先生は、日本史で日本が戦争に走った歴史を信条・思想を理由にして教えてなくても良いのでしょうか。
良いことも悪いことも歴史上あったのが日本という国で、そこに属している我々はそれを受け継ぐ責任があるわけです。

また、繰り返しになりますが、国旗・国家法という民主的なプロセスで日の丸・君が代は決まったものであり、賛成であろうと、反対であろうとそれは守るべきです。道路交通法に反対なので、交通ルールを守らない、というのが許されないのと同じです。

それでも信条・思想を曲げたくない、というかもしれません。そうだとしたら、どうしてあえて学校の、それも公立の学校の教職員になっているのでしょうか。日本では職業選択の自由は認められています。
国の税金を使って、国の次世代を担う人材を育成する場をあえて選ばなくても、そのような信条・思想を守るなら適切な職場は他にたくさんあると思います。

もっと根本的な問題は、入学式や卒業式という場だということです。入学式や卒業式は、新しく学校で学ぼうとする子供達を受け入れる、あるいは学校で学んだ子供達を送り出す場です。その子供達が主役の式典であって、自らの思想や信条を披露するための場所ではありません。

「私は日の丸・君が代に反対である。しかし、日の丸・君が代は民主的なプロセスで決められた国旗・国歌であるし、入学式、卒業式は子供達が主役な厳粛な場であり、国旗・国歌を起立・斉唱する必要がある。だから、私は日の丸・君が代を自らの意見は別として、起立・斉唱する。」

こういう考えならわかります。これを、世の中では「常識」とか「社会性」とか言います。次世代をになう子供達に是非身につけて欲しいことです。

本来もっとも常識的な場である教育の場が、非常識なことがまかりとおる場となってしまっていることに問題を感じます。自民党新総裁に決まった安部氏は教育改革を重要な課題として挙げています。彼の方向性が正しいかは別として、現在の日本の教育現場は大いに改善の余地があることは確かだと思います。

松本智津夫の死刑確定

オウム真理教の松本智津夫の死刑が確定しました。

(産経新聞)
http://www.sankei.co.jp/news/060915/sha023.htm

(TBS)
http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3380692.html

死刑という結果については当然だと思いますし、そこに至る1つ1つのプロセスも法律としてやむを得ないと思います。

しかし、オウムの真相が明らかになったのか、ということを考えると、真相が明らかになる前に死刑というのは社会にとっていいことなのだろうか、とも思ってしまいます。

ミサイルをぶっ放した北朝鮮に対し、これまでは「平壌宣言が・・・」と言っていた日本政府も大きく舵を切って、制裁を含む国連決議へと尽力しているようです。腰砕けにならないことを祈ります。

国際社会が断固とした意志を示すことは大切ですし、制裁を実施することには拉致問題もあって、心情的に強く賛成したいところです。

ただ、制裁をした次がどうなるのかがわかりません。イラクにしろ、イランにしろ、キューバにしろ、経済制裁をして圧力をかけたところで、音を上げるという例はあまりないように思います。リビアはそれに近いのでしょうが、たいていの場合は余計意地になってしまうようにも思います。

また、金正日政権ではお話にならないことが明白になったとも思いますが、かといって、北朝鮮国内に別の勢力があって、代わりにもっとまっとうな政権ができそうだという話も聞きません。イラクの例を見てもわかるように、その後のグランドデザインなしにぶっ壊してしまうと後が大変です。仮にある程度民主的な政府が樹立できたとしても、韓国の様子を見ていると、親日的な国になるとも単純に思えません。

やっかいな国が多くて頭が痛い東アジアですが、場当たり的に問題に対応するのではなく、日本にとってどのように持っていくかという明確な目標と、それに向かう戦略が大事になってきているように思います。

なんだか隣の国からいろいろ物騒な事件があってかすんでしまいますが、広島市の木下あいりさん殺害事件、広島地裁では無期懲役の判決でした。なんだかやりきれないです。

人を一人殺せば無期懲役、複数殺せば死刑、という機械的な物なら、裁判などしなくても良いような気がします。一人の命に相当するのは一人の命であって、1:2とか1:3とかそういうものではないのではないでしょうか。

今回の事件の場合、加害者は過失でもなく故意だし、被害者には何の過失も落ち度もありません。「一人の殺害」という意味ではこれ以上重い罪はないように思います。

あいりさんのお父さん健一さんは、「あいりは声を出すと殺されると思い、涙を流しながらも、暴れなかった。何も悪いことをしていないから、暴行が終われば帰してもらえると思ったんでしょう。性的暴行は拷問に等しい。犯人は二度命を奪った」と語っています。

加害者が外国人だからと言って、罪を重くしても良いという感情は排除すべきですが、正義はどこにあるんだよ、と言いたくなります。

父親の健一さんの実名報道をしてほしい、という考えにも頭が下がります。
一般名詞の「少女」ではなく、他に代わりのいない、ただ一人の「木下あいり」さんな訳ですから。
ただ匿名で報道すれば、被害者の人権や名誉を守れると言うことではないのだと言うことだと思います。


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