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朝、フジテレビの特ダネ!を見たら、楽天の三木谷氏が生出演していた。
コメンテーターが結構かみついていて、「報道機関の公共性」を主張していた。
このテーマ、ナンセンスと思うのだが、議論自体は非常におもしろいものだった。
コメンテーターは、以下のようなことを言っていた。
「メディアには放送法だけではなく、民法や刑法も含めて厳しい制約が課されている。現場でも収益を確保しながら、それを守るための葛藤がある。参入するからにはそれなりの覚悟があるのか。」
一方、三木谷氏は、以下のように反論していた。
「私たちが参入すると公共性が確保できず、今が確保できているというのはおかしい。法律は守るのは当然だし、現在より公共性を高めたいくらいだ。」
外部の企業が放送に参入しようとすると、すぐに議論が出てくるのが「公共性」という話だが、私はこれはうさんくさいと思っている。
ライブドアのホリエモンが、ニッポン放送の買収を仕掛けたときに、人気で報道内容を決めるようなことを言ったところ、いくつかのテレビで「キャスター」が、「公共的な役割がある報道機関は、人気がなくても報道しなければならないことがある」と真顔で言っていた。
このこと意見自体はすばらしいと思うが、ちょっと考えて欲しい。
では、「人気がなくても報道しなければならないこと」は、誰が判断するのか。
どうして、一般視聴者の人気にできないことが、報道機関の社員にできるのか。してもよいのか。
報道機関の社員は、厳正な選挙ででも選ばれているのか。あるいは、報道機関の社員は特別に優秀で意識が高いから、一般人にできないことができるのか。
現実はそれからはほど遠いのではないかと思います。コネ入社の噂もささやかれる報道機関。
やらせ、あるいはそこまで行かなくても調査不足の偏った報道。
人気だけしか考えていないような、くだらないバラエティ番組。
民法の場合はさらに、スポンサーからの広告収入で成り立っています。スポンサーに不利益を及ぼす報道ができるのでしょうか。
記者クラブの問題や、創価学会の問題や、ジャニーズの問題はどうして報じないのでしょうか。
そう考えてみると、今の民放に代表される報道機関自体、特定の団体による影響を受けやすい構造で、公共的な役割を語ることは難しい面があるのではないでしょうか。
むしろ、多くの取引先から安定した収益基盤を持つ企業と一緒になったほうが、「公共性」が増すのかも知れない。
また、「公共性が求められる報道機関の現場の葛藤」というのも少々一面的な意見ではないかと感じた。
もちろん、報道機関でその葛藤の中で働く人々に対しては、素直に頭が下がります。
しかし、公共性が求められるのは報道機関だけでしょうか。
通信だってそうですし、電気だってそうです。コンビニだってそうかもしれないです。楽天が経営する通販もそうかも知れない。
それ以外の仕事だって、多かれ少なかれ公共的な役割があります。
それらの現場で働く人達も、世の中にとって良いと思う理想と、収益も確保しなければならない現実の中で、日々葛藤しながら仕事をしているはずです。私だってそうです。
それなのに、放送だけを極端に特別視したり、異分野からの参入でことさらそれを強調するのも、ちょっと違和感がぬぐえないというのが、正直な印象です。
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