時事問題のメモ

時事問題などについて考えたこと。目的は手段を正当化しないし、その逆も真なり。

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田中大臣の大学の開設不認可問題、結局認可をすることになって、まあ良かったのですが、まだ設置認可を厳格化すべきという意見がくすぶっていて、議論が逆行するのではないかと少しうんざりです。

大学が多すぎるかどうかは別として、厳格化するのであれば、既存大学の評価であって、新設の制限でそれを行うのは筋違いです。

そもそも既存の大学は認められたままで、新しい大学を認めないというのでは既得権を認めることになって不公平だ、というのがあるのですが、それ以外に一般にはあまり議論になっていないように見えるのは、入り口の制限といった事前評価は実務的に難しい、不毛だということがあります。

実績がないからです。

それなのに事前の審査をしようとしているので、2つの問題があります。

一つは形式的な基準になりすぎること。大学設置基準には第37条の校舎の面積など、事細かに規定があります。
しかし、こうした面積までも事細かに規制することが、教育や研究の質に必ず影響するのかは疑問です。

もう一つは、逆に主観による基準になること。そもそも大学設置基準には「適当」とか「適切」といった表現があり、どうすれば満たしているのかよく分からないところがあります。そのため、これは、審議会で審査することになり、はっきり言えば委員の主観で決まってしまいます。第40条の4に名称は適当であること、といった規程がありますが、実際に学科等の名称について意見がついて変えざるを得なかったという話を聞いたことがあります。こうした委員の言うことを聞いて、もし設立してからうまくいかなかったとしても、当然委員は責任をとらないのです。

結局、実績もない段階で評価しようとすると、意味があるか不明な形式的な基準で縛るか、評価者の主観で評価するかになってしまうのです。

一方で、すでに開設されて実績がある大学であれば、そんなこといっても入学者が集まっていないじゃないか、とか、研究の体制に問題があると言いますが研究成果は出ています、といったはるかに実質的な議論が可能です。

一旦設置してしまったものを退出させるのは無駄は発生しますが、入り口でどんなものがうまくいくかを見極めるのは神様ではないので難しいのです。

現状で議論すべきは、すでに設置された大学の評価です。ようやく日本の大学も、認証評価制度が導入され、7年に1回は評価を受けなければならなくなりました。しかし、この制度の評価で不適格とされたときにどうするのかは明確ではありません。
また、国立大学はこれとは別に評価を受けることになっていますが、この評価によって大学の予算配分が決まる仕組みになっているかというと不十分です。

「厳格化」するためにやらなければならないのことは、入り口ではないのです。

入り口なんて、現状より緩くてもいいとさえ思うんですけどね。

文科相、3大学開設認めず 「審査のあり方見直す」
http://www.nikkei.com/article/DGXDASDG0201R_S2A101C1MM0000/


田中大臣の大学開設の不認可、相変わらず盛り上がって(?)います。

議論を見ていると、大学が多すぎるかどうかという現状認識、そのために大学の開設を不認可するのが良いのかという手法、審議会の答申を大臣が覆すという裁量についての議論がごっちゃになっていて、それぞれ議論があるところですが、最終的な結論だけで言えば、開設を認めないのは不適切だと思います。

大学の設置認可については、事前チェックから事後チェックという方向で政策が進められてきました。
かつては設置認可は厳しく、その一方で一旦設置されればその後はチェックされないという状態だったのですが、設置認可は緩やかにして、その代わり、「認証評価」と呼ばれる事後的なチェックを、たとえば大学であれば7年に一度、受けなければならない仕組みになりました。

これは全体として規制緩和の流れにのっているものと思いますが、そもそも事前チェックだけでは、無理があるからです。どんなに細かく事前にチェックしたからといっても、あくまでも計画ですから、善し悪しを見分けるには限界があります。その一方で、通ってしまえばどうなっても、という問題です。
そのため、事前チェックより事後チェックという方針は正しいものと思います。学生の志願状況、教育研究の実績が出てくれば、もっと効果的なチェックができるはずです。

もっと言ってしまうと、現在の(いや、以前のか・・・)大学設置・学校法人審議会が審査するという手続さえ、まだまだ重いと感じます。

一応大学設置基準というものがあり、校地の面積や教員数など細かく定められているのですが、まだあいまいな裁量が残るところがあります。実際の審査の過程で、学科等の名称など非常に細かいところまで指摘があるということも仄聞します。

ただ、そうした意見を受け入れて開学したところで、きちんと学生が集まり、教育研究がうまくいくかは何の保証もないし、うまくいったからと言って審議会の委員が責任をとってくれるわけではありません。

そうしたことを考えると、設置基準に合致しているか、虚偽がないか形式的に判断すれば良い話で、審議会が審査をして、という手続さえも、過剰ではないかという気がします。

以上を敷衍すれば、大学の設置について事前チェックによる方法は限界があり、事前チェックではなく事後チェックを重視すべきであるということです。もちろん、事前のチェックで判断できれば、設置する無駄も省けるし、学んだ学生の救済も考えなくて良いので理想ではあります。しかしそれは現実的には難しい、ということです。
また、多すぎるからといって参入規制を行うことは、すでに参入している大学の既得権を保護することに他ならないので、不公平でもあるでしょう。


ちなみにアメリカの大学は設置の規制がきわめて緩いそうです。
その代わり、設置後に地域毎のアクレディテーション(認定とでも訳すしかない)を受けなければ奨学金の対象になるなど様々な便宜が図られない、という仕組みになっています。
ただ、アクレディテーションを受けなくても大学として存在することはできるので、学位を乱発するディグリー・ミルなどの問題が生じています。
そこまで緩和しなくても良いと思いますが。


さて、そもそも大学が多いのか、質が下がっているのか、といった議論は、いずれまた。

最近の大学設置認可に関わる事件でもそうですが、大学については意外に多くの人が関心を持ち、語ることに改めて驚きます。

もともとその分野に近い人が周囲に多いこともありますし、twitterでもそうした人を多くフォローしている事もありますが、それにしても大学関連についての話題や記事は多いな、と感じます。

ただし、大学というのは本当に様々なんですよね。
分野によって違いますし、レベルによっても違う。
そして時代によっても違うし、国によっても全然違う。

なので、知れば知るほど、「大学では」と一般化された議論は気になります。
どうしても自分が経験した「大学」をすべての大学に展開する議論が多く感じるんですよね。

現在大学にいる人たちでさえ、自分と異なる分野や、自分が所属している大学についてはあまり知らないんだな、と感じることもあります。
私もすべてを知っているわけではないので、自戒でもありますが。

なので、「大学は」と一般化して議論することは慎重にならなければならないし、自身の経験ではなくデータに基づいて議論することがとても大切だと思います。

それにしても、大学は多すぎる、大学教育は無駄だ、という人が大学を出ている人だというのは皮肉です。
大学を出ていない人があんなものは不要だ、というならまだ仕方ないにせよ、大学を出た人達があんなもの無駄だという状況、大学の人は深刻に考えなければならないと思います。

今回の地震で大きな被害が出たハイチは、カリブ海のイスパニョーラ島の西半分を占める国です。
東半分はドミニカ共和国となっています。

イスパニョーラ島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%A9%E5%B3%B6

は、面積76,480 km2で、北海道程度の面積を持ちます。

ハイチの壊滅的な被害に比べて、ドミニカ共和国の被害の報道は見ないようですが、どうなっているでしょうか。

この2つの国は、ジャレド・ダイアモンドの文明崩壊でも取りあげられています。
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E6%98%8E%E5%B4%A9%E5%A3%8A-%E6%BB%85%E4%BA%A1%E3%81%A8%E5%AD%98%E7%B6%9A%E3%81%AE%E5%91%BD%E9%81%8B%E3%82%92%E5%88%86%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE-%E4%B8%8B-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89/dp/4794214650/

簡単に言えば、両国は同じような境遇でありながら、当初はハイチが力を持っていたものの、現在ではハイチは荒廃し、最貧国になってしまいました。

1人あたりのGDPでみても、ドミニカ共和国の8100ドルに対し、ハイチは1316ドルと惨めな状況です。
森林の伐採もハイチで進んでしまっています。

ハイチ大地震:最貧国を直撃 長い独裁、防災に遅れ 国連部隊被害、治安悪化の恐れも
http://mainichi.jp/select/world/news/20100114ddm007030089000c.html

日本の教育の公的支出はOECD諸国に比べて少ない、増やすべきだという論調があります。

もっと教育を! 教育の公的支出、日本最下位層
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/299742/

教育は福祉と同様にお金を出すことに抵抗感が少なく、むしろ肯定的な論調になりがちですが、
そう単純ではないのではないか、と思います。

いくつか理由がありますが、まずはこれ。

OECD諸国の国民負担率(対国民所得比)
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/238.htm

このように日本の国民負担率は極めて小さいので、単純に考えれば、各々の支出もOECD諸国に比べて小さくなるのは当然の帰結です。

「たとえ国民負担率を高め(増税して)でも、教育の公的支出を増やそう」というのなら議論ができます。

その他、以下のような疑問があります。
・OECD諸国並みに必要というが、いったい何が足りなくてどのような問題が生じているのか今ひとつよくわからない。建物?教員の給料?授業料の低減?それがどんな効果があるのだろう?
・そもそも周りがそうだから自分も、という議論の持っていきかたはどうか。
・少子化が進んだ日本は人口あたり(つまりほぼGDPあたり)の子供が少ない。子供1人あたりでは変わらないのでは。
・初等教育、中等教育、高等教育、あるいは就学前教育のどこに金を出すべきか。高校までの進学率は100%近いとしても大学は50%程度。大学に行かない人からも税金を取って大学に行く人に投入し、その人の給料も高くなるということに対して理解が得られるか。


必要なところには優先的に税金を使うべきだし、教育でもそうすべきところがあるとは思いますが、
「OECD諸国と比べて・・・」という論理での議論はちょっと拒絶反応を起こしてしまいます。

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