時事問題のメモ

時事問題などについて考えたこと。目的は手段を正当化しないし、その逆も真なり。

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金持ちは悪いことか

最近の風潮でどうも違和感を感じるのが、ホリエモン逮捕以来の金持ち批判の風潮です。

村上ファンドでは、「もうけることはいけないことですか。」という代表の発言が大きく報じられ、こんなにもうけた、と言った運用実績が悪いことのように報じられています。

日銀の福井総裁の資産運用の話も、こんなに資産を持っている、なのにこんなに年金をもらっている、とそれ自体が悪いかのように報道されています。

先頃の美容整形医の娘の誘拐事件も、こんなに金持ちでテレビに出ていた、ということが強調されます。

何事も行き過ぎというものはあるものとは言え、ちょっと最近度が過ぎているように感じます。一言で言えば、「妬みは見苦しい」ということです。

議論すべきは、金を持っていることではなく、どうやって儲けたかということと、それをどうやって使っているかと言うことだと思います。

儲けることはすばらしいことをやった結果であるべきですし、お金を持っている人はビル・ゲイツではないですが、それだけの品位がある使い方が求められる、ということも言えると思います。

村上ファンドは物言う株主としての社会的貢献と、儲けた額のバランスが崩れてしまったのかも知れません。福井総裁も為替の介入を決める立場の人が外貨預金までやっているのは見識が疑われる。美容整形医も、さんざん贅沢をしている金の使い道が上品とは思えないし、それを見た人がどのような感想を持つかまで意識が回らないのだとしたら、それだけの金を持っているに値しない器だったのかも知れません。

しかし、儲けて金持ちなのは庶民感覚として許せない、というひがみ根性には辟易です。

そんなことに関心をもって、人の足を引っ張るくらいなら、自分がどうすれば生活の質を高められるのかを考えた方が健全ですよね。

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薬事法の改正

あまり話題になっていないのですが、今国会で審議されている改正薬事法については気になっています。

「改正薬事法成立へ 大衆薬の販売見直し、1〜3類に分類」
http://www.asahi.com/health/news/TKY200604180333.html

これは、薬の販売について危険度から3段階に分け、それぞれについて販売方法の規制を変えようというものです。

「薬事法改正案、大衆薬リスクをランク分け」
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20060120ik07.htm?from=os1

リスクが高い医薬品は薬剤師による対面販売を求めるようです。
一見良い案のように見えるのですが、最近成長しているインターネットでの薬の販売を大幅に制限してしまう懸念があります。

「医薬品のネット販売14社が厚労省へ要望--「薬事法改正の審議は乱暴で不十分」」
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20094800,00.htm

どうも既得権保護の臭いがするなあ、と感じています。酒類販売の規制のように。

新聞の特殊指定の問題でもそうなのですが、たいていこのように何か変な話が出てくる場合、ルールと現実の乖離があります。薬事法では、薬剤師を置いて医薬品を販売しなければならないのに、現実は徹底されていません。また、薬を買うときに、何か専門的な判断やアドバイスを受けたことって、実際にありますか?こんな法律、意味ありますか?

一概に対面販売が安全だ、という考え方も疑問です。逆にネット販売であれば、顧客に対して何を売ったかの履歴管理も容易に実現できるため、より安全性が高い面もあると思います。

一方で、薬の販売はより厳しくするべきだという意見もあり、それももっともな気もします。

「薬事法改正案:小泉首相にメール 薬害被害者の増山さん」
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20060420k0000m040054000c.html

薬をリスクで3種類に分けて販売方法を変えることは適切であり、むしろどのような基準で3種類に分けるかだ、という考え方もあると思いますが、いろいろな思惑があるだろう中で、中立的に分けるのは本当に困難じゃないかなと言う気もします。

ムハンマドの風刺画

ムハンマドの風刺画の件、「文明の衝突」なんていう議論まで出てきて、大きくなってしまいましたね。

私も考えてみても、どっちが善でどっちが悪、と言うほど単純に割り切れていないのですが、ごっちゃにしないで、2つに分けて考えなければならないと思うのです。

1つは、表現の自由であって、もう1つはそれに対する抗議行動の問題です。

最初にイスラム教徒の抗議行動の問題で言えば、大使館に押しかけたり、国旗を焼いたりする暴力行為は間違いなく悪です。それは、何に対して抗議しているのかによらず、悪です。
また、デンマーク政府に謝罪を求める、というのも、一新聞の行いについて政府が謝罪する理由もないので、筋違いです。

もう1つ、表現の自由の問題は悩ましいところです。何でも言えて、批判できることはとても大切です。それが膨大な数の信者を抱える宗教であっても。しかし、何でもかんでも良いかと言うとそう言うわけではなく、自制と良心が求められるのは言うまでもありません。ちょっとややこしいのは「風刺画」という点です。表現や批判は別に絵でなくても良いわけで、文章でも良い訳です。しかし、ここに「絵」を使うのが欧州的な文化であって、「絵」に書いちゃいけない、という偶像崇拝否定の文化を持つのがイスラム文化なんですよね。

ですから、表現の自由というだけでなく、表現法の対立があるんじゃないかと思います。

いずれにせよ、表現の自由については、言論の世界で解決すべき事。配慮を欠いた下品な表現は、最低限存在は許されたとしても、批判されるか、黙殺されるというのが健全な文化と思います。

そして、自分の価値観が通じるのは、自分の文化、自分の国のみ、という当たり前の事実の許容、というか諦観が必要な気もします。

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国策捜査

ホリエモン、逮捕されましたね。
思ったよりも動きが早くてびっくりしました。

佐藤優「国家の罠」の一節を思い出します。

佐藤容疑者と検察官の取り調べでのやりとりです。


「・・・国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、
なにか象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」
・・・
「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。なにかハードルが下がってくるんだ」
「僕からすると、事後法で裁かれている感じがする」
「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。・・・・」
「そうだろうか。あなたたち(検察)が恣意的に適用基準を下げて事件を作り出しているのでは
ないだろうか」
「そうじゃない。実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般の国民の基準で
適用基準は決めなくてはならない。僕たちは、法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と
同じで、その基準で事件に対処しなくてはいけない。・・」


細かい法律論は別に、大きな流れがあって、その中で法律が使われていくのだと思う。

検察が国民と対立する権力側なのか、国民の民意を代表するものなのかはわからないですが、
結局のところ、ホリエモンが捕まったのは、日本の社会が彼の価値観や行動に対して、NOを出した
ということなのか、と思う。

もちろん、彼を支持する人はいる。しかし、それはやはり一部にしか過ぎず、いざこのような立場に
なったとき、「いや、彼はこんなに立派な人間だから。」とか、「こんなにすごい製品を作った人
だから」という抑止となる世論の支持がなかった、というのが現実なのでしょうか。

そう言うように「時代のけじめ」とか「社会の意志」というものが示されることについて、良いこと
なのか、悪いことなのか、判断がつきかねています。


それにしても、ホリエモンの逮捕を伝えるマスコミの人達、うれしそうですね。
しかし、あなた達も世間からの支持を既に失いつつあることを意識した方が良いよ、と
テレビに向かって言いたくなるところです。

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