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今日は昼から流動食が許され 実に11日ぶりに塩味のものを口にすることができた。もちろん米の原形も残っていないおもゆでしたが… さて今日の話題に移ります。 鉄と言うのは不思議なもので 線路に関する動物的な感が人一倍優れている。(全くなんの役にもたたない能力 )線路際の工場を見ていると 例えアスファルト舗装の道路しかなくても、線路跡が見えてくるもので… 以前からここを通過するとき ニッケ(日本毛織)印南工場の煉瓦造りの敷地内には線路が敷かれていたはずだと思っていました。今日は、時間があるので真相を調べてみた。やはり日本毛織専用線と言うのが、山陽本線沿いに 隣の宝殿駅から加古川駅まで敷かれていたようです。今入院している病院は、もともと日本毛織加古川工場の跡地にあります。以前はここにも巨大な煉瓦造りの工場が並んでいましたが 今はショッピングモールと病院にかわっています。 面白いのは、加古川と言う一級河川を挟んで 宝殿駅側のニッケ印南工場から病院側のニッケ加古川工場までの間には、軌道幅600ミリのトロッコ線の鉄橋があったと言うこと。この事実を知って早速上から覗いて見たが、夜なので何も見えなかった。 (-_-;) 一枚目の写真で言うと、対岸の木(青色の屋根)のあたりから斜めに私の足元の方へ鉄橋があったようですね。残念なことに橋桁などの跡は残っていないようですが。 工場の専用線という性質上か、廃止になったのがずいぶんと古く きちんとした文献があまり残っていないようです。 宝殿駅〜印南工場 線路幅1067ミリ 大正9年〜昭和35年まで 印南工場〜加古川工場と加古川工場内路線 線路幅600ミリ 明治23年〜昭和30年まで 加古川工場〜加古川駅 線路幅1067ミリ 明治23年〜昭和30年まで 若干記載の年代には誤差があると思います。 工場から駅までの線路幅1067ミリは 本線の貨物列車に接続するため国鉄と同じ幅の線路を採用。 今ふと思い出したけど 宝殿駅の構内には、その昔、事故救援用操重車のソが置いてあったような記憶が シキやったかなぁ 忘れたわ… まぁそんなこんなで窮屈で退屈な入院生活を紛らしております。m(_ _)m |
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)線路際の工場を見ていると 例えアスファルト舗装の道路しかなくても、線路跡が見えてくるもので… 以前からここを通過するとき ニッケ(日本毛織)印南工場の煉瓦造りの敷地内には線路が敷かれていたはずだと思っていました。今日は、時間があるので真相を調べてみた。



おはようございます。
退屈な時間を持て余してるんでしょうね。
色々と調べたりして今後の撮影に生かすのも良いかな?
無理せずにゆっくりと・・。
[ 御調子者 ]
2019/3/12(火) 午前 5:14
> 御調子者さん
おはようございます
院内でも看護師さんの診察とかあったり 検査とかもありますが この際将来的なことを考えたりしても頭に入ってこないので
(^_^;)
[ みっく ]
2019/3/12(火) 午前 8:35