|
屋根付きの博物館に集められた貴重な車両も 解体??されるなんて・・・
|
全体表示
-
詳細
|
ブログの終焉が近づいていますがまだまだ迷走しながら書き続ける私。今日もランダムにネガを引っ張りだしました。大喜利の如く速攻でネタを書いているので今日も意味不明の記事が出来上がるかもしれません。
ん〜今日引き当てたネガは、阪急ネタですね。阪急は、学生の時4年間利用していた私鉄でした。そのころは、京阪から今の阪急京都線をだまし取ったなんて事実も知らなかったので(笑)イメージもよくマルーンカラーと高級住宅地を走る列車が 田舎から出てくる私にとっては、ちょっとしたアナザースカイでした。
そのもう少し昔 梅田と三宮の真ん中位にある西宮北口という駅は、これまた鉄にとっては特別な空間だったことは言うまでもありません。写真の線路を見てください。電車が走っている方の線路は、大動脈阪急神戸線ですが 電車の足元を左から右へ垂直に線路が交差しているのが見えると思います。これは阪急今津線の線路です。なんと本線と支線が垂直に行き来していたんです。こういうクロスは、全国でも珍しく路面電車以外では、全国でここしかなかったといわれています。横切る今津線は、本来この姿の方が効率よさそうですが 神戸線は大動脈ゆえにこの平面交差は、阪急にとって大きなネックとなっていたようです。1984年とうとうこのダイヤモンドクロスは、廃止され西宮北口駅から南北に今津北線と南線にわかれ それぞれが別々に運行されることになりました。
さて平面クロスが無くなる2年前の出来事 ブルペンでは、山田久志投手の投球練習が始まりました。
そう西宮北口には、もう一つ今は無き偉大なものがありました。それは、阪急西宮球場です。残念ながら1996年この球場でのプロ野球公式戦の試合が終了し その後は競輪場として引き続き使用されていましたが、2002年に閉鎖 2005年に解体が完了 のちにおしゃれな商業施設西宮ガーデンズが建てられましたよ。
この日私は、山田投手もさることながら落合選手のすごさを思い知った試合でした。ともかく打つ!しかも軽く!しかし山田投手よく踏ん張りましたね。
おめでとうございます。
みんなお祝いに来てよ!やっぱり外野席寂しすぎるよね。(笑)
1982年4月29日のお話でした。
|
|
久大本線 夜明駅。なんとも旅人の心をくすぐるようなネーミングの駅ですね。
夜明駅は、文字通り久留米駅と大分駅を結ぶ久大本線141.5kmの主要幹線の駅で久留米から39.1㎞のところにあります。
しかしロマンチックに思われる駅名も もともとこの土地は開墾してできたため焼き畑農業から始まっており 地名は、夜焼(よやけ)だったといわれているが 焼けるという悪いイメージの名前をやめ 明けるに変えたのが始まりといわれています。
久大本線沿線で一番有名な観光地湯布院温泉。湯布院温泉の人気に火が付く前から この急行”由布”が走っていました。かつては、10両ものディーゼルカーをつなげていた時もあり久大本線の花形列車だったと思われます。今は、特急”由布”と人気列車”ゆふいんの森”へ昇格しあとを引き継がれています。写真の急行”由布”は、4両編成のためこれらの特急へ昇格される前の末期の編成かとおもわれます。
急行由布編成
キハ58+キハ65+キハ65+キハ58
1枚目 右の白地に青い帯の車両は、日田彦山へ行く列車です。写真御上部で線路が左右にきれいに分かれています。
現在日田彦山線は、福岡県城野駅へ抜ける68.7kmの路線でかつて筑豊地区の石炭積出のために敷かれたこれも重要な路線でしたが ご存知の通り石炭産業の衰退とともに鉄路も衰退をしたといえるかもしれません。2017年の水害により添田駅〜夜明駅まで63か所も損傷し現在不通、バスの代替輸送となっています。現在のように道路が普及し鉄道への依存度も低く修復しても 爆発的に旅客数が戻ってくるとも考えられないためこのまま廃止の方向で進むかもしれませんね。なんとか復旧してほしいですが・・
2枚目 久大本線のローカル列車がやってきました 当時ローカル列車の最新型といえばこのディーゼル機関車が牽くえんじ色50系客車でしたが これもいつの間にか絶滅しましたね。
急行由布が山深い渓谷へ消えていく・・
|




