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東北新幹線が全線営業になって、青森にも県外からお客さんが大勢お見えになると聞く、青森港に係船されている往時の青函連絡船を、懐かしむ年代の観光客が、真冬の青森港へ足を運び歓声を上げているようだ。
そういえば、私も懐かしいと思う。手もとに、昭和62年10月に発行された「ありがとうー・青函連絡船(その80年の航跡)」という写真集があったので、あらためてページをめくってみた。
津軽海峡の往来は、生活とレジャーが錯綜した人間模様のドラマが垣間見ることができたと思う。
青函連絡船は、昭和63年3月に運航に終わりを告げ、乗客や物資の輸送は、青函トンネルへと移行した。そのことを踏まえ、前年10月に発行されたものである。
乗船客の様子は、観光旅行が大流行の頃で、客室の絨毯の上に車座に座ると、アルコール、ジュースなどでわいわい騒いでいた。タバコも禁煙席はなく、大きな灰皿を置いて、おおっぴらに吸っていたものだ。
じいちゃんたちも、腰に手ぬぐいを下げ、輪投げに興じる様子は、今の自分たちの年代かと重ね合わせてみる。はたして、自分は輪投げをやるだろうか?
子供をおんぶしたご婦人が見えるが、今のようなベビー用品はなく、懐かしいおんぶ用品を使っているところに時代の違いが分かる。
青函連絡船には、青森と北海道の山や湖の名前にちなんだ船名が命名されていた。
「摩周丸」「羊蹄丸」「大雪丸」「八甲田丸」「十和田丸」などなどがあった。
青森港も函館港も、霧笛の音が鳴り響き、旅情を誘う港町であったことを懐かしく思う。
特に青森駅のホームは長く、どれくらいの長さか?分からなかったが、先日、テレビで直線で200mという。昔の人は文句も言わず黙々と歩いたものだ。
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昔の景色
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ヒバ丸太運搬の森林軌道が、奥戸向町の蛇浦越山道に通じる二ツ石農道を横断していた。時代も変わり林道が新設され、木材運搬はトロッコからトラックに変わっていったため、不要になった線路が撤去された。 |

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田舎では、小学校や中学校の運動会が地域全体のレクリェーションだった。漁業も農業も一切仕事を休み、ご馳走をたくさん作り一家総出でグラウンドへでかける。今よりは生徒の数もはるかに多く賑やかだったことに加え、大人も参加ができるプログラムの組み立てになっている。消防団、漁協の漁業研究会、婦人会などなど、積極的に参加した。 |

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