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城を攻める‥シリーズ

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                        静岡県浜松市元城町 「浜松城」

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                      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/c9/8c/take_take_g3/folder/1540119/img_1540119_40308075_0?1204359032

            https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/c9/8c/take_take_g3/folder/1540119/img_1540119_40308075_2?120

家康は1568年(永禄11年)に三河から遠江に入りをして各地を転戦、浜松城の築城に着手しました。1570年(元亀元年)に家康は長子の信康に岡崎城をゆずり、浜松城へ移り遠州攻略の拠点と定めた。
家康は29歳の時にこの浜松城に移り1586年(天正14年)45歳で駿府城に入るまで在城しました。
1572年(元亀3年)の三方原合戦は家康の生涯における敗戦で有名です。
家康にとってこの浜松在城の17年間は、徳川300年の歴史を築くための重要な年でもあり、浜松城が出世城と言われるのもこのような理由です。

昔、子供の頃かくれんぼや缶蹴りなどで日が暮れるまで遊んでいました。あらためて訪ねると目に飛び込む風景は懐かしいものがありました。

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                         三重県桑名市吉之丸 「桑名(扇)城」

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    https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/c9/8c/take_take_g3/folder/1540119/img_1540119_35825561_0?1188861684

 戦国時代桑名の地には伊藤武左衛門の東城、樋口内蔵の西城、矢部右馬允の三崎城の桑名三城と呼ばれる城があった。現在の桑名城は東城があった辺りである。1574年(天正2年)織田信長がこの地を征し、部将の滝川一益が三城を配下に置いた。その後、豊臣秀吉の時代になると神戸信孝・一柳直盛など支配者が目まぐるしく入れ替わった。

 関が原の戦い後、徳川家康は1601年(慶長6年)本多忠勝を桑名10万石に封じた。忠勝は入封直後、揖斐川沿いに近代城郭の建造を開始した。城には船着場も整備し、4層6重の天守はじめ51基の櫓、46基の多聞が立ち並んだ。また同時に城下町も整備された。1617年(元和3年)2代忠政は姫路藩に移り、代わって松平定勝が入城。1701年(元禄14年)松平定重の時代には桑名市街地の過半が焼かれる大火に見舞われ、天守も焼失し以後再建はなされなかった。1710年(宝永7年)定重は越後高田藩に移り、代わって松平忠雅が入城し7代続いた後、1823年(文政6年)に忍藩に移り、代わって松平(久松)定永が入城。先に高田に移封となった久松家の再入城となった。

 松平定信没後100年にあたる昭和3年(1928年)に本丸・二之丸一帯を整備し九華公園とした。昭和17年(1942年)には三重県指定史跡となった。

              https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/c9/8c/take_take_g3/folder/1540119/img_1540119_35825561_2?1188861599

              復元された蟠龍櫓


                     https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/c9/8c/take_take_g3/folder/1540119/img_1540119_35825561_3?1188861542

                     本多平八郎忠勝 銅像


 桑名城は伊勢湾に面した扇の様に開いた城だったため「扇城」とも呼ばれ、壮大な規模を誇った水城です。現在は九華公園(きゅうかこうえん)になっています。「九華」は昔「くわな」と読ませていたそうです。

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                           愛知県小牧市堀の内 「小牧山城」

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 1563年(永禄6年)織田信長は清洲から、濃尾平野を一望できるこの小牧山に目をつけ城を築いて美濃攻めの本拠地とした。
 1567年(永禄10年)信長は、美濃の稲葉山城(岐阜城) を攻め落とすと、すぐさま稲葉山のある井ノ口を”岐阜”とその名を変え、自らの居城も岐阜城と改めてそこへ移ってしまいます。この小牧山城は、稲葉山城の攻略、美濃攻略の拠点としての使命を果たし、僅か4年で廃城となった。
 15年後の“本能寺の変”の後、羽柴秀吉と信長次男の織田信雄は対立し、信雄は徳川家康と連合し、“小牧・長久手の合戦”がおこり、家康は小牧山に本陣を張る。 江戸時代には、小牧山は尾張徳川家によって管理され、入山が禁止されていた。

              https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/c9/8c/take_take_g3/folder/1540119/img_1540119_35527890_2?1187984474
              小牧山山頂の天守閣

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              リニューアルして綺麗になった資料館(天守閣)

 小牧山頂上のお城は何処からでも見ることができます。戦国時代ここがいかに重要な場所か窺われます。現在は近隣の皆さんのジョギングやトレッキングコースになっています。以前春にここを訪れたのでしたが、資料館の改築工事で写真が撮れなくて、あらためて真夏の全国的に気温が40度にもなっている時に、訪ねてきました。汗だくで大変でした。

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                   愛知県丹羽郡大口町小口字城屋敷 「小口(箭筈)城」
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 小口城は、1459年(長禄3年)織田遠江守広近によって築城されたといわれ、別名「大久地城、箭筈(やはず)城」ともいわれ、織田氏の尾張経営の中心的な役割でした。
 その後、1558〜69年(永禄年間)に信長の軍勢に攻略され廃城となったのですが、1584年(天正12年)小牧・長久手の戦いにおいて、一時的に秀吉方の前戦基地として再興されました。

             https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/c9/8c/take_take_g3/folder/1540119/img_1540119_30155381_1?2007-03-28 物見櫓
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 物見櫓が復元されていました。いかにも戦国時代の前線基地の雰囲気がします。岩倉城・小牧山城・犬山城などに囲まれており政治的・軍事的に重要な位置にあったかがうかがわれます。

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                      愛知県常滑市金山字桜谷 「大野(宮山)城」

             https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/c9/8c/take_take_g3/folder/1540119/img_1540119_29616027_0?2007-03-16

                https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/c9/8c/take_take_g3/folder/1540119/img_1540119_29616027_1?2007-03-16

 大野城の築城年代は定かではないが、大野氏や一色氏が居城した。その後佐治宗貞が大野城主となり4代に渡って居城する。1582年(天正10年)織田信長が京都本能寺で明智光秀によって討たれたのち、信長の次男織田信雄が清洲城主となって尾張・北伊勢を領した。これに伴い、信雄の叔父織田長益(有楽斎)がこの地を治めた。長益は、ここ佐治氏居城だった大野城(宮山城)に入ったが、水利が悪いため、この城を出て隣に大草城を築いた。そのため大野城は廃城となった。

                https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/c9/8c/take_take_g3/folder/1540119/img_1540119_29616027_2?2007-03-16 天守閣より見る伊勢湾

 2日つづけてお城紹介、すぐ目と鼻の先に2つの城があるのです。この土地は小高い山にあり、城から伊勢湾を一望できます。写真は天守閣より中部国際空港を撮影したものですが、小さすぎてチョット微妙‥‥ですね?

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