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本日(20日、月曜日)は終日、研究をしておりました。 現在私は、孝明天皇研究を進めております。今年、孝明天皇の人物伝を出版する予定で、執筆中です。今のところ70%ほど完成しています。 私が執筆する場所はまちまちです。時には事務所の書斎、自宅の食堂、またよく図書館で調べごとをすることもあります。そして、紙袋いっぱいの書籍を抱えて、ロイヤルホスト、デニーズ、スターバックス、タリーズコーヒー、エクセシオールコーヒーなどなど、ファミレスやコーヒーショップに居座って執筆することもあります。 今日は、某ロイヤルホストで参考資料2冊を読みました。せっかくですので、今日読んだ2冊を紹介いたします。 『孝明天皇紀』を読んでいると、たびたび日食と月食に関する記述があるのですが、今日『王の身体 王の肖像』を読んで、これら日食と月食の時、御所を筵(むしろ)で被い、日食・月食の妖光から天皇の玉体を守ったということがわかりました。この作法は『禁秘抄』に細かい記述があるそうです。 日食と月食の光を「妖光」として忌み嫌ったことは興味深いですが、この風習が平安時代から幕末の孝明天皇の時代まで続いていたことは、驚きです。 この本によれば、日食と月食に当たっては、御所を筵で被うだけでなく、このとき公卿たちも参籠し、また御持僧などによる御修法がなされ、御殿で御読経がなされ、さらには鳴り物が止められたといいます。 そして、次のようにまとめられています。 「何故、とくに天皇を日食・月食の妖光から守るのか。その理由は、天皇の身体を守ることが、日本国の自然と社会の秩序を維持するために枢要なことだったからである。天皇の身体は、したがってそうした秩序を体現しているのであり、その玉体安寧を維持することが、政治の核心の一つであったわけである。」 「中世的〈王〉としての天皇は、就中、その身体的清浄を求められ、保持されるべきものと観念されるものとなっていたのである。このように、日食・月食に際しての天皇の御所を席(むしろ)で〈裹む〉作法が、自然秩序の異変などの〈穢れ〉から〈王〉としての天皇を守ろうとするものであった」 この本には、他にも江戸時代の各天皇の肖像画について考察してあり、とても興味深い。江戸時代を通じて女性天皇だけ肖像画がないことは私の著書にも指摘したとおりだが、この本でも指摘されている。 この本は、57年間宮中三殿に内掌典として使えた高谷朝子さんのインタビューをまとめたもので、平安時代から現在に至るまで、変わらぬしきたりの中で営まれる、宮中祭祀を知ることができる貴重な書籍である。 「穢れ」について、「次」と「清」についての記述は特に参考になった。賢所では清浄なものを「清」(きよ)、清浄でないものを「次」(つぎ)として厳格に区別し、内掌典は全てのしぐさが厳しく規律されているという。たとえば着物でも腰巻は「次」であり、誤ってこれを触れると、手が「次」の状態になり、そうなった場合、清めを行って手を「清」に戻さなければ、着物に触れることが許されない、といった徹底ぶりである。 生理(まけ)に入った場合の作法も事細かに記されていて、参考になった。賢所では血液はもっとも「次」とされ、神域に入れてはならないものとされており、まけに入った女性は7日間の休養が与えられる。そして(まけ)の間は(まけ)の時に使う専用の化粧を使用し、通常使う化粧とは区別するほか、箸や箸箱も別のものを使うという。 以上、今日読んだのはこの二冊です。 また、今日、孝明天皇研究では、幕府が朝廷に条約の勅許を求めた際の、朝廷内でのやりとりについて文章を組み立てていました。 折を見て、執筆の進捗状況なども報告していこうと思います。 ご意見・ご質問はメールでお受けいたします info@takenoma.com |
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