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〜政府は天皇の政治利用を即刻中止せよ 〜宮内庁長官は決断せよ
慶應義塾大学講師(憲法学) 竹田恒泰
中国副主席会見要請問題について憲法学者として次のとおり意見を述べる。 天皇陛下の外国要人との御会見は、一か月前までに文書で申請する取り決めがある。 しかし、中国政府は習近平国家副主席が十二月十四日に来日するに当たり、申請期限である一か月前を切った十一月下旬に天皇陛下との御会見を要請してきた。 そこで日本の外務省は、一ヶ月以内の陛下との御会見は認められないと伝えたが、中国側が繰り返し陛下との御会見を求めてきた。 これを受けて、民主党の小沢一郎幹事長が鳩山総理に御会見の実現を働きかけ、総理が平野博文官房長官に御会見を実現させるよう指示し、宮内庁に正式に要請したと伝えられる。 日本側が困惑することを知りつつ、強引に天皇陛下の御会見を要求する中国の態度は、国際社会の一員として最低限の礼節を欠いているというべきだ。 ところがそれにもかかわらず、鳩山総理は中国のその理不尽な要求を受け入れ、これを実現させようとしている。 これは天皇の政治利用に他ならず、憲法違反として非難されなくてはならない。 同様に平野官房長官も会見で「今回、中国の要人が来るのでお出会いしてくださいというのは、政治利用でも何でもない」と述べ、天皇の政治利用を否定した。 だが、十二月十一日の羽毛田宮内庁長官の会見によると、平野官房長官から御会見を実現するように二度要請があり、長官が一ヶ月前のルールを説明したが「官房長官は『日中関係は重要だから』の一点張りだった」と述べた。 だが「日中関係は重要だから」という理由は、それ自身が既に政治的ではあるまいか。これを政治的と言わずして一体何を政治的と言うのだろう。 一ヶ月前という一定のルールに基づいて処理されるなら、通常の皇室国際親善の範疇に収まるが、「日中関係は重要だから」中国だけ特別扱いして、緊急の御会見を実現させる考えは、重大な政治判断に他ならない。 これについて総理が「政治利用という言葉はあたらない」とするのは詭弁というべきだろう。 時の政権が皇室を政治利用することは、憲法違反であり、絶対にあってはいけないことである。 そもそも、日本は「陛下は副主席とお会いにならない」などと言っているのではなく、あくまで一ヶ月前というルールに反する御会見は認められないと述べただけである。 中国も国際社会の一員ならば、日本のルールを尊重し、一月以降に来日すれば済む話であろう。 中国側は「(御会見の成否は)習副主席訪日の成否がかかっている」と、御会見の実現を日本側に強く要求してきたようだが、だったら尚のこと、一月以降に日程を組み直せばそれで何ら問題はないはずである。誰の面子も潰れはしない。 まして、元首たる国家主席ではなく、ただの副主席なのだから、その程度の日程調整ができないはずはない。 これまで皇室は、国の大小や、政治的重要性の度合いなどは度外視し、全ての国と平等に国際親善を重ねてきたが、「日中関係は重要だから」という理由で中国を特別扱いした場合、これまで皇室が積み上げてきた国際親善のあり方は崩れることになる。 それだけではない。今回の例外的な措置が一つの悪しき先例となることは必至だ。 中国は、多少理不尽なことでも強く要求すれば日本は折れると考え、今後次から次へと同様な理不尽な要求をぶつけてくることにもなりかねない。 今回は特例として受け入れ、次回に断ったとしたら、それこそ角が立つ話だ。ならば今回は体よくお断りし、中国だけ特別扱いする先例を作るべきではない。 もし日本が中国だけを特別扱いするなら、それは諸外国の眼には奇妙に映るに違いない。日本は良い笑い物にされるだろう。 この件について羽毛田宮内庁長官は会見で「二度とこういうことがあってほしくないというのが切なる願いだ」と、強い遺憾の意を表明した。その遺憾の内容は、高く評価すべきである。 御会見の設定とルールとの整合性を問われた長官は、 「残念なことをせざるを得なくなった。単なる事務ルールのことではない。陛下の役割は国の外交とは違う。国と国の間に政治的懸案があれば陛下を打開策に、となれば憲法上の陛下のなさりようが大きく狂うことになる」 と答え、また天皇の政治利用につながる懸念について質問されると、 「大きく言えばそうでしょう。その意見に対して『何を言ってるんだ』とは言いにくいし、つらい。苦渋の思いだ。陛下の国際親善は政治的な重要性や判断を超えたところにある。天皇陛下の役割について非常に懸念することになるのではないか。政治的判断としてお願いするのはどうなのか」 と述べた。 宮内庁長官として、実に的確な視点でこの問題をとらえた結果の発言と評価できる。 また、政府機関の一つの長の役職を占めながらも、可能な限り最大限の発言をしたことも賞賛されるべきだろう。 しかし、そこまではよいが、結局長官は「宮内庁も内閣の一翼を占める政府機関である以上、直接の上司に当たる官房長官の指示に従うべきなので、誠に心苦しい思いで陛下にお願いした」のだという。 すなわち、自分は反対意見だったが、上司の意見には逆らえないので、従ってしまったというのである。 これは、長官が天皇陛下よりも、自分の立場を優先したということを意味する。これでは、長官は天皇を犠牲に自分の立場を守ったと揶揄されても仕方あるまい。 断言しよう。宮内庁長官の最大の任務は、時の政権が天皇を政治利用しようとした時に、これを阻止することにある。宮内庁長官にとってこれ以上の任務は憲法学的に理論的に存在しない。 日本国憲法には、政府が天皇を政治利用しようとした時、これを阻止する方法が存在しない。このことは日本国憲法の最大の欠陥といえる。 しかし、現実的に政府による天皇の政治利用を唯一阻止できる可能性があるのが、宮内庁長官なのである。宮内庁長官を差し置いて、この役割を担える役職は存在しない。 宮内庁は政府の機関だが、皇室は政府の機関ではない。宮内庁長官は、皇室の利害と政府の利害が対立した時に、政府の中にあって、政府による皇室の政治利用を阻止しなければいけない立場にあるのだ。 私は問いたい。なぜ羽毛田長官は体を張って止めなかったか。 皇太子殿下の参内が少ないと皇太子殿下を何度も諌めたと豪語した人物が、天皇の政治利用を目の前にし、なぜ粘り強く総理を諌めなかったか。 本来であれば、辞表を胸に忍ばせてでも、憲法違反の天皇の政治利用を阻止すべきではなかったろうか。 長官が強い遺憾の意を抱きながらも、上司に当たる官房長官の指示に従ってしまうのであれば、宮内庁など必要ないではないか。 私はかつて「宮内庁は皇室をお守りする機関」だと思っていた。しかしそれは大きな間違いだったのかもしれない。 皇室の利害と政府の利害が対立した時に、簡単に政府の立場に立つような宮内庁なら、存在意義は殆どないといえよう。 もし、羽毛田長官とて人の子であるから、長官が、自分が更迭されるのが怖くて官房長官の指示に従ったのであれば、まだ分かる。 しかし、総理には宮内庁長官の人事権と更迭権はない。総理には宮内庁長官を更迭する権力はないのであるから、長官は気後れせずに、陛下をお守りすることだけを考えて職務に邁進すべきである。 私は羽毛田長官に言いたい。政治利用の魔の手から天皇陛下を守れるのは、あなたしかいない。 これからでも遅くはない。「やはり、お受けできない」と総理の要請を突っぱねるべきではないか。この一件は宮内庁の存在意義が問われる重要な局面である。
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2009年12月13日
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