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1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発4号炉の事故は、東海村の臨界事故と同じ核暴走事故だったが、その規模は東海村の10億倍に相当する。 300キロメートル離れた地域にも避難命令が出され、未だに数十万人が避難生活を送っている。犠牲者数は不明だが、事故の後処理作業に従事したソ連兵の内、5万人が既に死亡したとロシア政府が数年前に発表したのがひとつの参考になる。過去最悪の核事故は果たして偶然か、必然か。 4号炉は当時核技術大国ソ連が誇る最新の炉で、運転2年目にして初の定期検査のため、24時間がかりで出力を降下させて炉を止める作業に入っていた。 この日ある実験が予定されていた。4号炉にはタービンの惰性で発電できるように改良が施されており、それを確認する実験だった。 数十秒で終わるはずのこの実験は事故の大きな要因となる。 出力を50%まで下げた時、電力需要が大きいため50%出力を維持するように管制所から指示があり、手動に切り替えて出力を維持した。 実験のために炉心緊急冷却装置が切られていたが、この時再びセットするのを忘れていた。 約5時間経ち23時過ぎに出力降下を再開。だが深夜1時に停止させる当初のモードをリセットし忘れていたため、炉は急激に出力を落とし、実験をしない内に停止に近い状態になってしまった。 運転員のシフト交代時に伝達が漏れていたのだ。 このまま停止させれば何の問題もなかったが、同伴していた技術者は激怒した。この実験は数年に一度の炉を停止させる時にしか行えない実験だった。 炉を止めると核分裂を抑えるガスが充満するため、再び出力を上げるのは困難だ。 だが運転員は技術者の剣幕に押されて出力上昇を試みた。 それはあまりに危険な賭けだった。 サイドブレーキをかけながらアクセルをふかすようなものである。 運転員の努力により、やがて出力が上昇しはじめたが今度は暴走状態になり、慌てて緊急停止ボタンを押したが間に合わず、大爆発を起こし巨大事故となった。 タイタニック号の沈没同様、偶然が重なりすぎると必然に思えてしまうのは私だけではあるまい。(竹田恒泰) この原稿は、平成18年10月〜平成20年9月に「フジサンケイ・ビジネスアイ」に連載した「エコマインド・アイ」を転載したものです。 |
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2009年09月13日
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