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チェルノブイリに次ぐ深刻な原発事故は、1979年3月に米国ペンシルバニア州スリーマイル島原発二号炉で起きた。 一歩間違えば米国東部は壊滅していた。 発端は炉心に冷却水を戻す給水ポンプの停止。 僅かな水漏れが原因で、しかも炉心から離れた場所で起きた些細なトラブルである。 このとき補助給水ポンプが自動的に始動した。これで収束するはずだった。 だが、補助給水ポンプの出口弁が閉じられていた。 これでは炉心に冷却水は戻らない。 数日前の点検で一時的に閉じた弁を開くのを忘れていたのだ。 しかも、制御室には弁が閉じていることを示すランプが点灯していたが、ぶら下げていた紙片に遮られ見えなくなっていた。 事故発生から8分後に運転員がそれに気づいたときは手遅れだった。 結局冷却水は高温のまま炉心に戻され、炉内は高温高圧となり、自動的に圧力逃し弁が開いて、原子炉が放射能を含んだ蒸気を激しく吹き上げたのが事故発生から3秒後。 それでも圧力は下がらず、制御棒が投入されたのが事故発生から8秒後。 原子炉は停止したが事故は進行する。 間もなく圧力は低下したが、次には圧力逃し弁が閉じないという誤算が起きた。 しかもパネル上では閉じたように表示されていた。事故発生から13秒後である。 この原発は加圧水型で、冷却水が高温で沸騰しないよう加圧してある。 だが、圧力逃し弁が閉じなかったため圧力は下がり続け、事故発生から6分後、ついに炉心は沸騰状態になり冷却不能となった。 メルトダウン(炉心溶融)が始まった。 実際には逃し弁から水が噴出しているので炉心の水は失われていたが、沸騰により水位計は高位を示し、作業員の判断を狂わせた。作業員は緊急冷却装置が炉心に送った冷水を手動停止させてしまった。 放射能を含んだ水が外部に放出されたのは事故発生から7分後。 9時間後の水蒸気爆発では原子炉建屋はかろうじて崩壊を免れたものの、炉心の52%が溶け落ち、最悪の事態の一歩手前まで進んでいた。 事故から28年経過した今も原子炉は封鎖されたまま放置されている。(竹田恒泰) この原稿は、平成18年10月〜平成20年9月に 「フジサンケイ・ビジネスアイ」に連載した「エコマインド・アイ」を転載したものです。 |
環境問題
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1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発4号炉の事故は、東海村の臨界事故と同じ核暴走事故だったが、その規模は東海村の10億倍に相当する。 300キロメートル離れた地域にも避難命令が出され、未だに数十万人が避難生活を送っている。犠牲者数は不明だが、事故の後処理作業に従事したソ連兵の内、5万人が既に死亡したとロシア政府が数年前に発表したのがひとつの参考になる。過去最悪の核事故は果たして偶然か、必然か。 4号炉は当時核技術大国ソ連が誇る最新の炉で、運転2年目にして初の定期検査のため、24時間がかりで出力を降下させて炉を止める作業に入っていた。 この日ある実験が予定されていた。4号炉にはタービンの惰性で発電できるように改良が施されており、それを確認する実験だった。 数十秒で終わるはずのこの実験は事故の大きな要因となる。 出力を50%まで下げた時、電力需要が大きいため50%出力を維持するように管制所から指示があり、手動に切り替えて出力を維持した。 実験のために炉心緊急冷却装置が切られていたが、この時再びセットするのを忘れていた。 約5時間経ち23時過ぎに出力降下を再開。だが深夜1時に停止させる当初のモードをリセットし忘れていたため、炉は急激に出力を落とし、実験をしない内に停止に近い状態になってしまった。 運転員のシフト交代時に伝達が漏れていたのだ。 このまま停止させれば何の問題もなかったが、同伴していた技術者は激怒した。この実験は数年に一度の炉を停止させる時にしか行えない実験だった。 炉を止めると核分裂を抑えるガスが充満するため、再び出力を上げるのは困難だ。 だが運転員は技術者の剣幕に押されて出力上昇を試みた。 それはあまりに危険な賭けだった。 サイドブレーキをかけながらアクセルをふかすようなものである。 運転員の努力により、やがて出力が上昇しはじめたが今度は暴走状態になり、慌てて緊急停止ボタンを押したが間に合わず、大爆発を起こし巨大事故となった。 タイタニック号の沈没同様、偶然が重なりすぎると必然に思えてしまうのは私だけではあるまい。(竹田恒泰) この原稿は、平成18年10月〜平成20年9月に「フジサンケイ・ビジネスアイ」に連載した「エコマインド・アイ」を転載したものです。 |
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1912年4月14日の深夜に氷山に接触して沈没し1513人の犠牲者を出した客船タイタニック号は、防水隔壁で仕切られ、特に船首部分では4区画が浸水しても沈まない「不沈船」といわれていた。 不沈船が沈没したのは果たして偶然か、必然か。 沈没に影響を与えた要素は多い。 まず、建造が1ヶ月遅れ、流氷の多い4月に処女航海をすることになったこと。 次に出航時間が1時間遅れたことも事故を大きくした。 つまりタイタニック号が氷山に接触して救難信号を発したのが0時14分。 近くにいたカリフォルニア号が無線業務を終了した14分後だった。 もし出航時間が遅れていなければ、救難信号を受信した同船が沈没前に救難に駆けつけることができたはずだ。 また、先行船からの氷山の警告を無視して高速航行を続けたことも要因の一つである。 結局450メートル前で氷山の存在に気付き、回避行動をとるが回避できず、船首の5区画に浸水して沈没することになる。 皮肉にもその晩は新月に近く、無風で海面が鏡のようで、監視員が双眼鏡を持っていなかったという不運が重なり氷山の発見が遅れた。 さらに、減速して舵を切った船長の判断が船を沈めた。 減速すると舵が利きにくくなる。 もし減速せずに舵を切っていれば衝突を回避でき、また舵を切らずに減速していれば正面から衝突するので5区画に浸水することはなく、やはり沈没は避けられたといわれている。 衝突したのは23時40分、速やかに救難信号を出していればカリフォルニア号が受信できたはずだった。 また0時44分に信号灯を打ち上げたが、同船は意味を理解せずに無視した。 結局信号を受信したカルパチア号が到着したのは4時10分、沈没から約2時間が経過しており、ボートに乗れずに海に投げ出された全員が死亡した後だった。 救命ボートの数が少なかったことも犠牲者を多くさせた。 これら要素の一つでもなければ沈没を逃れていたかもしれないわけだ。 偶然が重なりすぎると必然のように思えてくる。 巨大事故はこのようにして起きる。(竹田恒泰) この原稿は、平成18年10月〜平成20年9月に「フジサンケイ・ビジネスアイ」に連載した「エコマインド・アイ」を転載したものです。 |
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これだけ科学が発達すると、人類はあたかも自然の全てを知り尽くしているかのように思えるが、まだ科学によって解明されていないことは多い。 幽霊や超能力を「科学で説明がつかない」というが、身の回りには「科学で説明がつかない」ことだらけなのだ。 たとえば魚が泳ぐ原理、蛇が這う原理、ハエが飛ぶ原理、凧が飛ぶ原理などは今のところまだよく分かっていない。 大型コンピューターの性能が向上し、瞬時に膨大な計算が可能になったため、多くの原理が解明されたのは事実である。 しかし、固定したものの流体力学は計算可能であるも、魚や凧など、表面の形状が変化するものの流体力学は計算が複雑すぎて、大型コンピューターを駆使しても未だに計算ができないという。 また、ハエは羽を動かす周波数が高く、羽が生み出す揚力よりも乱気流係数の方が常に高くなってしまい、航空力学上は飛ばないことになっているらしい。 そして解明できないのは自然の原理だけではない。 科学技術が生み出したものですら、人類はしばしばその不完全さに悩まされる。 客船タイタニック号は「不沈船」といわれながらも1912年の処女航海であっけなく沈没。 1995年の阪神・淡路大震災では、地震では絶対に倒れないとされた阪神高速が倒壊。 また1985年の御巣鷹山への墜落事故では「最も安全な旅客機」とされたジャンボジェット機(B747-200型)が、何系統にも別れている油圧系が全てダウンするという全く想定外の事態に至って墜落。 スリーマイル島原発、チェルノブイリ原発などの原子力事故然り、これらの惨事は枚挙に暇がない。 そもそも、本当に安全なものには安全装置は付いていない。 何重にも安全装置を付けるほど、そのシステムは本質的に危険なのだ。 予測可能な事態には対策ができるが、予測不可能な事態には対策はできず、これが科学技術を不完全なものにしている。 地球規模の科学を考える上で、我々はまず人類は自然界のことについて無知であるということを知るべきだろう。(竹田恒泰) この原稿は、平成18年10月〜平成20年9月に「フジサンケイ・ビジネスアイ」に連載した「エコマインド・アイ」を転載したものです。 |


