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世界遺産 「龍安寺」りょうあんじ 2011.4
枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺は
禅宗が盛んだった室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が
宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。
方丈庭園(史跡・特別名勝) - 「龍安寺の石庭」 作者は不明
幅 22 メートル、奥行 10 メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を一見無造作に
5か所、点在させただけのシンプルな庭です。
15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているという。
この庭には「七・五・三の庭」や「虎の子渡しの庭」の別称がある。
「虎の子渡しの庭」とは
虎は、3匹の子ども がいると、そのうち1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放っておくと、そのどう猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。そこで、母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。
母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう岸に渡してから、いったん引き返す。次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に行くと、今度は、どう猛な子虎だけを連れて、ふたたび元の岸に戻る。その次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹だけが残っているので、母虎は最後にこれを連れて向こう岸へ渡る。つまり、3匹の子虎を渡すのに3往復半するわけである。
龍安寺の石庭はこの様子を表わしたものだというわけである。(HPより) 右側の塀は手前から奥に向かって低くなるように作られている、
視覚的に奥行きを感じさせるようにした遠近法を利用した設計になっているらしい。
作者や作庭年代は不詳であるなど謎が多い。禅の境地を表現したものといわれるが、解釈は見るものに任されている。見る人がそれぞれ自由に解釈すればよく、それがこの石庭の最大の魅力でもある。
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鳥羽離宮の中心に建てられた「城南宮」は、かつて貴族が宴を繰り広げたという雅な美しい庭園を
有すると共に、京都御所の裏鬼門を守る方除の神と崇められてきた。
現在は、特に方除け・建築守護・交通安全の神社として信仰を集めている。 城南宮は、平安遷都の際に、国土の安泰と都の守護を願って、王城(都)の南に祀られたお宮であることから、城南宮と称えられます。
城南宮には源氏物語の花の庭を再現したという美しい神苑があります
城南宮といえば春と秋に催される「曲水の宴」が有名。
平安時代の貴族の遊びを再現したもので、白拍子の舞と奉納和歌の朗詠がこの庭の遺水(いすい)で行われます。 離宮の庭 |
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正式名称は賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)
一の鳥居
一の鳥居から二の鳥居まではきれいな芝生で東西に桜の古木が並んでいます。
「細殿」と二の鳥居の間に円錐形の一対の立砂が見えます。
この立砂は、神代の時代、神が降臨したと伝える神山(こうやま)を模したもので、神社の北2kmほどのところにある。立砂の頂点には神が降臨するための目印として松葉が挿されています。
くぅ 4歳 ♀
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平野神社が原木の桜など珍種も多く、その種類は約50種。円山公園の枝垂桜の祖の桜も含め、
境内全域では約400本の桜があるらしいです
鳥居は鮮やかな朱塗りで大きく派手
風流でむずかしい名前の桜がいっぱいあることにビックリ 御神水 井戸を掘削した100Mの地下水であります。飲み水としても
平野神社の神紋はさくら
花を見て即座に「あ〜これは たおやめ桜やね」とか言えたら かっこいいね
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醍醐寺の後は勧修寺(かじゅうじ)に向かいました。
醍醐寺の人ごみとは対照的に静かなお寺でした(^^♪
昌泰3年(900)、醍醐天皇は生母の菩提を弔うため、生母の里であった寺を御願寺と定め、外祖父・藤原高藤の諡号をとって、勧修寺と号されました
2万平方メートルの池を中心に展開する雄大な池泉舟遊式の庭園で、池の中には大小3つの島が浮かび東山を借景に15の景勝が設けられています。
春には桜、夏には池のスイレンが咲きます。その昔、この池は実際に舟遊びに使われたそうです。また、その頃の呼び名は「来栖野氷室の池」と呼ばれ、毎年1月2日にこの池に張った氷を宮中に献上し、その氷の厚さでその年の五穀の実りを占ったともいわれています
塔として観音堂があるのですが境内は全体的に平屋建てのこぢんまりした建物が多く、
氷室池の畔の芝生の庭園からはのびやかな風景で癒されます。
恐ろしい看板が 書院の前庭にある灯篭は水戸光圀公の寄進で、「勧修寺型灯篭」と呼ばれています。
その周りには「ハイビャクシン」という樹齢750年の名木があります。
訪問ありがとございます |




