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“ら抜き言葉”が市民権を得てきているようだ。わたしも口語でなら「見れた」、「出れる」をよく使う。「ウェブサイトで見(観)れますよ」とか、「非常口から出れます」とか。文語でも「ですます調」なら“ら抜き言葉”に違和感はない。逆に「だ・である調」でこれを使われると稚拙感が鼻につく。「だ・である調」は友人知人ではなく、世間一般に向けて書く場合が多いからだ。
国語の進歩は日進月歩である。顔文字も公式文書にこそ使われないが、ほぼ市民権を得ている。文末に(笑)がつくのはもう普通で、「((´∀`))ケラケラ」という文字列があっても意味不明だと思う人はいないと思う。
人種についても、
( ´∀`) 日本人
(´_⊃`) アメリカ人
ミ ´_>`) イギリス人
(⊂_ ミ ドイツ人
ξ・_>・) フランス人
(´U_,`) イタリア人
( `ハ´) 支那人
<丶`∀´> 朝鮮人
など、新時代の象形文字が根付いてきているし、ビューアもこれに対応して正しく禁則処理している。漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、アラビア数字が混交するなど、日本語は世界でもっとも複雑な言語だが、さらに新たなジャンルが加わえて進化を続けている。先進国の中では、日本人ほど英語を話せない民族はいないが、理由は話す必要がまったく無いからだ。ほぼすべての文献は日本語に訳されている。
また日本人が英語を習得するのはかんたんだが、逆は極めて困難である。話せるようにはなっても漢字を読むことは難しいし、書くことは不可能に近い。
しかし、わたしが気になっているのは、稀有かもしれないけれど、日本語特有の曖昧表現を人工知能がどう受け取るかだ。
日本人は相手が察してくれることを期待して最後まで言わない。例えば誰かと食事をしていて、醤油が手に届かないところにあった場合、
「すみません、醤油を・・・」とだけ言う。
「醤油を取って下さい(Please pass me the soy sauce)」とはっきり言えば分かりやすいが、日本では『はっきり物を言う』ことを非礼とする文化がある。「はっきり言って」を口癖にしている人がいるが、それはこういった文化を前提に、自分は異風者であると前置きしているわけだ。
日本人は言葉の端々で、ほぼ無意識的に語尾を曖昧にしている。これは人工知能と対話する場合、致命的な欠陥になりうる可能性が高い。
他にも曖昧な言葉はある。
「すみません」と、日本人は口癖のように言うが、遠慮とか配慮の文化を持たない原始的な民族は、これをストレートに謝罪な言葉として受け取って、「日本人は謝罪しているのに賠償をしない」といった思い違いを起こす。
日本語の欠点はこのあたりにある。
日本では食べ物の好き嫌いは不道徳とされているが、気になる言い回しがある。
「わたし、ピーマンは食べれないんです」
これをストレートに解釈すると、「ピーマンを食べることが不可能である」という宣言になる。つまり、食べるとアレルギーを起こして死んでしまうという意味にとれる。
イスラム教徒が、
「ワタシ、豚肉が食べられないんデス」
と言った場合も、宗教的な理由で食べられないだけで、食べたら死ぬというわけではない。だが宗教に反することだから食べたくないという意味だ。
この例に見るように、本当に食べられない場合と、食べたくないの表現が日本語では曖昧になる。人工知能に正しく理解して貰おうと思った場合は表現を変えなければならない。
前者は、
「わたしはピーマンが嫌いです」
後者は、
「わたしは豚肉食を禁じられています」
と言うのが正しい。
「醤油を……」ではなく、「醤油を渡して下さい」と明言しなければ曖昧になる。「取って下さい」では、「奪って下さい」の意味にもとれる。しかし、「渡して下さい」では妙な日本語になる。かと言って代替できそうな普及した言い回しはない。これらの複雑な日本語を人工知能が学習するにはまだしばらく時間がかかる。日本語は対人工知能のための表現を再定義しなければならない時期に来ているのではないかと思う。
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