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ヘリパッド建設に反対する輩たちから、「八つ裂きにしてやるぞ」「お前らは犬だから言葉は分からん」などと言われた機動隊員が『土人』という言葉を使って反論したことに対し、沖縄県議会は抗議決議を行うことを決めた。
土人発言で抗議決議へ=沖縄県議会
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161025-00000132-jij-soci
近年の世論中道化に対する左翼の断絶魔のようにも見える。
これは振り子の揺り戻しである。次期米大統領候補のトランプ氏が、一時はクリントン氏に差をつけられた支持率を取り戻しつつある。
また過激発言で注目されるフィリピンのドゥテルテ大統領の支持率も90%前後を行き来している。彼の過激な政策により、現実にフィリピンの治安が改善しているからである。犯罪者の人権より、市民の安心を重視した政策が評価されている。
欧州では治安悪化の原因となっている移民の排斥運動が盛んになり、ドイツのメリケル氏など、リベラル的な立ち位置をとってきた人たちが激しい世論の抵抗にあっている。
機動隊員の土人発言に関しては、沖縄と韓国を同列に見てもいいと思う。言葉狩りで相手の譲歩を引き出す手法である。ここであえてニーチェの君主・奴隷道徳を持ち出したい。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、基本的な道徳の形態は、君主道徳、奴隷道徳の二種類しかない。どちらを胸に抱くかは、その人の地位や身分や財力とは関係なく、志しで決まると説いた。道徳現象なんてものは存在しない。あるのは道徳解釈だけである。ゆえに高潔であれと、ニーチェは君主道徳を強くすすめた。日本でも似たようなことを説いた人がいる。『学問のすゝめ』を上梓した福沢諭吉である。
最も醜いものは恨の精神である。ニーチェは、「ウリたちは被害者ニダ」といった恨みの精神を奴隷道徳と定義した。弱者は尊い。弱者保護は最優先されるべきであるといった論調のことで、これはキリストの教えとも同調する。だがそれでは社会を構築できない。
福沢諭吉も、名著『学問のすゝめ』の十三編(怨望の人間に害あるを論ず)で、「およそ人間に不徳の筒条多しといえども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし」と論じている。ニーチェと彼は異口同音にまったく同じことを言っている。卑しい者は富める者を怨望し、嫉妬するが、それは世の中の最大の害悪であると。恨の精神からは何も生まれてこない。師曰く、『肝に銘じるべきは学問を志し、才能と品格を磨き、権力(政権)と同等の資質を身につけることである』と。
リベラルな論調では社会を構築できなくなっている。原因の多くは学の無さである。『弱い者を保護しろ』の一辺倒では世の中が立ち行かない。言葉狩りなどもってのほかである。学問とは見識を深めて物事の道理を理解することである。なぜ沖縄に基地が必要なのか。沖縄の民は本当に虐げられているのか。もっと言えば自分たちが恨の迷いから中国共産党に洗脳されていないのか、自問自答する余裕が欲しい。
福沢諭吉は、「独立の精神がない者は、国を愛する心も浅い」と論じている。今回の騒動を見ていると、その通りなような気がする。
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