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わたしは広告のための印刷紙面を作る仕事をしている。
振り返れば、昨年はスタグフレーション元年だった。いつかは潜り抜けなければならない道だが、受ける痛手は大きい。わたしの客は小さな会社が中心で、ばらつきはあるが「受難組」と言える。まだしばらく厳しい時期が続きそうだが、退屈な時代に生まれなくて良かった。人はいつか死ぬ。そのとき、ああ楽しい人生だった、と思えるような仕事がしたい。
昨年末、友人ら何人かと名駅付近で喫茶店を探しているとき、ある女性が『マクドナルドはコーヒーが不味いから嫌だ』と言った。なんでもないどこにでもある会話だが、アルフレッド・アドラーの目的論に当てはめて考えれば、コーヒーの味は関係ないことに気付く。理由は過去の体験の中から目的に適うモノが選出される。彼女は『マクドナルドが嫌い』だからコーヒーが不味かったという記憶が想起したに過ぎない。もしも好きだったら別の肯定的な理由が選出されていたはずだ。何度アンケート調査を行なっても客が来ない本当の理由は出てこない。消費者の判断基準は好きか嫌いかでしかないからだ。
『良いモノは高くても売れる』は、単なる妄想である。もしくは願望である。業者が好かれているから高くても売れるのであって、そうでなければモノが良くても売れない。デフレの正体はだいたいこのあたりの勘違いにありそうだ。なんとかホールディングス傘下のなんとかチェーンに好かれる要素は見当たらない。雪で立ち往生したクルマの列にパンを配った「ヤマザキパン」は、パンを貰わなかった大多数の聴衆の間でも人気者になった。社会貢献の無い企業には「存在価値も無い」ということである。
それなら広告は、モノやサービスを宣伝するだけでは不足している。ただし、例えばアフリカの恵まれない子供のために寄付金を出しています、みたいなベタな社会貢献ではリアリティを感じることができない。じゃあ何を宣伝すればいいのか。そんなことが簡単に分かれば苦労はしていない。本当の理由は別のところにある。それはビジネスに限らず、あらゆる分野で言えることだと思う。そういうことを考え続けるグラフィックデザイナーでありたい。
前述したアドラーの「目的論」は、先に目的(例えばマクドナルドが嫌い)があって、理由という「意味づけ」は、過去の経験の中から適切なものが想起される。逆に言えば目的が変わった場合、思い出される過去も変えることができる。
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
武田 満
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