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<信玄公御家中の諸侍の礼三ケ条>(「甲陽軍艦」品第三十九)
一、
諸人は武運のために護摩(締燃幻ご)を命じられ、修行なされたこと。
二、
すぐれた忠節の武士が死去すると、弔いを仰せつけられ、卒塔婆を建てなされたこと。
三、
御家中で討死した衆には、七月十四日・十五日には御主殿に棚をかざりつけて、御回向をあそばLたこと。
◎天正五年(1576)丙子正月吉日 高坂弾正これを記す。
<信玄公が同法に背いた者でも、人によっては二度までは御免なされたこと五ケ条>(「甲陽軍艦」品第三十九)
一、
諸浪人衆また降参した衆は二皮までは御免なされた。先方衆は御ゆるしにはならなかった。
二、
忠節忠功の武十の子孫だった場合には、御成敗となるところも命を助けて、坂を越えさせて国外追放か、改易の罪の場合は寺入を命じられた。
三、
出家、僧侶の妻帯については、役銭を出させて御許しのこと。
四、
町人百姓の喧嘩は、過銭(過料の銭)にかえさせて御免のこと。
五、
非公事(埋に反する訴訟)の場合も、過銭をもってゆるしなされたこと。以上。
◎天正五年(1576)丙子正月吉日 高坂弾正これを記す。
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