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ネパールの山と花と人;ブログ編
ホームページの「Nepalの山と花と人」のブログ編です。

五竜遠見尾根スキー

1月27日 白馬五竜スキー場 曇り時々晴れ
1月28日 遠見尾根山スキー 曇り時々小雪、約1850mで引き返し

 26日、上信越道から長野県に入る頃の上信越道は前方も見えにくいほどのすごい雪だった。道の駅白馬で前泊。
 27日はHAKUBA47、飯森を含めて白馬五竜エリアのスキー場の下記コースを一通り滑る。昔はそれぞれ独立したスキー場だったが、今は連結されている。
 
 チケットを買う時の面白い話:発券所で「シニア券を1枚」と言うと、「何か証明になるものを見せて下さい」と。「この顔を見ると分かるでしょう」と私。すると「色々といますから」との返事。
 しかたなくリュックから免許証を出して見せると、「良かったですね、これはグランドシニアです。○○円です」。シニア券よりさらに安いグランドシニア券があるとは知らなかったので思わず感激して「有難うございます」と。素直になって良かった。

 曇りがちの天気で、山の写真は余り撮れなかった。下は大黒岳? イメージ 2






















五竜岳
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白馬三山方面
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 29日は月曜日のため、駐車場もゲレンデもすいていた。とりあえず、リフトで一番上まで行く。
 遠見尾根を登ったのは10数年前で、ルートは忘れていたので、とりあえず地蔵の頭に取り付いた。少し登ると尾根に向かうトレースが見えたので下りて、そちらに向かう。トレースは地蔵の頭には登らず左の脇から尾根に取り付く。
 取り付きにはゲートと注意の看板がある。
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八ヶ岳

1月14日〜16日

1月14日 晴れ
美濃戸→赤岳鉱泉→展望台→赤岳鉱泉泊

 前日は道の駅こぶちざわで車泊。
 八ヶ岳の鉢巻道路から美濃戸口までは全くと言っていいほど雪がなかった。美濃戸口から美濃戸までの道もほんの少しあっただけ。楽に赤岳山荘の駐車場に着いた。
 何と登山口から北沢を赤岳鉱泉へ行く道路の雪もしばらくは消えていた。
 冬の八ヶ岳は今までに何十回と来ているがこんなに雪が少ないのは初めてである。
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 車道全体が氷で覆われている箇所もあるが、道の端の方を歩けば問題ない。
 車道から登山道に入る橋の辺りでもこんな程度の雪である。
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 赤岳鉱泉のアイスキャンディーには多くの人たちが練習をしていた。
 赤岳鉱泉は大広間をあてがわれた。ここに泊まるのは12年振りくらい。昨年はテントを担いできたが、今回は楽をしようと小屋泊まりだ。但し自炊で一泊6000円で二泊。他には素泊まりの人はいなかったようだ。但し香港かららしい人たちは翌々朝は早出の出発のためか自炊をしていた。

 展望台に行ったのは初めてである。眺めは良いが横岳の岩壁にはほとんど雪がついていないため、黒い岩だけでは写真の絵にはならない。赤岳の夕日を期待したが、なかなか赤くならず、しびれを切らして引き返した。これでは山岳写真愛好家にはなれない。
 なお、ここには中山尾根展望台と書かれた、前にいた山岳会の遭難慰霊碑がある。ややひび割れているがまだ立派に立っている。
 
1月15日(月)曇りのち晴れ
赤岳鉱泉→硫黄岳→赤岳鉱泉→阿弥陀岳の途中→赤岳鉱泉

 赤岩の頭での撮影を期待したが、ガスって何も見えなかった。昨年は赤岩の頭には右に回り込んでから直上したが、今年は多分夏道通りだった。
 硫黄岳の頂上も風が強く、また霧で展望なし。
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 当初予定は横岳縦走で、大ダルミへの途中まで下ったが強風・天候不良で引き返した。
 赤岳鉱泉で天気予報を確認すると、この夜は前線通過で雪が降り翌日は晴れるとのこと。まさに写真日和となりそうであった。
 翌日を期待して、偵察のため阿弥陀岳の途中まで登ってみた。夜は雪が降りだして喜ぶ。

1月16日(火)曇りのち晴れ
赤岳鉱泉→行者小屋→阿弥陀岳→行者小屋→赤岳山荘⇒自宅

 新雪は期待したほどではないが5〜6cm積もっていた。朝方はまだガスっており、出発が遅れ7時半を過ぎてしまった。
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 石尊稜や中山尾根方面等へのアプローチにはすでにトレースがついていた。行者小屋に荷物をデポして軽くする。
 文三郎尾根と中岳沢の分岐からもトレースがあったが、北稜登攀の分岐からは北稜に向かっていた。つまり中岳沢から先には誰もいない。
 中岳沢は傾斜がきつく、また漏斗状をしており大雪が降ると雪崩で危険だが、この程度の雪なら大丈夫だろうと気休めを。
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 中岳のコルに着いてもまだ視界は晴れない。
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 天気がいまだ回復しないため若干躊躇したが、上ることにした。幸い登るに従って
徐々に明るくなってきた。ハシゴを登りしばらくすると傾斜がきつくなる。
 これは大変かなと登ると、鎖が雪の中から少し出ていた。アックスを打ち込みながら補助で鎖を使わせてもらう。年と共に登攀能力が落ちていることを痛感する。昔は阿弥陀の一般ルートなどは何とも思わなかったが、ナメられなくなってきた。
 青空が見えてきた。上から3人パーティが下りてきた。北稜からだと思い、尋ねるとその通り。意外と早い。一人はガイドだった。この先はヤバい所はないですかと聞くと、鎖場が一番大変で、上は大したことはないと聞いてひと安心。
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 阿弥陀岳に着いても遠くの展望はまだ効かない。
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 二人のクライマーが登って来た。南稜からかなと思い尋ねると奥壁からだと(多分広河原沢本谷か)。失礼しました。彼らは舟山十字路に御小屋尾根を下って行った。
 すると少しだけ赤岳方面が見えた。もっと晴れ上がるだろうと一眼は出さずにゆっくりしていたが、阿弥陀の頂上から赤岳が見えたのはその一瞬だけだった。
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 霧が晴れないかとしばらく粘っていたがダメだった。ついに撮れないかと諦め、下山を始めた。
 昔の勘を取り戻したのか、下りは簡単だった。、慎重ではあるがホイホイと下る。すると、段々に赤岳や横岳方面が見えてきた。少し中岳が邪魔になるが。
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赤岳
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少し下って中岳沢から日ノ岳方面
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横岳西壁。左に大同心、小同心。右の方は石尊稜と中山尾根か。この辺は登攀でよく遊ばせてもらった。
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行者小屋から赤岳西壁
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 行者小屋からの下山は南沢を下る。南沢も昔は歩きやすかったが、台風や大雨によるものか土砂崩れで道が付け替えられて大変な高巻き。つけられたばかりで道がこなれていない。また倒木も多く道が荒れており、時間がかかる。北沢が良くなり過ぎているせいもあるが、北沢に比べれば歩きにくいことこの上ない。これでは登山者は増々北沢を歩き、南沢の道が良くならないのではないかと心配する。

 なお、4〜50年前の冬の南沢は氷の上を歩いた記憶はなくすべて雪の上だった。従って、行者小屋まではアイゼンは不要で雪の上を気持ちよく歩いた。しかし最近は温暖化により、雪が解けてまた気温が下がって凍るということを繰り返すため、特に下りはアイゼンを履かないとスリップの危険が増えた。昔はズーっと氷点下が続き、一旦積もった雪が解けて凍るということは余りなかった。
 諏訪湖の全面結氷も数年に一度しかなく、有名な御神渡りも滅多に見られなくなっ
てしまった。子供の頃はスケートをしながらほぼ毎年見たものだが。オシマイ。

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志賀高原スキー

1月7日(月)曇りのち薄曇り

 6日はヤマボクの後、湯田中に行き、温泉旅館で宿泊。昔はそれなりの旅館だったような風情がある。風呂も広々としており、湯はたっぷり。今はチェーンに加盟したのかローコスト運営で、素泊まり。

 まず岩菅山の下山口に向かい、除雪の終点まで行った。トレースはなさそうだった。
次に高天が原マンモススキー場で少し滑った後、東館山オリンピックコースへ。やはり楽ではない。外国人たちが元気に滑り、変なところも下っていく。
 次にゴンドラで上がり寺子屋スキー場へ。多分このゴンドラに乗るのは51年ぶりだ。
 寺子屋は昔はなかったと思う。この辺では標高は一番高いと思うが、風が強いせいかブッシュが出ている。おまけにガスってよく見えない。
 寺子屋スキー場のリフトトップ。
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 寺小屋山への登山口に行ってみたが、やはり登ったトレースはなさそうだった。
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 2〜3回滑ったがガスって見えないので一の瀬ファミリーへ行く。天気が少し良くなってきた。一の瀬スキー場も昔はなかったような気がする。広大なゲレンデだ。岩菅山からの最終下山口もトレースはない。もっとも一の瀬まで下って来る人は少ないかもしれない。
 一の瀬の向かい側が焼額山スキー場。ここは昔竜王越えで登った懐かしい山。勿論スキー場はなかった。
 帰る頃、岩菅山が見えてきた。
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 岩菅山はオリンピックのコース計画にあげられていたが、自然保護、開発反対でコース設置は取りやめとなった。

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1月6日(日)曇り 一人

 昔の名前は山田牧場スキー場で初めて行った。今はYamabokuワイルドスノーパークという名前である。スキー場の上には笠岳2075mが聳え、山スキーのコースになっている。
 朝方は霧で視界が効かず、圧雪をしていない、まさにワイルドなコースも多いためヒヤヒヤしながら滑る。今シーズン初めてのスキーでもありぎこちない。
 一番上部の第3リフトは、今時珍しい一人乗りだった。3人乗り、4人乗りの高速リフトが多い今日、一人乗りリフトに乗ったのは50年以上振りだった。まだ残念ながら上部の上級コースはブッシュがまだ出ていた。
 なお、このスキー場の他のリフトは2人乗りのみである。
 
 スキー場から上部の笠岳方面を望む。夕方撮った写真。
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 第3リフトの上から、下の山田温泉スキー場に至る、タコチコースという13㎞のツアーコースもある。下のスキー場から上のスキー場までの連絡バスもあるとのこと。
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 今回は笠岳への山スキーの下見を兼ねていたが、トレースがあり、つい偵察したくなってしまい途中まで登った。勿論ルートマップやGPS、シール等は準備していた。
 第3リフトの上から急坂を登ると、車道に出た。
 先行者は、車道に至る急傾斜の登りのトレースから推察するに、私より上手なスキーの使い手のようだ。
 車道を進むと橋があった。
 写真は補正して明るく見えるが、実際はこんなに明るくはない。
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 トレースを追いかけながら登る。
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 そのうちにトレースをつけたと思われる人が下って来た。言葉は交わさなかったが笠岳まで登ったかもしれない。
 久し振りにわずかな日の光が差した。
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 下見のため深追いせずに下山した。
 スキー場に下るとやっと、前掲の写真のように笠岳方面が見えてきた。

 ここで笠岳という山名の考察を一席。
 笠岳は国土地理院の地図では、笠ヶ岳になっており、昭文社の地図もそれを踏襲している。ところが、地元では笠岳という呼び方が多いようだ。
 例えば、峠の茶屋の看板は「笠岳 峠の茶屋」で、案内版も「笠岳登山口」である。
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 また、Yamabokuワイルドスノーパークというスノーパークというスキー場のパンフレットも笠岳になっている。
 つまり、地元では笠岳という名前なのだ。

 本棚にあった、清水栄一の「信州百名山」昭和54年を見ると、やはり「笠岳」だった。
 ネットで調べると、合併を重ねた現地の村誌や郡誌では、笠嶽山、笠ヶ岳、笠嶽、笠岳と様々であるが、笠ヶ岳は少数派のようだ。

 昭和32年制作の「美しの志賀高原」(作詞西沢爽、作曲古賀政男)の歌詞の2番は次の通りである。
 笠岳も暮れてゆき楽しいキャンプ
 二人の心に灯つけて
 青春の二度とない夢を映せ木戸池
 夜の明けるまで
 ああ美しの志賀高原

 国土地理院の地図や、それに準拠する昭文社の地図もどういう訳か、いつかの時点で「笠ヶ岳」に代わってしまったのではないかと思われる。地元の調査、聴取をしたのだろうか。
 ヒマがあったらどうして変わってしまったのか調べてみたいと思う。

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日時:11月26日(月)19〜21時
演題:登山中に身体のトラブルを起こさないためのトレーニング法 〜20歳から80歳代」まで活用できる知識
場所:オリンピック記念青少年センター

 講演は氏の「登山の運動生理学とトレーニング」(東京新聞)にベースになって、さらに最新の考えが付加されている。同誌は大冊であるため、購入したものの余り開かれていなかった。講演を機会に主要部にざっと目を通して受講した。
 当然のことながら、講演の方が要点が良く分かる。一番脳裏に残ったのは、本にも書いてあるが、年を取れば取るほどトレーニングの頻度を高めなけば体力は維持できない、ということ。
 最低月2回以上の登山と、筋肉トレーニングなどの補助トレーニングは欠かせない。登山で重要な筋肉ほど加齢により衰えやすい。
 最低これだけは、という自重負荷」の筋力トレーニングを教わった。
 自称トレーニング嫌いだった私も、危険な領域に入りつつあるここ数年来の体力不足を痛感している。筋力の低下も甚だしい。
 最近凝っている自転車も、坂やスピードはそれなりの人には全くかなわない。山のトレーニングも兼ねて始めた自転車は、心肺や脚筋力の改善には効果があるが、登山の半分を占める下り用の筋力の強化はできない。自転車にこれだけ乗っているのに時々の登山では筋肉痛が起きることを身をもって体験していた。

 数値目標として、「月間登下降距離」を意識する。一か月の累計で、上り・下りともそれぞれ2000m以上を目標に。低山トレーニングの励行。
 筋力トレーニングを週に3回くらい行う。⇒スクワット、上体起こし、脚上げが15回×5セットずつ、「楽」にできることを目標に。

 まだ完全ではないが、早速始めた。筑波山も毎週1回登っている。つくし湖から男体山に登ると1回820mほどの標高差になる。

 いくつかの言葉。50代まではかなり高い体力レベルを保てる。まさに自分がそうだった。60代は努力しても体力は低下する。60代からは考え、頭を使うことが必要。
⇒一言でいえば、目標とするコースを想定した予行演習をできるだけ積んでおく。

※最後に、「健康のための運動プログラムの継続率」(米国の研究データ)
①学ぶ(頭):100%
②やってみる(身体):18% (1日でもトレーニングをした人)
③継続する(心):11% (6か月後まで続けた人)

とりあえず②まではクリアした。あとはどれだけ心を保てるかだ。

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