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ネパールの山と花と人;ブログ編
ホームページの「Nepalの山と花と人」のブログ編です。

満蒙開拓平和記念館

3月31日訪問

 満蒙開拓平和記念館は長野県下伊那郡阿智村にある。旧満州に入植した満蒙開拓団の苦難の歴史を伝え、平和の尊さを次世代に語り継ぐために平成25年4月にオープンした。

 以前、恵那山の帰りに見つけ、訪問したかったが、今回の岐阜の会合に併せて訪問することができた。
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 22016年11月17日には天皇皇后両陛下も訪問されている。

その時に詠まれた歌碑がある。
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 満州に大きく関心を持ったのは、中国残留孤児の話をテレビや新聞で大きく取り上げられてからである。また、NHKと中国で共同制作された、山崎豊子の小説「大地の子」をテレビで見て感動し、さらに原著を読んだ。
 「大地の子」では「陸一心」がおぼろげながら記憶に残っていた信濃富士の名前から自分のルーツが長野県ではないかと分かってくるなど、長野県に大きく関係していた。
 理解が深まるにつれて、長野県から多くの人が満州に満蒙開拓団として渡り、その結果残留孤児も沢山いたということを認識してきた。
 さらには最近再放送されたNHKのETV特集「告白〜満蒙開拓団の女たち〜」では、ソ連軍の侵攻後、ソ連軍の兵隊を懐柔して開拓団員を守るために、開拓団から女性を人身御供的に出した。彼女らは帰国してからも黙っていたり、知られると蔑まされて生き、帰国してからも大変な苦労をしてきたことを取り上げていた。それは下伊那地方の話であった。

 わが身に一番関連するのは、叔父がおそらく義勇軍(開拓団のほか14〜15歳で組織された青少年義勇軍)だと思われるが満州に渡り、挙句の果てにシベリアに抑留されていた。戦後帰国し、子供心に満州に渡っていたとか大連の名前やシベリアで凍傷になったとか聞いていた。2〜3年前の法事で久しぶりに会った時に、満州時代の話を聞かせてもらった。
 
記念館の資料データ抜粋や見学の感想その他
1.満州国
 1931年の満州事変で関東軍(日本陸軍の満州駐留部隊)が主要都市を制圧し、1932年に建国。清国最後の皇帝溥儀(ラストエンペラーのモデル)を元首としたが、政治の実権を握っていたのは日本であり権力の中枢には関東軍がいた。

2.満蒙開拓団
 「満州国」は中国東北部地方に位置したが、内モンゴルの一部も入っていたため、”満蒙”地域と呼んだ。
 満蒙開拓団は農業移民。1936年(昭和11年)に、「満州国農民移民100万戸移住計画が国策となり、終戦までに日本全国から約27万人が渡っていった。村を挙げて送り出す〝分村”や複数の村が送り出す”分郷”、開拓団のほか14,15歳で組織された青少年義勇軍も8万人近く送出された。

※開拓と言っても、多くの土地は関東軍が現地住民の土地をただ同然のように取り上げたもの。主として貧しい農家の次男、三男が渡った。

3.逃避行と収容所生活
 終戦直前の8月9日、ソ連軍が満州に侵攻。成人男性は軍に召集されており、開拓団に残されていた女、子ども、老人たちの逃避行が始まる。日本人に抑圧されたり土地を追い出された現地住民らの積年の恨みが開拓団や一般の日本人に向けられ、略奪や襲撃にあう。各地で集団自決なども起こり、さらに戦後の収容所生活のなか、飢えや寒さ、病気で大勢なくなる。開拓団約27万人のうち8万人が命を落とした。

※関東軍は開拓団には何も知らせず先に撤退してしまった。
 夢のようなことだけ言われて満州に渡った開拓団員は現地住民にとっては無意識的であっても加害者だった。ソ連軍の侵攻とともに被害者となり、多大な犠牲を強いられた。
 悲惨な逃避行は「大地の子」にも描かれている。集団自決が多いなか、少ないが生きて帰ろうという開拓団の指導者もいたようだ。
 
4.阿智郷開拓団
 旧会地村、伍和村、山本村で編成された開拓団。本体は昭和20年の5月に渡って行った(何と敗戦濃厚な、終戦の3か月前)。満州の最も北東に位置する未開の原野で他地域との交流はほとんどなかったという。ほどなくソ連の侵攻で逃避行を余儀なくされ、8月24日に佐渡開拓団跡で解団式を実施。100人近くがこの地で死亡。団員190人のうち帰国できたのは47人(わずかに4分の1)。

5.山本滋昭
 阿智村、長岳寺の元住職。阿智郷開拓団の現地国民学校の教員として請われ、妻と娘2人を伴い本隊と一緒に昭和20年に満州に渡る。逃避行の後、シベリアに抑留され1947年(昭和22年)に引き揚げ。戦後は中国残留孤児の肉親捜しに奔走し、「残留孤児の父」と呼ばれる。1990年永眠。

※逃避行の最中に山本さんはソ連に連行され、家族と別れさせられた。シベリアから引き揚げた後、奥さんが逃避行のうち亡くなったことを知る。そして残留孤児の肉親捜しに奔走しているなか、残留孤児となって中国で家族を持っていたご自身の上の娘さんとも、昭和57年についに再会した。

※※山本滋昭さんを描いた本に「望郷の鐘 中国残留孤児の父・山本慈昭」、和田登 作、しなのき書房がある。内藤剛志主演で映画化もされている。

6.中国残留孤児、残留婦人
 逃避行や収容所生活の中で中国人を頼ったり預けられるなどして妻や子どもになり、戦後も中国に残留を余儀なくされた人々。そのうち満13歳以上だった女性を残留婦人という。1972年、日本と中国の国交正常化以降、本格的な身元調査がはじまり帰国が進む。現在(記念館で入手した資料)までに帰国したのは約6,700人。

7.データベース
(1)開拓団および義勇隊送出状況
       開拓団団員数(人) 義勇軍隊員数(人) 合計(人)  
   全国    220,255               101,627            321,882
   
   長野県    31,264                 6,595             37,859        11.8%  ①
   山形県                            5.3%   ②
        熊本県                            3.9%   ③
   福島県                           3.9%   ④
       
      (注)計画数も入っており、必ずしも正確な数字ではない
     現在では満蒙開拓団の総人数は約27万人といわれている

   ※長野県がダントツに多い。

(2)長野県満蒙開拓団・旧群市別
        総計(人) (%) うち義勇隊(人)   
    送出数        32,992  100    6,216  
        帰国者   16,949      51.4%
       未帰還者  16,043      48.6%
        
            下伊那・飯田(人)       うち義勇隊   長野県全体の比率
   送出者数  8,339        990人      25.3%
         帰国者        4,205       50.1%                              24.8% 
   未帰還者  4,184      49.9%                                  26.1%      

   (注)未帰還者のうち14,940人死亡、1,103人残留(213人不明)
      ※つまり長野県の総送出数のうち約45%は亡くなった

      ※全国比で長野県がダントツに高いうえに、そのうち約4分の1が下伊那・飯田
    エリアである。

※※阿智村は、環境省認定の日本一星空がきれいな村とされている。
南信州を訪れた際、ぜひ満蒙開拓平和記念館も訪問して下さい。

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宝剣岳 山スキー

3月29〜30日 一人

<概要>
3月29日 薄曇りのち晴れ
小黒川PA(車泊)⇒駒ヶ根IC⇒菅ノ台バスセンター⇒バス、ロープウェイ⇒千畳敷駅→極楽平→島田娘(2858m)→極楽平 スキー滑降〜千畳敷→乗越浄土の途中  約2700mまで登る〜ホテル千畳敷(泊)

3月30日 晴れ
ホテル千畳敷→乗越浄土→伊那前岳の手前2911m峰〜乗越浄土〜千畳敷⇒ロープウェイ、バス⇒菅ノ台⇒こぶしの湯⇒下條村道の駅(泊)

<内容>
3月29日
 ホテル千畳敷は、3月末までは土、日、祭日を除いて、バス・ロープウェイと宿泊のセット割引がある。ちょうど郡上市で会合があるのに合わせてこの割引を利用した。宝剣岳周辺に足を踏み入れるのは、約45年前に冬の宝剣岳中央稜に登って以来初めてである。
 始発で千畳敷に登った人は2〜30人。そのうちスキーを持った人は私を含めて4〜5人と少なかった。

 殆どの登山者は木曽駒ケ岳を目指して乗越浄土方面に登って行く。極楽平方面の千畳敷南面カールに登って行く人は他の二人と私だけだった。その二人は檜尾岳方面に消えていった。
 極楽平周辺からのカールは、多くのカールと同様に上に行くほど傾斜が強くなる。また底から見て左の方が傾斜がきつく雪崩の跡もあった。
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 スキーで稜線まで登りたかったが私の腕では無理。途中からスキーを担いで登った。前の二人も担いでいた。

 極楽平の稜線付近は岩が結構出ている。宝剣岳、伊那前岳方面。
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前の山は三ノ沢岳
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 極楽平の南側の2858m峰(島田娘と思われる)。当初予定していた伊奈川源流カールを覗きたいし、空木岳、南駒ケ岳方面を見るために島田娘に向かう。
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 伊奈川源流カールは稜線付近は岩が所々露出しているし、単独ではやや心配と、弱気になり止めた。

※注
 伊奈川の名前はガイドブックの誤りが多い。
 パウダーガイド社の「日本バックカントリー・オール」では「伊那川」となっている。伊那地方の名称からは、伊奈川の方が違和感があるが。
 山渓入門ガイドの「バックカントリー」の地図では、「黒川源頭カール」と「伊奈川源頭カール」の位置が全く入れ替わっている。本文の解説は問題ないが、混乱の元となる。

三ノ沢岳
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奥の左が空木岳、右側が南駒ケ岳だと思うが・・・?
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 極楽平から千畳敷への滑り出しポイントを決めるのには迷った。稜線からは小さな雪庇状になっており、そこを降りるとすぐに急斜面が続くため、失敗すると滑落を止められそうにない。何度か迷った挙句に雪庇状の下の小さな棚を見つけ降りることができた。

 <雪崩> 何とか滑っているうちに、魔が差したのか、カールの南側の方が滑りやすそうに思い、南側の方に滑りこんでしまった。ところがカールの底から見たように、南側には雪崩の跡だらけ。カール上部を見ると如何にも雪崩れそうな斜面だ。
 やばいと思っているうちに、斜めに雪面を切った(真っ直ぐに滑る技量に乏しいのが問題)足元から雪崩れ始めて転び、スキーも埋まり脱出できず流されるまま。そのうちにストックも一本取られてしまった。幸いなことに流されながらも余り大きな規模ではなさそうだ、と思っていると、15〜20m位流されて止まった。
 多少の安全地帯に逃れてから考えたのは、まず置いてきたストックの回収。ピッケルを取り出し、直登すれば雪崩はほとんど起きないだろうと判断し、登り返して無事回収。

 写真の左上から右下の流れが雪崩の跡。左側が直登の跡。
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下から見た表層雪崩の跡。
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 大事に至らなかったせいか意外と冷静に千畳敷駅まで滑り降りた。ホテルの近くには人もいたが、幸い雪崩現場を見た人はいなかったようだ。

 伊奈川源頭カールに降りる予定をやめたので、余裕時間を使い千畳敷の北面カールを偵察に登った。
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 乗越浄土方面からは登山者が次々と降りてくる。登山者が多いため雪面は踏み後でボコボコだ。
 宝剣岳の稜線からはいくつかの表層雪崩の跡。規模は小さい。
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 2700m付近でシール登高を止めて滑り降りた。ご丁寧に踏み後のない所にシュプールをつけて。ところが千畳敷カールはスキー禁止らしいが、知らなかった。そこを駅に着いてからイチャモンをつける人がいた。
 その顛末は後述する。

 この晩はホテル千畳敷でリッチに過ごす。


3月30日
 ホテルの部屋は千畳敷カール側を向いているので眺めが良い。不精にも部屋から明け方の写真を撮った。
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テラスからの、頭をちょっと出した富士山と南アルプスの眺め
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 8:20頃、乗越浄土に向け登り始める。写真は伊那前岳方面。通常はこちらの斜面から滑降する。無理なら、滑ってはいけない(と朝方ホテルから放送があった)千畳敷カールから降りざるを得ない、と思いながら。

 昨日撮影した、伊那前岳方面。スキーのトレースは沢山ある。
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 カール上部は結構急で、またもやシール登高は断念し、スキーを担いで登る。朝方は雪面は固くなっており、つぼ足の跡も浅い。アイゼンは不要だろうと思い持参しなかった。
 昔からの登山者の誇り(負け惜しみ?)で、アイゼンが無くてもピッケルでステップをカッティングしながら登ればよい。山の会などで技術をつけたことのない多くの人にとってはピッケルは杖にしか過ぎない。滑落防止に使えれば上出来だし、クライミングにも使えない。しかしカッティングはとにかく時間がかかる。
 そのうちに始発のロープウェイで登って来た人たちにどんどん抜かれてしまった。やはりアイゼンは便利だ。
 昔、山岳会時代の正月合宿で登った宝剣岳中央稜が懐かしい。あの時は木曽駒ケ岳から乗越浄土を下り中央稜に取り付いた。今回は急に思えたカールの上部は若い当時は全くの緩斜面の感じであった。年齢と、体力・技術の低下は難易度を確実に上げる。  
 当時でも、中央稜を登り切れずに岸壁の途中の小さなテラスで4人でビバークした。その経験のおかげで冬のビバークも苦にならなくなった。寒さに震え、ほとんど眠れなかったが。

写真は乗越浄土の少し上からの宝剣岳中央稜
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同じく宝剣岳
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 余談だが、不思議な男女二人組がいた。ホテル千畳敷の周辺でも女性が奇抜な衣装をまとい写真を撮っていたが、ピッケルなし、簡易アイゼンで登り、乗越浄土やその周辺でも、登る服装とは衣装を代えてポーズをとって撮影していた。危なそうだが、大胆で楽しそう。

 さて、黒川源頭カールは早々に諦め、近くに見える中岳を登ろうかと考え途中まで行ったが、時間がかかりそうだと止めた。その代わりに本来の目的だった伊那前岳の手前の稜線からのドロップポイントを探ろうと、2911m峰に登った。
 2911m峰からは周囲の眺めが良い。途中滑降の場所があったが滑り出しはまあまあだが、段々急になり途中からは見えなくなる。ホテルはカールの底、真下である。初めてで一人で滑る勇気はない。
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 予定通りというか、やはり千畳敷カールを降りることにした。しかしカールの上部は狭く穴凹だらけで思うようには滑れない。やっとのことで降りた。
 どんな急斜面でも滑られるよう、もっと練習の必要性を痛感。
 ガイドブックによると、宝剣岳のスキー適期は4月〜5月。★★二つのグレードだが、今までの★★コースよりかかなりタフの感じだ。また、まだ少し時期が早すぎるせいか、今回の山スキーヤーはごくわずかだった。但し、もっと時期が遅くなると
岩の露出が増え滑りにくくなるかもしれない。


 これからしょうもない話を二題。長たらしいので興味のない人は飛ばして下さい。
 または、お前が悪いと思われる人はお許しを。

第一話。
 29日の午後、千畳敷北側カールを偵察した後、カールのシュプールのない斜面を滑った。できるだけ登り直しを少なくしようと考え、サギダルに近い方の斜面を滑った。結果、全くトレースのない所にシュプールがついてしまい、写真撮影には具合が悪くなってしまった。

 問題は、サギダルの下部で雪上訓練をしていた3人が降りてきて、その中のリーダーかガイドと思しき人が、「千畳敷はスキー禁止になっている。ホテルにも禁止と書いてある。知らないのか!」と詰問してきた。さらに、「雪崩を起こして下の登山者が埋まったらどうするんだ!」と。
 こちらの顔はヘルメットとゴーグルで分からないと思うが、彼は70歳を過ぎた爺よりはるかに若そうである。もちろんスキー禁止とは知らなかったし、山スキーのガイドブックにもそんなことは書いてない。また滑った場所もカールの底に近い方で傾斜も大したことはなく、まず雪崩は起きそうにない。大体初めて会った人にいきなり偉そうに言うのも失礼である。そんなことを言っても喧嘩になるだけなので、済みませんと言って平静を装っていた。私も大人になってきた。
 後でホテルの人に聞いたら確かにお役所からお達しはあるようである。雪崩の多発地帯なので防止策と、自然保護?しかし4月下旬からはTバーリフトがついたミニスキー場がオープンするらしい。

第二話。
 30日に乗越浄土に向かって、スキーを担いでアイゼンもつけずに、ピッケルでステップカッティングしながらのろのろと登っていた時の話。ある人が見かねて、「乗越浄土から引き返すんでしょうね?」と言った。私は殊勝に「はい」と答えた。
 乗越浄土に着いて中岳方面に行く時にその二人連れは食事をしていた。私がさらに登っているのを見て、俺のアドバイスも聞かずにまだ引き返さない無謀な奴め、というような顔をしていた。
 私が中岳の途中で引き返し、伊那前岳の手前2911mピークにいると、その二人連れが登ってきた。その時は私はスキーを脱いで登っていたので、足元をちらりと見てからこちらの顔を見た。彼の顔からは、口には出さないが「アイゼンも無しにまだ登って来やがって」という感じが読み取れた。
 ご親切は有り難いが、人は余り見かけにはよらない。おせっかいも人を見てした方がよい。こちらも経験上これ位なら大丈夫と思ってやっているし、かなり慎重、臆病にもなっている。それ以上に年を食って危険な目に会うこともあるが。

以上

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3月18日、晴れ、一人

 17日は道の駅入広瀬で車泊。テントで寝ている人もいた。18日の早朝、少し遅れていると早々と出発する車が何台も。おそらく山や山スキーに出かける車だろう。

 大岳ルートはガイドブックによると、二分の大橋がスタートで駐車スペースがあるとあったが、橋より上まで除雪されており、さらに上る。すると道の片側に数十台の駐車の車が繋がっていた。終点を見届けようと思いながら上っていくと、除雪の終点にはすでに満杯の、7〜8台の駐車スペースがあり、その手前の道路脇がわずかに空いていた。小さな軽自動車のメリットで幸運にも駐車することができた。

 除雪終点の駐車スペース
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 出発の準備をしていると、次から次へと大勢の人が続々と登っていく。山スキーヤーあり、登山者あり。
 東洋一と謳われる守門岳の大雪庇を見に登るツアー登山者も多数いた。

登り始めは雪に埋まった道路を行く
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 道路から分かれて少し登ると、いきなり尾根末端の急坂に取り付く。ほとんどの人はスキーを背負って登っており、私もザックに括って登ることにした。上の写真の人は急傾斜をスキーで登って行った。恐れ入りました。
 情けないことにスキーをいい加減にザックに括り付けたために、スキーが上にずれてしまい登りにくいことこの上なし、坂の途中で直す羽目に。また反省。
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 この急坂からは長峰の尾根となるが、途中から尾根を忠実に登るルートと、沢沿いに行って、また尾根に戻るルートがある。
 写真は分岐点。左に登れば尾根、そのまままっすぐ行けば沢ルート。沢ルートをとった。
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 沢の末端を左に詰めると尾根に出て、後はひたすら尾根をたどる。
 開けた見晴らしの良い広い尾根の向こうを下ると保久礼の小屋がある。
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 保久礼小屋。団体を迎えるために準備をしていた。
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小屋の上の尾根。トレースが無数にある。
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樹林帯を過ぎると広く見晴らしの良い尾根となる。
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白一色の尾根に登山者が続く。傾斜は適度だが、一部に急な個所もある。
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頂上へ間近の人たち
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大雪庇。奥が主峰袴岳。
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東洋一といわれるが、何をもって東洋一と言うのかは分からない。長さは長いが。東洋と言わずにアジアでも(世界でも)日本が一番雪庇が発達すると思うが、北アルプスの奥大日岳の雪庇の方が大きい感じがする。
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大岳頂上からの上越方面の山々
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 下りルートは上った大岳の東尾根をそのまま戻る人がほとんどだが、北側の尾根を下る人たちもいた。
 苦労して登った尾根も下りはあっという間だ。

 保久礼の小屋の周囲は登山者がわんさかと休憩していた。
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 午後2時頃、駐車場に戻った。

 早かったので高速道路が空いているうちに帰ろうと風呂にも入らずに帰途についたが、事故やらで渋滞が多く、結局時間がかかった。

















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唐松岳

3月12日 晴れ 一人

 10日の夜は道の駅白馬にて車泊し、11日のまだ暗い早朝に八方尾根スキー場の無料のP6駐車場に移動した。P6はネットで調べたが、すでに8割くらい埋まっていた。ゴンドラに乗るためには少し歩かないといけないが、名木山ゲレンデは近い。

 11日は13時まで使用できる午前券を買って八方尾根スキー場にてスキー。ゴンドラの乗り場を確認し、登山届も出した。昼頃登山の準備をしてP6からゴンドラの乗り場に。スキーと登山の両方の装備も考えたが、両方の装備でリフトに乗るのは嵩張ってやばそうなので諦めた。

 グラートスクワッドリフトのトップの近くから撮った写真。日曜日で沢山の人たちが、八方池山荘の上部に登っている。

 ところでグラートリフトから上に来たのは約45年ぶりである。冬合宿で遠見尾根から五竜を登り、縦走して唐松に登り、八方尾根をスキーで滑り降りて以来である。
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 八方池山荘は日曜日の夜の宿泊であるため、ガラガラだと思っていたが結構宿泊者もいた。詰めれば8人の部屋に、3人の相部屋でゆったりしている。二人とも写真の愛好家のようである。
 夕食は山小屋では初めての経験のバイキング方式。バラエティ豊かでかつおいしい。

 12日朝は日の出が6時少し前。小屋の周辺で多くの人が写真撮影をしていた。あわてて撮影したが、まだ慣れないカメラで設定を間違え変な写真ばかり。スイッチをオンにした状態で、調節ダイアルに軽く触れただけで設定が変わっていたことに気がつかなかった。表示を常にチェックする習慣がついていれば問題ないはずだが。

 白馬三山
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鹿島槍と左端に爺ヶ岳
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 6時半に朝食を頼んでしまっていたたので、朝食後、7時過ぎに山荘を出発した。久しぶりの小屋泊でうっかりしていたが、早く出発するために、自炊や持参、または弁当を頼む人も多い。

 八方山を越えると眺めがよくなり、写真を撮りながら登る。

 五竜岳。冬は3回登った。
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五竜岳と鹿島槍。
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鹿島槍と爺ヶ岳。
鹿島槍東尾根もその昔の3月に登り、八方尾根まで縦走した。
爺ヶ岳東尾根も昔の冬合宿で。全て今は昔。
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不帰岳。右から1峰、2峰、3峰。
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 さて、この日は快晴に恵まれたものの、風が非常に強い。下の写真の小高い丘まで行くとやや尾根は狭くなり強風で逡巡していると同部屋の人が登ってきた。彼と相談して引き返すことにした。
 少し下って写真を撮っていると、おそらく早朝のゴンドラやリフトで来たのか、次から次へと人が登ってきた。外人の二人の山スキーヤーもいる。こりゃ行けるかなと再び登ることにした。
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小高い丘の上を山スキーヤーが行く。
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 しかし、風はますます強くなり、左前方の傾斜の緩い尾根は少しやせてもいる。足を踏み出すために片足を上げると強風で体がフワッとすることも度々。

 ついにダケカンバ帯を左に曲がる所で、登れることは登れるだろうが強風に滑落の恐怖を感じながらら登るのも面白くない、と引き返すことにした。
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 スキーを履いてまた来たい。しかしながら、若い時にはよく上から滑ったものだ。


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2月27日 晴れ 一人

戸隠大橋(8:30)→黒姫山との林道分岐(早く分岐し過ぎた)→沢を渡り、南尾根の南側にある支尾根を登る→佐渡山鞍部→南尾根→(12:35)佐渡山(13:05)⇒佐渡山鞍部⇒支尾根⇒尾根末端⇒黒姫山林道分岐(通常ルートの分岐点)⇒(14:20)戸隠大橋

  前日は戸隠スキー場にて半日スキー。天気が良く戸隠連峰から高妻山、黒姫山等がよく見える。展望では佐渡山がやや小さく見え、少し自信がなかったが写真にはちゃんと納まっていた。この日は中社の民宿に泊まった。
 
 写真の中央が佐渡山1827m。頂上から左側に南尾根があり、途中から南東方向に曲がる。更に下ると手前方向に小さな支尾根があり、それを登りまた下降した。
 なお、下りは頂上から右手前(南東方向)の尾根を下り、沢の左岸を滑るルートも考えたが、単独であったため安心できる登ったルートを下った。

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 スキー場からの高妻山と五地蔵山(手前)。
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 戸隠大橋からの大橋林道入り口に10台位置けそうな駐車場がある(下山時撮影)。
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 林道は傾斜が緩く、幅も広い。
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 黒姫山や高妻、乙妻山に向かう人も利用するためトレースはたっぷりある。
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 大橋林道は佐渡山の南尾根の末端への入り口以外にも分岐している箇所があり、通常ルートより早く左に入り、沢の橋を渡った。更に進むと、おそらく五地蔵山方面に行くのかトレースが多く惑わされて行きつ戻りつした。結局、少しのトレースがあった左俣の左岸沿いに登ると、支尾根の取り付きに出た。

 南尾根の支尾根はしばらくは傾斜がきつい。傾斜が緩くなると広々とした佐渡山鞍部になる。
 写真は鞍部の少し手前のブナの樹林帯。
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 ルート図によれば鞍部まで行く手前から南尾根に向かって取り付くようだが、鞍部の近くまで行った。鞍部からは五地蔵、高妻、乙妻へのトレースが多い。
 ここで佐渡山から滑って来る単独行者に会った。この日初めて山の中で会った人である。妙なもので誰もいない山で人に会うとホッとする。逆に多すぎると幻滅するが。

 明るいブナ林帯を登ると南尾根に乗り上げ、やっと佐渡山への展望が開ける。傾斜は緩やかなため楽しい雪上散歩である。
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 佐渡山の南尾根は雪庇が発達している。
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 頂上からは眺めが良い。西に黒姫山。
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 北側に、右から左へ妙高、火打、焼山、雨飾山。
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 西に高妻、乙妻山。
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 写真を撮り、食事をしてから下山滑降。狭い支尾根に出るまでは早い。支尾根は細かなターンを無理矢理として疲れた。
 支尾根末端に出るとボーダー登山者に会った。この日2人目である。いくつかトレースはあったが五地蔵山方面からだろうか。ルート図には載っていないが。

 彼は私が登って来たすぐに南の方面ではなく、南西の方向に消えていった。私は南に下りかけてから、待てよ、こんなにトレースが少ない方ではないかもしれないと、戻って消えた方向を追った。
 するとトレースは豊富ですぐに広々とした林道に出た。ルート図にある大橋林道ルートである。結局登りは地図読み不足で、本来のルートから少し外れて迷いながら時間も食ったが、これ位なら愛嬌ですみそう。
 平坦な林道の下りは早い早い。あっという間に大橋の駐車場に着いた。

 駐車場から林道を振り返る。
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