竹中 正治(たけなか まさはる)

筆者が正しいと考える事実に基づいて記述しておりますが、その正誤については責任を負いません。自己責任でご判断ください。

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大坂ナオミの全豪オープン決勝戦を見て考えたことを書いておこう。第2セット、第9ゲーム目に訪れたチャンピオンシップポイントをナオミが逃した時、タイムをとってタオルを頭からかぶってトイレに行ったのが妙に印象的だった。 心の動揺を鎮めるためのタイムだったのだろう。その後、気分を一新したようなプレーで第3セットを取り、優勝を決めた。

ナオミが言う「ガマン」の意味

ナオミが過去3年ほどで急速に強くなった時にインタビューで「以前と何が違うようになったのですか?」と問われて「う〜ん、ガマンかな。ガマンできるようになった」と答えたことが脳裏に浮かんだ。

アスリートにとって「負けるものか!」という強烈な闘争心は、練習でも試合でも、決定的に必要な条件だろう。世界大会で優勝するほどのスーパーアスリートならば、その闘争心は並大抵のものではないはずだ。 その強い闘争心が折れそうになる心を支えて、自分の限界に挑戦するような練習を繰り返し、試合で不利な状況になっても跳ね返す力になることは疑いない。

しかし試合で思ったようなプレーができない時、強烈な闘争心は強いストレスも引き起こすはずだ。闘争心が人並み外れて強い分だけ「クソッ!クソッ!」というストレスも強烈になって、心の動揺を引き起こす。ストレスによる心の動揺は、そのままプレーの動揺となり、敗因となる。つまり両刃のやいばなのだ。

昨年の全米オープンの優勝決定戦でナオミと対戦した女王セリーナは、思う様にプレーが決まらなかったストレスを審判に向けて自滅してしまったのも、そういうことだ。

だから強烈な闘争心と同時に、その闘争心故に生じる強いストレスをコントロールできる術を身に付けないと、世界大会で優勝できるようなスーパーアスリートにはなり得ないのだろう。

卓球の張本智和と伊藤美誠

そこで脳裏に浮かぶのは、卓球の張本選手だ。彼は一打決める度に「ったぁー!」と叫ぶアクションがひと際強い。それで自分の闘争心を鼓舞しているのだ。しかし彼がこの先も世界のトップクラスでプレーを続けるためには、その闘争心から生じるストレスをコントロールできるようにならないと、安定的に勝ち続けることはできない感じがする。

それと非常に対照的な試合を見せてくれたのが、昨年ストックホルムの大会で世界ランキング1位の朱雨玲を破って優勝した伊藤美誠のプレーだった。 伊藤はリズミカルに身体を動かすフットワークを続けるだけで、闘争心を鼓舞するようなアクションはほとんどなかったが、そのプレーは神業の連続で、ランキングトップの朱がまるで格下の選手の様に見えるほどだった。 伊藤の「ゾーンに入った」という状態が、試合の最初から最後まで続いた。 

試合後のインタビューで、伊藤は「他のことは全く考えずに、一打一打にもの凄く集中できて、気が付いたら勝っていた」と答えたのが印象的だった。 闘争心で自分を駆動する次元を超えていたのだ。

ブルース・リー「燃えよドランゴン」でので語り

そこでまた想起するのが、映画「燃えよドラゴン」で主演ブルースリーが、カンフーを修行している少年に語った言葉だ。 セリフを再現しておこう。

  リー:Kick me.  Kick me. What was that? An exhibition? 
 We need emotional content. Try again. I said emotional content, not anger. 
 Now try again, with me. That's it. How did it feel to you? 
 弟子:Let me think. 
 リー:Don't think! Feel. It is like a finger pointing away to the Moon.  
 Don't concentrate on the finger or you will miss all that heavenly glory.

拳法家の目指す境地を語った言葉なのだと思う。
単純な闘争心や怒りによる駆動では2流のレベルまでしか届かない。
何事にも心を奪われず、自分を解放したもう一段上のレベルに本当の栄光があるんだよと語っているようだ。
ナオミが達したスーパーアスリートの次元も、そういうレベルにあるんだと感じた。

ブルースリーのセリフの意味について、興味深いことを語っているブログ:

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「『これが手だ』と、『手』という名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深く感じられてゐればよい。」

-中原中也「芸術論覚え書」

此処に家がある。人が若し此の家を見て何等かの驚きをなしたとして、そこで此の家の出来具合を描写するとなら、その描写が如何に微細洩さずに行はれてをれ、それは読む人を退屈させるに違ひない。――人が驚けば、その驚きはひきつゞき何かを想はす筈だが、そして描写の労を採らせるに然るべき動機はそのひきつゞいた想ひであるべきなのだが。

-中原中也「小詩論 小林秀雄に」

2019/2/3(日) 午前 8:03 [ sou*ch*r*uyan* ] 返信する

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