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『すみませーン、お時間あったらギャラリー覗いて行って下さーい。』 4年前の今頃、青山から渋谷に向かって夕方ぶらぶら歩いているとビラ配りをしていた若い女の子から声をかけられた。暇だったのでもらったチラシをぼーっと見ていると 『リトグラフお好きですか?』と聞いてきたので正直に『ハイ』と答える。『あそこの奥のギャラリーで今展示をしているんですけどよろしかったら見て行かれませんか?』と言われて改めてチラシをよく見ると何とも安っぽい《おのぼりさん向け》風の風景画で全然興味が沸かないので、『あ、でもあんまり僕の趣味じゃないのですみません。』と言うとあっさりと『そうですか、残念。よろしければ興味がありそうなお友達にでも案内差し上げてくださいね。』言われたのでその場を立ち去ろうとすると唐突に彼女が『あのー失礼ですけど海外にお住まいですか?』と聞いてきた。突然の事に『へ???』と素っ頓狂な声を上げてまじまじと相手の顔を見てしまう。その日一時帰国で東京に着いたばっかりだったので一瞬(何か変な物顔に付けてたのかな???)とか動揺しつつ『...はい。でもどうしてそう思われたんですか?』と正直に聞いてみると『うーん何ていうか物腰とか、歩き方とか、しゃべり方とか...全体の雰囲気で、この人日本に住んでないな、って思ったんです。』だと。 本人としては普通にしゃべって、普通に歩いてたつもりなのにもしかしたらすごく変だったのかも...でも一体何が変なの?教えて教えて〜。うーむ。 その時は『これから気をつけよう(何を???)。』と思っただけだったけれど、こういう事がそれからも続くとは思っていなかった。 去年春、某新高輪Pホテルに泊まっていて朝朦朧とした頭でエレベーターから出て来た途端に1階にいたお姉ちゃんが『グッドモーニングー、サー。ハヴァナイスデイ!』と微笑みかけて来た時には流石に顔が引きつってしまった。おい、ちゃんと顔見てるのに何でワシに英語で話しかけるんじゃー!まさか英語で答えるのも変だしどうしたもんだかと悩みつつ結局無言で通り過ぎてしまった。 そして極めつけは... 今年、金沢のフォルジュルネに行く為に羽田で飛行機を待っているときの事。当然うちのオケのメンバーのほかに某K音楽事務所の方が何人か付き添いでいる訳ですが、その中の2人が僕の真横(50センチ位)で話しているのが耳に入ってきた。『おい今朝ばばあ見たか?』『いや。そういえばいねえなあ、あのばばあ。』『ったくどこ行ってんだあのくそばばあ。』彼らが話している《ばばあ》とは何を隠そううちのオケの事務局長の事です。ショックだったのは別に彼らがクローディーヌをばばあ呼ばわりした事ではなく(実際もうすぐ定年だしね)日本人の僕の真横で声も落とさずに平気で喋っていた事。つまり彼らは僕のことを日本人だと思ってなかったって証拠だよなー。悲しい...よっぽど彼らの方に向き直ってにっこり『あ、ばばあならあっちに居ますよ。』と言って度肝を抜いてやろうかと思ったけど、それはあまりに可哀相なのでしなかった。今考えるとやっぱりやればよかったと思うけど... そういえばオーヴェルニュ管のチェリスト(日本人)がうちのチェリストに『お宅の首席ホルン本当に日本人?日本語話してるの見た事無いけど。』と言っていたらしい。日本人が一人しか居ないオケで一体誰と日本語で話せと言うんだろうか... 帰りの飛行機でも日本人スチュワーデスが英語で話しかけてきて絶句してしまったけど、一体僕は何人に見えるのかなー。中国人、韓国人、タイ人(!)、ベトナム人...今まで間違えられた外国人の数は多々あるけれど(一発で日本人と言われたためしがない)、それはあくまでフランス人が東洋人の区別が付かないからだけであって、日本人が間違えるのとは訳が違う...と思ってたんだけどな。 写真を見ていただければ分かる様にどこから見ても生粋の日本人なのに一体何がいけないんでしょうか。外人の背後霊が憑いてるとか??? ひょえー、笑えない。 これからは日の丸の鉢巻をして歩こうーっと!(うそうそ)
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僕がやっているオケのひとつポワトゥーシャラント管弦楽団はヴィエンヌ県県庁所在地のポワティエに拠点を置いていますが、今度この街に新しいコンサートホールが出来てそこの杮落としが9月の初めにありました。メンデルスゾーンのイタリア交響曲を3回演奏しましたが、流石地元の人たちには入場料がただだったせいかクラシックファンというよりは『ホール見たさにやってきた』という感じがあって、楽章間でがんがん拍手をされてミュージシャンたちは閉口気味。でも音響は素晴らしく、これからのシーズンが楽しみです。 |
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さて前回予告したマルクに楽屋に呼ばれた話ですが... 先ずはうちのオケ(ミュージシャン・デュ・ルーブル)の構成から話さないと...ちょっと裏話っぽいですが。基本的に正式団員というのはいません。5人一応グルノーブル市から給料を貰っているメンバーがいますが、彼らは《レ・ミュージシャン・デュ・ルーブル》と《グルノーブル室内管》が合併したときのオーディションでかろうじて落とされなかった元《グルノーブル》のメンバーで、あとは全部フリーのミュージシャンです。勿論90パーセントのメンバーはほぼ固定で創設当時からいるメンバーもいますが、基本的には契約制なのでいつ首になってもおかしくない。で、中には10年位ずーっと参加していたのにある時ばったり電話が来なくなったとかいう人も...桑原桑原。 中でもホルンパートは色々確執があった様で僕が3年前にはじめて来た時は何だかドロドロしてました。初めてのシリーズで既に横で1番を吹いていたハンガリー人がコンサート直前に首になり(ブダペスト歌劇場の首席ですちなみに...)、2番を吹いていたベルギー人が1番になり、スペイン人の同僚が見たことも無い下手糞な友達を突然連れて現れたり... かくいう僕は殆ど《便利屋》で1番から4番まで足りない所は全部引き受けていました。 で、何ヶ月か経った時の南米ツアーで突然マルクの独断で僕が首席になりベルギー人(若者でプライドが高い)はカンカン。ちょっと性格的に会わないので触らぬ神に祟りなしとなるべく避けるようにしていたんだけど... 最悪なことが起こってしまう。BBCプロムスのツアーのあとマルクが『タケノリ。これからは君がホルンパート全部仕切って。』と言ってきた。それはそれで別にいいんだけど、よくよく理由を訊いてみると要するにベルギー人とスペイン人の2人にもうあんまり来て欲しくないんだけど直接いうのは角が立つから後から入った僕に首にさせようと言う魂胆らしい。ひどいじゃん、ちょっとそれ。え? で僕はなるべく彼らには頼まなくてもいいように違うホルン吹きを呼んだりしてたんだけど、どうもベルギー人がぶっちぎれてとうとう事務局に怒りの手紙を送ってきた。事務局長は僕に『頼むから早くマルクと話をして解決してくれ。』と迫ってくるし、マルクはマルクで『首席はタケノリだから彼が決めるべきだ。』とか勝手なことを言ってるし、間に挟まれた僕は一体... でとにかくマルクと話をしようと思っていたところ本人からお呼びが。 ちょっと今この先書いていいのか迷ってしまいましたが...ま、いいか。マルク曰く『OO(ベルギー人)とXX(スペイン人)は今まで色々力になってくれたけれど、彼らはあくまで予備軍だ(どっひゃー)。沢山コンサートをやった挙句どうもOOは自分が僕の一番のお気に入りのホルン吹きだと思い込んでしまったようだけどそれは全くの勘違いだ(再びどっひゃー)。首席は君かもしくはヨハネス(モーツァルテウムの首席=異常に上手い)がやれる範囲でやって、どうしても無理で他にも人がいなかったらOOがやるだけの事だ。勿論彼らには感謝しているし、お礼の意味もこめて幾つかコンサートも頼もうと思うけど、どのシリーズだったらリスクが少ないかな(三度どっひゃー)?』だと。聞きながら内心、自分のことこんな風に話されたらショックで3日間寝込んじゃうだろうな、などと思いつつ表面はあまり動揺を見せずに楽屋を後にしたけれど、ちょっとね... 10年近くオーケストラで吹いてきたメンバーにあんたそれはあんまりでないかい??? で、ふと思ったのが そう、今まで何人のメンバーがこうやって無惨にも切り捨てられていったんだろうか。恐ろしや〜。しかも来年5月のハイドンのロンドン交響曲全集の録音は僕があうあうしながら『ここで1度もコンサートやっていない僕が録音だけ登場するのはちょっと風当たりが... それに練習も殆ど無いみたいだし... あ、事務局長も3人目のホルン連れて行くと金が掛かるから困るって言ってましたよ...』と言っているにも関わらずマルクの『いやOOに12曲全部録音させるのはいやだからタケノリが半分やる様に。』という一言にかき消されてしまった。あー気が重い。だってベルギー人は会う度に《お前のせいで。くっそー死ね死ね光線》を送ってくるのに1週間もウィーンで録音なんてしたら闇夜にまぎれて暗殺されるがな。もしウィーンで僕が変死したらベルギー人に殺されたと思ってね、てうそうそ。 てな訳であと2つのオケ(ポワトゥーシャラントとペレアス)では全然こういう問題が無いのにどうしてここのオケはこんなに揉めるんだろうか... 別に僕がマルクに『お願〜い、首席にして。ウフッ。』とか擦り寄って言った訳じゃないんだけどな。こんな事なら便利屋のままでいた方が気が楽だったよ、本当に。 さてあと何年僕が首席でいられるか皆さん予想してメールを送ってください。一番近かった方にはタイユヴァンでご馳走します。って、洒落になんない...
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2ヶ月ぶりの投稿です。時が経つのは早いねー。 7月はずっと働いていました。ブルゴーニュ夏のオペラフェスティヴァルというのに参加してディジョンへ行っていました。天気も良くてなかなか良かったけれどホテルがね...ぼろいのはともかくシャワーから出て熱いのでそのまま《ふり0ん》で涼んでいたら掃除のおばさんノックもせずに入ってくるし(もっとすごい事してたらどうするんだ!?)、朝食はみんな『え?これで全部?』っていう量だし、こういうところで予算を削っているんだろうか。うーむ。 でその後モンペリエのフランス国営放送の音楽祭へ。うちのオケ(ペレアス)の前に《ストラリヴァリア》という弦楽合奏団(モンペリエ国立響のメンバーらしい)が演奏したのはいいけれどその夜は特別に全員がストラリヴァリウスで演奏するというのが売りで、何とその日の朝どっかの音楽博物館の楽器が護送されてきたので大騒ぎ。各演奏家にシークレットポリスが付いて回って楽屋裏は勝手に行き来が出来ない(!)し、自分の楽器じゃないからいくら名器だといっても大した音しないし、もう何だかなーという演奏でした。正しく『豚に真珠』って失礼か... でコンサートが終わってそのまま夜行でロワイヨンという街の講習会へ。朝8時に着いて9時半からレッスン。もう頭が朦朧として...主催者が親切にもオーシャンビューのアパートを借りてくれて歩いて2分で砂浜まで行ける所だったんだけどあまりにハードスケジュールで結局海には2週間入らずじまい。もったいない!まあ仕方が無いこちとらレッスンしてお金貰っている訳だからそちらが優先なのは当然。 で8月頭2週間だけ休みがあったので田舎のセカンドハウスへ。始め数日は天気が良かったものの後は雨と風の毎日。しかも1年分の片付け物や庭仕事が溜まっていてそれに追われるうちにヴァカンス終了。とほほ... 半ばからレ・ミュージシャン・デュ・ルーブル(ちなみに日本語で《ルーブル音楽隊》と訳すらしい。何だか変)で仕事。まずはベルリオーズのイタリアのハロルド、ストラヴィンスキーのプルチネッラとチャイコフスキーのくるみ割り人形という変な取り合わせのプログラム。一応ピリオドアプローチなので、楽器は何を使うべきか迷う。本当ならベルリオーズは変え管つき上昇システムの19世紀半ばのフランス製ピストンホルン、ストラヴィンスキーはセルマーのピストンホルン、チャイコフスキーは19世紀後半のバルブホルン、という事なんだろうけどまさか楽器3つ持ってツアーには出られないし...で結局ベルリオーズとストラヴィンスキーは同じセルマーのピストンホルンで吹くことに。でも楽器2つだけどね。 でこのプログラムが超辛かった...ベルリオーズは吹きっぱなしだし、ストラヴィンスキーはモダンで吹いても大変なのに...チャイコフスキーもFシングルで吹くと結構辛い。音をはずす度にマルクが『大丈夫?』と聞くので結構ぶっちぎれそうになりながら『心配しないでください。このプログラムすごーく大変なので疲れているだけです!』と言いつつも内心(でも本番も疲れてたりして。洒落にならなーい)と思っていました。 でコンサートが終わってパリに戻ってきたその夜に今度は《ウィーンのオペレッタ》というシリーズの練習。これも本来ならウィンナホルンを使うべきだけれど持ってないしチャイコフスキーで使ったバルブホルンでお茶を濁す。どうせ伴奏だしなんて高をくくっていたらとんでもなかった。大変じゃんこのプログラム!でその日2日後のシリーズの詳細を見たら《楽器/バロック》と書いてある。 だってバロックホルン本番で吹いたことないし(おいおい)楽器も持ってないんだわさ。で、あせってラッパの同僚に『ね、バロックホルン持ってるでしょ。貸して。』と擦り寄る。『いいけどいつ使うの?』『明日から。』『で、吹いたことあるの?』『無い』『.......』でも親切に次の日持ってきてくれました。ありがたやー。という訳であと半日でこの楽器吹けるようにならないとなー2日後はもうルツェルンの音楽祭だし。あはははははー、あまりのことにすかっりハイに。しかし慣れていないので指使いを間違える。仕方が無いので楽譜にいちいち指使いを書き込む(恥ずかしー)。 さて次の日練習。オケ僕以外全員このプログラム10回以上演奏しているので1回通してオシマイ。おーい頼むからもっと練習してー、と思っても無理な話。次の日スイスのルツェルン音楽祭へ。どこがカットかとか、繰り返しとか良く理解していないので2番の子に『合図してね』と頼む。久しぶりに緊張ー。フルートのジャンが自分の楽器かどうかと訊くので『違うよ。ジャンバティストの。だってバロックホルン本番で吹くの初めてだもん。』と言ったらびびってた。マルクには絶対に告げ口しないように念を押す(憤死しちゃうね、きっと。笑)。 で、本番前に楽屋裏でうろうろしてたら日本人の方に声をかけられる。誰だろうと思ったらなんとブログで僕のことを書いていたハンブルク在住の泉毅さんだった。ルツェルンのアカデミーに来ているとの事。もっとゆっくり話をしたかったけれど、指使いをおさらいしないと危ないので失礼して楽屋へ。で、本番は...まあこんなもんか、っておい。流石に次の日のリヒテンシュタインの方が余裕を持って演奏できたけど、まあ当然か。この日はハイドンのシンフォニーもあって大変だったけど。と言うわけで さてリヒテンシュタインの演奏会前、事務局の人とマルクの楽屋に呼ばれる。僕の前に仮に首席をしていたベルギー人が事務局に怒りと非難の手紙を送って来たとか...あーまたもや音楽とは全く関係ない問題が。この話はまた次回!
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母がやっと退院して、手術の結果、これからの治療のことなど電話で直接話してくれました。声を聞く限りでは1ヶ月前とは全く違う元気さですが、姉の話によるとがりがりに痩せているとの事、本人にあったら『元気になった』なんて呑気な事言ってられないかもしれないけれど... |

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