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佐紀盾列古墳群を巡ってみました。佐紀盾列古墳群は平城京の北東の東群、北西の西群に分類されています。 先ずは、東群の磐之媛命陵に行って見ました。考古学上は、ヒシアゲ古墳と呼んでいる古墳です。 航空自衛隊奈良基地の北に磐之媛命陵は在ります。平城京の遺構展示館からてくてくと歩いて行きましたが、途中道を間違え、後円部の方出てしまいましたので、ぐるっと回っていまいました。 磐之媛は仁徳天皇の皇后です。仁徳天皇35年夏6月、皇后磐之媛命が筒城宮(つづきのみや)で亡くなり、2年後の冬11月12日、皇后を奈良山に葬ったと、『日本書紀』に記されている。 これだけの記述で、この陵墓が磐之媛であるかどうか特定できなと思いますが、宮内庁は、ヒシアゲ古墳を仁徳天皇の皇后だった磐之媛命陵に比定し、平城坂上陵(ならのさかのうえのみささぎ)と呼んでいるのです。 墳形は」前方後円墳 主全長219m、後円部径124m、後円部高さ16.2m、前方部幅145m、前方部高さ13.6m 前方部に二重濠 築造時期は5世紀中葉〜後半と云われている。 前方部の濠は左は葦が生い茂っていました。 記紀には磐之媛を嫉妬深く、夫の浮気を許さず、山城筒城宮に移り住んで、それきり夫の元に戻らなかったと描かれている。仁徳天皇は、大阪府堺市に大山古墳で眠り、普通は皇后の墓も夫の墓の近くか、あるいは出生地に造られてもよさそうだが、なぜ奈良山に築かれたのか不可解です。
死後も浮気を許さないわよ、ということなのかな。 |
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こんばんは。
ご無沙汰です☆
ヒシアゲ古墳行かれたのですね。
この古墳磐之姫命墓なのかどうかは…ちょっと感が歪めないです。
昨年橿原考古学博物館の講演会では大胆な学説が発表され、埴輪の年代からして真の安康天皇陵なのではないかと言われています。
私もそのように考え出している最中です☆
周辺には多くの陪塚や二重堀の埴輪の公園があって見所十分です。
2014/1/31(金) 午後 9:29 [ マサソイト ]
お久しぶりです。
御陵らしい佇まいの古墳ですよね。安康天皇陵なのかな?佐保路良いですねー。 [ マサソイト ] さん
2014/2/3(月) 午後 5:55
takeru3724さんへ(゚▽^*)ノ⌒☆
しずかっていいますσ(´・д・`)おはつですん。takeru3724さんのブログ好きすぎます☆ホジホジ(´σω`)インデネェ?今日は恥ずかしかったけどコメントしちゃいました(o^−^o)実は最近、takeru3724さん自身にも興味がですね…:*:・’゜ (〃ゝ∇・)ゞえヘッ♪もしよかったら、お友達にくださいませですσ(´・д・`)メールくれたら嬉しいな(*´▽`*) それじゃ待ってますです(v`▽´)v
2014/2/3(月) 午後 5:55 [ shijuju@docomo.ne.jp ]