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般若心経−300ほどの字数に大乗仏教のエッセンスが集約されている仏教の経典として一部の宗派を除いて殆どの宗派で読まれているお経で、諸説いろいろあるが、玄奘三蔵(三蔵法師)がインドから持ち帰った600巻に及ぶサンスクリット語で書かれた大乗仏教の経典をまとめたものと言われており、仏教世界では広く浸透しているお経の一つとして知られている。
仏教は誕生から2600年の歳月を経て、様々な概念や解釈によって原型を留めていないが、この般若心経は原始仏教に近い、いわばブッダが唱えたとされる思想や哲学が詰め込まれている。
それは、仏教の中心概念である「色と空」をブッダの弟子である舎利子(シャーリプトラ)へその教えを説くようなたとえで始まる。
そもそも仏教の始まりは信仰の対象ではなく、他宗教とは異なり守るべき戒律もなければ神や霊的なものとの契約行為などもなかった。
ましてやブッダを崇拝したりなどもなく、仏像や寺院なども原始仏教にはなかった。
つまり宗教という概念すらなく、ただブッダが身をもって感じたこと経験したことをベースに人々を苦しみから救うためのノウハウを弟子たちに説いていたのが始まりである。
一つの宗教として成り立ったのはブッダの死後に弟子たちがブッダからの教えや見聞を書物にまとめる作業が経典という形になり、そして長い歴史を経てその時代の僧侶によって新しい概念や解釈が盛り込まれたのが実情とされている。
こうした現象は他の宗教でも極々当たり前にあることで、一神教であるユダヤ・キリスト・イスラムの各宗教も崇拝している神は同じでもそれぞれに考え方が異なり、多種多様な宗派が存在していることからもわかる。
話しを戻して、仏教の目的とするところは前述したとおり、人々を苦しみから解放することである。
ではどうすれば苦しみから解放されるのかと言えば、考え方を変えなさい、といたってシンプルに説いている。
そもそも苦しみとはなんぞや
それは病気であったり老いであったり、そして最期には死(死への恐怖)を苦しみとしている。
また、悩んだり物事が思ったように上手くいかずに嫌な気持ちになったり、憎しみや妬みなども苦しみであり、この世に生まれたからには避けて通れないものである。
ではなぜ人は苦しむのか。
すごく簡単にブッダの言葉を引用すると、執着こそが苦しみの根源であるとされている。
美や食への執着、生きる事への執着、物事はこうであるべきだという執着、〜は〜でなければならないという執着。
こうした執着は自分のみならず、時に争いを生じさせたりして周囲に苦を撒き散らす事にもなる。
ブッダはこうも言っている。
美しいとか汚い、幸せとか不幸、強いとか弱いなどそれ自体は相対的に何かと比較したときに勝手に感じることであり、そんなものは存在しないのだと。
もっと抽象的な概念では、目の前に見えるものはすべて空虚であり、実体のないものであると説いている。
実体がないから苦しみも迷いも悩みも争いもないのだと。
般若心経の「空即是色 色即是空」はまさにこの事を表しており、色と空は何たるかを説いているお経なのである。
わかり易い一例を挙げると、たとえばあなたがモンゴルの砂漠の遊牧民として生まれたとしよう。
電気も水道も、ましてやトイレや風呂もない。
モンゴル人のあなたはそれが当たり前だという認識があり、不便だとか不幸だとかは感じない。
けれど、日本で生まれ育った後にポンとモンゴルの砂漠で生活することになったら、不便でたまらないのではないだろうか。
電気も水道もトイレも風呂もない生活に耐えられるであろうか。
これを苦しみとしたとき、この苦しみから解放されるにはモンゴル人と同じ認識を持つことである。
つまり考え方を変えると気持ちが楽になり苦しみから解放されるのだ。
ブッダの説く教えとは非常に単純明快でありなおかつ道徳的な側面が濃く、こうしたわかり易さも他の宗教にはあまり見られない特徴の一つである。
よく「〜しなければ地獄に堕ちる」とか「〜をすると天国に行けない」と強迫のような行いをさせる宗教が多い中、原始仏教にはこうした強迫的な行いも存在しない。
そんな仏教を宗教としてではなく、ブッダの説いた思想・哲学と捉えると非常に味わい深いものになるのである。
人は頭が良いかわりに弱い生き物で、自分の理解できないあるいはしたくないものを排除、または霊的な存在の仕業に転嫁するように出来ている。
それが故に宗教や霊的精神的な存在を作り上げて心の拠り所とするのである。
しかし、それによって魂(精神)が救われるなら良いことであるが、それを利用して人々を騙したり不幸に陥れようとしたり、精神的物質的に支配しようとする輩が存在するのも事実である。
この世には霊も悪魔も天使も存在しない。
ましてや肉体も何も存在しない。
ある物質が一定の間形作っているだけであり、やがてそれは違うものに変わりゆくだけなのである。
今苦しみを抱えているならば、考え方を少し変えるだけで楽になるのではないだろうか。
そしてつまらない執着を捨ててもっと自由になればいいのではないだろうか。
意見や考え方が違うからと相手をなじる前に正座して般若心経でも読めば心が安らぐのではないだろうか。
日本では毎年10万人以上の自殺者がいると言われている。
特にこの2,3年は30歳以下の若年層の自殺者が増加傾向にあり、由々しき問題となっている。
何かとストレスの多いこの世の中を生き抜くためには宗教にすがるのではなく、考え方を変えてみることも試してみる価値があるように思う。
−追伸−
般若心経の最後に
「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆呵」と書かれています。
これは仏教用語では真言と言われるもので真言宗もこの言葉から付けられました。
いわばおまじないのようなもので、元々のサンスクリット語に漢字の音を当てたものです。
読み方をカタカナで表すと
「ギャーティ ギャーティ ハーラーギャーティ ハーラーソウギャーティ ボージーソーワカ」
となります。
一文字一文字に意味はありますが、それを訳すことよりも音に意味があるため普通は訳しません。 |
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