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二人の天才

1980年代前半のロードレース界に彗星の如く現われた若きアメリカ人ライダー
 
 
フレディ・スペンサー
 
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1982年からロードレース世界選手権 WGP500ccクラスに本格参戦し、翌年はケニー・ロバーツとの死闘を繰り広げて史上最年少チャンピオンに輝いた。
 
その後も圧倒的な速さを見せつけて1985年には500ccと250ccクラスのダブルタイトルを獲得した。
 
そんな彼は天才の名を欲しいままにし、いつしか「ファスト・フレディ」と呼ばれるようになった。
 
彼の圧倒的速さの特徴は両輪をスライドさせる走り方にあった。
通常、スタートから序盤まではタイヤの温度が上昇しないために抑えて走らなければならなかった。
しかしフレディの走り方はスライドさせることを前提としていたため、タイヤ温度の上昇しないうちから最速に近いラップタイムを出し、タイヤが消耗しグリップ力の落ちてくる終盤でもその速さを維持することができたのだ。
 
したがって、スタートからほぼ独走状態で2位以下を引き離したままゴールを迎えるという飛び抜けた速さを持っていた。
 
また彼は勝ちにこだわる完璧主義で「1位でなければ2位もリタイヤも同じ」と考えていた。
ケニー・ロバーツはそんな当時の彼を振り返り自身の著書でこのように述べている。
「勝つことしか考えず、才能にも恵まれていた。 しかし自分が最高だと信じる事が脆さとなった。」
 
そんなスペンサー独走状態のレース界ではそれまで主流であったバイアスタイヤからラジアルタイヤが投入されることになり、誰もがスペンサーの走りを手に入れることが出来るようになった。
と同時にスペンサーの優位性は次第に薄れ、それまで脅かされることのなかった1位の座を明け渡すこととなってしまった。
 
スペンサーは才能に溢れたライダーであったが故に精神的な弱さがあった。
勝つことにばかりこだわった結果、たとえ二位であったとしてもそれを負けと考えていた。
また人嫌いとしても有名で、レースが終わるとプレスのインタビューそっちのけですぐにトレーラーハウスに引き篭るのであった。
そんな彼の強さも一旦自信がなくなると立ち直るのに時間がかかり、最終的には自滅してしまった。
 
これがケニーの言う「脆さ」であったのだろう。
 
 

 


もう一人の天才
 
フレディの活躍から10数年後、またもや天才と言われるライダーが誕生した。
バレンティーノ・ロッシである。
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この若きイタリア人ライダーは、元GPレーサーのグラシアーノを父に持つサラブレッド的ライダーで、父の影響もあって幼少の頃からバイクに親しんでいた。
そんな彼がアプリリアで世界GP125クラスに参戦した1996年にはチェコGPで初優勝を遂げ、翌年は自身初のチャンピオンに輝いた。
1998年には250ccクラスにステップアップし、1999年にはチャンピオンとしてタイトルを獲得した。
そして翌年2000年からは500ccクラスにステップアップするためにホンダに移籍し、翌年にチャンピオンとなる。
2004年までホンダで活躍した後にヤマハで7年在籍して現在は地元のメーカーであるドゥカティへ移籍した。
残念ながら昨シーズンはGPデビュー以来初となる未勝利で終わってしまったものの、これまでの勝利数タイトル獲得数の記録は全てはロッシのものばかりである。
 
またこの陽気なイタリアンはファンへのサービス精神にも溢れ、チェッカー後のパフォーマンスでも観客を沸かせることでも有名である。
 
あるとき、レース終了後のウィニングランではダッチワイフを後ろに乗せて走り、観客を大爆笑させたりもしている。
 
一見してお調子者のように映るが、彼の姿勢は非常にプロフェッショナルであり、彼の天才ぶりはそのライディングテクニックもさることながら、非常にセッティング能力に長けており、どこをどのようにすべきかを的確にメカニックに伝えてマシンを作り上げていくのである。
 
スペンサーもロッシも天才と言われるライダーであったが、その賛美に酔いしれ自分を天才だと考えていたのはフレディスペンサーで、ロッシはどれだけ周りからもてはやされようが、デビュー当時から変わらぬスタイルで今も現役でレースを続けている。
また、勝利したときにはチームやスタッフそしてファンや関係者に必ず謝意を述べるなど非常に謙虚な一面もある。
そして何よりもロッシを特徴づける象徴として、彼自身がレースを楽しんでいることに尽きる。
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本当の天才とは常に謙虚で、間違っても自らを恥ずかしげもなく
 
“Genius”
 
などとは呼ばないのだろう。
 
 
 
 
 
紛れもなくロッシは天才である。
 
 
 

閉じる コメント(10)

私は天才と言う言葉とは
縁がないでので
当時のライダーですと
ランディ・マモラが大好きでした。

フレディとマモラは対極の
アメリカ人ですよね。

2012/6/15(金) 午後 2:29 [ - ]

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スペンサーとロバーツは知ってます^^
親父が、確かスペンサーのアライのヘルメットがカッコイイと
言ってた記憶があります♪
加藤大治郎選手が生きてたら。。と
もっと盛り上がったでしょうね♪

2012/6/15(金) 午後 2:33 [ kt ]

Sin様

僕もそうですが、天才と縁のある人ってそうそういないですよね^^;
ヨーロッパ全盛の当時であってもアメリカ人ライダーのマモラも人気を博していましたね。

僕が一番好きなライダーはケビン・シュワンツでした。

2012/6/15(金) 午後 3:02 [ たけサク ]

kt様

スペンサーカラーのヘルメットは定番でしたからね。
今でも復刻版として売られていますよ。

加藤大治郎もそうですが、阿部典史など有能な日本人ライダーが相次いで他界したのは本当に悲しくて残念でしたね。

走ってるバイクはほとんど日本のメーカーなのに、トップを走るライダーに日本人がいないって寂しい現実です(T_T)

2012/6/15(金) 午後 3:05 [ たけサク ]

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ロッシにはずっとHONDAにいてほしかったです。

2012/6/15(金) 午後 3:19 [ ab73wq ]

ab73wq様

そんな声もよく聞かれてましたが、どうせなら全メーカーを渡り歩いて欲しかったですね。

2012/6/15(金) 午後 3:23 [ たけサク ]

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ロッシの凄いところは、バイクとしては絶対的に有利なホンダからヤマハに移っても勝ってるところだと思います。

ヌカニもシュワンツが一番すきでしたわ^^

というかこのあたりのライダーは頭のネジが10本くらい普通の人間とは違うような気がします・・・

2012/6/15(金) 午後 4:31 [ KJR ]

スペンサー懐かしいです(^_^)

あの頃のWGPは2サイクルで面白かったです(^_^)

僕はW.ガードナーが好きでした(^_^)

スペンサーが8耐でた当時の南海のツナギ今でも実家に有ります(^_^)

2012/6/15(金) 午後 4:56 ひめパパ

ヌカニ様

速いマシンで勝つよりも、勝てないマシンを勝てるマシンに仕上げて行ってこそ偉大なライダーだと言うことを証明したと思います。
去年は残念でしたが、今年はドゥカティで勝ってほしいですね。

僕は頭のネジがいつも緩んでいるようです^^;

2012/6/15(金) 午後 6:46 [ たけサク ]

ひめパパ様

2サイクルの頃は面白かったですね。
一番思い出深いのは1990年のホッケンハイムです。
あのバトルは後世に語り継がれるドッグファイトだと思います。

ガードナーも名ライダーでしたね。
ちょうど8耐観に行ってました♪

ツナギは着れなくなっても捨てられないですよね〜

2012/6/15(金) 午後 6:49 [ たけサク ]


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