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フレッチャー型駆逐艦 喪失リスト制作のため、米サイトを調査中、興味深い記事を見つけたので紹介する。 米海軍関係サイトによると 1945年7月9日にキャラハンはレーダーピケットライン(最前線に出て特攻機の襲撃を全軍に知らせる危険な任務)の任務を受けていた。 7月28日に特攻機の襲撃を受け撃墜しようとしたがレーダーに映りにくいその複葉機は水上超低空を突進し、キャラハンの右舷に命中し爆発した。爆弾は機関室まで突入してから爆発し浸水が発生。そして対空弾薬庫が誘爆し近辺の僚艦が近づけないくらい爆発してキャラハンは02:35沈没した。特攻機に沈められた最後の米艦だったとのことである。 ここで愚生は複葉機が引っ掛かった。 複葉機が最新鋭のレーダー網や近接信管付きの高角砲射撃、ハリネズミの40mm、20mm対空砲火をくぐりぬけて命中したなどにわかに信じがたい。 もう少し調べてみるとキャラハン乗組員の手記が発見された。要約してみると ( )内は愚生コメント 5インチ38口径が砲門を開いたとき震動と爆音は強烈で鼓膜を破りそうで苦痛なほど凄かった。 私は、耳に綿を濡らして深くねじこんだ。 (夜中なので高角砲のレーダー射撃と思われる。) レーダーに検知された物体はとても速度が遅かったのでこれが飛行機か否かが議論された。 最初に飛行機は低空で13マイル(20km)先で見つけられました。 (通常は最低150km以上先で発見される、すぐ近くまでレーダー確認できなかったようだ) 時々われわれは日本軍が低空で雷撃、爆撃する戦法を受けていた。 私たちが知らなかったことはこれらの飛行機が木と布で作られていることでした。 (だからレーダーに映らなかったようだ。こんなこともあるのかとびっくり) (また帆布張りと一部木製だったため高角砲の近接信管は効果がなかったようだ) 非常に低速で、操縦しやすい羽の二枚ある複葉機でした。 この飛行機はレーダーでとらえるのは実際には不可能でした。 これが複葉機の特攻機が我々に気づかれることなく至近距離まで接近できた理由です。 (夜中で肉眼では直前まで見えない。この著者が対空機銃にとりついた時にはすでに複葉機は命中寸前だった) 特攻機は後部右舷に命中しました。 新型ハイテクのフレッチャー型駆逐艦に命中したこの超低速の複葉機は一体何なのか無性に興味が起きたので調べることにした。 第三竜虎隊間違いなく1945年7月28日に海軍の複葉の練習機が宮古島から出撃していたのを発見した。飛行機は九三式中間練習機で特別攻撃隊は第三竜虎隊であった。 最高速度は210 km/h程度、このときは本来の能力をはるかに超える250kg爆弾を強引に搭載していたため130km程度の速度だったと思われる。要するに高速道路を走る自動車みたいなものだ。 それにしても夜間に体当たりを成功させる腕前は凄い。凄腕だ。 調べてみると九三式中間練習機(略して九三中練または赤とんぼ)はまともに攻撃したのではまず全機撃墜は明らかなのはわかっていたのではじめから夜間攻撃一本に絞っていたようである。台湾から宮古島への移動も夜間に実施したのだが 第一龍虎隊8機:夜間のため全機が宮古島への着陸に失敗し不時着大破 第二龍虎隊8機:夜間のため全機が宮古島のもっと手前の与那国島と石垣島に不時着 これでは宮古島にたどり着けない、攻撃すらできないので徹底的に1か月夜間飛行の訓練を受けたのが第三竜虎隊であった。 これで250キロ爆弾搭載のへろへろ九三中練がフレッチャー型駆逐艦を撃沈した疑問が解けた。 1.夜間攻撃一本に絞って夜間飛行の訓練を徹底的に実施した。夜間攻撃は大正解だった。 2.レーダーに検知されにくい低空を飛行した。練習機なので極めて操縦性がよくまた低速なのと夜間訓練を受けていたので実現できた。 3.九三中練は帆布張り木製フレームだったためレーダーに検知されにくく20kmまで接近できた。 4.九三中練は帆布張り木製フレームだったため高角砲の近接信管が作動しなかった??少なくとも効果はなかったようだ。 5.対空機銃弾が帆布張り木製フレームだったため炸裂せず貫通する場合が多かったようだ。エンジンか、燃料タンクか搭乗員に 当てない限り撃墜は難しかった。 6.複数機、最大5機特攻機が命中しても沈没しない場合が多かった新型のフレッチャー型駆逐艦だがなぜあっさり沈没したのだろうか? 130km程度の低速で命中しただけなので本来なら上部構造物を破壊するだけで終わるだけなのだが幸運にも当たり所が良かった。 またこの250kg爆弾は徹甲爆弾だったのであろう、爆弾は後部機関室まで入り込んでから爆発し船体が裂け浸水が始まった。 燃えさかる炎は隣の弾薬庫を誘爆させたのであった。 7.搭乗員の闘志。必死に死ぬための夜間飛行訓練をした。こんなこと現在に生きる私にできるだろうか・・・ 少なくとも外国人には理解しがたいであろう。 米海軍関係サイトによると 7月29日(28日?)、神風の犠牲となったキャラハンの近くにいたPrichettは2番目の特別攻撃隊の目標になった。 Prichettは5,000ヤード(約1500m、遅い!)で特攻機を捉え対空砲火を開いたが特攻機は突進してきた。 特攻機駆逐艦の左舷およそ6フィート(1.8m、つまり舷側に命中)の海の中に墜落、搭載爆弾が爆発、上部構造物を破壊し無線、電気系統に多大な損害を受けた。Prichettはその損害にもかかわらず、その領域に残っていて、もう2時間キャラハンから生存者を助け続けました。 第三竜虎隊7機中、7月29日出撃は5機だったらしい。2機は故障で引き返した。 なお引き返した2機は翌日夜間再度宮古島から発進して見事またもや命中している。 同じくフレッチャー型駆逐艦カシンヤングCassin Young/DD-793だ ほかに該当の特攻隊が見つからなかったので愚生の独断で第三竜虎隊の戦果と判断した。 米海軍関係サイトによると 7月28日カッシンヤングの船団グループは特攻隊の主要な目標でした、1隻の駆逐艦が沈められて(キャラハンであろう)、もう一隻(プリチェットと思う)は特攻機によってひどく破損させられている状態でした。 その間、カシンヤングは、2機の敵機を撃ち落とし、沈没船から生存者を救助しました。 翌日、彼女は2回目の特攻機の攻撃を受けました。低空を飛行してきた特攻機は彼女の右舷に当りました。 炎が中央部で物凄い爆発のあとに起こりましたが、乗組員は20分以内に何とか1台の機関部のパワーを回復して消火に成功し慶良間列島へ後退しました。、22人が戦死、45人が負傷しました。 (全体的に米軍と日本軍で日付が合わないのは時差の関係らしい。米軍と日本軍の時間はずれているようだ) 神風特別攻撃隊第三次竜虎隊 上飛曹 三村 弘 一飛曹 庵 民男 同 近藤清忠 同 原 優 同 佐原正二郎 同 松田昇三 同 川平 誠 このなかの7人中3名がフレッチャー型駆逐艦命中したことになる。お見事である。赤とんぼで命中率40%以上だ。 Horace A. Bass(APD-124)も7月29日か30日特攻機の命中を受けたらしい。第三次竜虎隊の可能性があるが探してもAPD-124の詳細は見つからなかったので参考とする。
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良い記事です。よく調べてくれました。沖縄戦、まだ知らないことが
多いです。海で犠牲になったアメリカ海軍軍人は5000人、普通、
地上の12500人に加えた無いので、計17500人。
2008/7/29(火) 午前 11:32 [ japaneseweapons ]
ありがとうございます。たしかに沖縄戦の米陸海軍の損害、特攻機の戦果など不明な点が多いです。暇を見つけて調べています。
2008/7/31(木) 午前 0:25 [ たけし ]
宮古島には第四龍虎隊の方々が建立した第三龍虎隊の慰霊碑があります。給食センターの裏に在地諸部隊の碑とまとめて設置されています。
碑文は確か以下のとおり。
背を屈め深く倒せし操縦桿 千万無量の思い今絶つ
2008/12/19(金) 午後 6:09 [ シャクスン ]
宮古島には死ぬまでに必ず行くつもりです。そのときチャンスがあれば慰霊碑は訪れるつもりです。
2008/12/21(日) 午後 11:17 [ たけし ]
特攻出撃以前の不時着や夜間訓練はとくに興味深かったです。
若き英霊に敬礼!
2009/12/19(土) 午後 1:34 [ pra*ti*a ]
ご訪問ありがとうございます。また来てください。
2009/12/23(水) 午前 1:13 [ たけし ]
APD-124 ホーレス・A・バスはクロスレイ級高速輸送船です。
1945年7月30日に特攻機の突入を受け撃墜しますが、プリチェット同様至近弾となり船体を損傷、死傷者14名を出しています。
クロスレイ級高速輸送船は護衛駆逐艦の後部を輸送船に改造したもので、前方には護衛駆逐艦由来の5インチ砲や対空機銃を残しています。速力は駆逐艦と同等ですが、船体が小さいので1個中隊程度しか載せることは出来なかったようです。発想的には日本の鼠輸送に近いものです。
2012/5/21(月) 午後 7:00 [ ina**_am*mi ]
なるほど護衛駆逐艦の派生でしたか。ありがとうございました。
2012/5/25(金) 午前 0:47 [ たけし ]
Horace A. Bass(APD-124)には、特攻機が至近で墜落、爆発して船体損傷及び14名の犠牲が出たようです。
https://en.wikipedia.org/wiki/USS_Horace_A._Bass_(APD-124)
Horace A. Bass suffered hull damage and 14 casualties,
2013/7/24(水) 午後 7:50 [ KEITABee ]
余り知られていない事ですが、
宮古島から第三龍虎隊の出撃を見送った
日本海軍参謀は、冨士信夫少佐でした。
作戦成功にどれだけ関与したかは不明ですが、
後に一連の東京裁判傍聴記録を残された方です。
2014/4/2(水) 午後 7:54 [ 愛機に祈る親心 ]
情報 ありがとうございました
2014/4/3(木) 午後 10:43 [ たけし ]