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阪神大震災その59 長田区その17 年が明けた。 またあの日が近づいてきた。 昨年は東北地方で大勢の人々が亡くなる震災がまた発生した。 神戸市長田区二葉町7丁目1二葉小学校横 地震で倒壊した民家 東日本大震災で岩沼、東松島、気仙沼、女川、釜石、南三陸、陸前高田などなど津波の被害は酷かったが津波が到達しなかった地域の家、ビルは見た目は被害なしか微小だった。地震のみで破壊されて倒れた民家は一軒も見なかった(どこかにきっと何軒かはあったはずだが)。 津波さえなければほとんど誰も亡くなることがなかったのではないかと思った。 ある人の調査によると津波に関係ない東日本大震災の死者は70人前後らしい。死者行方不明のほとんどは津波関連死といえる。 極端な話 地震後40分以内に被災地の全員が躊躇なく避難していれば東日本大震災の死者は100人以下だったと推定される。 現在 神戸市長田区大橋町3丁目1 地震でほとんどの民家が倒壊しそのあと焼き尽くされた。 現在 阪神大震災で犠牲者(間接死除く)の83%が建物倒壊による損傷死(圧死、外傷、窒息)であった。そのうち92%以上が10数分以内に死亡した即死だったとの報告がある。焼死は13%でほとんどが家に挟まれて動けず生きたまま焼かれた。 東日本大震災は水死92.5%、焼死1.1%、損傷死は4.4%で578人だがそのうち500人は津波による建物倒壊などによる津波関連死者と言われている。 阪神大震災では亡くなった方々は突然地震に襲われて気が付いたら昇天していたあるいは挟まれ動けず炎の津波から逃げられず焼け死んだ。生きのびる選択肢はなかった。 東日本大震災では19300名の方々が死亡行方不明となっているが彼らには生きる選択肢があったことが大きく異なる。数多くの動画から津波被害地の建物は倒壊することはなかったので死亡行方不明者のほとんどの人が怪我はあったかもだが歩いて避難できる体力はあったと思われる。江戸明治昭和の事例から津波が来るのは確実であり到達まで40-60分あったので色々考える時間は十分すぎるくらいあり阪神大震災とはまったく状況が違うようだ。 犠牲者を数値で分析したり被害を写真に残すのは抵抗を感じられるかもしれませんが後世に語り継ぎ今後の死者を減らすには必要なことと考えています。
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全く同感です。津波については、国民一人一人の責任もありますが、地域の市町村や国を含めて、危険な地域に住宅を建設しない注意が必要と思われます。私の仙台市の知人夫妻も最近海岸近くに新築住宅を購入して、その家で被災。二人が二階に逃げて、家ごと流されて、本当にラッキーにも線路に家がひっかかり、家が新しくて壊れなかったために、二階で水に半分漬かりながらも助かったのでした。
2012/1/9(月) 午後 0:19
新しい買ったばかりの家が全損は悲劇。たとえ命は助かったとしても。気の毒に思います。
2012/1/13(金) 午前 0:20 [ たけし ]
阪神大震災当時のことを思い出そうとして検索してみたら、こちらのページが見つかりました。当時、大橋3丁目に住んでいた者です。震災翌日に焼け跡に行ったときの記憶が蘇りました。ただ、震災から一年、2年経つうちに、ここには家ができ始めもとの人々が戻ってきました。「いまだに焼け跡は更地のままだ」の写真は、行政の都市計画によってせっかく戻ってきた人が出て行ったあとの更地です。この写真では私の家がまだ移っていますが、最後まで残っていた私の家も、2年前に引越し、ここは完全に何もなくなり、柵で囲まれています。
貴重な写真拝見させていただきました。ありがとうございました。
2012/3/10(土) 午後 4:03 [ 難波文男 ]
一旦人々が戻った後、行政の指導で更地なのですか なるほど 震災とは関係なかったのですね 修正します。
2012/3/11(日) 午後 2:37 [ たけし ]