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平成13年7月9日執筆のホームページから一部加筆して再掲載 *長期間西沢氏を取材し続けた報道班員吉田一氏が撃墜120機以上(個人、共同合わせてと思われる)
を保証している。本人も撃墜120機と自称していた証言あり。
*酣燈社日本海軍戦闘機隊の付エース列伝では87機と記載されている。左は64機撃墜の坂井氏 色々言われるが坂井氏とは程よい関係だったと思う 2大エースが写るすごい写真である。この写真は最高だ。西沢氏が有名になったのは坂井氏の著名な本のおかげだ。 モデルアート社海軍航空英雄列伝平成6年11月によると昭和17年3月から10月にかけて西沢氏は個人撃墜46機、共同撃墜7機、不確実撃墜9機、合計62機撃墜を記録している。なぜか有名な8月7日F4F6機撃墜がこの資料から欠乏しているのでその分は加算した。4月は部隊移動期間のため撃墜無し またこの後超激戦時期のラバウルに再度進出し18年5月から10月の6ヶ月間戦死せず戦い続けた。6月30日以降部隊として個人記録とることを残念ながらやめているので5月、6月の戦果は個人撃墜6機、共同撃墜1機、不確実撃墜2機、合計9機撃墜である。 その後フィリピンでF6Fを2機共同撃墜している。 個人撃墜13機の角田和男氏の戦記(朝日ソノラマ 零戦特攻 平成6年)によると昭和19年9月末、西沢氏より直接下記の証言を聞いている。 「18年夏、草鹿長官より武功抜群で表彰されたときは100機撃墜、19年9月末の時点で120機以上撃墜」 西沢氏はこの後さらに2機F6Fを共同撃墜している。 なお公式な聯合艦隊司令長官から全軍布告された西沢廣義氏の戦果は協同戦果429機撃墜、49機撃破 このうち単独撃墜36機、2機撃破である。協同戦果429機、49機撃破は彼がかかわった小隊協同、中隊協同の撃墜機数である。共同戦果の中に氏の18年7月以降の単独撃墜と全体の共同撃墜戦果が含まれているのだが今となっては抽出不能であろう。 これら驚異的な活躍を考慮するとペースとして120機撃墜はうなずける(少なすぎる?)のではないだろうか。 氏はかなりの男前である
身長は180cm かっこいい 今の世ならアイドル級である。 |
撃墜王
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